6.過去6
その日の午後、宿屋にシキがふらりと現れた。
その顔をみるなり、ミンクが駆け寄って抱きついたのが、フェンデルの印象に残る。
黒髪のミストレイアの男は先日までとは打って変わった表情で、連れてきた二人のエージェントと、明日合流する予定のジンロという男とともに皇帝を救出に向かうと宣言した。
「よろしく、お願いします。」
ざわつく親衛隊の視線も気にせず、フェンデルは頭をたれた。フェンデルたちの泊まる部屋は、この宿でもっとも広い客室なのだが、今は全員がそろっていて窮屈だった。
互いの肩があたりそうなほど、密集している。小さく、隣にいたナニヲイがフェンデルさま、と、ささやいたのが聞こえた。
ミストレイアのエージェントに、頭を下げるなど、由緒正しい衛士の血を引く彼らには、許せないことだろう。
「あ、ああ。」
フェンデルの、常の態度とはまったく違う腰の低さに、シキは面食らった。
「我らは、陛下の居場所を、知っているのです。」
視線を落としたまま、フェンデルはシキに話す。
「なぜ、助けに行かないんだ?」
「我らは、あなた方のような、あるいは情報部のエージェントのような訓練は受けておりません。そして陛下から、この星を離れるよう命じられております。」
静かに話すフェンデルに、ナニヲイがたまりかねて声を出した。
「フェンデル様、我らは陛下がお戻りにならなくては、帰る事はできません!」
「ナニヲイ、私は、陛下の直属の親衛隊長として、陛下の命を無視することもできないし、お前たちを危険にさらすわけにも行かない。陛下をお守りし、お前たちをも守るには、不本意であろうとミストレイアの力を借りることも受け入れる。」
「不本意、ねえ。」
シキの後ろにいた、ローダイスがあきれた声を出した。
「なにを!」
いきり立つナニヲイ。
フェンデルが彼女を押さえるのと同時に、シキは背後を睨みつけた。
軽薄な雰囲気のムサン・ローダイスは、ふん、と鼻で笑って見せた。シキとしては、苦笑いするしかない。
「あの・・」
二つの組織がいやな空気を作る中、ミンクが口を開いた。
「わたし、残りたい。」
「だめよ。」
真っ先に反対したのは、ガンスだった。白髪混じりの化粧っけのない女医は、ふっくらした手をミンクの肩に置いた。
「でも!」
見上げてすねたように口を尖らす彼女に、カイエも言う。
「あなたが安全なところにいることが、陛下の望みかと思いますよ。」
「私も戻るから。ね。ミンク。一緒にいらっしゃい。」
ガンスの豪快な笑顔に、ミンクは頬を膨らめる。
その表情は親しい人にしか見せない。
そのことにフェンデルは気付いた。自分の前ではあんな表情はしない。
「おい、ミンク、困らせるなよ。」
シキがミンクの頭をくしゃくしゃとなでる。
「もう、シンカも、シキも、ガンスも!私のこと子ども扱いするんだから!」
「子供だろ。」
にんまり笑うシキの背をグーでたたきながら、ミンクが怒る。
「大人だと思うから、ミンク。シンカも無理を承知で帰らせようとしているのよ。」
ガンスに肩を優しくたたかれ、ミンクは手を止めた。
大きな赤い瞳を伏せると、小さくごめんなさいという。
「心配なのはわかってるから、ね。」
ガンスにそういわれ、ミンクは黙って女医に抱きついた。
泣いているようだ。
そのまま、ガンスはミンクを連れて部屋を出て行った。カイエも後に続いた。
「世話の焼ける。」
ぽつりと、ナニヲイがつぶやくと、フェンデルはちらりと睨んだ。
「我らは、陛下の御命令どおり、ミンク殿と、ガンス殿をお守りして、ステーションにて待機する。いいな。」
親衛隊十一名が、無言でうなずいた。
「なんていうか、親衛隊って、変な集団ですねえ。」
シキとホルターとともに、自分たちの部屋に戻りながら、ローダイスは言った。派手な金髪をつんつんと立たせ、耳のピアスを二つに増やして、若いエージェントはやけに張り切っていた。
「それぞれ、立場がある。」
言葉少なく返したのはホルターだ。
前を行くシキは聞きながしている。
「ま、いい気味ですよ。所詮、特権階級のお遊びみたいなもんです。親衛隊って威張るなら、命かけてでも助けに行けっての。我らは訓練を受けていませんので。なぁんて、結局、臆病なだけじゃないですか。ねえ、ホルターさん。」
「お前、俺の言ったこと、聞いているのか?」
あきれたように、自分の半分しか生きていない若者を、ホルターは眺める。
「ねえ、シキさん、そう思いませんか?俺なら、命かけちゃいますよ。なんたって、ミストレイアを代表して助けに行くようなもんですからね。ついでに、ヌーたちもとっ捕まえて、ミストレイアの汚名を晴らすんです!」
「お前、面白いな。」
シキがにやりと笑って、振り返った。黒い瞳は、穏かに笑いつつも、妙に迫力がある。
そういえば、地球本部長の肩書きのある人だった。ローダイスはそう考えると、さらに気分が高揚した。
ミストレイアに入って三年。調査部なんかに配属されたために、地味な仕事しか回ってこなかった。調べて報告するだけのつまらない仕事をするために、ミストレイアに入ったわけではなかった。いつかレクトさんのような有名な男になるために、歴史に名を残すために、ミストレイアを目指したのだ。
やっと運が回ってきた。
皇帝陛下を救う作戦。
経験はあるが、年寄りでのんびりしたホルターと、地球本部長の黒髪の獅子とともに、敵の城内に潜入して皇帝陛下を救い出す。そこに、例の二人が現れたら、なお好都合。シキとともに二人を倒してシキに認められて、俺は実戦のある部隊に引き抜かれる。
活躍してやる。
二十五歳の、若いエージェントは、はじめてミストレイアの事務所に出勤した時のような、わくわくした気持ちを押さえられずにいた。
その興奮は、夕食後も続いていた。
軽く、酒が入ったのも影響していた。ムサン・ローダイスはあまり酒は飲めない。それを、いつもより多めに飲んでしまったのも、その興奮のためだろうか。
シキは若いエージェントが、どんな気分でいるのかを大体想像できた。それは、理解できないものでもなかったために、麦から作った蒸留酒をちびちびなめつつ、若者の話に耳を傾けていた。
ホルターは、ローダイスの口癖のような演説を、何度も聞かされたのだろう、話に付き合いもせずに、さっさとベッドに入る。
「ホルターさん、もう、お休みですか!」
「お前も、もう寝ておいたほうがいいぞ。シキさん、そいつの話につきあうことありません。」
ゆっくりかみ締めるようなホルターの口調に、ローダイスは鼻の穴を広げて深く息を吸った。それから、わざとゆっくり、ホルターの口調を真似ていった。
「私は、シキさんとお話したいですし、まだまだ、寝る時間じゃありません。若いですから。」
「おい、ローダイス。」
テーブルにグラスをおいて、たしなめるシキに、にこやかに振り返る。
「シキさん、俺はほんとうに、シキさんとお仕事できて嬉しいです。」
「ああ、幸せ者だなお前は。」
小さく息をついて、シキは微笑んだ。
そのワイルドな容貌には似つかわしくない、優しい笑みだった。
「何です?シキさん。なんか、つらいことでもあったんですか?」
「いいかげんにしろ、ローダイス!本部長は、陛下を心配されているんだ。それをお前、嬉しいだの、幸せだのと、馬鹿か!」
ホルターが珍しく声を荒げた。
むくりと起き上がった、年齢のわりに鍛えられた体躯の男は、鋭く若者を睨みつけた。
「あ、そうでしたね。すみません。」
けろりと謝るローダイスに、荒い鼻息を吐き出して、ホルターは再び毛布をかぶる。
「あの、シキさん。俺、別にその、皇帝陛下のことなんとも思っていないわけじゃなくて、その。あんまり、身近な存在じゃないんで。」
申し訳なさそうに頭をかくローダイスに、シキは小さくため息をついた。
「まあ、お前も会えば分かるさ。守りたくなる、存在なんだ。」
「はあ。」
「私にも、わかりますかな。」
再び起き上がっているホルターに、シキは視線を移す。
風貌に威厳すら漂わせる老兵は、シキにとっては決して見下すことのできない存在だ。
「ホルターは、陛下の事をどう思っているんだ?」
逆に尋ねる。
「・・分かりません。直接お会いしたことはない。ただ、なにゆえ貴方や軍務官が、陛下のためにと奔走されるのかが理解しにくい。」
そこで、シキは気付いた。
レクトが自ら立ち上げたミストレイア・コーポレーションを去り、シンカのために軍務官になったときには、ずいぶん非難された。当時のミストレイアを知るホルターは、もちろん同様にレクトの行動に怒りを覚えた一人だろう。
当時、ミストレイアは、シンカの前の皇帝と対立していた。義勇軍のように、太陽帝国軍に対抗する惑星の政府を援助していたときもあったと聞く。レクトの、行動は裏切りととられても仕方なかった。
それでもレクトは皇帝となることを決めたシンカを助けようと、その汚名を自ら背負ったのだ。今、レクトはミストレイアの本部長も兼ね、以前のように彼らの指揮をしているが、ホルターにはわだかまりがあるのだろう。
「ホルター。レクトさんは、シンカのために帝国軍を辞し、シンカのために帝国軍に戻った。それだけのことなんだ。」
「!」
それは、ホルターを黙らせた。
ローダイスすら、黒髪の男を見つめている。
「レクトさんは、シンカが幼い頃から、お仕えしている。知らなかったのか?当時、レクトさんはこの宙域の大佐だった。」
シキは、上手く説明した。二人が親子であることは伏せられている。
「一時、当時の皇帝がシンカに仇なすような動きをしたために、帝国軍を離れ、ミストレイアを作ったのだ。」
「レクトさんが、それほど忠義心厚い方とは、存じませんでした。」
ホルターは少なからず、驚きを感じたらしい。それは仕方なかった。
もともと、カッツェ・ダ・シアスが、ミストレイアの話をレクトに持ち込み、二人で起業した。しかし、レクトはそれすら、シンカのために利用した。いや、当時は、シンカというより、愛した女性のため、だったのだろうが。
そこに、誇りを持って尽くしてきたホルターにとって、総てがシンカのためだったときかされれば、心中穏かではいられない。
「ホルター、太陽帝国は強大だ。あの、親衛隊のような旧態然としたところもある。民間の我らからすれば、疎ましい存在だ。まして、皇帝となれば、未だに惑星によっては深く恨んでいるところもある。それは、これまで帝国が各惑星にしてきたことを思えば、仕方のないことだ。俺も皇帝がシンカでなかったら、協力などしない。」
「・・・要は、陛下個人にほれてるって事ですか?シキさんも、レクトさんも。」
ローダイスが口を開いた。飲み物に入っていたオレンジの輪切りを口にくわえている。
「まあ、そういうことになるか。」
シキは大き目の口をにんまりさせて笑った。きりりとした黒い眉と切れ長の瞳。その表情は、男らしく精悍だ。
ローダイスは首をかしげながら、目の前の黒髪の獅子を見つめた。
この人は、面白いかもしれない。若干三十五歳で地球本部長に抜擢された人物。レクトさんが信頼を寄せていて、その実戦を供にしたものは、口々にまたあいつの下で戦いたいと言う。カリスマ的人気を持ち近寄りがたいレクトさんとは対照的に、親しみ易い兄貴分のような存在と聞いている。
「お前らに、シンカに惚れろなんて言わない。安心しろ。ただ、親衛隊よりは、きっちり仕事を果たしてくれると信じているからな。ジンロが到着したら、詳細を説明する。フェンデルの話では、シンカは捕らえられているわけではないらしい。ローダイス、お前が期待するような派手な救出劇はないぜ。」
「そうですか、残念。」
飲み物の氷をからりと鳴らして飲み干すと、ローダイスは素直に残念がる。ホルターがあきれて鼻を鳴らした。
「だが、簡単じゃないぜ。」
シキは続けた。
「俺たちの目的は、シンカの保護とヌーたちの逮捕。二人が、近くに潜んでいることは確実なようだ。情報部がそれらしき電波を確認している。二人には協力者がいるのだろう、ステーションの基地とだけでなく、惑星上のどこかと連絡を取っているらしい。
まあ、個人的には、やっちまいたいところだが今回は殺さずに捕獲する。」
「場合によっては、殺してもかまわないんで?」
ホルターが、低く言った。
そういう会話は今まで調査部の仕事しかしてこなかったローダイスには、初めてだった。ホルターの声色が今までよりずっと迫力あるものになっていることに、そして、改めて実戦なんだという思いに、胃が重く感じられた。
「状況によってはな。だが、そのときは俺がやる。シンカの受けたこと、倍にして返してやるさ。・・どうした、ローダイス?」
「あ、いえ。」
にやりと笑うシキの顔が、恐ろしくさえ感じられた。
小さい音が、シキの笑みを消した。ローダイスは自覚もないまま胸をなでおろす。
電話のようだ。
「ジンロからだ。」
シキはそう言ってケープのしたから小さな携帯を取り出す。ジンロと呼ばれた四角い顔の男が映る。
「よう。」
シキの挨拶に、ジンロは笑わず答えた。
「シキさん、今レクトさんから連絡があったっす。あんた、レクトさんからの連絡、無視してるんだって?レクトさんあきれてたっすよ。」
「まあな。たまには反抗してみたくもなるさ。」
本気なのか、冗談なのか、シキの表情は複雑だ。
「それよりレンのことなんすけど。」
ジンロが周りをちらりと伺う。
「ああ、今は、ミストレイアのものだけだ。」
「レン・タカナシ、あいつはどうやらフォン・デ・ルーランの手のもののようです。」
シキの表情が厳しくなる。
「情報部も身元を知らなかったのか?」
「軍の入隊時には、一通り調べるらしいっすけど。レクトさんの話ではエージェントを手引きしたのも奴じゃないかと。今、シンカは奴と二人きりですから、急いだほうがいいと思いましてね、俺は後数時間でそちらに合流できるんすけど、シキさんはすぐにシンカのところへ向かってほしいっす。」
シキは、目を細めた。
レンがそういう存在だったとして、レクトさんは本当に知らなかっただろうか?あえて、調べようとはしなかったのではないだろうか。だとしたら、いくらなんでも、やりすぎだ。
軍務官が危険な兆候を事前に知らせてくれれば、シンカも状況を見て行動できた。
親衛隊を出し抜いて一人別行動をとろうなんて考えなかったかもしれない。
過去と向き合うために帰ることを決めたシンカの気持ちを、そこまで踏みにじることはないだろうに。
それでは、まるでシンカを利用しているようだ。シンカがどう感じようと関係なく、帝国のため皇帝陛下のためという旗印を掲げて。守るかのごとく見せかけて、その実シンカを利用している。傷つけようと、悲しませようと。それは、デイラのことでもそうだった。
シンカのため、ロスタネスのため。だが、そのために故郷の町を焼き払われたシンカが、それを知って喜ぶはずもない。ロスタネスがレクトさんについていかなかったのも当然だろう。自らのために故郷を犠牲にするなど、彼女にもできなかったはずだ。
それを分かっているのか、どうか。
レクトさんの性格といえばそれまでなのだろうが。
シキはこぶしを握り締めた。
もし、レンがシンカを殺そうとたくらめば、いつでも可能だ。
「すぐに、発つぞ。」
シキの言葉に、ローダイスは少し慌てた。まだ、軽く酔いが残っている。まさか、早まるとは。
ちらりと見ると、ホルターが馬鹿にしたように見つめていた。
ちぇっ、小さくした打ちすると、コップの水を、一気に飲み干す。うまくもなく冷たくもないそれを流し込んで、一つ息を吐くと、金髪の髪を気にしながら立ち上がる。
「ジンロ。今、シンカは宮殿内だ、そこで落ち合おう。」
「了解。」
シキが通信を切ると、ほぼ同時にホルターが立ち上がった。
「行くぜ。」
シキは二人を確認するように見つめた。
早朝、まだ空の白む前にシキ、ホルター、ローダイスは予定を早め、宮殿を目指して宿を発った。詳しい理由は語られなかったが、レンが裏切ったらしいということだけは、教えてもらえた。
四人を見送って、ミンクはそっと、両手を胸の前で握る。どうか、シンカを無事連れ帰ってください・・そう、心の中で念じていた。
その肩に手を置いて、フェンデルが微笑んだ。
「さあ、我らもステーションに戻ってからが大変ですよ。」
「大変?」
「ステーションに戻れば報道陣が待っているでしょう。陛下が、同行なされているフリをするのです。そのように命じられているのです。事件を、大げさにしないためだそうです。」
「どうやって?」
「ガンス殿に面会謝絶にしてもらいます。会見用の映像はありますので、ごまかせるでしょう。我らの指示ならば、ステーションの帝国軍基地も、協力してくれます。」
「シンカって、つくづく心配されるの、嫌いなのね。」
ミンクは、頬をぷくと膨らめる。その仕草はかわいらしい。
先に発ってしまうことに、シンカを置き去りにしてしまうような罪悪感まで感じていたのに、シンカはそんなこと何にも考えてないんだから!私がどんなに心配しても、ちっともその苦しさを感じてくれないんだから。
少し前に、シンカと喧嘩したことを思い出した。
分かってくれてない。心配するほうが、つらいんだから。まして、私は何も役に立たない。何もできない。
小さくため息をついて、ミンクはうつむいた。また、自信がなくなってきた。
私なんかじゃ、シンカの助けにはならない。
「ミンクどの?」
心配そうに覗き込む親衛隊長に、ミンクは顔を上げた。その瞳は少し潤んでいる。
思わずフェンデルは肩を抱きそうになって、それでも寸前で手を止めた。
「私、高速艇に乗ったらシンカに電話してみようと思っていたの。でも、やっぱりやめた。本当に、我儘だよね。シンカって。みんな、シンカのためにここにいるのに、心配して案じているのに。報道陣の前でそんなふりをしろなんて。もう、好きなようにすればいいんだわ!」
むっとした様子の少女を、フェンデルはなだめた。
「それでも、ご心配なのでしょう?だめですよ、そんな心にもないことを言っては。」
ミンクの瞳から、涙が一粒こぼれた。
フェンデルの長い指の手が、ミンクの髪をなでる。
ミンクは、手で顔を覆った。