5.再会8
シンカは、昨日と同じ謁見の間に、大きなテーブルが置かれ、朝食だろうか、果物やパン、ハムなどが並べられているのを見た。急に、空腹を覚えた。
そう言えばずっと、食欲がなくてあまり食べていなかった。
ファシオンの貴族が着る、金と朱の刺繍の施されたシャツに、黒い革製のベスト。それにも金の糸で縁に模様が施されている。膝下までの長さのパンツには金の房飾りがついて、シンカが歩くたびひたひたと尻をたたいた。
黒いブーツは足首のところだけが違う毛皮になっていて、歩き易い。ちょっと派手なのは恥ずかしいが、似合っていないわけでもなかったので、よしとした。
シンカのその姿を見て、テーブルの一番奥で、大きな肘掛け椅子に座っていたキナリスが、立ち上がった。
その、少し細面の頬に、傷跡があることに、シンカは気付いた。
戦争の、傷だろうか。それは、キナリスを以前よりずっと、精悍に見せた。
「おはようございます。陛下。」
ルースが深く礼をするのを習って、シンカも挨拶をする。
顔をあげると、すぐ近くにキナリスが立っていた。
「・・なんだ、見えるのか?」
「そうなんだ、キナリス。残念でならん。」
本気でつまらなそうに言うルースを横目に、シンカは言った。
「はい。おかげさまで。」
にっこり笑う。
キナリスもまた、不機嫌を隠さず、冷ややかにシンカを眺めると、あごで側近に何か合図した。昨晩の、白髪の若い側近が、素早くシンカのそばにきて、背後に立った。
「気をつけるのだ。そいつは、かなり腕が立つ。」
なんだ、歓迎されてないな。まあ、仕方ないか。
それより、シンカは目の前の食事が、気になって仕方ない。
「キナリス、とりあえず食事にしよう。」
ルースに促されて、ルースと同じ三十一歳の聖帝は、しぶしぶ椅子に座る。
「お前も。」
ルースに肩を押されて、テーブルの端に着く。キナリスが食べはじめ、ルースがサラダを口に入れたのを見届けて、シンカは目の前のソーセージにかぶりついた。
美味しかった。小さな魚の燻製に、野菜の酢漬けが乗っているそれも、鳥のもも肉にオレンジと蜂蜜、香草で香りをつけて焼かれたそれも、ふわふわしている香ばしいパンも。夢中で食べていると、ふいに隣のルースが頭に手を乗せた。
「ん?」
「お前、相変わらず、美味しそうに食べるな。」
あきれているような、ルースの表情も、シンカは気にせず、満面の人懐こい笑みを浮かべた。
「うん。すごく美味しい。」
「皇帝陛下のお口に、合いましたか。」
「うん。」
返事をしてから、気付いた。
あ、俺のこといわれているんじゃない・・。
顔をあげると、キナリスが、意地悪そうに見つめていた。
「皇帝、シンカ。」
飲み込みかけたパンが、急に喉に詰まって、むせる。
「なんだ、キナリス。その、皇帝シンカとは。」
隣でむせるシンカの肩を、少し痛いくらい強くたたいて、ルースが笑った。
「そうなんだろう?シンカ。」
問い直す、キナリスの視線は真剣だ。
「あの、それは。」
やっと、口が聞けるようになったシンカは、改めて、キナリスの視線を受け止めた。
「聞いたのだ。お前の仲間にね。」
「!レンに、何をした!まさか拷問なんかしてないだろうな!」
シンカは立ち上がった。
「拷問?あれは、牢獄に入れられると同時に話し始めたそうだ。」
「レン。今、牢獄なんだな?」
眉をひそめ、シンカは傍らのナプキンで口元をぬぐった。
動こうとして、すぐ背後に立つ、キナリスの側近の存在に気付いた。
剣に、手がかかっている。勝てないわけではないが、今ここで暴れても仕方ない。
ちらりと、まだ若い側近を睨みつけて、シンカは、座りなおした。
「すぐに、開放していただきたい。」
真剣に睨むシンカを無視して、ルースが口を挟んだ。
「キナリス、こいつが皇帝とは、どういうことなんだ。」
「ああ、太陽帝国とやらの、皇帝だそうだ。惑星だの宇宙だの、よく分からん言葉が多くてな、今ひとつ、分からないのだが、あの男の言葉の中に、デイラをその太陽帝国だかが破壊したというくだりがあってな。それは、確かめねばならん。」
シンカは、一つ、ため息をついた。シキが、レンに話したのか。確か、酒場で俺が酔っている間に、何か話したとか言っていた。デイラがなぜ、破壊されたか。俺が、それにどう関わっていたか。レン、脅されたのなら、聞かれたことにだけ応えればいいのに。
説明が、大変になってしまった。
「じゃあ、シンカ、このおかしな指輪も、その太陽帝国とやらのってことか?」
ちらりと冷たい視線を送るルースにも、視線を返す。
「・・説明するよ。あの、キナリス陛下だけに。」
「シンカ?」
鋭く睨みつけるルースの表情を、視界の端で捕らえながら、シンカは淡い金髪を肩にたらしている、あの五百年前の女性の面影を残すキナリスを見つめた。
「その後で、陛下、あなたが話したいと思えば、ルースにも、伝えればいい。」
「おい、急にお前、偉そうだな!」
掴みかかるルースに、止めに入ったのはキナリスの側近だった。
にらみ合う。
「ルイ。申し訳ないが、デイラの事件は我がファシオン聖国の問題だ。席を外していただいきたい。」
「ふん。」
不服そうに、シンカを睨みつけると、ルースは部屋を出て行く。
キナリスの手まねきと、腕を引いて立ち上がらせる側近に従って、シンカは謁見の間の奥にある、垂れ幕の中に入っていった。
ルースは、ちらりと、振り返りざまにそれを見やる。悔しげに、腰の金の長剣を握り締める。ふいに、何か思いついたように、歩き始めた。
「さて、シンカ。」
昨晩、座らされたソファーに、深く座るキナリスを、見つめながら、シンカは立ったまま、話し始めた。
「陛下、そのまえに、一つだけ。教えて欲しいことがあります。」
ピクリと表情が厳しくなることにもかまわず、シンカは続けた。
「ルースは、ルイ殿下は、以前と違う気がするから。なにか、あったのですか。」
あごに手を当てて、背をソファーに預けて、キナリスは目を細めた。
「・・気付いた、か。」
「戦争、ですか?」
「そうとも言えるが。シンカ。ダンドラ王国のことは、分かっているのか?」
「・・現王と先代の王については、学びました。」
「ふん。ダンドラの王族は、なぜか皆兄弟が多くてな。つまり、王族がたくさんいるわけだ。それらは、常に王位を巡って覇権争いをしている。ルイの父君が王位についたときも、先代の王の子息、王太子がいたにもかかわらず、結局は先代の弟にあたる現王が継いだ。現王の派閥ではない王族は快く思っていない。つまり、ルイにも、厳しい視線が注がれるわけだ。」
「それで、アストロードに来なくなったんだな。」
「それだけじゃない。ルイは、母親が早くに亡くなったこともあって、父親である現ダンドラ王ともあまり上手くいっていなかったらしい。あいつが唯一、王族でありつづけたのは、長兄に可愛がられていたからだ。その長兄に、呼び戻されたらしい。もともと、少し神経質で、人懐こいところもあるが、冷酷なところもあった。それは、常にそばにいれば魅力に思えることもあるだろうが、放浪していたために、ルイは我儘な王子という印象でしか、受け入れられない。王家の中で彼の味方は、長兄だけだった。」
シンカは黙ってうなずく。
「父君が王位を継いで二年後、デイラで例の事件があった。それは、なぜかダンドラ王国にも知れることになった。ダンドラ王は、我がファシオン聖国への協力と称して、多数の兵力を国境に集め始めた。王は、わが国に軍事的圧力をかけてきた。この大陸で、より優位にたつために、わが国にユンイラの無償提供を迫ったのだ。デイラを失ったわが国に、それを受けることは到底不可能だった。」
シンカは、視線を落としてうなずいた。
「開戦が、迫っていたその時期に、ルイは国を出た。」
「出た?」
「そうだ。その重要な時期に、もし、戦争が始まれば真っ先に先頭にたって指揮しなければ示しのつかない立場のルイが。」
「どうして?」
「・・デイラに、向かったのだ。」
キナリスの明るい青の瞳が、シンカを見つめた。
「ルイは、理由は明かさなかった。だが、今なら、私にもわかる。デイラが壊滅したと知って、お前を探しに行ったのだ。」
「!」
「ちょうど、お前が、私と出合った頃だろう。」
「すれ違いになったのか。」
蒼い瞳を見開いて、見つめるシンカの言葉に、キナリスは、首を横に振った。
「ルイが、デイラにたどり着く前に、戦争は始まった。慌てて、あいつは国に戻った。だが、遅かったのだ。ルイがもっとも慕った、長兄は、王太子は、ルイの代わりに戦場で、命を落とした。」
「!」
「その後の、ルイの戦い振りはすさまじかったと聞く。王族や、父王、皆に彼の行動は非難され、ルイが戦場で武勲を立てていなければ、追放もありえた。ルイは、戦争が終わっても、二度と、公務以外の外出をしなくなった。あれほど、諸国を旅して回るのが好きだった男が。あれほど、王族とともにあることを忌み嫌った男が。」
シンカは、黙って、厳しい表情で語るまだ若い聖帝を見つめていた。
「ルイは、お前のために、兄を失った。」
シンカは、ただ、拳を握り締めていた。
「王族としての未来も失った。どれほど、自らの行動を悔やんだか。今、お前に再会して、ルイが一瞬でも喜んだことは、私には理解できない。いや、ルイ自身も、どうしていいのか分かっていないのだと、思う。それは、危ういことだ。」
「・・。」
「シンカ、お前は、憎まれてやれ。お前たちがどのような絆を結んできたのかは、知らない。だが、大切な時期に、助けに向かわせるほどの友情があったのなら、今、お前は、ルイに憎まれるべきだ。」
シンカは、哀しげに、目を閉じた。
「それは、できない。」
ゆっくり、話した。
「人は、だれでも、完璧な行動なんて、できない。偶然が、目的を阻むときもある。悲劇としか、いえない事だって起こる。必ず、自らの行動を悔やむ時はある。けれど、それを誰かの責任にして、憎んでしまえば、なにも自らに残すことができない。ルイは、それをよく知っている。」
「だって、俺は、ルイにそう教えてもらった。俺は、十一歳のとき、初めて、人を殺した。子供だったし、もともと治安の悪いアストロードでのことだ、誰も、罪には問わなかった。相手は、ナイフで俺を脅して暴力をふるった、酔っ払った船乗りだった。異国の人間だった。
俺は、殺されると思った。必死だった。
どうしようもない、罪悪感と恐怖に怯えた俺に、ルースは言ったんだ。
「お互い、剣を抜いた。だから、シンカ。大人とか子供とか、関係ない。対等だった。お前は、それで、相手を殺した。どんな、理由があっても、あの男がこの世からいなくなったのは、事実だぞ。泣いてもいい、恐くてあたりまえだ。けど、事実だけは、忘れちゃいけない。それは、殺された相手に、お前ができる、唯一の償いだ。」
俺は、十日間、ルースの宿で、泣いていた。デイラに戻ったとき、さすがに、母さんが叱った。でも、そのときには、ちゃんと、悟られずに、笑って母さんにごめんって言えた。
今も、その時の想いは残っている。だから、大切なものがあることをちゃんと、理解している。
ルースも、きっと、分かっているはずなんだ。あの時のルースは、今の俺と同じ年だった。そうやって、子供だった俺に話したルースは、きっと、たくさんのことを乗り越えてきたはずなんだ。王宮にこもっている王族とは、違う。」
「ふん。子供にそんな話ができるのは、ルイ自身が子供だったからだ。おめでたいな、お前は。とにかく、今のルイはお前と遊んでいた頃とは違う。王族として生きようとしている。お前の存在は、よくない。なぜ、ルイがお前をそばに置きたがるのか、理解できんな。」
キナリスが、立ち上がった。手を、腰の剣に置いている。
「・・キナリス陛下。お話を、しておきたいことがあります。その後で、どうされようともかまいません。ただ、俺は、黙ってやられはしませんが。」
にやりと笑うシンカの表情に、一瞬キナリスは気おされた。子供と思っていた、その表情のどこに、そんな迫力が生まれるのか。
「まず、デイラのことからです。」
シンカは、話し始めた。自分の、出生の秘密を知ったこと。宇宙に逃れて、父親に出会ったこと。太陽帝国の皇帝になったこと。
「にわかには、信じてもらえないと思います。それと、俺が、貴方に会いにきた理由は、この後の話になります。」
キナリスは、口をへの字に結んだまま、シンカを見つめている。反論もしないが、納得している風でもない。
「我が、帝国は、宇宙にたくさんの属星を持っています。その中に、このリュードがありました。」
「なに?」
聖帝は一瞬腰を浮かせた。
「五百年前、この星に悲劇が訪れるまでは、この星には地球人もいたし、太陽帝国と同じ文明を持っていました。キナリス陛下。あの、噴火は、」
「噴火ではなかった。」
話の後ろを、キナリスが続けた。
「御存知でしたか!」
「・・我が一族には、言い伝えられていることがある。カンカラ王朝と呼ばれた我が国は、攻め滅ぼされたのだと。・・・攻めたのは、お前のその太陽帝国とやらか?」
キナリスの顔は、少し紅潮している。静かな、怒りを浮かべていた。
「・・陛下の一族が、どのように言い伝えているのかは、知りません。ただ、太陽帝国が、当時の皇帝がこの地で殺され、その報復のためと称して、カンカラ王朝を滅ぼしたのは、確かでしょう。その、証が、この宮殿の地下の遺跡に、あるのではないのですか?」
「・・確かに、地下に遺跡はある。だが、どうやっても入れぬ扉がある。」
「・・そこを、見せていただけませんか。」
「待て、確かに歴史がそうだったとして、シンカ。お前はなにゆえ、ここに、私に会いに来たのだ。」
シンカは、そこで片膝をついた。
「キナリス陛下。太陽帝国皇帝として、カンカラ王朝の子孫であるあなたに、過去の過ちの謝罪をしたい。それから、この星の未来のために、協力させて欲しい。」
深く頭を下げるシンカに、キナリスはつかつかと歩み寄った。
その視線は冷たく、足元の青年を見やる。
「・・・謝罪、とは。今さらなんだ。この星の大気に毒素が撒き散らされたのも、その太陽帝国とやらの責任だろう?それが、どれほど、人々を苦しめているか、お前はよく分かっているだろう?」
「太陽帝国は、過去にたくさんの過ちを犯している。その一つ一つを、正そうとは思っていない。それが、歴史の闇に眠っていてよいことなら、その方がよいと思う。けれど、キナリス陛下。この惑星リュードのことは、ここで生まれた私にとっては、放っては置けないことだった。」
「ふん。」
キナリスの反応は鈍い。
「陛下、遠い宇宙から見ると、この星は、とても綺麗な、青い色をしています。初めて見たとき、とても感動した。その中では、戦争が起こっていたり、大気の毒に苦しめられている人々がいるというのに、この星は、とても綺麗だった。」
「とても、大切に思えたんです。この星を、守ることが。俺の、身体には、ユンイラがある。からだの中で、ユンイラの滴と同じものを作っている。だから、怪我も治るし、ユンイラの香にも平気なんです。貴方が言う通り、俺は、人間じゃないかもしれない。この、星の人たちを助けているユンイラが、ここにある。だから、俺も、この星を守らなきゃいけない。なんだか、そのために生まれたような気がした。そのために生まれたのであれば、いいなと、思った。」
そう言って、穏かに微笑むシンカの瞳には、その情景を思わせる蒼があった。
キナリスは、じっと、見つめた。
「キナリス、後十五年で、太陽帝国だけじゃない、たくさんの惑星政府の人間が、このリュードに降り立ちます。その時に、この星が、もっともいい状態でいられるよう、新しい文明の波を受けても、大丈夫なように、俺は、貴方と話をしたい。これからのことを。そして、もっと、もっと、貴方に知って欲しい。広い、世界のことを。」
「・・・そのために、会いにきたと?」
「ああ。」
にっこりと笑う。
キナリスは、現実味の沸かない話に、小さく息をついた。
「なんとも、応えようがないな。分からない。理解しがたい。それだけだ。」
シンカは立ち上がり、キナリスの手を取った。
一瞬、控えていた側近が、緊張する。
「一緒に地下へ行こう!遺跡で、きっと分かるよ。この地下の遺跡は壊されていない。だから、五百年前のまま、主人が戻るのを、待っている。」
「・・・どう、思う。」
急に、問われて、側近は、慌てた。
白い髪の、まだ三十くらいの彼は、浅黒い肌に黒い瞳、もともと貴族ではなかっただろう。シキに似ている、山岳民族だ。
「・・陛下。良くも悪くも、知らぬよりはよろしいかと。」
「ふむ。このこと、大臣どもには、だまっておれ。私は、寺院の予見が良くなかったため自室に篭って、祈りをささげておると。」
キナリスの言葉に、側近の男は深く礼をする。
シンカは、ちらりと、テーブルの上の食べ損ねたデザートを思い出して、キナリスに提案した。
「あの、あれ、一つもらっていいかな。」
キナリスが、怪訝な表情をする。
「お前の側近は、苦労しているであろうな。」
「・・。」
一瞬、置き去りにしてきたフェンデルが浮かんだ。
「確かに。」
くすっと笑う。