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想造世界  作者: 篤
61/62

イフィルド鎮圧戦 幕間①

 血と泥に塗れたフィルダ平原に、重く、くぐもった角笛の音が低く鳴り響いた。

 大気を震わせ、兵士たちの腹の底にまで響くその音は、イフィルド反乱軍が全軍に向けて発する「退却」の合図であった。


 その音が戦場の隅々にまで行き渡った瞬間、右翼で絶望的な防衛戦を強いていた『絶対防御』の男、グレイスの動きがピタリと止まった。彼は無表情のまま、高く掲げていた右手を静かに下ろす。


「……時間か」


 感情の起伏が一切読み取れない、機械のような声でたった一言だけ呟くと、彼はアーヴィルやブレイルら、満身創痍で膝を突くゼルグ精鋭たちに背を向けた。

 追撃などできるはずもない。アーヴィルたちは肺を焼くような荒い息を吐きながら、自分たちの命を薄氷の上で弄んでいた絶対の壁が、一切の隙を見せることなく悠然と歩み去っていく背中を、ただ見送ることしかできなかった。


「待ちなさい! 逃がす気はないわ!」


「ここで逃がしたら、またアヴィが死にかけるだろうがッ! 逃がすかよ!」


 だが、アーヴィルを守るように立っていたユインとスレイは違った。彼らは即座に闘気を再燃させ、背を向けた敵将へ向けて決死の追撃に出る。

 ユインが指先を閃かせると、極限まで圧縮された雷撃を帯びた短剣が、空気を焦がす鋭い音を立ててグレイスの背中へと殺到する。同時にスレイが大地に両手を叩き込み、数トンもの質量を持つ鋭利な巨石の槍を隆起させ、グレイスの足元から串刺しにせんと牙を剥いた。


 雷と岩の挟み撃ち。無防備に背を向けた標的に対する、必殺の同時攻撃。

 だが——グレイスは振り返りすらしない。歩みを止めることすらなかった。


 ガギィィンッ! ドガァァァンッ!!


 硬質な激突音が荒野に響き渡る。彼の背後と足元に張り巡らされた、目には見えない絶対的な「空間の壁」。ユインの雷の刃はその見えない装甲に触れた瞬間に火花を散らして無惨に弾き返され、スレイの巨石は空間の硬度に耐えきれず、自らの運動エネルギーによって粉々に粉砕されてただの砂利へと変わった。

 二人の猛将による決死の追撃を、かすり傷一つ負うことなく、歩みの一歩すら乱すことなく完全に無効化し、グレイスは悠然とした足取りのまま戦場の土煙の向こうへと消えていった。



***



 一方、左翼——。

 退却の角笛を聞いた規格外の怪物、ディアグの反応は、静かに退くグレイスとは全く違っていた。


「ヤダァッ!! ヤダヤダヤダァッ!!」


 ズガァン! バガァン! と、おもちゃを取り上げられた子供の癇癪そのままに、超速再生によって復元した巨大な魔手で、手当たり次第に周囲の岩盤や地面を滅茶苦茶に叩き割る。


「まだお兄さん壊してないもん! 今すっごく楽しいところなのにィ! なんで帰らなきゃいけないのォ!?」


 血と泥に塗れ、肩で激しく息をしながら名刀《白嵐》を構えていたエイリュウは、突然地面を転げ回って駄々をこね始めた眼前の怪物に怪訝な目を向けた。

 敵が退くというのなら、軍勢を立て直すこれ以上の好機はない。だが、ディアグの無軌道な暴れっぷりは局地的な地震を発生させており、うかつに踏み込むこともできない状態だった。


「……退却の合図か。随分とあっけない幕引きだな」


 エイリュウが油断なく距離を保ち、剣の切っ先を下げずに呟いた、まさにその時だった。


 ディアグのすぐ傍の空間が、夏の陽炎のようにグニャリと不自然に歪んだ。

 そこから、戦場の泥や血の匂いとはおよそ無縁の、一点の汚れもない軍服を完璧に着こなした青年が、まるで午後の散歩の途中のような軽やかな足取りでふらりと姿を現した。


「駄目だよ、ディアグ。我が儘を言って皆を困らせちゃあ」


「あッ! タシュア! でも僕、まだ遊びたいィ!」


 不満げに頬を膨らませて抗議する化物に対し、タシュア・イーライグはまるで愛おしい幼子をあやすような、ひどく優しい笑みを浮かべ、その禍々しい頭をポンと撫でた。


「わかるよ。でもね、楽しみは後にとっておこう? 美味しいケーキは、最後の一口に残しておく方が幸せだろう?」


「……うー。タシュアがそういうなら、わかったァ。我慢するゥ」


 タシュアの言葉に、あれほど暴れ狂っていたディアグが不満げながらも大人しく引き下がる。

 だが、そのやり取りを数メートル先で見せられていたエイリュウの胸中には、警鐘を通り越した爆発的な殺意と、かつて味わったことのある冷たい危機感が一気に跳ね上がっていた。

 あの男が、全ての元凶。数万の兵を狂わせ、死体を弄び、この凄惨な地獄を作り出した張本人。そして何より、以前にも刃を交え、その底知れぬ異常性と強大さを誰よりも知る因縁の相手だった。


「……タシュア・イーライグッ!!」


 エイリュウの瞳孔が猛禽類のように収縮する。彼は限界を迎えていたはずの肉体に鞭を打ち、残された創力と体力の全てを脚に込め、弾丸の如き初速で踏み込んだ。

 極度の消耗状態にありながらも、その踏み込みと刃筋は紛れもない達人の域。音を完全に置き去りにした《白嵐》の神速の突きが、タシュアの無防備な喉元へと一直線に迫る。


 だが——。


 キィィィンッ……。


「な……ッ!?」


 エイリュウの口から、信じられないものを見たという驚愕の声が漏れる。

 岩盤すらも容易く穿つ必殺の一撃は、タシュアの喉元に届く数センチ手前で、彼が軽く翳した「人差し指と中指の二本」に白羽取りのように挟み込まれ、微動だにせず完全に停止していた。

 タシュアの指先には極低温の氷の創術が極限まで凝縮されており、《白嵐》の白銀の刀身が指に触れた箇所から、ピキピキと音を立てて分厚い氷に覆われていく。


「エイリュウ様に何をしている!!」


「……死ね」


 主君の窮地に即座に呼応し、両脇の死角から二つの影が同時に動いた。

 ザンリが振るう巨大な長剣が暴風を巻き起こしながら側面からタシュアを両断せんと迫り、キョーリンの双剣が完全に気配を絶った死角から、タシュアの心臓を正確に穿ちに行く。

 歴戦の将三人がかりの、一切の逃げ場を封じた完璧な同時攻撃。誰もがタシュアの死を確信した。


「おっと。危ない危ない」


 だが、タシュアは悪戯っぽく微笑むと、エイリュウの剣を挟んでいた指をふっと離した。そして、まるで彼だけ重力が存在しないかのように、三人の凄まじい斬撃の交差点から、ふわりと羽毛のように後方へ跳躍したのだ。

 ザンリの剛剣は空を切り裂き、キョーリンの必殺の刃も、タシュアが先程までいた空間の残像を空しく裂くのみに終わる。

 空中に軽やかに舞ったタシュアは、地に足をつける歴戦の将三人を見下ろしながら、かつての旧友にでも再会したかのように親しげに笑う。


「おや、久しぶりだねエイリュウ。相変わらず血の気が多くて安心したよ。でも……以前僕とやり合った時より、随分と刃筋がブレているね。ディアグと遊んで、随分と消耗しているみたいじゃないか」


「貴様ァッ……!」


 エイリュウたちが体勢を立て直し、再び踏み込もうとするが、タシュアは幻影のようにさらに数メートル後方へ滑るように着地し、距離を取った。


「今日はこの辺でお開きにしよう。君たち連合軍の、見事な『勝利』だ。存分に祝杯をあげるといい」


 一分の隙もない芝居がかった一礼。

 直後、タシュアとディアグの姿が再び空間の歪みに飲まれ、今度こそ完全に、戦場の気配から消失した。


「……逃げられたか。クソッ!」


 エイリュウは地面に《白嵐》を突き立て、膝をついて荒い息を吐いた。

 勝った。敵は確かに退いた。だが、胸に残るのは勝利の余韻などではない。かつて刃を交えた時と何一つ変わらない、底知れない化け物の掌の上でただ踊らされていたという、拭いようのない屈辱と深い徒労感だけだった。



 ***



 同じ頃、後方で奇襲部隊の残党を完全に蹴散らしていたサキルとリノルも、敵軍がまるで引く潮のように一斉に退却していく様を視界に収めていた。


「退いていきますね、先輩。……どう見ても、ボロ負けして逃げるって背中じゃないですけど」


 リノルが手についた赤黒い血糊をハンカチで拭いながら、不機嫌そうに、しかし的確な直感で呟く。

 サキルの白銀の瞳にも、反乱軍の撤退がパニックによる敗走などではなく、極めて統制の取れた、計算ずくのものであることが風の気流から明確に読み取れていた。


「あぁ。奴らの撤退経路は西……フィローレ一族の本拠地である『要塞都市フィルド』だ。最初から、戦況が傾けばあそこに籠城する腹積もりだったんだろう」


 死体と生者を混ぜた悪趣味な奇襲も、強力な将による前線の足止めも、全ては連合軍を疲弊させ、自らの損害を最小限に抑えて「次の舞台」へと誘い込むための布石に過ぎなかったのだ。

 広大な盤面を支配するタシュアの思惑通りに、軍全体が動かされている。その事実が、サキルの脳裏を冷たく撫でる。


 だが、連合軍総大将ヴェルンドにとって、この光景はまたとない絶対的な好機に映っていた。

 中央を突破し、敵が完全に背を向けて敗走しているのだ。軍事の常識に従えば、ここで徹底的な追撃を行い、敵が態勢を立て直す前に息の根を止めるのが定石である。


「逃すな!! 反乱軍は完全に崩れたぞ!」


 本陣から、ヴェルンドの威勢の良い号令が戦場全体に響き渡る。


「全軍、暫しの休息の後に陣形を再編し、追撃せよ! 一気に要塞都市フィルドまで攻め上り、逆賊フィローレの首を討ち取るのだ!!」


 勝鬨を上げる連合軍の兵士たち。

 フィルダ平原を埋め尽くす大軍勢が、血の匂いを嗅ぎつけた猟犬のように陣形を前へのめり込ませ、撤退する反乱軍の背中を追って西へと動き始める。


 罠の匂いが色濃く立ち込める、難攻不落の要塞都市フィルドへの道。

 サキルは無言で剣を鞘に収めると、暗雲の立ち込める西の空を冷徹な眼差しで見据え、熱狂する追撃の波へと静かに歩みを進めた。







***




  反乱軍が、彼らの本拠地である堅牢な要塞都市フィルドへと砂塵を巻き上げて撤退を開始する中、追撃の波を一時的に押し留めた連合軍本陣には、勝利の歓喜とは程遠い、鉛のように重苦しい空気が漂う天幕が張られていた。

 次なる一手——敵を逃さず、今度こそ完全に叩き潰すための布陣を再編すべく、総大将ヴェルンドをはじめとする各軍の将が集結し、急ピッチで被害報告が行われていたのである。天幕の中は、歴戦の将たちが纏う血と泥の匂い、そして濃密な疲労感によって息が詰まるほどだった。


「——以上が、各軍の大まかな被害状況となります」


 羊皮紙の束を手に報告を読み上げる幕僚の声は、戦況の全体像を語るにつれて、とりわけ右翼の惨状に触れるにつれて、目に見えて沈み、震えを帯びていった。


 左翼を担ったアルグア軍(エイリュウ軍)。

 開戦時の総兵力三万に対し、被害はおよそ七千。数字だけを見れば決して軽くはない損害だが、あのディアグという災害の如き規格外の怪物を、エイリュウと数名の将の力だけで完全に前線に縛り付け、抑え込んだ結果である。アルグア軍は軍全体としての致命的な陣形崩壊は見事に免れており、次なる戦いに向けての余力と士気を十分に保っていた。


 中央を担ったイフィラ軍(本陣)。

 こちらは本格的な大軍同士の激突が始まる直前に敵が撤退を開始したこともあり、被害は総計で千名程度の軽微な損害に留まっている。軍としての機能は完全に無傷と言ってよかった。


 だが、問題は右翼——ゼルグ軍であった。

 開戦時二万七千を誇り、連合軍の突破口となるはずだった主力兵力は、今や一万名もの甚大な被害を出していた。荒野は彼らの流した血で泥濘と化している。

 内訳も凄惨を極める。最前線で捨て身の特攻を掛け続けたアーヴィル率いる『熾炎隊』は、四千の兵が二千四百へと激減。同じく死線を潜ったブレイル率いる『綺蓮隊』も同様に、四千から二千四百へと削り取られ、それぞれ千六百名近い兵が物言わぬ骸となっていた。

 そして何より無惨で酷かったのが、前線ではなく、本来ならば安全な後方に位置していたはずのイガート・ヴァル・ヴィリア直下軍の被害である。敵の周到な奇襲部隊の迎撃と、絶対的な壁に阻まれて前線から押し返されてきた味方の余波の直撃を受け、実に六千八百名もの兵が、為す術もなく屍と化していたのである。


「兵の損耗もさることながら……将の被害が、あまりにも深刻すぎます」


 幕僚が、まるで信じがたい悪夢でも語るかのように震える声で告げた事実。それは、イガートが自らの手足として誇る四人の腹心たちの惨状だった。

 影に潜む暗殺者、《黒蛇》セリム・ガルダ、戦死。

 豪腕で鳴らした《焔斧》バシク・トランガス、両腕の骨と筋肉を完全に粉砕され、戦闘不能。

 加えて、右翼の前線を構成する各部隊の熟練の小隊長クラスも、グレイスという『絶対防御』の壁の前に為す術なく次々と命を散らしていたのである。


「……右翼の消耗は、もはや軍としての限界を超えているな」


 広げられた戦況図を見下ろす総大将ヴェルンドの老獪な瞳が、厳しく、酷薄に細められた。

 彼は忌々しげに顔を歪め、沈黙を保っているイガートを鋭く一瞥すると、大将としての冷徹な決断を下す。


「追撃の陣形を変更する。被害が大きく、足並みの揃わぬゼルグ軍は前面から下げ、後方予備及び側面支援に回れ。追撃の先陣は、無傷のイフィラ軍本隊と、余力を残すアルグア軍が務める。異論はないな、イガート将軍」


「……承知した」


 イガートは、噛み締めた奥歯から血が滲むほどの屈辱に顔を歪めた。だが、軍の半数近くを機能不全に陥らせた責任は彼にあり、反論の余地など何一つ残されてはいなかった。


「よろしい。軍の再編と、死線を越えた兵たちの極度の疲労を回復させるため、これより半刻の休息を与える。全軍、半刻後に進軍を再開し、敵を追う! 各将は急ぎ自陣へ戻り、態勢を整えよ!」


 ヴェルンドの重厚な号令により、軍議は足早に散会となった。



 ***



 ゼルグ軍本陣。

 半刻の休息が与えられたとはいえ、急造の野戦病院と化した陣内は、ひっきりなしに運び込まれる負傷兵たちの絶望的なうめき声と、むせ返るような濃密な血の匂いが充満し、兵たちが心身を休める気配など微塵もなかった。

 中でも、総大将であるイガート・ヴァル・ヴィリアの天幕の中は、外の喧騒が嘘であるかのように、まるで重々しい葬儀場のような冷たい静寂に包まれていた。


「クソッ……! クソォォォッ!!」


 張り詰めた沈黙を破ったのは、《残風》ニリウス・スヴァリスの怒号だった。

 彼は天幕の太い柱を力任せに何度も殴りつけ、自らの血が滲む拳を強く握りしめる。


「セリムが死んだ……! あんな、わけのわからない壁野郎に、呆気なく首を撥ね落とされて……! バシクの野郎も、自慢の両腕を中身ごと潰されて、もう二度と斧を握れねえ体になっちまった……ッ! なんだあの化け物は! 俺たちの渾身の攻撃が、何一つ通用しなかったんだぞ!」


 極限まで鍛え上げた機動力と、風の創術による手数で勝負するニリウスにとって、一切の運動エネルギーを無効化し、傷一つ負わないグレイスという存在は、戦術の通じない理解の及ばない理不尽そのものだった。

 その横で、重装の巨漢である《鉄紋》ドレアス・ムヴァールが、ひどく無惨に凹み、ひび割れた自身の巨大な鋼鉄の盾を見つめながら、ギリッと悔しさに歯を軋ませる。


「……俺の盾ごと、あの見えない空間の壁で押し潰されそうになった。あいつは人間じゃねえ。ただの『歩く要塞』だ。俺たち四人がかりで全力を出しても手も足も出ず、半分が潰されたってのに……平民上がりのアーヴィルやブレイルの小僧どもが、他軍の援護があったとはいえ、前線でしぶとく生き延びてるってのが、腹立たしくてならねえ……ッ!」


 ドレアスの吐き捨てた言葉に、上座の豪華な椅子に深く腰掛けていたイガートの肩が、ピクリと不自然に跳ねた。

 イガートは手元で閉じていた扇子をゆっくりと開き、顔の半分を隠す。その表情は、表面上は名門貴族としての完璧な平静と冷徹さを装っていた。


「……見苦しいぞ、お前たち。たかが数名の手駒を失った程度で、大騒ぎするな。今回は、たまたま敵の能力との相性が悪かっただけの事。次会敵した時には、万全の策を講じて挽回すればいいだけの話だ」


 諭すような声のトーンはどこまでも静かで、冷ややかだった。

 だが——その扇子の柄を握るイガートの右手は、抑えきれない怒りと屈辱で小刻みに震え、白く関節が浮き出ている。


ーーおのれ……おのれぇぇッ! 私の……私が多額の資金と時間をかけ、手塩にかけて育て上げた直属の精鋭たちが、あんな得体の知れぬ男一人に、まるでゴミでも払うかのようにすり潰されただと!?


 イガートの胸中では、すべてを焼き尽くさんばかりのドス黒い炎が渦巻いていた。

 軍議の場でヴェルンドから「お前の軍は使い物にならないから下がっていろ」と、他将の目の前で暗に宣告された筆舌に尽くしがたい屈辱。

 自分の腹心たちが無惨に殺され、再起不能にされたというのに、日頃から虫けらのように見下していたアーヴィルやブレイルといった平民上がりの部隊長たちが、あの死線の中でしぶとく生き残り、軍の被害を食い止めていたという事実。

 そのすべてが、選ばれた名門貴族であるイガートの自尊心を、容赦なくズタズタに引き裂いていた。


「……我々ゼルグ軍は後方に下がる。今はただ、大人しく傷を舐め、この屈辱を雪ぐための牙を暗闇で研いでおけ。……よいな」


 扇子の裏側で、ギリギリと奥歯を噛み砕かんばかりに軋ませながら、イガートは残された二人の将にそう憎々しげに絞り出すように命じた。


 半刻後には、否応なしに要塞都市フィルドへの過酷な追撃が始まる。

 満身創痍で疲弊しきったゼルグ軍、そして静かだが凶悪な怒りを腹の底で燃やすイガートたちは、この重苦しい泥と血の匂いが立ち込める天幕の中で、訪れる次の死闘へのカウントダウンをただじっと聞いていた。









   








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