2.シンカと不愉快な仲間たち3
惑星リュード。その蒼く美しい星に、三人と二人はそろって降り立った。
地球より少しだけ小さなその惑星は有人大陸と無人大陸に大別される。有人大陸といっても、そこは北半球から赤道付近まで広がる一つだけをいい、それ以外はすべて無人である。
約五百年前まであったといわれる、カンカラ王朝という文明はすべての大陸を治め、今のリュードよりずっと進んだ科学力を持っていた。それは各地に残る遺跡でも分かる。シンカたちが降り立った「白い大陸」と呼ばれる、この惑星でもっとも寒い場所に位置するそこにも、氷の下には遺跡が眠っている。
太陽帝国の研究所は無人大陸に5つある。そのうちのこの白い大陸にある研究所は、主にその自然環境と遺跡発掘に力を注いでいる。
氷の下に隠された歴史はまだまだ解明されていない。
シンカたちが降り立ったとき、研究所所長であるバンデクスは自らの理論を惜しげもなく彼らに語った。それに興味を示したシンカとミンクの二人は、彼について地下の研究室を訪れていた。
「この星のカンカラ王朝は、丁度地球でいう五百年前と同じ程度の文明を持っていたと考えられます。つまり、火山の噴火さえなければ地球と同じであったでしょう。」
「ふうん。そうすると、私たちも、地球人と同じくらいの世界に生きていて、もしかしたら太陽帝国に所属していたかもしれないのね。」
ミンクは、歴史に興味がある。熱心に彼の話を聴いていた。
「そうです。この遺跡は噴火の跡に大地が凍ったわけではなく、最初から氷の下に都市が築かれていたと考えられるのです。地下都市としても理想的なもので、最初にこの地の研究を始めたときには場合によっては生存者がいるのではと考えたくらいです。」
「生存者!?カンカラ王朝の!」
シンカが研究室からガラスの向こうに見える、その巨大な構築物を見ながらつぶやいた。
それらは暗闇の中でほんのりした青いライトに照らされ、凍りついた建物の柱は怪しく煌めく。ずっと遠くまで続く地下の都市は、どれだけの広さがあるのか想像もできない。迫力あるそれらはシンカの胸をぞくぞくさせた。
「どうして、滅びたのかな。」
ミンクが首をかしげる。シンカと目が合う。
バンデクスは、黒い無精ひげをざらざらなでながらニコニコ笑った。
「皆、そう思います。ここなら噴火の影響を受けはしないのではと。」
「違うの?」
バンデクスが歩き出すので、二人はその後に続く。
「残念ながら、この都市の中枢は凍結されていましてね。当時のセキュリティーがかかったままで解除できないのですよ。そこに入ることができれば簡単なんですが。まあ、情報を得るのは何も遺跡だけでなくてもいい。こちらをご覧ください。この土地の地下の氷のサンプルです。地表から垂直に二十メートルの深さまで取り出したものです。」
「うわ、長い。」
そこには、取り出した氷の十センチほどの丸い柱が、廊下に沿って横に展示されている。ガラスの向こうのそれは地表から地下へ、進むほど色が変っていく。その中に一箇所、六十センチほどの長さにわたって、そこだけ透き通った赤みの勝った部分がある。年代を見ると丁度、五百年前。
「この氷を調査しましてね。ここだけ、百年分ほどの氷を一瞬で溶かし、そして、またすぐに凍った形跡があります。この赤い色の成分を解析しましてね。」
「うん。」
見上げるシンカの吐く息は白い。
ここは寒いのだ。それでも興味深げに見つめる真剣な表情は、まだ五十代の所長をうれしくさせた。話も弾むというものだ。
「中性子が測定されたのです。」
「!?それって、放射能のってこと?」
ミンクが目を丸くする。一歩氷の柱から離れる。
「そうです。この氷の中の目には見えない小さな気泡、そこに閉じ込められた放射能が検出されたのです。それはこの都市の人々を全滅させるに十分な濃度でした。」
「ただの、噴火じゃなかったのね。」
感心するミンクの隣で、シンカはふと、開かずに閉じたあの五百年前のリュードに関するデータを思い出した。あの後解析してみた。それは誰にも明かせない情報だった。
「陛下。私たちはその当時、何が起こったのかを調べようとしています。」
そう言ったバンデクスの表情は、シンカに何かを訴えかけるように真剣だ。
彼はこの惑星が過去に葬られたものと気付いているんだ。
太陽帝国に属していたという証拠となる何かを知ったのだ。それは、調べれば分からないはずはなかった。この都市のように、当時の形そのまま残っているのであれば。
俺がその事に関して知っているかどうか、試しているのか。
「バンデクス、お前もリドラ人だったな。」
「はい。このリュードに降り立っているものは皆、リドラ人です。」
この今のリュードの大気に最も順応できる人種。地球人では一週間もたたないうちに体調を崩す。今、この惑星に常駐するリドラ人は約千人程度いる。
「リドラの歴史をどう思う?リドラ人として、今幸せか?」
シンカの身長は、バンデクスより少し低い。その蒼い瞳に見上げられて、バンデクスは目をぱちぱちさせた。予想外の質問だったのだろう。
「陛下、私はそれより今、このリュードの歴史に興味があります。」
あくまでも自らの聞きたいことを優先する。
「リドラ人のように星を追われ悲しい歴史を背負うのと、この星のように真実を知らないまま、それでもここに何とか止まって新しい歴史をつむいでいくのと、どちらが幸せなのだろう。」
シンカはさらに続けた。
「惑星リュードの真実の歴史は、今のリュード人には必要のないものだ。そうだろう?知らなくても幸せに生きていける。だから、太陽帝国のために調査する他の研究と同様、惑星開放の時から禁止するよ。」
「それは、陛下!あと十五年で、この研究所を閉鎖するということですか!?」
困った表情のバンデクスにミンクも、賛成する。
「リュードの人にも、役立つかもしれないよ。ねえ、シンカ。」
ミンクが所長の味方をしたのには、シンカは内心驚いていた。
「だめだ。リュードが、開放条件をどうするかは未定だし、今のリュードの文明に、この研究所とおなじことはできない。つまり、どちらにしろ、研究所は十五年後には閉鎖する。」
「シンカ。ひどいよ。」
ミンクが皇帝の手を取って、赤い大きな瞳でにらんだ。
睨んでも可愛い。
シンカは目を細める。
「俺はバンデクスなら後十五年も必要ないと思っている。それにね、その間は協力する。俺だってリュードの歴史に興味がないわけじゃない。」
「陛下。ご協力いただけると?」
シンカの言葉に急に顔を明るくする所長を、今度はミンクが怪訝な表情で見上げた。
「バンデクスさん?」
「いや、陛下のご協力が得られるのでしたら、それほど心強いことはありません。ありがとうございます。」
「え?でも、閉鎖されちゃっていいの?」
ミンクは、二人を見て不機嫌になる。自分だけ、意味が分からない。
「ミンク、後で話すから。」
シンカが軽くウインクしても、ミンクはすねたままだ。
「そろそろ戻ろうか。シキたちが待っている。」
ぷんと頬を膨らませたまま、銀色の髪の少女は、一人で先を歩き出す。
その後姿を見ながら、シンカは隣を歩くバンデクスに小声で話す。
「どこまで知っている?」
「この都市にセトアイラスで作られた機器が使われていました。」
低い声でささやくバンデクスに、シンカはちらりと視線を投げる。五百年前の出来事に関しては濁すつもりか。多少なりとも推測できる説があるはずだろうに。先ほどまで嬉しそうに説明していた所長が、実は知りえたすべてを話していないことにシンカは気づいた。
「そうか。多分、帝国の入植した惑星の一つだった。俺も今はそのくらいしか知らない。正直、知りたいような、怖いような気持ちなんだ。それは、あなたも分かってくれると思う。」
「歴史研究家は、研究することが仕事ですので、結果に関しては。まあ、あまり責任を負うことがありませんのでね。」
「なんだ、気楽なんだな。」
微笑む青年を、バンデクスは目を細めて見つめた。
皇帝は何かを知っている。最低限、今まで自分が前皇帝に報告した内容程度は知っているはずだ。そう確信していた。前皇帝の時代には、研究結果を素直に報告したことで、かえって研究の邪魔をされたことが何度かあった。だから今、バンデクスはすべてを話さない。しかし、この若い皇帝はこれまでの皇帝とは歴史についての見解に違いがあるようだ。
気さくな口調で話してはいるが、皇帝はその重みを十分に承知している。彼は知ることで自分に責任が生じることを知っている。歴史に責任を負うことなどは不可能だが、その過去の事実を、今どうするのかは責任がある。
今までの皇帝のようになかったことにするのが一番簡単なのだろうが。
この青年はどうするのだろうか。
バンデクスには興味のあることだった。
「地球に戻ったら、連絡するよ。」
そう言って仲間のもとに戻る皇帝を見送る。
その晩、降りしきる雪を眺めながら、シンカはミンクに話すことに決めた。
夕食の間も、ずっとミンクは不機嫌なままだったからだ。宇宙史の学位を持つ彼女にとって、歴史の研究は大切なことなのだ。シンカの考えに反発する気持ちも分かる。
窓際に立って外を眺めながら、シンカはベッドに寝転んで本を読んでいるミンクに声をかけた。
「なあに。」
まだ、その目はすねている。
「聞きたくないのか?どうして、俺がここを閉鎖するのか。」
「!聞きたい。」
駆けよって、少女はシンカの手をとった。
その手をそのまま、ミンクの肩に乗せて、シンカは抱き寄せる。
「ここ、リュードはね、あの噴火の時までは、太陽帝国に属していたんだ。」
「!どういう、こと?」
「今はその事実が分かっているだけなんだ。噴火なのか、それ以外の何かなのか分からないけれどそれが起こってから、帝国の宇宙図からこの星の座標は消された。」
「だから惑星探査の歴史がおかしいのね!」
「そうだ。」
ミンクは自分の疑問が正しかったことが嬉しいのか、満足そうに一つ息を吐いた。
「でも、そんな、惑星をなかったことになんて、出来るの?」
不思議そうに見上げるミンクに、シンカは「推論だけど」と断って話し始めた。
「今、この宇宙はたくさんの惑星がある。その中でね、自分の惑星から一度も外に出ないで一生を終える人の割合がどのくらいあると思う?」
ミンクは黙って首を横に振る。シンカは遠く白い空を眺めながら続けた。
地球とセトアイラスを除いて、それ以外の惑星では九割の人間が宇宙に出ないで終わる。さらに自分の惑星のある星系から出ることがあるのはそのうちの半分以下なんだ。
つまりね、広すぎるから、必要がない。意味もなく遠い惑星に足を運ぼうと考える人間はほとんどいないんだ。特に、わざわざ辺境の惑星に行く理由なんかない。たいてい、自らの惑星か、仕事に関係する二、三の惑星、あるいは観光で地球に来るとかね。
そうなると、このリュードは地球から今の最高速で十日はかかる。五百年前では数年かかっただろう。
「うん。多分」と頷くとミンクの髪が喉下をくすぐる。
「その上、リュードから一番近い惑星はセダ星だ。彼らは他の惑星に出かけることを極端に嫌っている。つまりね、当時のリュードに出入りする人はそう多くなかった。共通の宇宙図から座標を消されれば、まず訪れる人がなくなる。そしてリュードで生まれた人や、関係していた人たちは、リュードの事件を聞いて戻ってくるだろう。
戻ればそこで、大気に汚染される。病気になる。再び宇宙に出ることはできない。リュードを知っているものはリュードに閉じ込められ、知らないものは知らないままにされる。何かの理由で、リュードから宇宙に飛び立つ手段がなくなってしまえば、もう、リュードはなかったことになる。」
「……それは、意図的にそうされた、のかな。」
ミンクの、声は小さくなる。
「多分ね。その理由が分かったとして、ね。ミンク。それは、公開して大丈夫なものだと思うか?」
ミンクは首を横に振った。そこまでしたからには、それなりの何かがあった。
「結局、真実を知っても自分ひとりの中で消化していかなくちゃならないなら、俺は知りたくないんだ。でも、バンデクスの研究を今すぐ中止させる理由もない。」
「何でも、ね、シンカは責任を感じちゃうんだね。」
少女は額をシンカの肩に預けた。
「それでも、もし、ねえ。シンカが知ってしまって、一人で心にしまうのがつらかったら、私に話してね。私、それくらいなら役に立てるんだから。」
シンカはそっと、少女の頭に手を乗せた。
「ミンク。役に立つとかそんなこと、考えなくていいんだぞ。」
「え?」驚いて、改めて青年を見上げる。
「お前、気にしていただろ。お前がいなきゃ、俺はここに帰ってこようとは思わなかったかもしれない。でも帰ってみてよかった。感謝しているんだ。ありがとう。」
ミンクの額に軽くキスして抱きしめる。そのまま、シンカは遠くを見つめる。その視線の先をミンクも追う。
窓の外は、深い灰色の空。一日中、陽が落ちることのないこの地は、白い平原が見渡す限り広がっている。昼過ぎから続く雪は、まるで白いケーキに粉砂糖を振るように、絶え間なく静かに落ちていく。
シンカがこの星に帰りたくない気持ちは、ミンクにも理解できた。
シンカが真実だと思った記憶は嘘の上に描かれていた。
シンカは自分をごく普通の少年だと思っていた。お母さんの本当の子供で、いつか、お父さんを探す旅に出ようとしていた。それは、故郷の街デイラとともにお母さんを亡くした時に、すべて崩れ去った。
彼には遺伝子上の母親と父親はいた。けれど、はぐくまれた母体などはなかった。研究室の試験管の中で生まれた。そして、人間ではなかった。
その事実には彼自身、ひどく衝撃を受けただろう。同じくらいミンクも驚いた。ショックだった。
シンカが、少し特別なことは知っていた。けれど、それは体質とか、そう言ったものの事と思っていた。存在自体が異質なものであることなど、今でも理解しきれない。
(だって、触れれば温かく、抱きしめればキスをしてくれる。もしかしたら、赤ちゃんだって、出来るかもしれない。)
青年の横顔を、じっと見つめる。金色の緩やかにくせのある髪に縁取られて、蒼い瞳が、瞬く。その凛々しい姿に潜む不安や悲しみは、到底、誰にも理解できない。
だからミンクは、シンカが帰ろうというまでは、決して「リュードに帰りたい」などと言えなかった。
つらい、思い出と向き合う。その時期を、シンカに自分で決めてもらうために。
「おい、シンカ、ミンク。ソリの犬を見せてくれるってよ。六頭もいるんだと。」
遠慮なく部屋に入ってきた、シキの明るい声が、二人の静寂を破った。
シンカが笑う。
「ありがと、ミンク行くだろ?」
「うん。」
仲直りしているようすの二人に、シキも少し安心する。食事中からずっと気にしていたのだ。だから、深夜にもかかわらず、ミンクの好きな犬の話題を持ってきた。
***
翌日、五人は朝から、雪原に旅立った。
うす曇の天候は、不思議なくらい風が少ない。天候は回復に向かっているという。その情報を得て、シンカは出発することにした。
賢くたくましい六頭の大型犬は、白い息を凍った空気に漂わせながらソリを引く。
ミンクはその姿を愛しそうに見つめている。
温かい毛皮のコートを着て、ふわふわしたフードをすっぽりかぶるその姿はとても、可愛い。手につけたもこもこした手袋すら、愛しくシンカには映る。
彼女の肩に腕を回して、ぎゅっと抱き寄せながら、先頭に乗って犬たちを見つめる。
シンカ自身も、フードを目深にかぶり、遠目には二人とも女の子のように見える。シキはそんな二人を後ろから見守る。
さらにその後ろにカイエとレンが並んで座っている。
こちらは、対照的に、天候や気温、風や方角、そんなことを気にしてばかりいる。
シキは、二人の会話を風の音の合間に聞きながら、そ知らぬ顔をしている。この、白く広い大地にいて、その美しさに見とれもしない二人を、仕事熱心と誉める気にはなれない。
「うわ、きれい!」
ミンクの感嘆の叫びに、さすがの二人も前方を眺める。灰色の雲間から、オレンジの夕日が、遠く、氷の海を照らす。
照らされた海は、キラキラと瞬き、シンカの瞳に映る。まつげを凍らせる冷たい風も、気にせずに目をしっかり開いた。遠く海はまるで七色の雲のようにきらめき、境界線の見えない雪原とつながって広がる。雲が切れ始め、低い水平線のあたりは薄桃色の夕焼けがのぞく。
「すごいな。」
シンカは、ミンクの肩を抱く腕に力をこめる。
「空も、なんだか虹色みたい。」
そういった少女の白い息が、すぐに風に流れる。凍った息はきらきらとした氷の塵になって彼女のフードを彩る。
「うん。きれいだ。」
シンカは、正面と、横にいる少女を交互に見つめていた。
「夜は星がきれいだぞ、きっと。」
シキが笑う。
「うーん、ロマンチック。」
「ミンク、ニキも連れてこられたらよかったな。」
「ほんとね。きっと、すごくはしゃいで、走り回っちゃうよ。」
「想像できるよ、それ。」
くすくす笑う。
「そろそろ、この辺にしておこうか。シキ。」
声をかけられたシキが、犬たちを止めて、ブレーキをかける。
「ああ、そうだな。」
「でも、まだ明るいよ。」
ミンクがシンカを振り向く。
「いいんだ。レン、キャンプの準備するぞ。」
「はい。」
ぶつくさ言いながら、レンはテントを張る。男三人がテントを張っている間に、ミンクは食事を用意する。それにはカイエも手伝う。そのうちに、あたりは暗くなった。シンカは海に近づくほど、危険な動物に遭遇する確率が増えることを知っていた。だから、キャンプをするなら内陸にいるうちにする。彼が持っている衛生基準追従装置は、現在地を詳細な地図とともに表示してくれた。
火を囲んで、温かいスープを飲むと、頬が火照ってこの上なく幸せな気分だ。
さすがに、レンも美味しそうな、ほっとしたような表情を見せた。
「あ、カイエのまつげ、凍ってる。」
シンカが気付く。焚き火のオレンジの灯りに照らされて、それはきらりと揺れた。
「え、そうですか?」
「ほんと、キラキラしてきれい。」
ミンクに素直に誉められて、エージェントは照れくさそうに笑った。
「な、やっぱ、笑ったほうがいい。」
「シキったら、見るとこちゃんと見てるんだから。」
ミンクにからかわれ、珍しくシキも照れ笑いする。
「シキ。」
シンカが、静かにシキの名を呼んだ。
「!ああ。」
シキも何かを感じ取る。
「どうしたの?」
ミンクが二人の緊張を感じ取って、見回した。
「カイエ、ミンクを頼む。」
カイエは一瞬何のことか分からない様子だったが、気付いた。
何か大きな動物が近くにいる。
「複数じゃないな。」
「くま、か。」
レンはだまって、レーザー銃を取り出す。
「じゃ、やるよ。」
シンカの合図で、シキとレンは銃を構えた。
同時にシンカは手首のリングで、背後の闇を照らす。
それは、予想以上に近くにいた。
白い巨大な獣は雪山のように彼らの背後に迫っていた。
振りかざした前足は人間の子どもくらいありそうだ。
「!」
かすかにミンクが悲鳴を上げかけ、カイエがそれを抑える。
闇から突き出された鋭い一撃を、シンカはぐんと姿勢を低くして交わした。
その瞬間。
音が止む。
かすかな白い息を鼻から吐き出し、熊はぐらりと倒れてくる。
シキの銃がくまの心臓を、レンの銃が額をつらぬいていた。
ずんと、揺れたような気がする。顔を覆っていたミンクは恐る恐るフードを上げて見つめた。白いくまはすでに動かない。
凍り始めた鼻先が見る見るうちに白く変わっていった。
倒れたときの風で、焚き火は消えた。
「大きいな。」シキはうれしそうに熊の大きさを指で測っている。
「あ、犬たちは?」
ミンクが見回した。
「大丈夫だよ、つないでないから、ちゃんと逃げたさ。」
シンカが指笛を鳴らすと、静かに犬たちが集まってきた。
犬たちも匂いをかぎながら白い塊に見えるそれの周りをぐるぐると回った。
「食べてみるか?」
にっこり笑うシンカに、レンがピクリと反応した。
「冗談は止めてください。」
カイエもあきれたように若い皇帝を睨んだ。シンカは逆に驚いたように二人を見つめ返した。
「なに言ってる。貴重な食料だろ。」
「シンカ、毛皮、どうする?」
シキは既に熊をひっくり返そうとしている。
「そうだな、ちょっと重いし、毛皮は止めとこうよ。ミンク、お湯、沸かしてくれ。」
「はあい。」
慣れた様子の三人に、エージェントは見合わせる。
熊の油ですぐ切れなくなるナイフを沸かした湯で洗いながら、手際よく捌いていく二人。ミンクも肉に塩をすり込んで、砕いた氷で包む。それはすぐに凍って、固い板状になる。
「ねえ、カイエも手伝って。これ、凍ったら霜を落として、これに入れておくの。そうすると干し肉みたいになって、美味しいんだよ。ほら、地球にもあるじゃない、何とかジャーキーとかっていうの。」
「くまはありませんが。」
そう言いつつも、カイエは手伝い始める。
レンは一人くまの血の匂いに鼻をつまんで、眺めている。
「三人とも、こういうことに慣れているのですね。」
カイエがミンクの意外なたくましさに感心していた。
「うん。だって、この星にはね、電気が無いし、冷蔵庫も無いの。車ももちろんないし。旅をするって言うと、こういう事できないと食べ物に困るの。私も本当はあんまり慣れてないんだけど。三人の中ではシキが一番先生なんだ。年上だし、経験も豊富だから。」
「そうなんですか。」
「あ、そうか。カイエは知らないよね。私たち、ほんとについ四年前までは、ここで普通に暮らしていたの。宇宙のことも帝国のことも、何にも知らなかったんだよ。報道制限されていたから、きっと知らないよね。」
「はい。お二人がリュードの出身ということは伺っていました。しかし、私たちにはこの惑星の状況がわかりませんでしたので。」
「案外たくましいの。三人ともね。」
ミンクが珍しく、ウインクしてみせる。その愛らしい顔は皇帝で無くとも惹かれるものがあった。地球でよく見かける大学出の特権階級の女の子たちとは違った。
おっとりしているようで、その根底にあるものは強さを感じる。
見くびっていた。
そう、カイエは思った。