1.はじまりの予感
ようこそ、蒼い星の世界へ。
この小説は、シリーズものの続編になります。
初めての方は「蒼い星」から読まれることをオススメします♪
「ふあ」
五回目のあくびだ。
シンカはぐんと腕を伸ばした。
窓の外は日差しが濃い影を市街に落としている。
太陽系第三惑星地球。その北半球にある首都ブールプール。
そびえ立つ高層ビル群の間を縫って飛び交う自家用小型飛空挺。それらの喧騒も届かない硬質ガラスの内側は外気と摂氏二十度の差がある。特にこの都市の夏は厳しい。ビルの高層部に達するほど気温は上がる。
千メートルを越えればそこは高原のように涼しいのだろうが現在の建築技術でも千メートルは越えられない。つまり地球上で最も高層のこの中央政府ビルが同時に地上でもっとも気温の高い場所となっている。
この時期の一ヶ月、ビルの外壁には常に水が流される。その揺れるさまが陽炎のように陽光を弾きシンカの執務室の壁に映る。それらの水の大半が地上に流れ落ちる前に空中に消える。
昨日の会議が少し長引いたために今日のシンカは眠い。そのゆれる陽炎のような光につい視線が向く。じっとみてしまう。眠くなる。
まだ午後一時。先ほど大臣の一人と打ち合わせしながら昼食を済ませたばかりだ。
昨日の会議を思い出して少し気持ちが高揚した。
惑星保護同盟全体会議。
その全宇宙の惑星政府代表たちのとの会議でシンカはやっと一人前の代表として認められた気がした。
現在宇宙にはこの地球を中心とする太陽帝国とそれに属する二百十一の惑星、そして帝国に属さない九十六の惑星が「惑星保護同盟」に加盟している。それぞれの惑星から政府代表が参加し全宇宙で検討すべき議題が話し合われる。
議長は惑星セトアイラスの政府代表レイス・カストロワが就任している。シンカは太陽帝国皇帝として「惑星開発委員会」の委員長になっている。
一年かけて準備した政策をこの会議で生かせるかどうかが決まるのだ。
昨夜行われた惑星開発委員会の様子を思い出す。
会場は地球のブールプール。二十三名の委員が楕円の円卓を囲んだ。
卓の中心に表示されるホログラムの資料を見つめながら様々な議題が検討された。
シンカが提出した議題は惑星リドラについてだった。
「皆さんご承知のとおり惑星リドラは自転軸の変動により惑星の環境に壊滅的な被害を受けました。あのリドラの悲劇から既に六百年。現在リドラはこのようになっています。この資料は先月帝国惑星環境庁の調査団が報告したものです。」
シンカの説明に委員たちはホログラムに映し出された大気組成、気候、生体分布調査結果など資料を見つめる。
同時に委員らの手元の端末にも同じ資料が転送された。
「大気成分は未だにメタン成分が希薄で、リドラ人の自然呼吸に耐えるものではありませんがこの大気成分に適応した新たな生物が発生し、ここ五十年で急速に環境の改善が見られます。」新たな資料が開く。
「そして現在この惑星を覆う植物群、そして大洋の存在は過去の惑星リドラに劣らないほど豊かな生態系を形成しています。この映像は惑星リドラの大洋とその沿岸の風景です。」
会場内にどよめきが起こる。
その映像は美しかった。コバルトブルーの穏かに波打つ海。その波が打ち寄せる石灰成分の多い白い岩石。浅瀬には白い岩石にたむろする色とりどりの海洋生物の姿が認められる。
岸には黄色い葉を茂らせた大型の草にピンク色の大きな花が開いている。ここには樹木は見えないが大型の草が群生し地平を黄色いじゅうたんのように埋めていた。そこを彩る花。白い綿毛が泡のようにふわふわと風に流れる。
薄いオレンジの夕方の空。そこに漂う白い綿毛と揺れるピンクの花。美しい風景だ。
「この美しい星にリドラ人を帰したいと考えています。」
シンカのゆっくりかみ締めるように言った言葉に、委員の一人が反論した。
「まだ大気が適さないと伺いましたが。」
「リドラ人に適合する大気を持った惑星は今現在ないに等しい。同じことです。初期にはコロニーを必要とするでしょう。この計画は百年後にはリドラ人の都市を再建するというものです。目標人口は五千万人です。現在帝国では調査を続けており今後リドラ人自治政府との検討を重ねて進めたいと考えています。」
ゴホン。と議長を務めるゴデール星代表が注意を促す。
「皇帝の意見に意義のある方は挙手でお願いします。」
改めて先ほど意見を言った代表が手を挙げる。
「シアリウス代表。」
「リドラ人を帰すそれはいいとしましてそうした場合リドラ星は帝国領内となるのですか。それとも独立を認めるのですか。」
シンカが応えた。
「独立できるようになるには、およそ五百年はかかると考えられます。太陽帝国としては帝国領内として自治を認めていく方針です。どちらにしろあの星は宇宙航路上重要な位置にあります。帝国の保護を必要とするでしょう。」
惑星リドラの位置は今現在「全宇宙」と呼ばれているもののほぼ中心にある。その重要な惑星を手中に収めることで各惑星政府は優位にことを運べる。今シンカに食い下がるシアリウス星も惑星リドラを利用できれば多大な交易の利益を見込めると考えているのだろう。
「保護ですか。」
にやりと人の悪い笑みを浮べる。
「ええ帝国はこれまでも多くの惑星を保護してきています。それと同じことです。」
シンカもにやりと笑い返す。
その笑みは不思議な迫力を持つ。見た目が若いからといって侮られないだけの雰囲気を漂わせる。それは帝国の軍務官ゆずりでもある。両者が似ていると感じ取れるものは稀だが。
「これはあくまでも現在の帝国領内の事業です。それをこの議会に提言するには理由があります。この約五百年の計画となる事業を行うに当たってセダ星の人的協力をお願いしたい。」
シンカの言葉に委員たちはざわめく。彼らの視線はセダ星代表のワトノ・ロシノワに向けられた。
ロシノワは長く伸ばした白い髭をピクリと揺らしほぼ正面に座る若い皇帝を見つめた。
「人的協力とはどういう意味ですかな。」
実年齢百六十歳くらいのセダ星人は、しわの刻まれた頬をなで、その金色の瞳で青年に問い掛けた。
「セダ星人はご存知のとおり長命の種です。この五百年にわたる事業に私は専属の組織を作るつもりです。その組織をまとめる人物を派遣していただきたい。そしてその組織にはこの惑星開発委員会の皆さんにも諮問機関として参加していただきたいのです。帝国は帝国領である惑星リドラを開発する義務がある。過去の歴史からリドラ人に償わなければならない。だからこそその事業を、全宇宙の代表であるあなた方の見ている目の前で行いたい。私はまだ正式には発表されていませんが、少なくともセダ星人と同様の寿命を持ちます。私が帝位にある間、この事業は帝国の最も重要なものの一つとすることをお約束します。
現在この宇宙の約九割以上の人々が、自分の故郷の惑星を一歩も出ることなく一生を終えます。その中で唯一、リドラ人だけが自分の故郷の惑星を見ることもありません。リドラ人もその生まれた惑星に帰るべきです。ごらんのとおり惑星リドラは、その主が帰るのを待っています。
太陽帝国は、私はそのための努力を惜しまないつもりです。それが太陽帝国にできる唯一の彼らへの償いだからです。皆さんのお力を貸してください。お願いします。」
青年の蒼い瞳は真摯な光に満ち、その表情は透る声は委員たちの心に響いた。
委員の一人が手をたたく。
自然に発生した拍手の波が議場に広がった。
「ご異議ございますか。」
議長の言葉に手を挙げるものはいなかった。
「では皇帝シンカより提案のありました本件につきましては、協力を承認するということでよろしいですな。」
拍手が再び起こる。
「では次の議題に移ります。」
そう言った議長の声を遠く聞きながら、シンカは目の前にいるセダ星政府代表を見つめていた。背の高い頭の小さい老人の金色の小さい瞳がじっとシンカを見つめ返す。
シンカがにこりと微笑むと、相手はひるんで目をしばたいた。
いずれセダ星を訪ねる必要がある。
そうシンカは考えていた。
結局その他の開発事業の議案は紛糾し、一応の結尾を見るまでに翌朝三時までかかってしまった。
「みんなタフだよな。俺でもこんな眠くなるのに。」
ポツリとつぶやく。
シンカは今年二十一歳になった。
十七歳で皇帝になりようやく四年が経過した。しかし彼の金髪に縁取られた面影は即位当時と変わらない。相変わらず大きめの蒼い瞳と傷一つない白い肌。幼さの残る表情は笑うと愛嬌がある。存在感のある顔立ちだ。
その視線が壁にうつろう光の波から再び手元のホログラムに映る資料を見つめる。
ある辺境惑星のエネルギー循環炉の開発計画についての資料だ。この惑星にはまだ地球ほどの技術はない。順を追って少しずつその文明に合った発展を試みている。この惑星は一応順当に上手く行っている。
惑星の文明レベルにそぐわないほどの技術を与えてしまうと、それはその惑星人種を破滅させることがある。シンカに歴史を教える博士はその点をとても強調していた。過去に一つその事例があった。
惑星リドラ。星の環境を変えるべく、帝国はその技術を持ち込み、惑星人は富を得るために受け入れた。結果は環境の破壊リドラ人の壊滅的な被害。星は見捨てられ、惑星人は帝国の保護下に入った。その技術を求めたのは彼らだが、その危険性を知っているのは与える側だけだ。責任があるのは後者であろう。
それゆえ惑星ごとの文明レベルの統一はなかなか困難だ。
一応地球時間で言う千年後には、今現在、太陽帝国の属星となっている惑星については、地球とほぼ同様のレベルにまで引き上げていく予定だ。
文化団体のいくつかは、「それは自然な文明の進化を妨げる」といって反対する。しかし自然な文明の進化とはそもそも何かという原点に帰れば、それは環境に適応しより多くの子孫を設け時には種自体も変異して順応していくことである。今現在、宇宙の存在を知り他惑星の存在を知りえてしまった辺境惑星には、なるべく害のない範囲での文明の享受がもっとも自然な進化の過程となるのだ。
そうシンカは思う。
知ってしまったら忘れることはできない。隠すこともできない。
それは罪が重いほどぬぐいようのない血糊のようだ。
即位以来ずっと続く「宇宙の歴史」の講義は、太陽帝国皇帝という立場を持つ彼にとっては他人事ではなかった。
歴代の皇帝がしてきたこと犯してきた罪、成してきた功績。それらを知れば知るほどシンカには責任にとって変わる。
幾度となく砂をなめ、それでも絶え間なく打ち寄せる波のように。変わっていくようで変えることのできないものだ。
帝国の歴史、宇宙の歴史は。真実であろうと嘘であろうと、降り積もる雪のように絶え間なく蓄積されていく。だから時間の闇に消されているものを、敢えて日の光にさらす必要はない。晒されることで輝くものもあれば、砂のようにもろく崩れるものもあるのだから。
手元のキーボードでカチカチと操作しつつホログラムの片隅を指でかき混ぜる。それは彼が物思いにふけるときのくせだ。指に触れたところだけ、歪んだ立体映像が奇妙な虹色を見せるのでついやってしまう。