4.謀略1
港町ル・シオから半日、馬車に揺られてたどり着いた、首都シオンは、にぎわっていた。
聖帝のいる宮殿から真っ直ぐ東の正門につながる大通りには、両脇に小奇麗な柊の装飾を施した小さなテントの店が建ち並ぶ。市街の中心にある広場には、噴水を囲むように音楽を奏でる道化師や、犬に芸をさせる男、風船を売るおばさん、パレードを待ちきれずに紙ふぶきを撒き散らしながら駆け回る子供たち。時折、どこかで打ち上げられる花火の音が、市街の石造りの建物に響き渡る。晴れた空はそれら総てに、冬の日にしては暖かい日差しを注ぐ。オレンジ色の屋根にそれらは弾かれ、まるで、もう春になったかのような暖かさを感じる。
「すごい、こんなの初めて見た!」
うきうきした様子のミンクは、ずっとニコニコして、馬車の車窓から身を乗り出す。瞳の色を隠すために入れている、カラーレンズが、馴染まないと言っては不機嫌になっていたのが嘘のようだ。
「危ないぞ。」
笑って、シンカも同じもの見ている。
その二人を、シキが腕を組んで座ったまま眺める。
レンは、まぶしそうに細い目をさらに細めて、外を見ている。その表情は、笑み一つない。同じように、二人を見つめているカイエは、ミンクと仲良くなったのか、少し微笑を浮かべて、無邪気な二人の話に加わる。
「あれは、アイスクリームのお店ですか?」
テントの一つを指差す。看板の代わりなのだろう、蜜を入れる陶器の器が、軒先の鋳物のツルにかけられている。酒屋にはワインの樽を締める鉄輪が、花屋には乾燥した花のリースが、それぞれ趣向を凝らした看板として、並ぶ。
「私もわかんない。そうなのかな、美味しそう!」
ミンクが眼を丸くして見つめる。
「あれは飴売りだよ。白花の蜜の飴、ミンクは知ってるだろ、あれを麦の粉と卵でこねたパンケーキに薄くかけてあるんだ。フクワワって言って、外側が飴でぱりっとしていて、中がふかふかで。美味しいぞ。」
「なんで、知ってるの?シンカ。」
意外そうに、隣の青年を見る少女に、シンカはこれまた意外そうな表情で返す。
「十七年、リュードにいたんだ、それくらい知ってるさ!」
ミンクは頬を膨らます。デイラしか知らないミンクには、故郷と言えども知らないことが多い。
「ずるいよ。」
銀色の長い髪を左右二つに結って、片側に花を飾る少女にシンカは優しく笑う。デイラにいた頃は、ミンクもほかの住人と一緒で新しい物を知ることに興味を示したことはなかった。初めて違う町に来たときには、怖いとまで言っていた。それが、今や知らないことが腹立たしいのだ。その変化が、シンカには嬉しいことだった。
「可愛いな、お前。」
「あれ、後で絶対食べるんだから!」
「分かったよ。」
ミンクの前髪をくしゃくしゃなでて、シンカが笑う。
宿に荷物を置いてすぐ、二人は飛び出していった。シキに命じられたレンが、いやいやながら、後を追う。それを見送って、シキがカイエに話し掛けてきた。
「カイエ、君にも話しておきたいことがあるんだ。レンには昨夜話したんだが。」
「はい。」
いつになく真剣なシキのまなざしに、カイエは少し緊張した。
部屋の真中にある小さなテーブルに向かい合わせに座って、シキは話し始めた。
「太陽帝国では、伏せられているが、君たちには、今話しておかないといけないと思っている。シンカが、この星でなにを体験して、どうして、今の地位にいるのかを、ね。」
「それは、機密事項では・・?」
驚くカイエに、シキは笑った。
機密事項を聞かされることに緊張を覚えるのは当然。昨夜のレンは馬鹿にしたように聞いていた。カイエのほうが経験の分思慮深いという事か。それとも、レンは酔っ払いの戯言と流したか。
「困るか?」
「はい。私は上司の命令どおりのことを行うだけです。あなたのお話を疑うわけではないのですが、機密事項をお聞きできる立場ではありませんので。」
「ふうん。」
情報部のエージェントとしては、まあまあ、の反応か。
あくまでも仕事として関わるのみで、それ以上に親しくするつもりはないといことか。馴れ合いはしないのだろう、それはそれでいい。レンも話を聞いてはいたが、それで、シンカたちに対する態度が変わるわけでもないだろう。ただし、仕事としてやるべきはやってもらわねばならない。シンカの言いなりでは守りきれないし、無関心でも困る。
「聞きたくないならそれはそれでいい。一つだけ、シンカはこの国の聖帝キナリスに以前殺されかけている。」
「はあ。」
「だが、あいつはキナリスに会って、デイラという街の所在を聞き出そうと考えている。だからそれを止めて欲しい。」
「それは、命令ですか?」
冷たい茶色い瞳で見つめられて、シキは微笑む。命令される覚えはない、ということか。可愛げはないな。
「いや、お願い、だ。」
「状況判断は、こちらでします。」
「よろしく。」
カイエのうっすら浮かんだ笑みを、了解ととらえた。
シキは腕を組んで、カイエを見つめる。
金髪を肩の長さでそろえた三十歳前後の女性は、同じリドラ人でも彼の妻であるセイ・リンとはかなり違う印象だ。セイ・リンは女性にしては背も高く大柄ではあるが、バランスの取れた美しい体型をしている。身長百九十センチ以上のシキとはちょうどいい。
カイエは女性にしては、少しやせ気味で丸みのない身体をしている。面長の顔はさらにその細さを強調する。エージェントとして鍛えてきたというより、女性として扱われるのを拒むような外観をしている。
レクトさんが遊びでも声をかける相手ではないな。軍務官は女を武器にするような艶やかな、強い女性が好きだ。
そう目の前の女性を値踏みしているシキの切れ長の瞳は涼しげだ。けっして目をそらさない。はっきりした眉、雄雄しいという表現が一番似合う笑みは印象的だ。その視線が何を捕らえ、なにを考えているなどと想像できるはずもなく、カイエは一礼し、部屋を後にした。
首都シオンは、東方に向かって傾斜している、坂道の多い街だ。
都市の一番高い位置に、聖帝の宮殿がそびえる。街のどこから見ても東の遠い海と港、美しい平原が望める。街の中心の広場まで来ると、シンカはガス灯の支柱に登って、街を眺めた。
深い青の海に白い建物の外壁、都市の向こう、港町までの間に見える黄色味の勝ったグリーンの草原は風向きによって、時折水蒸気の白い煙におおわれる。都市の外れに、白い煙を吐き出すそれは、この斜面の多いシオンに水道を引くためのポンプを動かしている。一定の間隔で吹き上げられる蒸気の音が風に混じって届く。この惑星では、天然のガス、それを燃焼させて生み出す蒸気の力。ガス炉で作られる鉄、火薬。それらが最も進んだ工業だった。まだまだ、文明レベルは低い。
ガス灯があるのもこのシオンだけだ。
夕方の日差しは街の建物の影を濃くしている。白い光を弾くミンクの髪を少し高い位置から見つめる。
ミンクは支柱によりかかって、手に持った棒の先についた白い四角いフクワワ、先ほどの白花のお菓子をかじっている。
満足そうな表情がシンカには面白い。
「カーニバルって、何のお祝いなんだろう。」
ミンクがシンカに問い掛けたときだった。
「ボウズ、そんなとこに登るんじゃない!」
シンカの足元に、聖帝の警備兵が立って怒鳴る。
「おっと。」
つるりと滑り降りると、警備兵に尋ねた。
「隊長さん、何のお祝いなの、このお祭り。」
「なんだ、田舎ものか。知らんのかそんなことも。」
偉そうに威張る警備兵は、チョロリとのばした髭をなでて、胸をそらす。
「戦争の勝利と、ランドロ寺院の再建のお祝いだ。」
「ふうん。」
勝利とは聞いていなかった。結局、隣国のダンドラは攻め入るだけで目的のユンイラを見つけられず、幾つかの都市に大きな被害を残したまま一方的な和平交渉を持ち出し、戻っていったという。もともと領土が目的ではなかった。ジ・リユリ山を祭る寺院を持つこの国は宗教的にも無くすことのできない国でもあった。聖帝国ファシオン。聖帝キナリス。五百年前の火山の噴火より前にあったカンカラ王朝を、唯一継承する存在であると語り継がれている。
宗教上、他の諸国の王とは別格。唯一、ユンイラを栽培し精製できる技術を持つことも、この国を諸国の侵略から守っている。
戦争は二年続いた。そしてその終戦記念の日が明日だというのだ。
「お前、どこかでみたことあるな。」
警備兵が、ぎらりと光る甲冑の下でシンカを睨んだ。
「気のせいじゃないか?」
その時、薄暗くなりかけた夕焼けの空に、ひときわ大きな花火が上がった。
警備兵も一瞬見とれる。
「花火だ!行こう。」
ミンクの手を引いて、シンカは歩き出した。
少しはなれた露店の脇に、そっと、たたずむレンを認めて、シンカはそろそろ戻ることにする。心配させてもいけないし、警備兵相手に下手なことをすればレンになにを言われるかわかったものではなかった。
それに、ミンクを連れていては、行きたい所にも行けない。
「今日も仕事するの?」
肩に置かれた青年の手をとって、手をつなぎなおしながらミンクが言った。
「ああ。会議もある。仕方ないんだ」
穏かに笑う皇帝に、ミンクは少し寂しそうに頬を膨らます。
「怒るなよ。せっかくの旅行って言うんだろ。明日はずっとお前に付き合うからさ。行きたい所、ちゃんと決めとけよ。」
再び打ち上げられた花火の赤い光が、少女の銀色の髪を染める。
それはとても美しかった。
シンカは今晩、一人で出かけようと思っている。
デイラの位置を探るためだ。カーニバルの前夜祭で警備兵たちは浮かれているはずだ。酒でも飲ませて、いい気分にさせれば、情報を探ることができるだろう。キナリスに会えるのならそれでもいい。
だから、まず、反対するだろうシキとミンクには知られずに、宿を抜け出さなくてはならない。
五人が泊まっている宿屋の一階にあるレストランで、それぞれ食べたいものを食べている。カーニバルのためだろう、レストランは観光客で混雑している。壁際に据えられた大きな暖炉にはパチパチと炎が燃え盛り、その前であぶられる肉のいい匂いが室内に充満する。煙草の煙が、ランプの明かりだけの薄暗いレストランをさらに怪しげな雰囲気に見せる。
ざわざわと、寄り集まったたくさんの会話で、自分たちの会話を他人に聴かれる心配はなかった。
宿屋の外では大きな松明が焚かれ、道化師の踊る陰が長くゆらゆらと、窓ガラスにおいでおいでと手を伸ばす。また、酔ったご機嫌な一団が遅い夕食を取ろうと、店の樫の扉を軋ませて入ってきた。
男たちのガラガラした笑い声が響く。
カランとガラスの器を響かせて、太った給仕の女性が四枚の皿をテーブルに運んできた。素朴ながら美味しいリュードの食事には、カイエも感心して舌鼓を打つ。
レンだけが研究材料を目前に置いた研究者のように、何でできているのかを理解しようと料理をひっくり返したり、ナイフで切ってみたりしている。
シンカが楽しみにしていたデザートに手をのばそうとしたときだ。隣で食後の蒸留酒を飲んでいたシキが言い出した。
「シンカ。俺は、やっぱり反対だ、お前がキナリスに会うのは。」
シンカの正面に座るミンクが驚く。
「シンカ、本当なの?」
「シキ。」いうなよ。と言わんばかりにシンカは隣を睨んだ。それを無視して、シキはミンクを味方に引き入れようとする。
「ミンク、新しいデイラがどこかに作られたらしいんだ。シンカはそこに行きたいと言い出している。」
「新しい、デイラ。」
ミンクの表情は厳しい。いつもの可愛らしい怒り方とは違う。
明らかに、シンカの敵に回っている。
「そのために、聖帝に会うの?だって、シンカ、殺されかかったんだよ!」
シンカは天を仰いだ。
やっぱり、シキに言わなきゃよかった。酒場の酔いが残っていたのだろうが、失敗だった。
「だめだよ!」
シンカの視線を捕らえようと、ミンクは立ち上がる。シンカも立ち上がって、ミンクの手を抑えた。
「ミンク。もう、決めたんだ。」
「そうやって、何もかも自分ひとりで背負って、がんばって。だめだよ、そんなの。シンカが行くなら、私もついていくんだから!」
「ミンク。」
厳しい表情の皇帝にも、ミンクはひるまない。
「別に……一人で行くわけじゃないよ、ミンク。お前がついてきたらもっと危ないだろ。」
「でも!」
「大丈夫だよ。さあ、座って。デザートのアイスクリーム、とけるぞ。」
もう一度上目遣いで睨むミンクに、やさしく笑い返して、シンカも座りなおした。
白花の蜜とミルクで作られた甘いアイスクリームが、あっさりしたシロップで漬けられた梨に乗っている。おいしそうだ。
シンカもそれを口に運んだ。
「シンカ。俺がキナリスに会いに行く。」
シキがにんまりと笑って言った。
「え!?」
スプーンを口に含んだまま、横を見たシンカ。黒髪の年上の男は、大き目の口をにんまりとさせウインクする。
「今からだ。」
「シキ、なに言ってるんだ・・うえ。」
シンカは思わず、口に含んだ果物を吐き出した。
「これ、・・何?酒臭い・・」
口元をぬぐう。
「悪いな。ミンクと話している間に、俺の酒を入れておいた。」
食べかけのデザートを示して、シキは笑う。
やられた!
気付いてももう遅かった。
シンカはシキの腕に支えられたところまでしか、覚えていなかった。
「・・シキ。シンカの体にアルコール、あんまり良くないって、聞いているのに。」
眉をひそめて、心配そうに見つめる少女に、シキは笑った。
「こうでもしなきゃ、止められないだろ。レン、カイエ、シンカは部屋に寝かしておくから後頼んだぞ。絶対に一人で出かけさせるなよ。」
軽々、青年を抱き上げて、連れて行く後姿。
ミンクは見送りながら、デザートのスプーンをおいた。
新しい、デイラ。
その存在は少し、心が痛む。
けれど今の私たちには関係ないよ、そう、シンカに言ってあげたい。
シンカは小さい頃からデイラを嫌っていた。窮屈な小さな街ではシンカは満足できなかった。
シンカはいつも、外の世界で体験してきたことを楽しそうに話してくれた。シンカはデイラがユンイラとこの国のために犠牲になっていると言っていた。
最初に聞こえたのは、花火の弾ける音、子供が面白そうに悲鳴をあげた声だった。笑い声、道化師の小さな太鼓の音。手拍子。暗闇に響く、前夜祭のざわめきで目が覚めた。
宿の部屋だろう、ベッドの脇の小さな木のテーブルに、ランプの炎が揺れる。シンカは、起き上がると、頭を振った。
「ちくしょう・・シキ。」
まだ、くらくらする。
シンカの体はアルコールを受け付けない。量の問題でないから、なめただけでも眠ってしまう。先手を打たれた。
シキが着替えさせたのだろう、薄手のすその長いシャツと、綿のパンツ。ぞくっと夜風に寒さを感じる。
風にランプの明かりが大きく揺らいだ。壁に伸びた自分の影が流れる。窓が開け放たれているようだ。
「なんだ、寒いのに…」
不意に、ランプの炎が消えた。
「!?」
気付いた。
だれか、いる。
シンカは記憶に残る室内の様子を再確認する。
手元に剣はない。
暗がりに潜む相手は、二人のようだ。
動きを止めたシンカに、気づかれたことを察したのか、侵入者も息を潜めてタイミングを計っている。
どうする。
パン!!
花火が上がった。
小さな窓から赤い明かりが差し込む。
来た!
その瞬間、シンカは飛び掛ってきた影の手首を掴んで、投げながらかわす。いつの間にか間合いを詰めたもう一人を、二歩目の肘うちで。
かわされた。
低い姿勢のそいつの手に、ナイフが光る。
とっさに飛びよけたが、腿に鋭い痛み。
くらりと、視界がぶれる。
右側から先ほどの男が白い光を放った。
レーザー?
気付いたときには、シンカは膝をついていた。脚に血の滴る感覚がある。
動きを止められて、なす術はなかった。
「だれだ、・・お前たち・・。」
この惑星にレーザー銃は存在しない。リュードの人間じゃない。プロだ。
シンカは担ぎ上げられながら、遠のく意識の中で次の花火の音を聞いていた。