7.震撼
頬をなでる冷たい空気に、シンカはふと目が覚めた。
ぼんやりとした白い明かりが天井から降りていて、シンカが伏せていた顔を上げると同時にセンサーが反応したのだろう、スタンバイ状態だったネットワークシステムが起動する。スクリーンの青い明かりが頬を白く照らす。
「なんだ、寝ちゃったのか」
接続されて、今はリュードステーションから見える惑星リュードが映し出されている。その美しい蒼い星の姿にしばし見とれる。
「お前は、地球とやらに行くのか?」
不意に声をかけられて、シンカは吐き出しかけた欠伸を飲み込んだ。
ルースだった。
六角形の室内の入り口に立ち、その手には似合わない籠を抱えていた。籠のふちからは、ボイルしたハムを挟んだ定番のサンドイッチとオレンジジュースらしきものの入ったビンがのぞいている。食べ物と認めて急にシンカの胃が文句を言い出した。
食べ物とルースの表情とを見比べる。
少し、落ち着いたのだろうか。いつもとおなじ笑みを浮かべる男の心情は測り切れない。
ルースが室内に一歩踏み出すと、こちらもセンサーが反応して照明が明るくなる。オレンジの勝った長い金髪が、ルースの表情を青白く見せた。
先ほどとは違う、しっかりした足取り。
それをじっと見つめながら、すぐそばにルースが立つまで、シンカは言葉に迷っていた。
無意識に指のリングを隠すように手で覆う。
結局、ルースの性格では自分が悪いなど思いつきもしないのだ。
「……あの、ごめん。さっきは」
「ふん」
皮肉なルースの笑みは、悲しげでもあった。かごを無造作にシステムの上に置くと、シンカの座っているいすの背に手を置いた。白い毛皮の肩かけが、ちょうどシンカの頬に当たる。
ルースの着ている服が夜着のようなので、今は夜なのかと想像する。
「お前は、俺の知らないシンカなんだな。」
「……成長したといってほしいな。」
ルースの手が肩に置かれる。座ったまま、シンカは男を見上げて笑って見せた。ルースは少し寂しいのだろう。その想いはシンカには想像がついた。
「素直には、喜べないな」
「ちぇっ」
ルースは遠慮せずストレートに感情を出す。だから安心して、シンカも思ったことを言える。素直でいられた。それは小さい頃からずっとそう思っていた。言いたいことを言い合って、喧嘩もした。それでもなぜか嫌いにはならない。お互いにそれは分かっている。だから、そばにいるのが気持ちいのだ。
「俺がいなくてもお前は幸せなのだな。」
シンカの笑みが消えた。
肩の手を引き離そうと上げかけた手もとまる。
「ルース。六年前、あんたがアストロードに来なくなって、俺、ずっと待ってたんだぞ。何度も宿屋に通って。そのうち、宿屋の主人が、どこから仕入れたか知らないけど、ルースの乗った船が嵐で沈んだとか言い出してさ。」
シンカは機器の艶やかな金属面に映るルースに打ち明ける。
「酒場のユーン姉さんだって、ずっと心配してさ。あの人、あんたの子供生んだんだぞ。ずっと待ってるって。みんな、あんたの事必要としていたんだ。まさかあんたが隣の国で王子様やってるなんて、誰も知らなかった。」
「ユーンの子は、誰の子かわかったもんじゃないだろ。お前の子かもしれない。」
「俺は十二くらいまでで、後はあの人とは何もしてない。ユーンは奔放だったから、ほんとのことなんか俺だって知らないけどさ。」
彼女は寂しければ誰とでも寝た。でも、いつも一番に好きだったのはルースのことだった。それを知っていたから、シンカは彼女の相手をしなくなった。年上の彼女が本当にそばにいてほしいのが自分ではなく、ルースだと分かったから。当のルースは、気づかない振りをしているのかユーンの言葉を真剣には受け止めていなかった。
「会いたかったか?」
整った顔立ちのルースが目を細めた。一瞬、見入って、シンカは視線をそらした。うつむいたまま、話し出した。
「俺は、昔からデイラに閉じこもっているのがいやだった。俺だけ違う姿、俺だけ学校にも行けなくて。みんなはお前は特別だなんていって、腫れ物に触るみたいに扱ってさ。新しいことを試したり冒険してみたり、そんなこと、誰もしなかった。つまらない街だった。だから、俺アストロードでルースに会えてほんとに嬉しかったんだ。俺のこと、対等な友達みたいに付き合ってくれて、何でも知っていて。」
ルースの長い腕が首にまわる。
「会いたかったか?」
シンカは黙った。
「シンカ?」
うつむく金髪の青年の表情を覗き込んで、ルースは微笑んだ。その笑みはやさしかった。深い緑の美しい瞳。整った顔立ち。
シンカの髪をくしゃくしゃとなでると、ルースは離れる。
「相変わらずだな。意地っ張りの癖に。」
「……うるさいよ」
シンカはごしごしと目をこすって、立ち上がった。
会いたかった。ずっと、探していた。生きていてくれて、どれほど嬉しかったか。
「いっておくけど、俺を泣かすのなんて、ルースくらいなんだからな」
「それは、光栄だな。俺はお前の泣き顔を見るのが楽しみだからな」
「趣味悪いな。それ、俺に持ってきてくれたんじゃないのか?」
「俺について来い。でなきゃ、これはやらない。」
いたずらっぽく笑って、ルースは籠に伸ばされかけたシンカの手を交わし立ち上がる。
「あきれるよ!大人の癖に、俺には俺の立場があるって言っただろ!ルースこそ、俺と一緒に来ればいいじゃないか!ダンドラがつまらなくて、アストロードに来てたんだろ?」
慌ててシンカは籠を引き止めて、落ちそうになるビンを引き抜く。
「おいおい、犬じゃないんだから、そうがっつくな。」
「お腹すいたんだ。」
すでにビンに口をつけているシンカを、ルースは笑ってみていた。
かごを床に置くと、二人向かい合って座った。シンカはサンドイッチを引っ張り出している。
その二人の姿はそのまま、あの頃港町で見かけたものとなんら変わりはなかった。
「なあ、シンカ。」
「ん?」
ダンドラの王子らしくない王子は、首をかしげて覗き込むようにシンカを見つめている。こちらも皇帝とは思えない、派手な勢いでサンドイッチを飲み込む青年が、目の前の男を見つめ返した。
「俺はお前をダンドラに連れて行こうと思った。だがああいうのを見る生活ってのもいいよな」
男の指差すスクリーンの惑星リュードを、シンカも見上げた。
「だろ。いろいろ大変だけど、俺、友達やミンクを守る力がほしくて、皇帝になったんだ」
「ふん、相変わらずミンクだけは別格か」
肩をすくめるルースにシンカは少し顔を赤くした。
ごまかすようにジュースを再び口に運ぶ。
「あのさ。デイラが破壊されたときに、俺に皇帝の血が流れているって、わかって。そうだ、ルース!」
勢いあまってむせるシンカの背を、ルースは笑ってたたいた。
「あのさ、お父さんが、いたんだ!」
「お前の、か?」
「そう。太陽帝国の軍人でさ、ちょっと怖いとこあるけど、かっこいいんだ!レクト・シンドラっていって有名な人だったんだ。背とかルースくらいで、喧嘩も強くてさ。俺なんかぜんぜんかなわないんだ。もう、四十過ぎのおっさんなんだけど……ルース?」
目の前の男の表情が変わっていることに気づいて、シンカは黙った。
それはシンカの記憶では不機嫌な印。
「お前、幸せそうだな」
ぽつりと吐き出すようにいって、ルースは立ち上がった。
「あ、おい、なんだよ。ルースだって知ってるだろ、俺がずっと父さん探していたの。」
「うるさい。」
「ルースも喜んでくれるかと。」
「お前のために、俺は。」
背を向けたままルースが言った言葉は、シンカにキナリスとの会話を思い出させた。シンカのためにデイラに戻ろうとした。そして兄を失った。
「お前は幸せだったんだ。そうだな、もともとお前デイラの街は嫌っていたし、そのことがきっかけで父親にも会えて、皇帝にもなって。力を手に入れた」
「ルース」
「俺はお前を探しに行ったばかりに、最も尊敬していた兄上を、戦場へ送り出してしまったんだ!兄上は、そこで命を落とされた。俺は、名誉も何もかも失った。かろうじて、名ばかりの王子であるに過ぎない。それなのに、お前は……」
シンカは何といっていいか、わからなかった。
それはシンカの責任でもなく、ルースがそこまで自らを責めることでもないはずだった。戦争があり、そこでたまたま一人の王太子が命を落とした。誰をどう責めても、その事実は決して変わらないし、責任を追及することで救われるものは誰もいない。
けれど、ルースは忘れられないのだろう。
ルースがそのことでシンカを憎むのなら、その気持ちを変えさせるつもりはシンカにはなかった。人の気持ちを変えることなど、他人にはできない。
できると思うことすら傲慢であることを、シンカは知っている。
例えそれが、間違った考えであっても。
ルースはもっと強いと思っていた。それは子供のころに受けた印象だけだったのかもしれない。それとも彼のおかれている現在の環境が、そこまで追い詰めているのだろうか。
「シンカ、俺は失ってばかりだ」
気づくと目の前にルースがいた。
「俺が、一番幸せだったのは、シンカ。お前とアストロードで遊んでいた、あの頃だった」
悲しげな緑の瞳にシンカは切なくなる。