4.謀略2
シキは少し伸びた前髪をかきあげた。
目の前の宮殿を見上げる。
首都シオンの西にそびえるそれは、白い石で作られ、所々でたかれているランプの灯りにその姿を浮かべている。
城壁は高くそびえ、乗り越えることは困難だ。
城門の正面にある公園で、前夜祭に浮かれる人々に混じって、男は彫刻の立つモニュメントに背を任せている。
視線の端に入る衛兵を確認する。
ちょうど、風船を持った若い女たちが、酔っているのだろう、衛兵に絡んでいる。戦争のためか、この国の兵は、若者が多い。市街にも、シキと同じくらいの年代、本来の働き盛りと思われる年代は少ない。確実に、戦争の傷跡が残っていた。
それでもこの街は、他の町に比べて裕福な人々が住んでいるのだ。辺境の小さな街など、どうなっているやら。
その時、懐の携帯電話が小さな音を発した。
公園の人気のないあたりに入り込むと電話を取り出す。ボタンを押すとシキの目の前に小さなホログラムを投影した。
ジンロだ。
「よう、どうだ。」
「シキ、シンカと一緒っすか?」
「いや。今は一人だ。」
小さな映像の彼は、四角くえらの張った顔をいつになく険しくしている。
「何かあったのか。」
「レクトさんから連絡がありました。皇帝の親衛隊が派遣されたそうっす。明日の朝には合流するようです。」
「なんだよ、何かあったのか?」
シキも、切れ長の瞳を曇らせて、眉をひそめる。
「それが、詳しくは教えてもらえなかったっす。どうやら、帝国情報部も絡んでるらしいっすよ。我々、ミストレイアの人間には教えられない内容のようで。」
シキやジンロが所属する組織は、あくまでも民間の会社に過ぎない。なにか、正式に皇帝を保護する必要が生じたということか。親衛隊が出てくるとは。
親衛隊は皇帝のためだけの護衛部隊。行き届いた教育と礼儀正しい、ナイツ以上に騎士らしい男たちだ。彼らは聖衛士と呼ばれる五つの家系のもので代々皇帝の親衛隊を務める。必然的に、代々の皇帝と比較され、皇帝らしくないシンカに対して帝王学とは何ぞやなどと、真剣に教えてくれようとする。
その堅苦しさが嫌で、シンカはよほどのことがない限り民間のミストレイア、またはナイツを使う。
親衛隊が動くということは今回の旅行を、ニュース番組で報じることができるような公式なものにするということだ。シンカはそれを承知するのだろうか。
本来、親衛隊は皇帝の命で動く。それを軍務官の判断で派遣するのは、シンカの怒りに触れてもおかしくはない。それを分かっていて、そうするレクトさんの考えが分からなかった。
「それほどの、親衛隊を動かす必要があるほどの、何かがあるというのか?」
つぶやいたシキに、ジンロが低く応えた。
「実は、うわさなんすけど。」
「なんだ?」
「ランクAクリアの連中が、動いているっているうわさなんすよ。」
「あいつらは暗殺や殺戮専門、じゃないか。」
「あくまでも、うわさっすよ。セダ星に派遣されたヌーとシケットなんすけど、どうやら、セダ星にはいないようなんす。」
「・・ヌーか。」
シキは背中にぞわりと緊張が走ったのを感じる。
ミストレイアのエージェントは、いくつかのランク分けがされている。Aとは、もちろん優秀であるということだ。クリアとは、Aランクを超越し、さらに特殊能力を持つもの、ということだったのだが、暗殺、テロ、組織の壊滅、民間人の殺戮など、いわゆるえげつない仕事が自然と彼らに任されるようになり、いつのまにか、より冷淡な、人をヒトとも思わない金と殺戮目当ての人間ばかりが配属されるようになっていた。
もてあます存在。彼らは、ある意味では有能であるが、同時に危険人物でもあり、そのほとんどがブラックリストに入っていた。その中でも、ヌーはミッションを無視した奇行が目立ち、ブラックリストのトップに名を連ねている。
シキも一度あったことがある。ミストレイアのある戦艦の休憩室で、偶然だった。黒目がかった灰色の瞳は、冷たく、痩せた体格とあいまって、死神のような印象を与えた。彼は、無口で、話しかけたシキにもほとんど反応を示さなかった。
その瞳が、興味を示したのは、ちょうど休憩室で流されたニュース映像に、シンカが映ったときだった。嬉しそうに、シンカの映像に見入っていた。
同僚がからかって、皇帝に興味あるのかと尋ねたときに、言ったのだ。
「どんな顔で死ぬのか見てみたい。」と。
あの時の嫌な気分が、よみがえった。あの時は、同僚が押さえなければつかみ掛かっていた。
「分かった。ジンロ、お前こっちに合流できるか?」
「いいっすよ。」
「助かる。ナイツのやつらじゃ、あてにならないからな。」
「シンカは、元気ですか。」
「ああ、キナリスに会うといって聞かないんだ。まいってる。」
「言い出したら聞かないっすから。あの人は。そう言うとこはレクトさんそっくりっすよ。」
多分笑っているのだろう、ジンロの大きな口元が少し歪む。
「じゃあ、こちらについたら連絡してくれ。」
「了解っす。」
通信を切ると、シキは一つ大きく息を吐き、立ち上がった。ジンロは今、ファシオン聖国の隣国にあたるダンドラ王国にいる。選べる手段が少ないので、早くても数日はかかるだろう。
さっさと済ませて、シンカの元に帰ろう。
***
ふぅ。
シンカは、一つ息を吐いた。
暗闇で目が覚める。硬い、ベッドのようなものに横たわっている。身体を動かすと、きしむ音がする。
空気が冷えている。身体には何もかかっていない。寒い。
耳を澄ますと、ひそひそとした声と足音が近づく。男二人、共通語だ。
「けど、俺はどうもこの任務はやばいと思うぜ。だいたい、いくらなんでもここまでやったら、ミストレイアだってただじゃ済まされないぜ。」
「嫌なら俺一人にやらせろ。」
「そうはいくか。二人で請けた仕事だ。」
「ふん。」
「ヌー、やるのはお前に任せる。けど、俺たち二人でやったんだ。いいな。」
「どちらでもいい。俺は、こんな楽しい任務ならミストレイアを解雇されたっていい。」
「嬉しそうに言うな。大体普段無口なお前が饒舌な時はろくなことがない。楽しんでるだろう。しくじって、すぐに殺しちまうなよ。報復とやらがどんなもんか知らないが、確実な方法をとるんだ。分かったな。」
ミストレイアのエージェントなのか。
ミストレイアがどうして、俺を捕らえるのか。
考えている暇はない。手足は縛られていない。どうするか。
しかし、真っ暗で何も見えない。自分の手すら見えない。
扉の開く音がして、二人が入ってきた。足音だけで、灯りは燈されない。
「お目覚め、か。」
酒でつぶれたような声が言った。その声には嬉しげな響きが合った。ヌー、と呼ばれた男だろう。
シンカは横たわったまま首を回す。背にジワリと緊張が走る。
おかしい。
この暗闇でなんで俺が目覚めているって分かるんだ。
二人の場所を確認しようと、視線を動かしたときだ。
ふんと、近くに男の鼻で笑う音がした。
「一時的に見えなくしただけだ。ま、そのうち永遠に目をつぶることになるんだが。」
一時的に、見えなくした・・・?
シンカは瞳を見開いた。
俺の、目か!
見えていない!
同時に上半身を起した。
「おい、暴れるなよ。」
もう一人がシンカの肩を押さえようとした。
反射的にその手首を掴むと、横たわったまま身体をひねって左足で相手を蹴った。膝あたりに相手のあごが当たったらしい。男が崩れた直後、別の大きな手がシンカの前髪を掴んだ。
振り払おうとする右腕をとられ、ひねられた。
その力は圧倒的で、肘の関節が軋んだかと思うと、ゴツという鈍い音がした。
突き上げる痛みに、シンカは唇をかんだ。
「ほう、外されても声も出さないか。」
ヌーと呼ばれた男が低く笑った。
そのまま額をベッドに押し付けられる。
「ううっ。」
気絶していた男が、気付いたようだ。
「情けないな、こんな子供に。目も見えてないんだぞ。」
「ふん。油断しただけだ。」
「おっと動くなよ。お前が悪いんだからな。」
酒臭い男の息が頬に当たり、シンカは顔をしかめた。固いベッドに擦り付けられる額がちりと痛む。
首に何かちくりとした感触。
直後、後頭部の奥、脳下垂体のあたり。音がしたかと思うほどの衝撃が、一瞬意識を奪う。
ぎゅっと閉じた瞳をそっと開いた。いやな冷や汗がこめかみからつたう。相変わらず、視界は闇。押さえていた手がなくなっていた。
一瞬だったのか、気絶していたのかも分からない。腕が痺れたような鈍い痛みを訴える。
少しは楽になるかと左腕で体を支えて仰向けになった。
嫌に静かだった。ベッドのきしむ音もしない。男たちの気配は感じられない。あいつらは、どこへ行ったのか。
静かに息を吐き出したときだった。
不意に肩を押さえつけられた。
いたのか!
何の気配も感じられなかった。何の音も。
右肩に痛みが走った。
うあ、と思わず声がこぼれた。
はずだった。
聞こえなかった。
自分の声も、何も、聞こえていなかった。
針だ。
昔、地球に針を使って人間の身体を治したり、逆に壊したりする医術があったという。人間の神経のある一点を針で刺激することで、自由に人を操れるという。
その話を思い出した。
ぞくりと恐怖心が沸いた。殺されるかもしれない。
全身で何かを感じ取ろうとするかのように、シンカは横たわったまま体をこわばらせた。神経を集中する。
次の瞬間、胸あたりだろうか、痛みが走る。脇に流れる血のぬくもりを感じる。
次は腕だった。
相手は、楽しんでいる。
次は脚だろう。
予想は、当たった。
当たったからといって痛みが減るわけでもなかった。どれも動脈をよけて、きっちり同じくらいの深さに切りつける。慣れた手つき。
ああ、時間をかけて、殺したいんだな。
神経を張り詰め、痛みと薄れる意識と戦いながら、シンカはかみ締めた唇から血が流れることも気付かずにいる。
何かを考えていられたのもそこまでだった。
痛みに身体を震わせることすら、できなくなった。
完全な静寂に、ふと、ミンクの声が聞こえた気がした。言葉は聞き取れなかった。
心地よいような、もう一度聞きたい声だった。あれは、いつか彼女が言った、言葉だったか・・。
「相変わらず、むごいな。あんたのやり方。」
がっしりした体躯の男が言った。
「邪魔するな。恐怖に歪んだ顔がいい。そそる。」
「子供だろうが。」
荷物を片付けながら、まだ皇帝にナイフを向けている仲間を睨んだ。
痩せ気味のそいつは、神経質な細い瞳で、横たわる青年を恍惚と見つめていた。切られたばかりの上腕から、赤い血がしたたる。
「いい、この滑らかな肌。ナイフの感触も違う。」
男が、首筋に手を当てると、美しい蒼い瞳の青年はびくりと震えた。
くっくと、喉を震わせて男は笑う。
「もういいだろう、今、死んじまったらやばいだろう。予想では半径50キロだ。そこまで俺たちが逃げるまで、生きててもらわねえとな。」
「シケット。お前、分かってねえ。そんな半端な仕事、あること自体おかしい。俺たちが捕まって、ミストレイアに非難が集まる。それが、このミッションの目的だ。」
「なんだと?」
「おめでたいな。俺たちは最初から、捨て駒だ。このまま、戻っても、どうせ俺が暴走しただとかって話になる。だいたい、太陽帝国皇帝を暗殺して、だ。ただで済まされるはずはないだろう?どうせ、俺たちの責任にされるさ。警備だなんて、繕っても、レクトさんにはばれてる。それでも、実行させる。目的はミッション自体の失敗だ。俺たちは、軍務官を敵に回した。」
最後に、頬に一筋ナイフを当てると男は血の滴るシンカの頬をなめた。
「ちぇっ、知っててなんで受けたんだ。」
シケットは、もともとへの字の口をさらにゆがめた。太陽帝国を敵に回す。ミストレイアの保護は期待できないというのか?
「聞きたいか?」
にやりと壮絶ともいえる笑みを浮かべたヌーに、大柄なシケットは顔をしかめた。なめた血が付いたのか、薄い唇が嫌にぬめぬめと光る。聞くまでもない。ヌーは、以前から皇帝陛下を獲物として気に入っていた。軍務官のレクトを敵に回すことだって喜んでいるのではないか。
「俺はあんたと違って、ただ命令に従っただけだぜ。納得いかねえな。とにかく、一度惑星を離れる。報復を避けなきゃならんし、組織の出方を見てからだっていいだろ。」
「たまらん。こいつ、甘い香りがする。血の味さえ高級だ、皇帝陛下様となると。」
いまだ、目の前の獲物に夢中になっている。
「ヌー。おい、ほどほどにしとけよ。早く行こうぜ。」
「俺は、ここを出ない。下手に戻れば即逮捕さ。この惑星は住みやすいしな。俺は気に入っている。」
どこかが切れている危うさを持つくせに、ヌーは頭はよかった。常に、冷静に殺し、その腕も確かだ。組織に利用されて追われることになっても、十分逃げ切れる。その算段があるから、分かっていてもミッションを実行した。
「あんたと、仲間でよかったよ。」
「仲間でも依頼があればやる。楽しみは最後に取っておく。お前、面白そうだ。」
そう言って、痩せた男は、細い目をさらに細めて、横の相棒を眺めながらナイフをなめた。
「遠慮するよ。それに、おれごときを金を払ってまで殺す奴はいないさ。俺の血は甘くないからな。」
「お前なら無料でやってもいい。その筋肉は切りがいがある。」
「そんなサービスはいらん。おい、行くぞ。俺は、今むかついているんだ。俺たちがなんでそんなことに利用されなきゃならん。」
「殺すなら俺にやらせろ。」
「あきれるよ、あんたには・・。」
男たちは、荷物を持って、その小さい家を出て行った。
部屋中に甘いユンイラの香りが漂い、赤く染まった衣服をまとって、青年は力なく、蒼い瞳をぼんやりと開いたまま、横たわっていた。