7.震撼4
白い絹の垂れ幕を無造作にくぐると、黒髪の男は腰に短剣を携えたままキナリスの座る椅子の横に腰掛けた。
「相変わらず、大胆だな。」
皮肉って見詰める年下の聖帝に、シキは穏やかに笑って見せた。
その笑みがキナリスの知っているシキとは違うような気がして、眉をひそめた。
「どうした。シンカは悪いのか?」
「いや。あの程度の傷なら、目を覚ませばぴんぴんしているだろ。俺は、さすがに、疲れた。それだけだ。」
キナリスは傷の付いた頬に手の甲をあて、首を傾げてみせる。それは、怪我をして以来ついた癖だった。
「シンカの前では、ずいぶん張り切っているようだったが。」
「ふん。あいつの前で疲れた顔なんかしてみろ、じじい呼ばわりだぞ。」
「まあ、シキも歳を取ったしな。」
「おい、それはお互い様だろう?」
やっと、いつもの豪快な笑みを浮かべる旧友に、キナリスも目だけ微笑んだ。
「シンカが守ろうとした、あの男は何者なんだ。」
シキが煙草に火をつけようとするので煙の嫌いなキナリスは顔をしかめてみせる。
そんなことにはおかまいなしで、シキはおいしそうに煙を吐き出す。
「ルイは、ダンドラの王子だ。シンカが幼いころからアストロードで遊んだ仲らしい。私も二日前はじめて知ったのだ。どの程度かは分からんが、相当、親しいらしいぞ」
「幼馴染か」
「それ以上だと、思うが」
「なんだ、それは」
睨み付けるシキの黒い瞳に、キナリスは笑った。
盲目だった時のシンカとのやり取りをシキに見せたら怒り狂うのだろう。
「ルイは、現在のダンドラの王の三男に当たるが、変わり者でな。王族になじまず、十代後半頃から、各国を放浪し始めたのだ。父王とは仲が悪く、ダンドラには寄り付かなかった。権力とは無縁の辺境の港町で、のんびりと生活したかったのではないかな。二人が出会ったのは、ちょうど、シンカが父親の影を追っているころだ。シンカは十歳くらいか」
「シンカが、父親代わりに慕ったと?」
「だと、思うが」キナリスは、あいまいに笑って、ごまかした。
「嫌な存在だな。シンカを道連れに死のうとしたんだぞ」
「ルイは、ルイなりの愛情でも示したのではないか?どちらにしろ、我がファシオンはダンドラに停戦してもらったのだ。逆らえはしない。ルイに手を出すなら、この国以外でやってくれ。ああ、宇宙から惑星リュードを見たいと言っていたから、丁度いいじゃないか、連れて行け」
「冗談はやめろ。お前も、案外冷たいな。友達ではないのか?」
「友達の前に、私はこの国の皇帝だ。」
きっぱりと言い切るまだ若い皇帝に、シキは目を細めた。
シキが出会った頃の幼い十代の皇帝とは、すでに違う存在になっている。逞しくなったのだろう。それは、そのために生まれ、そのために育ったがために、否が応でも身についてしまうものだ。
シンカのように、情に厚くては皇帝の職はつらい。
「シンカに、聞かせてやりたいな」
「シキはああいう、らしくないものが好きなのだろう」
「まあ、そうだな。あれ以上の、面白い奴はいない」
うれしそうに笑うシキに、今度は、キナリスが不機嫌な顔になった。
「リュードの開放の話、シンカから聞いたのか?」
不機嫌になった聖帝は答えない。
「シンカは信じるに値する人物だ。それだけは覚えておいてくれ」
シキは立ち上がった。
「なんだ、もう行くのか?一緒に朝食でもどうだ?」
不機嫌な表情をがらりと変えて、キナリスも、長い金髪を揺らして立ち上がった。
「また来る」
片手を挙げて、背を向けている旧友を、キナリスはさびしげに見送った。
同じ皇帝の座にありながら、なぜ、私はこんなに孤独を感じるのだろう。
シンカにはシキのような友人が常に付き添っていると言うのに。
キナリスは誰にも聞こえないため息をつく。
朝日が昇るにつれ、部屋のステンドグラスは色を変え、様々な形の光をシンカの頬に反射させた。シキとホルター、ローダイスの三人がかりで着替えさせたのだが、てきぱきとすばやいシキに、ローダイスは、感心した。
「慣れてますねえ。」
「これが女ならもっと楽しいんだがな」
にやりと笑うシキに、
「それは同感です」とローダイスも笑う。
結婚もせず会社に尽くしてきたホルターはただむっと黙り込んでいた。
その間もシンカは静かに眠っている。
シンカに与えられた部屋にローダイスとホルターはじっとしていた。
キナリスに嫌われているので下手に出歩かないのが一番だと、シキに念を押された。当のシキは、キナリスに会いに謁見の間とやらに向かったまま一時間程が経過していた。
落ち着かずに、歩き回り、ひたすらしゃべり続けるローダイスに、いささかホルターが飽き飽きし、ソファーに横になった時だった。
どこかで、携帯電話の着信音のようなものが鳴り響いた。
「おい、ローダイス、任務中だぞ」
「違いますよ、俺、私的な携帯は持ってきてないですよ」
「じゃあ、なんだ」
不機嫌な年上のホルターが言葉とは裏腹に動こうとはしないので、ローダイスは肩をすくめて音のするほうへ向かう。
「まったく、ご老体には、早朝の任務はきつかったんでしょうけどねぇ。ジンロさんはあれからレンとヌーたちの身柄を処分したんですよ?俺たちこんなでいいんですかねえ。」
ぶつぶつ、大きめの声でつぶやきながら、しつこく鳴り続ける携帯電話を見つけた。
それは、皇帝のものらしいチョコレート色のニットコートからだった。内ポケットに小さな携帯電話がある。
受話ボタンに触れると同時に、怒鳴り声が響いた。
「お前、いい加減にしろよ!何のために持たせてると思っているんだ!」
「わ!?」
ローダイスは驚いて、電話を取り落とした。丁度コートに落ちたのでほっとして、もう一度持ち上げる。
「だれだ、お前」
ホログラムは太陽帝国、軍務官だった。
栗色の髪をキッチリと整え、端正な鋭い顔は、知らないものはいない。
「は、あの、ミストレイア東宇宙基局、第三支部……」
「なんだ、ローダイスか」
「はい。あの、光栄です!」
まさか、軍務官が自分の名を知っているとは思っても見なかった。ローダイスはレクトから見えるわけでもないのに姿勢を正した。
「シンカは、皇帝陛下はどうした。そこにいるのだろう?」
「は、あの、ただいまお休み中でして、その。」
ローダイスは電話を不自然な高さにささげ持ったまま、皇帝の眠るベッドに近寄る。
「軍務官、お久しぶりです」
背後に現れたホルターに、ローダイスはむっとする。自分が軍務官と話しているのにとでも言わんばかりだ。
「ホルター、お前もいるのか。陛下を、起こせ」
「あの、しかし」
いつもどおりのゆっくりしたホルターの口調に、余計にいらだったのだろう、軍務官は怒鳴った。
「火急の用事だ!急げ、ばかもの!」
「はいっ!」
勢いよく返事をしたローダイスだったが、青白い顔で眠る皇帝の顔を見ると、急に、慎重になった。
携帯をホルターに預けると、そっと、シンカの肩をたたく。
「あの、陛下・・。」
「軍務官、陛下はいま、お怪我をなされて」
ホルターのなだめる言葉はまたも途中で、邪魔された。
「起きろ!シンカ!」
いったい、どうやってそんな大きな声になるのかと思うくらい、レクトの声は響いた。
かすかに眉間にしわを寄せて、シンカが目を覚ました。
「……う、レクト?」
「起きろ、シンカ。今すぐ、その星から退避しろ!」
「何?」
けだるそうに、前髪をかき上げ、シンカが上半身を起こす。
「退避とは、どういうことですかな。」
ホルターのあくまでも落ち着いた声に、レクトが、やっとまともに応えた。
「ミストレイアの戦艦グライアスが、惑星リュードの大気圏内に入った」
「大気圏内ですと?目的は」たずねるホルター。
「え?だれ?」
シンカはホルターとローダイスを交互に見つめる。ローダイスはにこと笑う。
レクトは話し続けた。
「レンとエージェントの身柄は、ジンロがこちらへ送っている。ルーランは、この惑星をお前のリングの報復で破壊しようとしていたんだ。それが失敗した今、ミストレイアのリドラ人部隊を使ってこの星を壊滅させようとしている」
「なんだよ、どうしてそんなこと・・」
「時間がない、さっさと、退避しろ。ニーヒスケルスを向かわせた。高速艇はすでに待機している頃だろう!大体お前が大人しく親衛隊と供に退避していれば問題など起こらないのだ。ばか者!座標は送る。すぐに動け!」
「ちょっと待てよ!この星はどうなるんだよ?俺がいなくなれば、攻撃されないのか?」
「・・。」
レクトは黙った。
「ルーランは、リュードを五百年前と同じ目にあわせようとしているんだ。リドラ人の星とするためにな。」
「!俺、止めるよ。」
「できはしない。何言ってる。」
シンカは、ベッドから飛び降りた。
少しふらつくがローダイスに支えられて、靴を履く。ローダイスは肩に置かれた手を、ぼんやりと見詰めながら、改めて皇帝が伝え聞く年齢よりずっと幼く見えることに気付いた。この手に太陽帝国が支えられているのか。
「おい、止めろバカ!ホルターも。」
「心配しなくても大丈夫だよ、レクト!ここのネットワークを復旧したんだ。こちらからネットワークを通じて、ミストレイアの艦隊を止めるよ。何のために俺にリングつけてるんだよ!こういうときのためだろ」
「シンカ!リングは役に立たん!」
レクトの言葉に、飛び出しかけたシンカは立ち止まった。
「何?それ。」
「ネットワークにはつながる、だが、理論上ということだ。歴代の皇帝は誰も、嫌がって試していないのだ!お前の脳が一つのホストサーバーと同じになる、つまり、お前の脳にあるすべてのデータが、星間ネットワークにさらされることになるんだ!お前の意思で制御できるか分からんし、逆に、もし、お前の生命を維持しているデータが壊されでもしたら、おまえ自身が壊れる可能性があるんだ!博士衆の言うネットワークを操るなんて事は、出来はしない!」
「なんだよ、それ。じゃあ、リングの報復とか、俺が死んだらネットワークが麻痺するとか、全部うそなのかよ!」
駆け戻ったシンカは、ホルターがささげ持つ携帯のホログラムに噛み付かんばかりの勢いだ。
「ネットワークは、停止するだろう。だが、報復なんぞされない。お前が暗殺されるのを防ぐためのはったりだ。報復を恐れるから、ヌーたちも時間をかけて殺そうとしたんだ。」
そして、それを、レクトは見逃した。
シンカは、苦い思いがこみ上げるのを、一言いやみでも言いたくなるのを抑えた。
「・・理論上は、可能なんだな。報復がないなら、俺が死んだとみなされたって、リュードに迷惑はかからないんだな。」
「シンカ!」
「もう、この星に傷を負わせるわけにはいかないんだ!惑星上で戦闘なんかバカな真似するなよ」
「バカ、たった一つの惑星のために、お前が命かけてどうする!」
「俺の、故郷だ。あんたの思惑のために命かけるより、ましだ。」
にっこり笑う蒼い瞳が、一瞬時を止めたようだった。
レクトが言葉を継げずにいる間に、シンカは部屋を飛び出していった。
「お、俺も行きます!」
ローダイスは、皇帝に従うほうを選んだ。
慌てて、追いかける。
「ホルター」
一つ、ため息をついて、老兵は苦い表情を軍務官に見せた。
「レクトさん。私は、あなたの命令に従います。あくまでも、私はミストレイアの軍人です」
「あれを、守ってくれ。何をしてもいい、止めてくれ。シキもいるのだろう?任せると伝えてくれ。星間ネットワークにつながるなど、危険だ。だから。シンカを助けてくれ」
あまり見せることのない表情でレクトは視線を落とすと、通信を切った。
宇宙一の軍神も、皇帝陛下にはかなわないか。
不思議な寂しさを感じながら、ホルターは携帯とシンカのものらしいコートを持って、二人の後を追った。
夜が明けてからまだ、数時間しかたっていない。
宮殿内の廊下はまだ、暗く冷たい。ガス灯にも火が灯されていなかった。ホルターはシンカのコートの異様な重さに、レーザーを反射する特殊素材が織り込まれていることに気付く。
これを身につけていたなら、怪我などしなかっただろうに。
眉をひそめた。皇帝ともあろう方がご自身の安全には、何も気を使われない。これでは、周りは心配するばかりだな。
並みのものでは勤まらないだろう。
今回は救うことが出来た。だがいつか、その性格が仇なして、その命を奪われることになるやもしれん。
また、一つ。ため息をついた。