1.はじまりの予感2
「ねえシンカ!」
突然銀色の髪の少女が入ってきた。シンカはぼんやりしていたので少しドキリとする。
珍しく帰ってきたことにも気付かなかった。
「お帰り。」
「ね、シンカなら分かるかなあ!」
少し不機嫌だ。大学で何かあったのだろうか。
この同じ歳の少女はシンカの婚約者だ。まだ正式に発表はしていないが、既に大臣たちの了承は得ている。
大臣たちは太陽帝国皇帝という地位にあるものが、結婚もしていないパートナーもいないでは正式な場で困ると、常々うるさい。だからなるべく早く家庭を持ってほしいという。
家庭を持つかどうかはともかく、シンカはミンクにプロポーズした。
それはもう二年前になる。正式に発表しない理由は、ミンクが大学を卒業してからと言っていたからだ。あと数日で卒業。その後、即位記念日にあわせて発表ということになっている。
何でもハイハイといって、シンカの後ろについてきていた少女は、いつのまにか美しい女性に成長している。小柄で童顔、くりくりした赤い瞳は変わらずに。上手く使えない言葉もそのままなのだが、やっぱり大人になった。
シンカは目を細める。
「なあに?なんかやらしいの。」
「なんだよ可愛いから見とれてただけだろ。」
にっこり笑う青年にミンクは少し照れて話を続ける。
「あのね教授の話がなんだか変な気がするの!私の考えと違うんだもの。」
「お前、また教授にくってかかったのか?」
見かけによらずミンクははっきりした意見を言う。この可愛らしい姿で、理論的に相手をたたみかけようとする姿を想像し、シンカは少しばかり肩をすくめる。
それは喧嘩した時の彼女に重なる。
「調べてほしいの。シンカがアクセスすると私と全然情報量が違うんだもん。」
「そうそうできないよ。」
そう。皇帝の認証でアクセスすれば、宇宙中のすべての情報が手に入る。しかしそれは安易な検索で、ミンクに見せてはいけないものも見せてしまう危険性がある。
「だってリュードのことなんだよ!シンカも興味あると思うの。」
「リュードの?」
惑星リュードは二人の故郷だ。まだ未開惑星という調査中の状態であと十五年後にやっと交渉を始める。入植できるのか、惑星元首を置いてこの宇宙の惑星保護同盟に参加するのか。太陽帝国に所属するのか。パターンはいくつかあるがまだ決定できない。
「リュードの何を調べているんだ?」
「あのね銀河の探査の歴史を見るとね。航路的にセダ星より先に、リュードにたどり着くと思うの。」
「セダ星は四百年前に初めて発見されたんだろ?」
「うん。なのにリュードはほんの三十五年前でしょ。おかしいと思わない?」
「まあ、そうだな。」
確かに惑星を一つ探すのに平均で約百年かかるが、隣の太陽系の惑星探査に三百年以上間があくことは珍しい。
「また調べておくから。」
「今じゃダメ?」
「ダメ。」
ミンクに検索したすべての情報は見せられない。
「絶対に調べてね。約束だからね。」
「ああ。そうだ教授は何て言っていたんだ?」
「当時は探査船の性能が悪かったからだっていうの。」
「・・まあそう言うこともあるかもナ。」
ミンクは顔をしかめて見せる。
「調べてね。」念を捺すようにゆっくりそう言うと、ちょっとすねたふりをしながらミンクは執務室を出て行った。
見送ったシンカは軽くのびをする。
まあ眠気覚ましに見てみるかな。
シンカは分析中のデータを放り出して星間ネットワークにアクセスした。端末の上にホログラムのスクリーンが開く。検索結果の中で三つ目を引くものがあった。
データセキュリティーレベルが無限大マーク。つまりシンカ以外の誰にも見ることの許されないデータ。
滅多に見ることの無いそのマークに少しどきどきする。太陽帝国皇帝のみに見ることを許されるデータって言うことは、なんだか自分のための情報という気がして緊張する。
これを開いてもきっとミンクには話せない内容なのだ。それでもそのマークを見てしまったからには開かないわけには行かない。
一つ目を開いた。
「なんだ。」
シンカはくすと笑った。
自分がいつか封印した自分自身のデータだった。それはシンカが惑星リュードのデイラ研究所で研究され、生み出されてからの十七年間の記録。ブールプールに移管されたそのデータを見たときには、あきれるのと同時に気分が悪くなって、少しのぞいただけですべてを封印したのだ。なにしろ当時子供だったシンカの耳の裏につけられていた識別装置で、常に位置や体温、心拍数、血圧なんかが発信されていて、その馬鹿みたいにたくさんの情報が全部一つ一つ丁寧に保存してあるのだ。
ばからしい。
俺がニ歳になった日の午後二時三分から体温が上がり始め、午後四時に摂氏四十度を越えたとか。そんな記録なんの役に立つんだろう。子供のときに熱出すなんてあたりまえだよ。
そして三歳のときに初めて、坑ウイルス試験をされている。
三歳児にインフルエンザウイルスを打った。平気だったという結果だが、気分のいいものじゃない。ついのぞきだしていた自分に気付き、もう一度封印しなおして閉じた。
二つ目はリュード人の情報のようだ。見たこと無い人が写っている。年齢は・・・シンカは固まった。
今生きていれば五百二十一歳。ちょうど俺の産まれる五百年前に生まれている。
つまり…惑星リュードは、五百年前には認識されていた?
そのデータはその過去の人の簡単な個人情報だけだったので再び閉じた。
三つ目。
作成者はリトード一世。最終更新は五百年前。ちょうどさっきの人が写真に取られたのと同じ年だ。
開こうとしたがデータが壊れているのか破損注意の警告が出る。
開けばデータが自動的に修復更新され、修復後にちゃんと見られればいいが、失敗したら壊れるという代物だ。
ためらわれた。
またいつか。
そう思ってシンカは検索を止めた。
なんだか嫌な予感がした。
だが惑星リュードが、すでに五百年前には太陽帝国に属していたことが分かった。当時星間ネットワークに参加していたのは太陽帝国領内の惑星だけだったからだ。
今の表向きの歴史上は惑星リュードは三十五年前に発見されたばかりとされている。
歴史を動かして惑星一つを闇に葬るのだからなにかあったに違いないのだ。
ごめんミンク。やっぱり教授の路線で行くしかないな。
シンカは金色の前髪をくしゃりとかきあげて再びやりかけた仕事を始めた。
「シンカ!」
またコールも無く入ってくる。
今度は背の高い栗色の髪の大柄な男。チャコールグレーの帝国軍の制服を着ている。襟の小さな白金のバッジが彼の地位を表す。
「レクト。」
太陽帝国軍務官だ。遺伝子上のシンカの父親に当たる。軍神に例えられる彼は端正な容姿に切れ長の鋭い瞳で近寄りがたいが第一印象の人間だ。
今日も厳しい表情でシンカの正面に立った。執務机に座るシンカを見下ろす。
なんだか俺のこと、皇帝って思ってるんだろうか、この人。
「お前、博士衆に印璽のリングを変えろって言ったらしいな!」
「!」
ばれた。
博士衆とは太陽帝国の中枢を管理する星間ネットワークの開発チームのことだ。彼らが開発するネットワークは今や全宇宙に広がり、宇宙を旅するために必要な航路図や軍事データから個人のメールにいたるまで、全てを包括している。
その彼らがシンカのネットワークの認証システムも製作していた。それは帝国での最高機密であって、博士衆の存在自体知るものはほとんどいない。
シンカの皇帝の認証によって決裁された情報は、そのまま皇帝の勅令を意味し、決して誰も侵すことのできないものとなる。
だからこそ皇帝の認証システム自体はとても重要なものなのだ。
「なんだよレクトには言うなって言ったのに!脅したんだろまたその異様な迫力でさ!」
長身の男はつかつかとシンカの前までくると、端末に置かれていた右腕を掴む。
その中指には厚みのある黒い金属のリングがはめられている。
「これはかえさせんぞ。」
「いやだよなんで俺の居場所をいつも知られていなきゃならないんだよ!」
「皇帝だからに決まってるだろ。」
黒く鈍く光る金属製のそれはどんなレーザーにも耐える特別なものだ。
その機能の一つに特殊な発信装置があり、いつでもシンカがどこにいるのか大臣以上の政府高官には分かるという。それを知ったのはつい最近だ。
レクトはそれを利用していたくせにずっとシンカに黙っていた。
黙っていたっていうことは。俺が知ったら嫌がるだろうと予想していたってことだ。皇帝として当然のことなら最初から理を入れるはずだ。
だからこれは本来はなかった機能なのだ。皇帝が俺だからつけられた機能だ。
シンカは掴まれた手を引き剥がした。その手が自分より一回り厚く大きいことも好きではない。かなわない気がして嫌なのだ。
「人権侵害だ。」
「皇帝は人じゃない。」
レクトは無表情のまま言ってのける。
「ひどいな!」
「第一お前リングは皇帝一人に一つしか作られないんだぞ。それ作るのにどれだけ時間と費用がかかるか。知っているのか?」
「知ってるけどさ。」
だって嫌なものはいやだ。見張られているみたいで全然自由じゃない。
青年が視線を端末に落とした。
軍務館はソファーにどかりと身を沈めると脚を組む。なれた仕草で煙草を取り出す。
「禁煙!」
シンカが噛み付く。
「うるさいぜ。」




