1.はじまりの予感3
レクトはシンカの言葉も意に介さず、愛用の煙草に火をつけた。白い煙が流れる。いらついた表情は厳しい。
「レクト!」
「俺を怒らすなって言わなかったかな?シンカ。」
シンカはたまらず自分もソファーの向かいに座った。
「だから俺、自由でいたいんだ。」
「自由にさせてるだろ?今だって時間作ってお前が好きなとこに身分隠して遊びにいけるように警備の専門チームまで組んで。何が不満なんだ。わがままもいいかげんにしろ。」
「遊びじゃないって言ってるだろ。それに見張られてて何が自由だよ!ナイツだって結局みんな、レクトの手のものばかりじゃないか。ジンロと二人のほうがよっぽど楽しいよ。」
「遊びじゃないって言ったな?じゃあ仕事なんだろ。仕事に楽しいも何もないだろう。」
むくれる皇帝の姿はまだまだ子供っぽい。実際の年齢よりずっと若く見える。
シンカは皇帝になってすぐに、一人で公邸のある政府ビルを抜け出していた。偽名まで使い、いろいろな場所を見て回っていたことを知ったとき、レクトは正直かなり驚いた。辺境惑星で育った普通の子どものはずで、皇帝などという身分に祭り上げられれば普通は悦に入り、権力を誇示しようとするものだろう。逆に身分を伏せ、しかも見事に警備の目をくぐって抜け出していたのだ。
シンカはレクトの予想以上に逞しく、しっかりしていた。
自分が皇帝として判断を下す前に知りたいことを調べていたのだ。
その心根と行動力には頭が下がる。どこで引っ張り出したのかブールプールの百年前まで使われていた地下鉄道の路線跡を、小型バイクで自由に行き来して好きな場所へ移動していた。誰も気付かないはずだ。
それを知ったときのジンロの顔をレクトは今も思い出す。
無表情なあの男が、心底、敬服していた。当時シンカは若干十八歳だった。
今もその容貌は変わらないままだが、さすがに行動範囲が広がるに連れ危険も増える。何度か危ない目にも遭っている。
ナイツを組織し常に警備させているのもそのためだ。実際はシンカにかなうほどの人材を当てられなかったあたりがシンカも不満なんだろう。だがジンロに警備だけさせておくわけにも行かない。そうそういい人材があるわけでもない。
だから彼の印璽のリングに仕込まれている発信装置は重要なのだ。これがあったからこそ助けられた場面も多い。
それを窮屈という理由だけで外させるわけにいかない。
気付くとシンカの蒼い瞳がじっとレクトを見ていた。
「灰落ちてるんだけど。」
「!言えよ馬鹿。」
「なんだよ自分がボーっとしてたんだろ。レクトもさすがに惑星保護同盟会議の期間中は疲れてるんだな。」
シンカはにやりと笑う。
「ふん。とにかくな印璽を作り直すことはできない。」
「作る。」
「お前分かっていっているのか?今それ外すとどうなるのか知っているよな。」
「わかってるよ。太陽帝国の最終厳戒態勢が自動的に発令されるんだろ。」
「それがどういう意味か聞かされただろう。」
シンカはうつむいた。
はめる前に何度も確認された。一生外せないこと。皇帝としてその印璽のリングをはめることはそのリングの条件を飲むことだと。
シンカの腕のリングには皇帝としての認証システムが入っている。そのリングをしていることが皇帝である証になる。そして指にはめているリングには皇帝としての印璽が仕込まれていて稟議の決裁などこの印璽を入力しフィックスすることで皇帝のサインがなされたものとなる。
この二つは悪用されないように「外された=皇帝の死」あるいは「皇帝が皇帝ではいられない状態」とみなされる。
印璽のリングは常に、シンカの体温や心拍数など生きている限り発せられる情報を星間ネットワークに送っている。ネットワークの中枢システムに、シンカの脳細胞と同じ情報伝達物質が使用されていて、そのバイオセキュリティーによってシステムは守られている。
だから印璽のリングが外されたり、シンカが死んでしまえば宇宙全体の星間ネットワークは停止する。
星間ネットワークは情報伝達と宇宙航路の管理が主な役割だ。
現在の宇宙船はすべて、この星間ネットワークによる宇宙航路データを利用して航行している。たくさんの恒星、その周りを様々な周期と軌道で公転している惑星たちの位置関係は常に変化している。
そのすべてを正確に把握するためのシステムで、またそれを利用する宇宙船が存在する宙域の状況もフィードバックされ、他の宇宙船で利用される。
例えはある宇宙船が磁気嵐や小惑星群の動きなどを確認したとしよう。その情報はそのまま星間ネットワーク内に取り込まれ、他の宇宙船がその宇宙域を目指す場合の指標とされる。
このシステムが停止するということは宇宙に存在するすべてのものに大きな影響がある。宇宙中のありとあらゆるものが個人用のコンピューターも乗り物、衛星、ステーション基地、ネットワークにつながるすべてが操作不能になる。
それは最終厳戒態勢と呼ばれ、それが発令された場合、皇帝の代理や後継者の認証を作成されていない限り「皇帝は不慮の事故に遭った」とみなされる。
そして一定の決められた時間を経過しても、皇帝本人の解除がなされない場合「皇帝の死」と判断され、二つのリングがある場所に自動的に攻撃が加えられるという。
皇帝が亡き後、リングを持つものは皇帝に害を成したものとみなされるからだ。リングのある半径五十キロは壊滅状態だろうといわれている。
その報復装置の存在は、有名な噂話になっている。
この太陽帝国で知らないものは無い。つまり皇帝に手を出すなということなのだ。
それは同時に皇帝自身にも不慮の事故などに対して十分警戒をするようにとの戒めでもある。
遊び半分で外せるものではない。気楽につけることを承認できるものでもなかった。
シンカが前皇帝を倒したときそんなことは知らなかった。今思えばかなり無謀なことだったが当時の元帥がシンカに後継者としてのリングをはめていた。だからこそ皇帝を殺したシンカもその仲間も舞台となったブールプールも無事だったのだ。元帥は言った。リトード五世は自らを凌駕する存在が現れることを、帝位を継いでくれるものが現れることを、実は願っていたのだと。それがかなわぬなら自らの体を改造してまでも寿命を伸ばし、帝国を守ろうとしたのだと。
ふとシンカは皇帝となることを決めた時のことを思い出した。
一般に公開されたシンカの即位式は華やかだったが、それより前に行われた腕のリングを正式な皇帝のリングに変換し、指のリングをはめる儀式のほうがシンカの印象に強く残っている。
政府ビル内の小さな部屋で行われたそれは大臣たちに囲まれただけのひっそりしたものだった。
リングをはめるのには相当な痛みを伴うために、麻酔の効かないシンカは大きな椅子に座らされ一杯のワインを飲まされた。皆の前で意識を失うときの異様な気分を思い出した。あの時少しだけレクトと目が合った。
太陽帝国のために命をかけるそういう契約のように感じた。
「それを作り直すってことは、そこに仕込まれた装置すべてを最初から組みなおすことなんだ。全星間ネットワークシステムを操作し、掌握するそれを作り直すのは容易じゃないんだぜ。博士衆を困らすな。」
「わかったよ。」
一生外さないと誓ったんだ。あの時。
小さくため息をつく金髪の青年にレクトは珍しく微笑みかけた。紫煙を一つ吐き出す。
「心配しなくてもお前の居場所をいちいちチェックするなんて暇な奴はいないぜ安心しろ。」
「うそだレクト俺に会いにくるとき事前にチェックしてるだろ。」
「ふん。俺がお前のこと調べて何が悪い。」
開き直る。
「もういいよ。それより総務委員会で情報開示政策にかなり噛み付いたって聞いたぞ。アシラ文政官が困ってた。」
シンカは手元に持ってきた端末を開いた。アシラから事前調整のためにもらってあったデータが開く。
「ネットワークの情報開示は感心できん。」
先日の情報開示政策の議題は、より開かれた政治のためのいくつかの市民団体からの情報開示の要望や政治的世論操作のための意図的な情報開示について意見がかわされた。
帝国政府の情報開示で最も要望の多かったものに、皇帝がなにゆえ皇帝なのかということだった。
それは半分はゴシップ誌まがいの興味本位にも思えたが、たいして問題の無いことであれば開示しても平気だとシンカは思う。
だがレクトは頑なに反対した。
シンカは端末のホログラムを指でかき混ぜながらレクトを見上げた。
「でもさレクト。俺、誰にも話せないこと、すごくたくさんあるんだ。その当時の皇帝が決めたんだろうけど隠さなくていいものは開示してしまいたいな。」
「・・言うなよ。」
黒い鋭い視線で睨まれて、先ほどのリュード星のこともシンカは飲み込んだ。
「けど聖血者のことくらいは、いいんじゃないか?」
何ゆえシンカが皇帝なのかを端的に表せる。
聖血者とはある特殊な遺伝子を持つ者の事を言う。その遺伝子は三つあり、それがすべて整って初めて皇帝の血を引くといわれる。
三つの遺伝子からなる特殊なアミノ酸。それが作り出す脳内の情報伝達物質がそのまま星間ネットワークの中枢でも利用されている。
コンピューターの中枢にそういった成分を使用することは、現在では常識ではあるが、だからこそ星間ネットワークの中枢には、他のどのコンピューターでも使用されない人工的に作り出せない固有の伝達物質が必要だった。
それはそのままバイオセキュリティーとしてネットワークを保護している。シンカの許可無しには星間ネットワークの中枢に介入することはできない。その遺伝子があったからこそシンカが後継者として選ばれた。
それを一般の人間は知らない。
「とにかく俺は反対だね。お前に関する情報開示は極力避けたい。それはお前を守ることでもあるし。だいたい皇帝陛下が神聖視されるのも分からないことが多いからだろう?お前みたいに政府ビル内を普通に歩いたり職員と同じカフェでコーヒー飲んだりしたらみんなががっかりするぞ。」
「あそこの美味しいんだ。それにコーヒーじゃなくてココアだ。」
金髪の青年は大きな蒼い瞳で笑った。
たまにつらくなるときがある。
自分だけが知っているそれはだれともそれに関して気持ちを共有できないこと意見を交わせないことだ。俺だって相談したいときくらいある。
皇帝として知識を増やすほど孤独を感じる。
そんな遠い眼をする若い皇帝を軍務官はまぶしそうに見つめていた。
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