絶対に負けられない戦争③〜絶体絶命〜
——やはり何か……何かが引っかかる。
フェインは後方から戦場を見渡し、違和感を感じていた。
数の不利はほぼ無くなり、相対するリガイル軍の士気は最終戦ということもあって異様に高い。
このままでは遅かれ早かれリガイル軍が優勢になり、勝利するだろう。
それだというのに敵軍は積極的に状況を変えようとしておらず、受け身に近いように感じる。
指揮系統が乱れているからそんな余裕がないのかと最初は考えた。
しかしよく観察してみれば敵軍は右と左をわかつ壁を回り込んで少しずつ兵を送り、バランスを整えているのが戦力の変化を見比べてわかった。
そんな器用な真似ができる指揮系統が健在ならば一挙に兵を左へ集中させ、リガイル率いる主攻の左軍を叩くのが良策ではないか。
その場合フェインも戦力差の偏りに対して何かしらの策を出すだろう
だがシビアなタイミングが要求され、少しでも状況判断が遅れると後手に回るというリガイル軍には不利な条件だ。
もっともフェインは早くに戦場の戦力差の偏りに気付いている。
故に例えそうしたとしても悪手へと変わっていただろうが。
それはともかくとしても何故敵軍は良い手を隠しもっていながら敢えて使わず、持久戦を望むように戦場を展開しているのがやはり引っかかる。
「……レイグ、ロウ、ミア。この戦場の中心から半径百五十メートル以内に敵軍がいないかもう一度感知してくれ」
「「「了解です」」」
もし敵軍の狙いが足止めにあるのなら、援軍が盤面を叩き壊してくる可能性がある。
故に本軍に控える索敵兵に感知を頼み、今一度周囲に敵の援軍の気配がないかを確認してみようとする。
レイグは明るい水色の髪と瞳の、幼いながらも感知部隊を束ねる有能な少年兵。
ロウは鋭い一重の瞳と歯の間から覗く犬歯故に大人びてみえる、レイグと同い年の少年兵。
ミアが巻き毛と眠たげな表情が特徴的な少女兵だ。
「ロウは右、ミアは左、俺は上で感知を始めるぞ」
「うん」
「わかったわ」
戦場全体を包み込むほどの感知能力をもつ者は軍内にいない。
故に三人で感知範囲の負担を三等分して不可能を可能にしているわけだ。
といっても三人はそれぞれ十代前半という若さなのだから年の割には十分高い感知能力を有しているというべきだろう。
戦闘能力は一般兵程度だが、感知をさせたらミスもほとんどないスペシャリストだ。
そんな彼らが示すのならきっと敵の援軍を感知してくれる筈。
「……十時から二時、問題無し」
「……二時から六時も問題無し」
「六時から十時も同じく問題無し、フェイン、戦場から半径十五メートル以内に新手の敵影は感知できなかったよ」
「何?それは本当か?」
「本当だよ、感知できる敵は戦場の兵士達だけだよ」
しかし予想に反して感知網に敵はいないという報告がすぐに返ってきた。
妙だ、もし本当にそうならばあの敵軍の変化の理由がわからない。
だが同時に全幅の信頼を寄せているこの三人に限ってミスはないだろうとも思う。
それに万が一誤りがあったとしても、数の間違えでないとおかしい。
感知できないなどという初歩的なミスだけはしないと断言できる。
「すると考えられる可能性は一つだけ。だが本当にそんなことがあり得るのか?」
フェイン自身の武力は中途半端。
故に唯一優れている脳をフルに使い、あらゆる推察をする。
結果蓋然性が乏しく、半信半疑な公算が残った。
「いや、確かめてみるか……」
しかし僅かなりとも可能性があるのなら調べてみるべきである。
杞憂で済めばそれで良い。
もし本当にそのようなことが現実的に起きているのならば最悪な事態へと追いやられる。
「今から広範囲索敵を行う!前に言った通りだ!皆俺の側から離れつつも、狼狽えずに危険が生じた時は支援を頼む!」
フェインは声を張り上げ、本陣にいる兵達に端的に告げて己の周りから兵を遠ざけさせる。
そして周囲四方にある程度の距離を空け、四つそれぞれに間隔を空けて土壁を隆起させる。
それらが展開されると同時にフェインは足元に柱を作って自分も宙に跳ね上がる。
そして地上百メートルまでいって止まった。こうすれば戦場を肉眼で望観することができる。
本来は感知が使えない戦場、戦況になった際に使う方法だ。
しかし今回は憂慮するべき唯一の可能性を杞憂にする為に使ったわけである。
そうして見渡した戦場は右と左に分かれ、後方に敵本軍、さらにその奥から新手の敵が——
「なっ!?」
絶句した、あり得ない、あり得るはずがない。
一瞬見間違いかと思った。
しかしどれだけ否定したところで敵の援軍が消えるはずがない。
現実を受け入れたのは敵の援軍が戦場を俯瞰的に見渡すフェインの存在に気付いて魔術を放った瞬間だった。
「くっ!?」
我に返り、すぐに攻撃を避けようと柱から地上へと飛び降りる。
敵軍との距離は遠い故にこちらに届くにはやや時間がかかるが、悠長にはしていられない。
とはいえそのままの勢いで着地したら身体が衝撃に耐えられない。
故に柱から土の棒を植物のように生やし、枝分かれさせる。
それらを利用して地面への衝撃を低減させながら地面へと降りる。
半分ほど降下したところで敵の遠距離魔術が襲いかかってくる。
対して眼前に展開した二枚の壁が攻撃を阻み、下の自軍の兵達の援護もあって無傷で地上に降り立つことができた。
「伝令を……伝令を送れ!」
しかし息つく間もない。
立体的に動いた反動で荒く呼吸をしながらも、早く命令を伝えなければならない一心で声を絞り出した。
「敵に援軍!感知できない新手がすぐ近くまで迫ってきてる!その数推定一万。もっといる可能性もある。一度下がって態勢を立て直す!とにかく……とにかく迅速に動き出せ!!!」
フェインは常勝無敗で今まで大局的にやや不利になったことはあっても王手をかけられるほど追い詰められたことはない。
故にその伝令は今までにないほどの焦燥をはらんでいた。こうしてサキル達の最後の戦は予期せぬ展開へと向かっていく——
****************************
敵の援軍は後数分程で戦場に到着する。
しかし左軍と右軍に伝令を伝える時間程度はあるだろう。
フェインは比較的早くに疑念を抱いて看取することができた。もし敵の新手が戦場に乱入してはじめて気付いていた場合、策を練ろうにも時既に遅く壊滅的な打撃を被って一方的に蹂躙されていただろう。
だが早く気づけたとしても問題はどれだけ伝令が迅速に伝わり、早く対応できるかだ。
その点リセ達右軍、サキルやホーキフを含めた大多数の左軍には問題なく伝わった。
しかし唯一届かない者も同様にいたわけだ。
単独で敵軍の将と一騎討ちをしているリガイルである。
両将のいる中央に近付こうにも途中で攻撃を受け、声は掻き消される。
そのような状況なので、伝令兵程度の力量ではリガイルの下へ最初の一歩を踏み出すことすらままならない。
「邪魔だ。どけ!」
故にサキルや周囲の比較的余裕のある兵達が代わりにリガイル救出に動いた。
しかし敵軍の波が障害となる。
「ぐっ、まさかこいつら!?」
サキル達はリガイルの実力を信頼しているからこそ一騎討ちを任せており、敵軍もまた同様の理由だと思い込んでいた。
だがもし感知網をすり抜ける援軍で罠にかけることを前提として戦を展開していたならば、リガイルを孤立させて撤退を遅らせることが彼らの最たる目的だったのかもしれない。
フェインがここまで後手に回らされるのは珍しいどころか初めてだ。
しかし今回に限っては不可抗力というべきである。
敵に知り得ず、予測することすらほぼ不可能な一つの駒があり、そしてそのたった一つの駒が盤面を逆転させ得る力を持っていたのだから。
むしろその中で敵の援軍が到着するよりも早くに気付いたことを賞賛するべきだろう。
感知をすり抜けるという力を完全に秘匿した上で最大限に活かして戦況を激変させた敵が巧みだったのである。
その結果戦局はサキル達の不利に傾いている。
最後の戦だと息巻いていた故の高い士気は敵の援軍の存在によって半分以下まで下がり、相対的に敵兵の士気は有利な状況に立ったことで上がっていた。
加えて敵軍は今まで隠していた盾兵を前に出して、リガイルの下へと行かせぬように鉄壁の守りをみせている。
正に絶対絶命だ。
「けど……そんなの関係ない!どれだけ不利だろうと今回は……今回だけは負けるわけにはいかない!」
「そうだよ。僕達がこんなところで死んだら今まで積み上げてきた戦友達の犠牲が無駄になる!絶対に、絶対に負けるわけにはいかない!」
しかしサキルは、そして傍らの相棒ホーキフはそれら全てがどうでも良いと咆哮する。
客観的な事実として不可抗力で仕方がないとわかればそれで良い。
その上で絶対的不利な状況に陥ったとしても、この最後の戦だけは絶対に負けるわけにはいかないのだ。
ここで負けては今までの犠牲者に顔向けできない。
だからこの程度で絶望などしてやるものか。
「そうだ……今までの犠牲は何だったんだ!全てを無駄にしない為にも負けるわけにはいかない!」
「ああ、ちょっとくらい不利になったからなんだ!まだ死んでないならなんとでもなる!」
「見てて兄さん……僕達は絶対に負けない!」
「さっさとリガイル様を助けて勝ってやろうぜ!」
そのサキルの強い想いが周囲に伝播し、波動となって皆を突き動かす。
そうしてサキル達は決死の救出戦を始めた。
——やはり、何かが引っかかる。
フェインは後方から戦場を見渡し、違和感を覚えていた。数の不利はほぼ解消され、リガイル軍の士気は最終戦ということもあり異様に高い。
このままでは、遅かれ早かれリガイル軍が優勢となり、勝利するだろう。
それにもかかわらず、敵軍は積極的に状況を変えようとせず、受け身に近い戦い方をしているように感じられる。
最初は、指揮系統が乱れているために余裕がないのかと考えた。
しかし、よく観察してみると、敵軍は右と左を隔てる壁を回り込んで少しずつ兵を送り、バランスを整えていることが戦力の変化から見て取れた。
そんな器用な戦術が可能な指揮系統が健在であるならば、一挙に兵を左翼に集中させ、リガイル率いる主攻の左軍を叩くのが良策ではないか。
その場合、フェインも戦力差の偏りに対して何らかの策を講じるだろう。
だが、シビアなタイミングが要求され、少しでも状況判断が遅れれば後手に回るという、リガイル軍にとって不利な条件となる。
もっとも、フェインは早くから戦場の戦力差の偏りに気付いている。故に、例えそうしたとしても、悪手へと変わっていただろう。
それはともかく、敵軍が良い手を隠し持っていながら敢えて使わず、持久戦を望むように戦場を展開していることが、やはり引っかかる。
「……レイグ、ロウ、ミア。この戦場の中心から半径百五十メートル以内に敵軍がいないか、もう一度感知してくれ」
「「「了解です」」」
もし敵軍の狙いが足止めにあるのなら、援軍が盤面を覆す可能性がある。故に、本軍に控える索敵兵に感知を依頼し、今一度周囲に敵の援軍の気配がないかを確認する。
レイグは明るい水色の髪と瞳を持つ、幼いながらも感知部隊を束ねる有能な少年兵。ロウは鋭い一重の瞳と歯の間から覗く犬歯が特徴的で、大人びて見えるレイグと同い年の少年兵。ミアは巻き毛と眠たげな表情が特徴的な少女兵だ。
「ロウは右、ミアは左、俺は上で感知を始めるぞ」
「うん」
「わかったわ」
戦場全体を包み込むほどの感知能力を持つ者は軍内にいない。故に、三人で感知範囲の負担を三等分し、不可能を可能にしている。
とはいえ、三人はそれぞれ十代前半という若さながら、十分高い感知能力を有している。戦闘能力は一般兵程度だが、感知においてはミスもほとんどないスペシャリストだ。そんな彼らが示すのなら、きっと敵の援軍を感知してくれるはず。
「……十時から二時、問題無し」
「……二時から六時も問題無し」
「六時から十時も同じく問題無し。フェイン、戦場から半径百五十メートル以内に新手の敵影は感知できなかったよ」
「何?それは本当か?」
「本当だよ。感知できる敵は戦場の兵士達だけだよ」
しかし、予想に反して感知網に敵はいないという報告がすぐに返ってきた。妙だ。もし本当にそうならば、敵軍の変化の理由がわからない。だが同時に、全幅の信頼を寄せているこの三人に限ってミスはないだろうとも思う。それに、万が一誤りがあったとしても、数の間違いでないとおかしい。感知できないなどという初歩的なミスだけはしないと断言できる。
「すると考えられる可能性は一つだけ。だが、本当にそんなことがあり得るのか?」
フェイン自身の武力は中途半端。故に、唯一優れている頭脳をフルに使い、あらゆる推察をする。結果、蓋然性が乏しく、半信半疑な公算が残った。
「いや、確かめてみるか……」
しかし、僅かでも可能性があるのなら調べてみるべきである。杞憂で済めばそれで良い。もし本当にそのようなことが現実的に起きているのならば、最悪な事態へと追いやられる。
「今から広範囲索敵を行う!前に言った通りだ!皆、俺の側から離れつつも、狼狽えずに危険が生じた時は支援を頼む!」
フェインは声を張り上げ、本陣にいる兵達に端的に告げて己の周りから兵を遠ざけさせる。そして、周囲四方にある程度の距離を空け、四つそれぞれに間隔を空けて土壁を隆起させる。それらが展開されると同時に、フェインは足元に柱を作って自分も宙に跳ね上がる。そして、地上百メートルまで上昇して止まった。こうすれば、戦場を肉眼で見渡すことができる。本来は感知が使えない戦場、戦況になった際に使う方法だ。しかし、今回は憂慮するべき唯一の可能性を杞憂にするために使ったわけである。
そうして見渡した戦場は、右と左に分かれ、後方に敵本軍、さらにその奥から新手の敵が——
「なっ!?」
絶句した。あり得ない。あり得るはずがない。一瞬、見間違いかと思った。しかし、どれだけ否定したところで、敵の援軍が消えるはずがない。現実を受け入れたのは、敵の援軍が戦場を俯瞰的に見渡すフェインの存在に気付き、創術を放った瞬間だった。
「くっ!?」
我に返り、すぐに攻撃を避けようと柱から地上へと飛び降りる。敵軍との距離は遠いため、こちらに届くにはやや時間がかかるが、悠長にはしていられない。
とはいえ、そのままの勢いで着地したら身体が衝撃に耐えられない。故に、柱から土の棒を植物のように生やし、枝分かれさせる。
それらを伝って着地の衝撃を緩和しながら、フェインは地上へと降り立った。
半ばほど降下したところで、敵の遠距離創術が彼を狙って放たれる。
即座に二重の土壁を展開してこれを防ぎ、加えて下に控えていた自軍の援護もあって、フェインは無傷のまま地上へと帰還する。
「……伝令を! 伝令を送れ!」
激しい動きの反動で息を荒げながらも、フェインは必死に声を張り上げた。
その叫びには、かつて常勝無敗の軍師として名を馳せた彼がかつて抱いたことのない焦燥が滲んでいる。
「敵に援軍! 感知できない新手が、すぐ近くまで迫ってきている! 数は推定で一万……いや、それ以上の可能性もある! 一度退いて態勢を立て直す! とにかく、迅速に動け!!」
こうして、サキルたちの“最後の戦”は、予期せぬ展開へと大きく舵を切った。
****************************
敵援軍の到着まで、残された時間はわずか数分。
しかし、伝令を各部隊へ届ける余地はまだある。
フェインは感知網をすり抜けるという異常な手段に早々と気づけたことで、最悪の事態は避けられた。
もし敵が戦場に乱入してから気づいていたなら、立て直す間もなく壊滅に追い込まれていたであろう。
だが、問題はそこから先だった。
いかに早く伝令を届け、全軍を動かせるかが鍵である。
右軍のリセ、左軍のサキルやホーキフをはじめとした主要戦力には無事伝わった。
だが、ただ一人、伝令の届かない者がいた。
――敵将との一騎討ちを続けるリガイルである。
両軍の中央で剣を交える彼の元へ近づこうとすれば、激戦の奔流に押し流され、声も刃も掻き消される。
伝令兵の力量では、彼の元へ辿り着くことすら叶わない。
「邪魔だ……どけ!」
そのため、比較的余裕のある位置にいたサキルや数名の兵がリガイルの救出に向かった。
しかし、彼らの行く手を敵兵が塞ぐ。
「くっ、まさか……!」
サキルは信じていた。リガイルの力量も、敵軍が一騎討ちを正々堂々見守っているという前提も。
だが――もし最初から援軍ありきの戦略だったとすれば、リガイルの孤立こそが敵の狙いだったのではないか?
フェインがここまで後手に回されるのは、未曾有のことだった。
それほどまでに、今回の敵は「感知をすり抜ける」というただ一つの駒を完璧に活用し、戦況を引っ繰り返そうとしていたのだ。
むしろ、この異常事態に早期に気付けたフェインの洞察力を称賛すべきだろう。
だが現実として、戦局はサキルたちの劣勢へと傾いている。
士気は落ち、敵の盾兵が鉄壁の防御でリガイルの元へと続く道を完全に封じている。
状況は、まさに絶体絶命。
だが――
「……けど、そんなの関係ない! どれだけ不利でも、今回は……今回だけは、負けるわけにはいかない!」
「そうだよ、ここで死んだら、これまで犠牲になってきた仲間たちに申し訳が立たない! 絶対に、負けるわけにはいかないんだ!」
サキルが吼える。ホーキフが叫ぶ。
二人の叫びは波紋のように広がり、兵たちに勇気を取り戻させる。
「今までの犠牲は、なんだったんだ……! 全部を無駄にしないためにも、ここで止まるわけにはいかない!」
「ああ……少しくらい不利になったからってなんだ! まだ俺たちは死んじゃいねぇ!」
「見ててくれよ、兄さん。僕らは絶対、負けない!」
「よし、行こうぜサキル! リガイル様を救って、勝ってやるんだ!」
それはまるで、沈みかけた船に灯る最後の炬火のような輝きだった。
サキルたちは、再び命を賭して、絶望を打ち破るための「救出戦」へと身を投じる――。
――敵軍は、盾兵を前衛に、創術に長けた後衛を控えさせるという基本中の基本とも言える守備陣を敷いていた。だがそれだけに、そう容易くは崩せない。
自軍の士気を高めたサキルであったが、冷静さは失っていなかった。むしろ今まで以上に思考は研ぎ澄まされている。なぜなら、この士気の高揚が一時の幻想に過ぎない可能性が高いと理解していたからだ。
「夢」があるからこそ人は動ける。だが「現実」の壁に突き当たれば、その勢いは容易く崩れる。いま一度は立て直した士気も、次はそうはいかないだろう。
ゆえに、賭けるはこの一度きり――失敗すれば総崩れ、成功すれば戦局が開ける。だが、現状ではこの守備を単独で崩せる者はいない。
唯一、状況を覆し得るとすればホーキフだ。だが――
「ごめん。消耗しすぎて……創術はもう無理かも」
彼は限界だった。先の混戦で味方を守るため、無理を重ねた反動で創力を使い果たし、体力も尽きかけていた。
「……ならば全員で活路を見出すしかないな」
他に道はない。
「待って、サキル。皆で動くとしても、こんな乱戦じゃ意志の疎通も難しいし、下手に指示を出せば敵にも意図が伝わる。勢いだけじゃ崩せないよ!」
ホーキフの指摘は的確だった。曖昧な号令は逆効果になりかねない。士気が落ちればそれまでだ。だからこそ、次の一手は絶対に誤れない。
「……いや、指示は出さない。敵にこちらの意図を悟らせたくない」
「えっ……でも、それじゃあ……もう前列がぶつかる、時間が――!」
「信じてくれ。敵の後衛、創術に気をつけろ! 全員、突撃だ! この陣を破って、必ず将を助ける!」
「おおおおおおおおっ!」
サキルの叫びに、軍の士気がさらに爆ぜる。
「ふん、士気だけで何ができるか教えてやれ!」
だが、敵の守備陣はびくともしない。
「……ホーキフ、俺の左――一メートルほど離れた位置から敵の盾に向かって突撃してくれ。突破するふりだけでいい、囮になってほしい」
「……わかった。理由は聞かない。ただし、無茶はするなよ、サキル」
策は非情に見えるかもしれない。だがサキルが心を痛めていないわけがなかった。仲間を犠牲にして勝つ戦など本意ではない。それでも、やるしかないと決断した。ホーキフも、すべてを理解していた。
「さぁ、形勢逆転といこうか」
サキルは、フェインに次ぐ才覚を持つ。そして軍略の初歩は、フェインから直接学んでもいた。現場で状況を分析し、好機を掴むのは、彼の本領である。
全軍突撃は敵の意識を偏らせるための布石だった。犠牲を伴ったが、それを無駄にはしない。敵陣の観察を続け、次の手に備える。
――もう一手。これが決まれば、戦局は変わる。
「後は任せたよ、サキル」
ホーキフが、まるでサキルの策を読み取ったかのような絶妙なタイミングで前へ飛び出した。彼が目立つことで、敵の意識は完全にそちらに集中する。
「死ぬなよ、ホーキフ……」
祈るように呟き、サキルも走り出した。
「っっっ!!」
ホーキフと皆が作り出した隙を逃さず、盾と盾のわずかな間隙へと剣を突き立てる。
「ああああああああっ!!」
裂帛の気合いとともに、盾の間を無理矢理こじ開けた。そして勢いを乗せて足を振り抜き、内側から盾を吹き飛ばす。
「なっ!?」
敵の反応は予想以上に速く、槍が隙間から飛び出す。身を捻って避けるが、完全には逃れられず、鋭い刃が肉を抉った。
「ぐっ……!」
痛みが全身を走る。それでもサキルは止まらない。
「この程度で……止まってたまるか!」
血を吐くように叫び、脚に力を込めて蹴り抜く。創力を活性化させ、盾の内側へ衝撃を叩き込む。
「シッ!!」
爆ぜる脚力が盾を吹き飛ばし、ついに敵の守備陣に穴を開けた。
「何をしている! 早く立て直――」
遅い。崩れた守備陣を前に、敵は混乱し、対応が遅れる。
――これで、すぐにでもリガイルの下へ――
だがその刹那、鋭い声が響いた。
「放て!!!」
弓兵の一斉射がサキル達を襲う。
「くっ……俺達の進行を読んで、罠を張っていたのか……!?」
放たれた矢により進軍は鈍る。敵はその間に再び守備を整え始めた。
「魔術で迎撃しろ! 立て直させるな!」
咄嗟に命じたが、雨のように降り注ぐ矢の中で冷静に創術を練れる者などいない。
――なぜ、これが読めなかった。俺も焦っていた……。
歯を食いしばる。だがその瞬間、鋭い声が響く。
「シッ!!!」
水の刃が、弓兵を一気に薙ぎ払った。
――ホーキフの術……だと?
サキルが視線を向けると、そこには倒れ伏すホーキフの姿。身を削って放った、最後の一撃だった。
「俺は……何をやっている……」
悔恨が滲む。だが、今は立ち止まってはいけない。
「皆、俺に続け!」
贖いは今この場で果たす。策などない。ただ守るために、戦う。
その想いが、サキルの中で力を覚醒させた。
「なっ、こいつ!? ぎっ……!」
「矢を……!? こんなの、情報に……!」
迫る矢は、彼に届くことなく弾かれた。まるで不可視の壁があるかのように。
違和感はある。しかしいまは考えている暇などない。力があるなら、それを使うだけだ。
新たな力を武器に、サキルは突き進む。
「囲んで串刺しにしろ!」
声が飛ぶが、それも無意味。サキルは止まらず、弓兵を次々と斬り裂いた。すぐに味方も続き、敵陣は完全に瓦解する。
だが、まだ終わりではない。急ぎ、リガイルのもとへ向かわねば。
――ホーキフは……無事か。
一瞬、その安否が胸をよぎったが、首を振って振り切る。
「ホーキフ……頼む、無事でいろよ……」
今は進むべき時。仲間に背を預け、サキルは疾駆する。
「リガイル様! フェインからの伝令です! 敵援軍の接近を確認! 一度退いて、態勢を立て直すべきです!」
その叫びと共に、サキルは一騎討ちの場へ飛び込んだ。




