7.震撼2
「そんなこと言うなよ。これからだってもっともっと、幸せだって感じるよ」
「俺は、お前をそばに置きたい。友人としてでも、なんでもいい。だが、お前が幸せであればあるほど、俺は苛立つ。お前が憎くなる」
ルースは腰の剣を抜いた。
シンカはとっさに一歩下がる。
憎まれてやれ、そう言ったキナリスの言葉がシンカの脳裏によみがえった。ルースの表情は真剣だ。
本当に、殺したいと、にくいと思っているのだろうか。
「ルース。俺を殺したら、きっと、今よりもっと、つらくなるよ」
「うるさい!死ぬのがいやなら、俺に従え」
鋭く振り下ろす一閃をかわして、シンカは出口に走った。
狭いここで剣を振り回したら、ルースが危ない。そういうセキュリティーが組まれている可能性もある。
乳白色の壁がうっすらと光る通路を駆け抜けて、シンカは出口に向かう。
そこまで来て、石の玉を持っていないことに気づいた。
出られないかもしれない。
一瞬躊躇したが、背後にルースの足音を聞いて、慌てて昇降機になっている壁面に立つ。
それは、ゆっくりと動き出した。
ぞくりとする夜の冷たい風が首をなで、シンカは肩をすくめた。
入るときに扉の穴に入れた石は、シンカが最初にとった聖像の手に戻っていた。それをちらりと確認したとき、背後に気配があった。
「ルー…」
言いかけて、振り下ろされた剣を危うくかわす。
足元の段差につまづいて転んだ。
冷たい大理石の床に、頬が押し付けられる。
目の前に、月明かりに冷たく光る剣先がある。
そのまま、ルースはシンカの上に馬乗りになった。左手で、前髪をつかみ上げる。
「お前、俺とともに来るのだ。」
双子の小さな月が、逆光になって、ルースの顔は見えない。
「面白そうだな」
あの男の、声。
じわ、とシンカは恐怖が近寄るのを感じた。見えなかったときに戦っていた恐怖。
がらがら声が、近づいてきた。
「誰だ。」
顔を上げたルースの向こうで月が肩掛けの毛皮を照らした。
シンカはその隙に押しのけようとするが腹の上に乗られては、そうそう形勢逆転とは行かない。
「レンに頼んだんだろ?そいつを、やってほしいってさ」
もがきかけていたシンカは強張って動きと止めた。その声は嫌でもあの時の痛みと恐怖を思い出させる。
「ルース、こいつ俺の目をつぶした奴だ。ヌーって奴」
なんでこいつがここに?
レン?
「そうか。」
不意にルースが立ち上がった。
シンカも、慌てて立ち上がろうとしたが、ルースの剣に邪魔されて、上半身を起こしただけでにらみつけた。
「どういうことだよ。あんたたち、ミストレイアだろ?なんで俺を狙うんだ?レンとどういう関係なんだよ」
シンカの問いを無視して、ルースは黒い影としか見えないミストレイアの男に話しかけた。
「お前が、シンカの目を見えなくしてくれるのか。針を使うんだとか。きれいなまま、傷ひとつ遺さずに、二度と見えなくしてほしい。」
「ルース…何を!」
「どうせ死ぬんだ、今度は見えるまま苦しめるのがいい。」
そう言って、ヌーは低く搾り出すような声で笑った。
「おい、殺すんじゃないぞ。聴いているのか?」
ヌーに近寄ろうとルースが立ち上がる。
危険だ。
シンカが引きとめようとした瞬間、ヌーが間合いをつめてくる。
その手には、ナイフ。
ギラリと一瞬光る。
体をひねってよけたシンカは、そのままヌーのナイフを持つ手首をつかもうとする。が、切り返すヌーのほうが一瞬早かった。
そのナイフを避けて、肘うちを放つ。
気づいたヌーは、すっと後ろに飛びのく。
「ふうん。面白いな。」
どちらかといえばやせ気味の、軍人というより殺人鬼のほうが似合いそうな顔が、月明かりにニヤニヤ笑う。
「ルース、気をつけろよ。こいつら、あんたの言うことなんか聞かない。ただ、俺を殺したいだけなんだ」
視界の隅に剣を構えたまま立っているルースを認めて、シンカが声をかけた。ルースの表情まで見ている余裕はない。
状況を理解しているといいけど。
するりとヌーが横に動く。
ちょうど慰霊の塔が作る影の中、姿が見えなくなった。シンカは目を凝らす。その、暗がりの中にいるはずだ。
月影にまぎれて、こちらを伺っているはず。
「ルース、あんたは逃げてくれ」
ヌーのいるあたりから目を離さずに、再び少しはなれたところにいるはずのルースに、声をかける。何をするか分からない奴ら。武器もナイフだけではないはずだ。
「なぜ、逃げなくてはならん。」
ルースの声には先ほどの怒りも、悲しみも伺えなかった。淡々と、低く響く。
ふわりと風向きが変わった。朝が近い。風も今のシンカには感じられない。それほど、集中していた。
「だから、言っただろ!あいつらは俺を殺すために来たんだ!あんたに頼まれたからとかそういう奴らじゃないんだ!あんただって、無事に済むかわからないんだぞ!」
気配を感じて、シンカはヌーと反対の方向に目をやる。白い線が、一瞬闇に走る。
肩を打ちぬかれたことを悟ったときには、背後から、ヌーのナイフが斬りつけていた。
「シンカ!」
ルースの声が、二重に聞こえた。
ひざが、冷たい土に落ちたのを感じながら、シンカは手首のリングを背後の男に向けた。指のリングを親指で軽く操作することで、リングから、護身用のレーザーが放たれる。
出力は小さいものの、近距離なら殺傷能力を持つ。
あたったのか解らない。
ルースが駆け寄ろうとし、草むらから何かが飛び出してきたのが見える。
影はもつれて、月明かりにくずれ、シンカはルースの名を呼んでいた。
意識が、遠のく。
「シンカ!」
誰かに、肩を強く揺さぶられて、シンカは再び月明かりの景色を見ることになった。
痛いような熱いような。ぼんやりした状態で、シンカは目の前の男を見上げた。
うっすらと白み始めた青黒い空に、黒い髪が揺れる。
「シキ」
「おい、しっかりしろ!」
さらに揺さぶる手に、シンカは肩が痛むことを思い出した。
「イタッ!肩、つかむなよ、シキ!」
「え、ああ、悪い。」
シンカのはっきりした声に、安心したのか、白い歯をちらりと見せて笑う。
「!ルースは?あ、ヌーは」
振り向く。
やせた男が、うつぶせに倒れていた。
「お前が、やったんだ。」
そう笑って、シンカの髪をくしゃくしゃとなでるシキの背後で、派手な金髪の青年と白髪の混じったがっしりした男が、大男を押さえつけている。
「こっちは押さえたっすよ」
「ジンロ」その存在はシンカをホッとさせる。
感じ取るのか、ジンロはかすかに人にはわからない笑みを浮かべた。
「ルースは?」
青白い、朝の空気に染まる庭に、オレンジの髪の男を探す。
「知り合いか?」
シキの声が沈んで聞こえる。
「!?まさか?」
シンカは、はじけるように立ち上がった。シキの背後に横たわる姿。止めようとするシキの手を振り払って、シンカは駆け寄った。
ルースの体の下から赤黒いシミが広がっている。
「ルース!おい、ルース!」
肩を揺らす。傷は腹部のレーザー痕のみだ。まだ、息はある。
とっさにシンカは、ルースの派手な金細工の剣をつかんだ。
背後からシキがその手をつかむ。
「お前、何するんだ!」
「離せよ!俺の血を使えば助かる!」
叫んで、腕を振り払おうとするシンカをシキが押さえる。
「そいつはお前の目をつぶそうとしたんだぞ!」
「何で、シキ、そんなこと知ってるんだ!」
「レンを吐かせたっす。」
ぼそりと、四角張った顔のジンロが言った。その顔は厳しい。ジンロの隣には、年配の男が立っている。気づくと、もう一人の若い軽薄な感じの男もシンカを見つめていた。
「わかってる!でも、助けるんだ!離せよ、シキ!」
「シンカ、もしそいつを助けても、俺やレクトさんはいずれそいつを殺します。どんな関係かは知らないっすけど、許しません。」
ジンロがシンカの肩に手をかける。ローダイスも、ホルターも、若い皇帝が何をしようとしているのか、わかっていなかった。
ちらりと、ローダイスが困ったようにホルターを見ると、目のあったホルターも少し首を傾げる。
「邪魔するな。」
静かな怒りをこめた声は、一瞬その場の空気を冷たくした。
シンカは金髪の前髪が血に染まり、頬にかかるそれを気にもせずに男たちを睨み付けた。その瞳にかすかに涙が光っているのをシキは認めた。
「大切な、人なんだ」
いつもなら軍務官ゆずりの脅迫じみた表情で皆を黙らせるのだが、今は違った。
流れる涙とはうらはらに、静かに落ち着いた声のシンカは、ゆっくりとジンロの手を振り払うと慣れた手つきで手首を切った。ルースの傷口に血をしたたらせる。
ジンロはその様子を見ていたが、無表情のまま、きびすと返すと先ほど縛り上げたシケットのほうに向かう。
シキとローダイス、ホルターの三人は固まったように、少し離れた場所からその様子を見つめていた。意味の分からないホルターたちは、知らぬ間に冷や汗をかいていた。
シンカは、ルースの肩掛けで、急速に小さくなっていく傷口をそっと巻いた。顔色を確かめるように、男の前髪をかきあげる。
三十そこそこの、美しいといっていい容貌の男は、青白い顔に子どもっぽい表情を隠したまま静かに息だけしている。
「ルース」
シンカの呼びかけに、ぴくりと、まつげが揺れた。
「!ルース!」
その顔を覗き込んで、シンカは嬉しそうに微笑む。
男の手がゆっくりとシンカの頬に届く。
「お前、無事だった、か。」
「ああ。ルース、あんたも助けるから。大丈夫、絶対に、」
シンカは、最後まで話せなかった。
首の左側が、熱い。
そこにはルースの手が、先ほどの剣を当てていた。
「お前を、一人には、させない」
そう言って穏やかに、ルースは微笑んだ。
シンカは急激に力が抜けるのを感じていた。視界が、白くぼやける。
「ル……」
「シンカ!」
シキが駆け寄るのと同時に、シンカは崩れた。頚動脈からは、赤い血がはじけるように流れ出る。
「シンカ!シンカ!」
全身を血に染めながら、シキはシンカの傷口を押さえた。
急激な血圧の低下でシンカはショック状態だ。
傷口からあふれようとする血を押さえながら、耳元でなっているかのような自分の鼓動を感じつつ、シキはシンカを抱きしめていた。
どうか、たのむから、とまってくれ、たのむから。