2.シンカと不愉快な仲間たち4
白の大陸の端まで来ると、研究所で使用している探索用の船に乗せてもらった。
それはリュードで普通に使われている船と同じ見掛けをしている。中身は全然違うのだが、そのままリュードの人々のいる港に停泊したりするからだ。
船の旅は、約二日かかった。
南下するに連れ色の変わる海に、シンカたちは感動していた。
この星は美しい。
昔、地球もこんな風だったとミンクが歴史を語った。
人間と文明が星の自然の姿を変えていく。それは、どんな惑星でもそうだ。程度の差こそあれ、人間が生態系の頂点に立つと惑星の環境は変えられていく。
人間だけが、環境を変えて生きていく生き物なのだと、シンカはうなずいた。
「でもね、ミンク。」
海を眺めて甲板のテーブルで昼食を取りながら、シンカが言った。
「星の永い生涯の中で、人間がどんなに悪さをしてもね、星は変わらないんだ。リュードも、五百年前の噴火があって人間が滅びても生きていても、宇宙から見れば同じ星なんだ。ちっとも変わっていない。」
くまの干し肉をサンドしたパンに、美味しそうにかぶりつきながら、シキがうなずく。
「案外、美味しい。」
驚くカイエ。
レンだけが、何も入っていない味気ないパンに見向きもしないで、シンカを見つめた。
「そんなことはありません。惑星リドラは、死の星になりました。」
「レン。」
カイエが青年を見つめる。
「太陽帝国皇帝のためにね。」
睨んでいる、といっていいだろう。
青年より四歳は年下の皇帝は、微笑んだ。
「確かにリドラには今、人間は住めない。でも、植物や動物はいるんだよ。星は、死んでいないんだ。人間がいないから死の星っていうのも、ちょっとリドラが可哀相だよ。」
「皇帝陛下が言えることではないでしょう。」
別に、シンカがその星の環境を壊したわけではないが、リドラ人は根底に太陽帝国皇帝に恨みを持っている。
それは、もう何世代にも渡って語り継がれた価値観だ。そう簡単には変えられないのだろう。
「君は、レン、リドラに行ったことがあるか?」
「!いえ、ないです。あそこは入れないと。」
「だれも、行ってはいけないなんて決めてない。大気成分が適合していないなら、マスクをして入ることも可能だ。降り立たなくたって、飛行艇で見て回ることもできる。」
「……なにが、おっしゃりたいのですか。」
「リドラの人たちが、皇帝と太陽帝国を恨む気持ちも分かる。けれど、帰ろうとしていないんだ、彼らは。惑星リュード、ここでは宇宙に逃げ出すこともできずに、人々は苦しんだ挙句、適応する術を見つけた。どんな力にも反発する力が発生するように、惑星によくない力が働いて滅んだものがあるなら、逆に生まれてくるものもあるんだ。」
レンが睨みつける。
「リドラに、今何が生まれているのか、一度見てみるといいよ。とても、美しい星だ。星が、命をはぐくむって言う意味がきっとよくわかるよ。そしたら、自分たちの大切な故郷の星を、死の星だなんて呼ばなくなる。」
「シンカ。」
ミンクがそっと、皇帝の手をとった。
「うん。俺も本当は人のこと言えなくて。この星で嫌なことがたくさんあったから、帰るのに勇気が必要だった。けど、故郷の星はここしかないんだ。きちんと自分の過去と、生まれた星と向き合って、それから進んでいきたいと思ったんだ。」
ミンクの赤い瞳を見つめて、頬に触れる。
「結婚する前に、ってか?見せ付けんなよ、シンカ。」
シキもからかいつつも笑っている。シンカは「若いんだからいいんだ」とミンクを抱き寄せ、ミンクは「やだ、ばかっ!」と真っ赤になる。
レンは、視線を逸らした。
その卑屈と思える男の姿に、カイエは自らを見る思いだ。いつの間にか、リドラ人=被害者だとこだわるばかりで、自ら故郷に帰ることを諦めてしまっている。私たちの故郷は、皇帝によって滅ぼされてしまった、なくなってしまった、そう教えられてきた。
星は、なくなってはいない。
もしかしたら、リドラ人が帰るのを、待っているかもしれない。
そんなことを考えると、ふと、切なく温かい思いが胸に浮かんだ。
太陽帝国皇帝、シンカ。若い彼が今までのどの皇帝より温かく見守られ、認められ、評価されていることが、不思議でならなかった。しかし今、その理由が何となく分かるような気がしていた。
***
翌日、彼らは聖帝国ファシオンの港町、ル・シオに到着した。
そこは、首都シオンの水門という意味をその名に据え、この国で最も栄えている港町だ。
今の時期には、時折冷たい雪が降る。
大型の蒸気客船や、商業船、シンカたちのような小型の運搬船。様々な大きさ、形の船が、石造りできれいに整えられた港に停泊している。
冷たい雪の混じる雨が、静かに海に落ちる。海面は深く鈍い色の青で、街の白い石造りの町並みをゆらゆらと映す。
降り立つと風が無いため、思ったよりは寒くない。
ミンクはカラーレンズで黒くした瞳で、先頭を歩く金髪の青年を見上げる。その、上着のすそを持って足元に気をつける。
それに気付いて、シンカは空いている左手を後ろに伸ばす。手をつなぐ。
「転ぶなよ。」
そう言って手を出したのは、さらにその後ろのシキだ。
差し出された手を、困ったように見つめてカイエは笑った。
「子供じゃありません。」
「女は女だろ、一応。」
大き目の口で、にかっと笑う。シキの黒い瞳は魅力的だ。
カイエは、情報部の仕事についてから、女として扱われたことなどほとんどない。せいぜい、着替える場所が違う程度だった。だから、今さらのようで、照れくさい。
強引にその手を引っ張って、シキは満足そうに歩く。
「カイエ、気にしなくていいよ、シキはそういうの得意なんだからさ。」
シンカが振り返って笑う。
気取らず、そつなく女性を扱うシキ。その、ワイルドな雰囲気とあわせて、女にもてる。
「久しぶりに見るな。」
たくさんのリュード人が、荷物の上げ下ろしに精を出す。
向こうでは、次の商船に乗ろうと、客が列をなしている。
ここは、シンカもはじめての港町だ。冷たい雨が、顔にかかるのも気にしないで、シンカは大きく伸びをした。
あ、この光景、前にも見た。そうミンクは思っていた。
季節はずれのため、商業船とは対照的に、漁師の船はほとんどが港に停泊したままになっている。その中で、漁師たちが次の季節に備えて、網の整備や、船の修理などをしていた。
その様子をじっと見つめていた、シンカは、不意に一人の漁師に声をかけた。
「ねえ、トドーさん!俺のこと、覚えてる?」
声をかけられた漁師は、桟橋のシンカを見上げた。
「おう!シンカじゃねえか!変わらないな、お前。また、働くか?青の魚、また見せてくれよ!」
その言葉に、隣の船で作業をしていた年寄りの漁師が声をかける。
「そいつかい、青の魚釣り損ねたってのは!」
「おうよ。はじめての漁で、だぜ。おりゃ、たまげたね。なあ、シンカ。あれから俺はついてんだ。お前のおかげだ。だからこうして、大きな船になって、このでかい港にいられるんだぜ!」
「じゃ、こんどまた、酒でもおごってよ!」
笑って応えるシンカの大声に、トドーと呼ばれた漁師はさらに大きな声で笑った。
「子供におごる酒はないぞ!冗談言うなよ。」
「子供じゃないって!じゃあね。また、この次に漁の話、聞かせてよ!」
「おうよ。」
大きくてを振って、シンカは後ろであっけに取られている四人を振り返った。
「四年前にね、世話になったんだ。」
「あ、そうか、一晩仕事手伝ったんだね。確か。」
ミンクが思い出した。一晩だけの手伝いの少年を、漁師を、お互いに今も覚えている。印象深い出会いだったのだろう。
「そう。気のいい人でさ。俺、幻の青の魚って漁師に呼ばれている、大きな魚を釣り損ねてさ、それがどうやら縁起のいいことだったらしいんだ。俺に、魚屋の仕事世話してくれたのもあの人なんだ。」
「ああ。魚屋、か。」シキが思い出す。
「懐かしいなあ。変わってないんだな。」
「そうだね。嬉しいね。もう、知ってる人なんていないと思ってた。」
そう、故郷の街は全滅した。だから、知っている人なんて誰もいないと思っていたのだ。
「ここで遭えるなんて偶然だよな。なんか、嬉しいな。」
満面の笑みで喜ぶシンカの、金色の髪をくしゃくしゃなでて、シキも笑った。
「俺も、酒場に顔出してくるかな。」
「飲み過ぎないようにね。」
シキは返事も適当に、ぐんぐんなれた道を歩いていく。
「え、いいのですか?単独行動ですか?」
カイエが、シキとシンカを見比べながら、確認する。
「カイエ、シキは酒場ごとに知り合いの女性がいるんだ。久しぶりなんだ、好きにさせてあげようよ。携帯衛星電話もあるし、なんとでもなる。」
「旅行なんだもの。楽しまなくちゃね。」
ミンクも笑う。
***
宿屋から少し離れた酒場まで、シンカは何とかレンを引っ張ってきた。
「ほらほら、仕事なんだからさ、ちゃんとついてきなよ。」
夕食がすむと、ミンクとカイエを宿屋に残して、シンカは男三人で飲みにいこうと考えた。シキは既に夕方から腰をすえているので、そこに合流しようというのだ。
冷たい雨は今は止んで、時折頬を掠める風がぞくりとさせる。シンカは寒いのが嫌いなので、羊毛で出来たむくむくした長めの上着を身に着けている。それが、膝下まであるので、とても温かい。頭には毛糸で編まれた帽子を深くかぶり、足元は黒いブーツ。
さまざまな地方の人が入り混じる港町では、人の服装や姿を気にすることはない。
レンも、さすがにスーツとは行かないが、温かそうなニットを身につけ、細身の黒いパンツにブーツ、襟元には毛皮のマフラーが巻かれている。ニットの上に羽織るマントの下に、銃やらナイフやらが隠れているはずだ。
リドラ人のレンは、シンカより背が高い。手足も長い。浅黒い肌に、白っぽい金髪。鋭い茶色い目。眼鏡をかけたりするととても似合いそうな、生真面目そうな顔をしている。
少し面長の顔には、いつもと同じ渋い表情がのっている。
そういえば、笑っているところを見たことない。シンカは気付いた。
それで、飲みに連れ出したのだ。
「陛下が、酒を嗜まれるとは存じませんでした。」
レンが、ぼそりと言った。
「レンは、飲まないのか?」
「多少は、飲みますが。酔うことはしません。基本的に、一人で飲むのが好きですので。」
「ふうん。」
とぼけてみせるシンカは、実はまったく飲めない。それはレンには、言っていない。今言えば「帰る」と言い出しそうだから。それにシンカは飲みはしないが、酒場は楽しくて昔から好きなのだ。子供の頃から隣の港町でよく遊んだ。
ぶどう酒を寝かせるオーク樽の鉄輪が、軒先に吊るされている酒場に着いた。
厚い樫材の扉を押して入ると、そこはけだるい空気が蔓延していた。
ざわざわとした話し声。薄暗い灯り。
ロウの焼ける少し苦い匂いと、煙草の煙、香ばしい魚の焼ける匂い。港町で定番のつまみは、日に干して煙で燻した魚だ。
軽くあぶって、かじる。
それと麦の酒がよくあうのだと、シキは言う。
「おっと、ボウズ、子供は入れねえよ。」
戸口の近くにいた、店の人間だろうか、大柄な男がシンカの肩に手を置く。
「ボウズじゃないよ。俺、もう二十一だぞ。」
今まで、子供だからって止められた事はなかったのに、なんだろう。
「嘘つくな。」
男は、そのままシンカの腕をつかんで、外に出そうとする。
「本当です。手を離してください。」
レンの冷たい口調に、酒場の男は胡散臭そうににらんだ。
「なんだぁ、貴族様か?」
レンの口調が丁寧なので、そう感じたらしい。
「私の従者なのだ、放しなさい。」
レンは気取ってそういうと、シンカの手を引っ張って、ぐんぐん中に入っていく。
(こいつの従者、か。)
なんだか、情けない気分になって、シンカは黙って歩いていく。
確かに、見かけは十八あたりから変っていない。いっそのこと、永遠に十八で通そうか。十七、いや、それはさすがにいやだな。十九歳って、響きが好きだからそうしようか。
そんなことを考えているうちに、いつの間にかレンに引かれて、シキの隣に座っていた。
「お前、よく入れたな。」
シキが、麦の酒の大きなグラスを口に運びながら、笑った。
「かっわいい、シキ、誰なの?」
シキの隣で栗色の巻き毛の女性がにこやかに笑った。
派手な顔立ちで、少しとがったあごが特徴的だ。やけに大きな目が、店の暗い明かりにはちょうどいい感じに視線を集める。酒場の女性らしく、広く開いた胸元から白い乳房があふれそうになっている。
「おいおい、セランナ、子供をからかうなよ。」
「ボウヤ、大丈夫?こんな荒くれと一緒じゃ、悪いこと教え込まれちゃうわよ。」
シキはどんな評価を受けているんだろ。シンカは、あきれながら、笑った。
「俺、ボウヤじゃないし、悪いことだってちゃんと知ってるよ。」
「いやん、かわいい。あたしが悪いこと教えてあげる。」
「いやんって、あの。」
かなり酔っているのだろう、女性は立ち上がりざまにシンカに抱きついた。
柔らかな胸が押し付けられる。厚いコートの上からってのが、少し残念。シンカはちらりとそんなことを考えながら、女性を張り付かせたまま、座る。
「お、なんだ、お前、かわいげないな。」
「シキ、俺のこと馬鹿にしすぎだよ。俺、七歳の頃から酒場に通ってんだぜ。やるべきことは全部やってるんだ。」
ウインクする蒼い瞳に、シキは少しがっかりする。照れて慌てる姿を想像したのに、案外こいつも遊び好きだったのか。かえって、シンカの隣に座るレンのほうが、目のやり場に困っているようだ。それは、シンカが子供に見えるだけに、不思議な眺めだった。
「お姉さん、俺なんかより、この人のほうが面白いと思うよ。教えがい有りそうだし。」
シンカが隣に座る背の高い男を指し示すと、酔っ払った女性はちらりとそちらを見て、また、シンカを間近で見つめる。
「ボウヤが一番。」
「おいおい、セランナ、ひどいな。二人に酒を頼むよ。俺には・・」
言いかけたシキに、女性は口付ける。
「シキには、この続き?」
女性の口紅を手でぬぐうと、シキは笑った。
「高くつきそうだ。遠慮しておくさ。」
女性がカウンターにたどり着くまでに、何度も転びかけてそのたびに近くにいる男に媚を売るのを見つめながら、シンカは笑った。
「シキ、ちょっと趣味悪い。」
「あれは、この店の酒にもれなくついて来るんだよ。断る必要もないだろ。」
残り少ない酒のグラスを口元に運びながら、黒髪のシキがにんまりと笑う。
先ほどから黙ったままのレンを、ちらりと見つめた。
「レン、お前、女嫌いなのか?ぜんぜん話さないな。」
「陛下ほど、すれていませんので。」
噴出すシンカ。
その目の前に、透明な液体の入ったグラスが置かれた。
シンカが見上げると、女将さんらしいでっぷりとした女性が、困ったように笑っている。
女将はシンカの金髪をなでて、申し訳なさそうに言った。
「悪いけどね、役人がうるさいんだ。子供を店に入れたのがばれると罰せられるんだよ。大人しくしていてくれるかい?」
「え?」
隣でシキが大笑いしている。
「今、甘いもの持って来てやるから。たいしたもんはないんだけどさ。」そういって、女将は大きな尻を揺らしながら戻っていく。
「いつから、子供が入れなくなったんだよ、おかしいよ。いや、そうじゃなくて、俺、二十歳過ぎてるし。」
シンカは透明な液体のにおいをかぐ。首をかしげて、なめてみた。
「水だ!なんだよ。レンのは酒なの?」
顔をしかめてみせるシンカの背後で、がたんと大きな音がした。
ずんぐりした長いひげの禿の男が立ち上がっている。シンカのすぐ後ろに座っていたために、ひかれた椅子がシンカの座る椅子にがたと当たる。弾みでシンカは水をこぼした。
その向かいで、やせた顔色の悪い男がにらみつける。その手には、剣。
「陛下。」
慌てて、レンがシンカの背後を守ろうとする。その手が懐に入ったところで、シンカは肩に手を置いて制した。
「喧嘩だろ、平気だよ。」
「きさま、もう一度言ってみろ!」
怒鳴った禿の男が皿の中身を正面の男に投げつける。野菜と魚のスープだろうか、正面の男はマントでそれをかぶる。背後にいた見物人にかかって、騒然となる。
「うんざりだといっただけだ。」
やせた男のその一言にはじかれたように、禿の男は飛び掛る。酔っているのだろう、相手が剣を持っていることも気にせず、素手だ。
「あーあ、もったいない。」
おなかのすいたシンカは、スープが気になっていた。
「陛下、そういう問題ですか?」
シンカの背後に突っ立ったまま、レンは喧嘩をする男たちとシンカを見比べる。
「レン、気にするなよ。ここではよくあることだ。」
「しかし。」
笑うシキを、レンは避難がましくにらみつける。
「お姉さん、俺にあれと同じスープくれよ。」
レンの肩越しに、立ち上がって女将に声をかけるシンカ。
殴りあう男たちを乗り越えて、女将の声が返ってきた。
「あいよ。」
女将の言葉に反応するように、戸口にいた大柄な男が二人、喧嘩している男たちを捕まえる。
「なんだ、もうやめさせちゃうんだ。」
残念そうなのは、シンカだけではなかった。店中が、喧嘩をはやし立て、つまみにして酒を飲んでいた。賭けを始めようとしたものもいたが、全員が賭け終わる前に当人たちが店の外に引っ張り出された。
「ガキが、余計な口出すからだぞ!」
どこかで、怒鳴る。そうだ、そうだ、と八つ当たりの声。
「俺のせいじゃないだろ!」
かわいい顔に似合わず、怒鳴り返したシンカに、一瞬店が静まる。
さすがに、シキもシンカを抑えた。
「なんだよ、シキ。ガキ扱いされて黙ってられるか!」
「シンカ、落ち着けって。酔ってるわけじゃないだろ!馬鹿が。」
「酔えるわけないよ、何にも飲ませてもらえないんだ!」
さっきからお腹がすいて、イラついていた。子ども扱いされた上に出されたのは水だけなのだ。
「ぼうや、おとなしくできないなら、つまみだすよ!」
気づくとスープの皿を持って、女将がにらみつけていた。その大柄な体格は迫力があった。
「……ごめんなさい。」
迫力に押されて、つい、素直に謝るシンカ。その目はすでに、スープの皿に向いていた。
シキは気付いて噴出した。
「わかったならいいよ。パンもほしいかい?おなかすいてるなら先に言いなよ。」
にっこり笑った女将はぷっくりした顔のどこかに、昔は美人だったろう面影をにおわせた。
「女将さん、きれいだな。」
シンカは思ったことを口にした。
一瞬、目を丸くした女将は、今度は大きな口をあけて笑った。まだ若い金髪の男の子に褒められれば悪い気はしない。
「素直じゃないか。シキ、あんたの連れかい?気に入ったよ。いい子じゃないか。」
豪快に笑ってシキの肩をばしばし叩くと、店内を見回した。
「いいかい、子供相手に馬鹿な真似するんじゃないよ!わかってるね!」
不満そうに見つめる周りの男たちに睨みを効かせて、女将さんはカウンターに戻って行く。
「お前、こわもてのカンナ姉さんを喜ばすなんて、さすがだな。俺があんな事言ったら、つねられて終わりだぜ。」
シキが面白そうに、シンカの髪をかき混ぜる。うるさそうにその手を払って、シンカは目の前のスープに集中しようとしていた。
「俺が聞いた話ではな、シンカ。なんでも、シオンで大きなカーニバルがあるらしいんだ。それで、全国から人が集まるだろ、治安維持のためとかでいろいろ厳しいらしいんだ。だから、子供は夜九時を過ぎたら家に帰らなきゃならんそうだ。」
「フン。俺なんかより、シキのほうがずっと治安を乱しそうなのにさ。おかしいよ。」
ほっくりしたジャガイモをほおばりながら、シンカが言う。
「だから、いろいろって言ったろ。治安維持で他国の人間はチェックされてるらしいし、子供をさ、保護するんだとか。ほら、もともと、リュードでは女の子は大切にされてたけどさ、男はどうでもよかっただろ。」
シンカはうなずく。確かに、国の政策のためか、宗教上の理由か、女の子は大切に育てられる。それに比べると男の子は放任だ。一人で出歩けば、危険な目にもあう。男なら誰もが剣を持っている国だ。それでもたくましく生きているのが、リュードの男の子なのだ。
「それを、保護することになったらしいんだ。」
「保護ってなんだよ、意味わかんねえ。」
むっとしながら、せめて味のある飲み物に代えてもらおうと、カウンターの女将さんに手を上げる。
「俺、ククラ飲みたい!」
「だめよ。ボウヤ、あと、三年経ったらね。」
「少しくらいいいだろ!ククラは酒じゃないだろ!」
食い下がるが、戻ってきたセランナがシンカの前に出したのは、温めたミルクだった。丁寧にたっぷりと蜂蜜をぬったパンまで添えられている。
「なんだよ、腹立つな。」
シンカが、シキを見上げながらぶつくさ言う。酒はまったく飲めないシンカだが、ここでホットミルクを飲むくらいなら、宿にいるのと変わらない。せめてもと、ククラを頼んだのだ。セランナは再びシキの横に張り付いている。
「シンカ、戦争が、あっただろ。たくさん人が死んだらしい。だから、子供が、貴重になったんじゃねえかな。」
「!そうか。」シンカは思い出す。
「戦争、か。って、だから俺、子供じゃないって!」
一瞬納得しそうになって、シキのいたずらっぽい笑顔をにらんだ。
黙っていたレンが、小さく笑った。
「!?」
シンカは目を丸くした。初めてレンの笑顔を見た。
「いや、確かに年齢を言われなければ、十六でも通りますね。」
くすくすと、口元を隠して笑う。
「あら、違うの?」
セランナがシキの目の前のさくらんぼをつまみながら言った。
「!」
シンカは立ち上がった。
「いい加減、頭にきた!俺は二十一だって言ってるだろ!」
一瞬、店中が静まり返った。
次の瞬間、まき起こった笑い声は、シンカは当分忘れられない。
顔を真っ赤にして、それをかき消すように「俺にも普通のもの、飲ませろ!」と怒鳴った。それでさらに大きくなる笑い声に腹が立って、レンの飲み物を取り上げて一気に飲んでやった。
結果、シンカはあっさり眠ってしまった。
覚えていない。
***
気付いた時には、シキに背負われていた。宿に帰るところなのだろう。石造りの町並みが、夜の闇にぼんやり浮かぶ。
「……。」
隣に並んで歩いていたレンと、目が合った。
ぷっ。
笑われた。
「……。」
悔しさに背負われたまま蹴りを出そうと暴れると、シキがなだめるように言った。
「仕方ないだろ。お前、あきらめて十七で通せよ。無理があるんだ、その姿で大人ってのはさ。地球じゃまだしも、ここじゃな。」
悔しくてシキの頭をたたく。
「当たりたければそうしろ。けど、お前も、分かってるだろ。」
シキの抑えた口調に、その真剣さが伝わった。叩いていた手を止めて、シンカは黙った。
あまりの情けなさに、涙が出そうだ。主治医のガンスに、成長が止まったと聞かされたときには、すでにまったく成長の兆しがなくなって二年が経過していた。十九のときだった。それでも、気持ちは二十歳を過ぎているし、言い張ればそう見えないこともないと思っていた。地球なら、シンカくらいの見かけで二十歳過ぎている若者は大勢いる。
だが成熟のはやいリュード人では、通用しない。
シンカは、黙り込んだ。
「よしよし。」
レンが細い目をさらに細めて、シンカの頭をなでる。
「からかうなよ、レン。」
シキにたしなめられ、シンカに殴られそうになりながら、リドラ人の青年は面白そうにニヤニヤしていた。
「このこと、ミンクに言うなよ。」
ぼそりとつぶやいたシンカに、さすがにシキも笑った。
「笑うなよ!」
シンカは苦しそうにお腹を押さえるレンと、肩が震えているシキを交互ににらみつけた。