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想造世界  作者: 篤
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イフィルド鎮圧戦④

 サキルの号令と同時に反転し、迫り来る数万の別働隊へと牙を剥いた連合軍右翼の後衛部隊。

 乱戦の火蓋が切られようとしたその瞬間、サキルの白銀の瞳が、敵陣の先頭を駆ける「二つの異様な存在」を捉えた。


「……嘘だろ」


 サキルの口から、微かな驚愕が漏れる。

 砂塵を切り裂いて現れた敵将の姿。それは、見間違えるはずもない。

 かつてスロイデル城を護る最強の盾であった男たち——治安維持部隊総隊長フィリッド・スクレードルと、副隊長エイン・トラデルだった。


 しかし、その瞳に生気はない。

 底なしの沼のように濁りきった虚ろな眼差し。彼らは『再厄』——タシュアによって拉致され、自我を破壊され、完全に操り人形と化していたのだ。


 ーーまずいな……。


 サキルは瞬時に脳内で盤面を弾き直す。

 彼ら二人の実力は本物だ。フィリッドの『不可視の複合弾丸』とエインの『ガード不能の空間切断ナイフ』。この二人が連携して部隊に突っ込んでくれば、即席の防衛線など紙切れのように粉砕される。


 ーー俺とリノルで将戦に持ち込み、二人を抑え込むしかない。


 だが——もし俺が前線の将戦にかかりきりになれば、ここにいる数万の軍全体を指揮し、防衛線を維持する者がいなくなってしまう。

 将を討ったところで、操られた兵士たちが止まるとは限らない。指揮官不在の陣形は、いずれ数の暴力に押し潰される。


 前に出るべきか、指揮に徹するべきか。

 サキルがそのジレンマに一瞬の逡巡を見せた、その時だった。


「どけ、平民上がり。貴様の指揮など見苦しくて見ておれん」


 尊大で、苛立ちに満ちた声がサキルの背後から投げかけられた。

 振り返ると、そこにいたのは連合軍右翼の総大将、イガート・ヴァル・ヴィリアである。


「イガート様!?なぜここに?」

「まさか我々を助けにきてくださったのか……」


 周囲の兵がざわつき始める。

 彼は本陣からわざわざ出張り、不快げに顔を歪めていた。


「我らが前線で足止めを食らい、あまつさえ後方の危機を平民如きに救われ、借りを作るなど……我慢ならん屈辱だ。ここの指揮は私が執る」


 イガートは忌々しげにサキルを睨みつけると、扇をバサリと広げて自軍へと号令を飛ばす準備に入った。

 傲慢な貴族特有のプライド。しかし、彼がゼルグ軍の総大将を張るだけの指揮能力を有していることは紛れもない事実だった。


「だから貴様は、あの目障りな操り人形どもと遠慮なくやり合ってこい。……まさか、負けるとは言わんよな?」


「……身に余る光栄です、イガート将軍」


 サキルは恭しく一礼する。

 しかしその内心では、不敵な笑みを浮かべていた。


 ーー好都合だ。これで心置きなく暴れられる。


 サキルは剣を構え直し、傍らで待機する少女へと視線を向ける。


「リノル、お前は俺の『前』に出ろ。先陣を切って奴らを削れ」


「……承知しました」


 サキルは冷静に戦術を告げる。

 リノルの操る《重水》は、広範囲を制圧できる反面、味方を巻き込む危険性が高すぎる。未完成な連携でサキルが前に出れば、彼女は誤射を恐れて全力を出せなくなる。

 それがわかってるからそこ彼女も何も言わず従ったのだろう。


「お前の背中は俺が護る。だからお前は、前方の敵だけを見て《重水》を全力でばら撒け。出し惜しみはするな」


「……はいっ! やります!」


 リノルが覚悟を決め、小柄な身体を前衛へと躍り出させた。

 それを合図にしたかのように、虚ろな瞳のフィリッドとエインが、無言のまま恐るべき速度で殺到してくる。


 ヒュンッ!


 エインの指先が微かに動いた瞬間、四本のナイフが虚空を蹴って飛来した。

 上下左右、不可解な軌道を描いてリノルの死角へと迫る。ガード不可能な空間切断の刃。


「見えているぞ」


 サキルの《白銀の瞳》——風と視野を擬似共有するその眼には、背後や頭上から迫るナイフの物理的な動きすらも、まるで複数の視点から同時に覗き込んでいるかのように死角ゼロで捉えられていた。

 サキルはリノルの背後から滑り出るように身を乗り出し、刃が空間を削り取るコンマ一秒手前、その側面に剣の腹を正確に打ち据えた。


 ガキンッ!


 激しい火花が散り、エインのナイフの軌道が強引に逸らされる。

 だが、安堵する暇は一瞬たりともなかった。


「なっ……!?」


 弾き飛ばされたはずのナイフは空中で瞬時に体勢を立て直し、すぐさまUターンしてサキルの背後から再び襲いかかってきたのだ。

 一本ではない。残り三本も同様に、蜂の群れのように執拗に群がり、何度弾き落としても無限の軌道を描き続ける。


「リノル、正面三メートル上空! 壁を作れ!」


「重水壁!」


 サキルが飛び交うナイフを剣の腹で乱打しながら鋭く指示を飛ばし、リノルが即座に反応する。

 彼女が両手を突き出すと、正面の空間に、どす黒く淀んだ《重水》の分厚い壁が瞬時に形成された。


 ドゴォォォンッ!!


 直後、リノルの張った重水壁の表面で、凄まじい爆発が起こった。

 フィリッドの放った『不可視の複合弾丸』が着弾したのだ。通常の見えない衝撃波であれば、水ごと吹き飛ばされていただろう。

 だが、《重水》は通常の水より質量が約一割ほど重い。極限まで高密度に圧縮された重水デューテリウム・オキサイドの液状装甲に突っ込んだ瞬間、見えない弾丸はその異常な質量差と粘度に運動エネルギーを殺され、威力を完全に削がれてポチャリと崩れ落ちた。


「風の乱れで弾道は読める! そのまま押し潰せ、リノル!」


 サキルの眼は術式そのものを視ているわけではない。だが、フィリッドの見えない弾丸が空気を引き裂き、風を押し退ける「不自然な気流の空白」を視覚化することで、その軌道を完全に先読みしていたのだ。


「はいっ! 散れ——《重水雨》!!」


 リノルが両腕を振り抜く。

 壁となっていた大量の重水が、今度は無数の散弾となってフィリッドとエインへと降り注いだ。


 フィリッドは咄嗟に地面を蹴り、強大な《不可視の衝撃》を上方へ放って重水の雨を吹き飛ばそうと試みた。

 空気が爆ぜる轟音と共に、猛烈な突風が巻き起こる。しかし、質量を増した重水の散弾は、衝撃波の風圧を強引に貫通してきた。


 ジュゥゥゥッ……!

 防ぎきれなかった数十滴の重水が、フィリッドとエインの皮膚に直接付着し、急速に体内へと浸透していく。

 それは酸のように肉を焼き溶かすわけではない。もっと静かで、不可逆的な「死」の進行だった。


 体内の水分が重水へと置換されていく。

 通常の水素結合よりも強固な重水素の結合が、彼らの体内のタンパク質を変性させ、酵素反応を狂わせる。細胞分裂に必要な紡錘体は破壊され、生命活動そのものが根本から強制終了させられていく。致死的な重水中毒——急性的な代謝崩壊である。


「そこだ!」


 生体機能が停止し、敵の足が止まる。その決定的な隙を突き、重水の雨の奥からサキルが一直線に踏み込んだ。

 白銀の剣閃が、代謝毒によって細胞が死滅し始めたフィリッドの首筋を捉える——はずだった。


「——っ!?」


 サキルの剣が届く寸前、フィリッドは信じられない行動に出た。

 強烈な重水中毒により、彼の皮膚は蒼白から赤黒い斑模様へと変色し、体内では毛細血管が破裂し始めている。神経伝達物質が異常をきたし、全身の筋肉が痙攣を起こしているにも関わらず——彼は表情一つ変えずに、そのまま前傾姿勢でサキルの懐へと突っ込んできたのだ。


 痛覚がない。自我を破壊された操り人形には、重水がもたらす激しい目眩も、内臓が機能停止していく吐き気も、一切関係ない。

 フィリッドは、自らの細胞がボロボロに崩壊していく激痛を完全に無視し、神経が焼き切れて痙攣する右腕を強引に動かし、サキルの腹部へと突き出した。


 ーー至近距離での衝撃波……!


 サキルは咄嗟に剣を盾にして防御姿勢をとる。

 ズガァァァンッ!!

 生物として既に死に体であるはずのフィリッドの掌から放たれた不可視の爆撃が、至近距離でサキルを吹き飛ばした。

 サキルの身体が宙を舞い、荒野の赤土を転がって激しく咳き込む。剣で威力を殺さなければ、内臓が破裂していた。


「先輩!!」


 悲鳴を上げるリノル。だが、彼女にも休む暇は与えられない。

 エインだ。彼もまた、重水の浸透によって両目から血の涙を流し、足元をふらつかせながらも、虚ろな瞳のまま指先を指揮者のように振るい続けている。


 空間を切り裂く四本のナイフが、今度はリノルへと牙を剥いた。

 リノルは慌てて周囲に重水の防壁を展開するが、エインのナイフは物理的な装甲を無視する。重水の壁ごと空間を削り取りながら、彼女の防衛線をジリジリと突破していく。


「くそっ……化け物どもが!」


 サキルが血の味のする唾を吐き捨て、再び戦線へと復帰する。

 風の視界が、死角から回り込むナイフの軌道も、空気を歪めて放たれる不可視の弾丸も、すべて教えてくれる。見切ることはできているのだ。


 だが、身体が追いつかない。

 本来なら、致死量の重水を浴びた時点で人間は動けなくなる。代謝が停止し、細胞が死に絶え、昏倒するはずなのだ。いかに強力な幻術や精神支配で脳を操り、痛覚を麻痺させていようと、生命活動の基盤である「化学的なエンジンの破壊」だけは気合いや精神論で無視できるものではない。


 しかし奴らは、完全に生物としての限界を越え、自らの肉体をただの「使い捨ての武器」として駆動させ、無茶な特攻を延々と繰り返してくる。


「リノル、防御を固めろ! 不用意に重水をばら撒くな!」


「は、はいっ! でも、先輩! このままじゃ……!」


 リノルは悲痛な声を上げ、可憐な顔を歪ませる。

 健気な後輩の言う通りだった。彼女の重水は、味方にも絶対的な脅威となる。もしフィリッドの衝撃波で重水が弾き飛ばされ、背後で戦う味方の兵士たちの肌に触れれば、瞬く間に味方の陣営に致死の重水中毒が蔓延してしまう。

 常に周囲への被害を計算し、毒の飛散を抑えながらの「良い子」の立ち回りは、サキルとリノルの神経をひどくすり減らした。


 斬っても止まらない。代謝を破壊しても、肉体が完全に崩れ落ちるまで止まらない。

 サキルは風の気配を頼りにエインのナイフを二本同時に弾き落としながら、背後に迫るフィリッドの不可視弾丸を紙一重で回避する。その直後、死角から回り込んだ三本目のナイフがサキルの肩口を浅く切り裂いた。


 サキルの肩から生暖かい鮮血が舞う。

 その血の飛沫を見た瞬間——サキルの脳内で、一つの決定的な「違和感」がパズルのように組み合わさった。


 ーー……血?


 サキルの白銀の瞳が、目前で狂ったように術式を連発するフィリッドの肉体を凝視する。

 先ほどの攻防で、サキルの剣は確かにフィリッドの首筋を浅く切り裂いていた。重水によって爛れた肉の奥、頸動脈が通っているはずの場所だ。

 だが、そこから血は「噴き出していなかった」。ただ、淀んだ沼の水のように赤黒い液体が、重力に従ってダラダラと垂れ流されているだけだ。


 さらに、風の視界。

 周囲のあらゆる気流の乱れを捉えるサキルの眼は、当然ながら人間の「呼吸」が生み出す微細な空気の出入りも視覚化できる。

 しかし、これほど激しく動き回り、異常な量の術を行使し続けているというのに——フィリッドの口元からも、エインの鼻先からも、呼気の風が一切生じていなかった。


 呼吸をしていない。

 心臓が動いていない。

 重水による代謝崩壊(細胞の死)を受けても活動を停止しない。


「……幻術や精神支配で操られてるわけじゃない。こいつら……」


 サキルの喉から、ひどく掠れた声が漏れる。

 かつてスロイデルを護った気高き英雄たち。そのなれの果てを前にしても、サキルの心に「怒り」が湧き上がることはなかった。

 彼の内にある灼熱の憎悪と殺意は、すべてを奪った復讐の標的——ディアグとグレイス——にのみ向けられている。それ以外の何者に対しても、サキルはどこまでも冷徹な観察者であり、氷のように理知的な軍師でしかなかった。


「……幻術や精神支配で操られているわけじゃない。こいつら、もう『死んでる』な」


 サキルの口から漏れたのは、ただの事実確認としての平坦な声だった。

 彼らはタシュア、あるいは別の何者かによって既に殺害され、その亡骸に術式を無理やり組み込まれ、外側から創力で動かされているだけの「純粋な死体オブジェクト」だ。


 周囲を見渡せば、味方の兵士たちは別働隊の対処に追われ、サキルたちから大きく距離を取っている。

 ここには今、実質的に自分とリノルの二人しかいない。


「リノル。重水で『毒殺』しようとするな。こいつらに代謝機能はない」


 サキルのその淡々とした報告を聞いた瞬間だった。


「…………え?」


 リノルの顔から、健気で必死な「可愛い後輩」の表情が、スッと抜け落ちた。

 代わりに浮かび上がったのは、絶対零度のように冷たく、ひどく不機嫌で、底意地の悪いどす黒い瞳。


「……あー。なるほど。そういうことですか」


 先程までの上擦った高い声はどこへやら。リノルの唇から、地を這うような低く冷めた声が漏れる。

 彼女は鬱陶しそうに前髪をかき上げると、重水で爛れながらも突っ込んでくるかつての英雄たちを、まるで道端の汚物を眺めるような目で見下した。


「チッ……なんだ。生きた人間様かと思って、周りに被害が出ないようチマチマ気を使って損しましたよ。ウザッ」


 彼女の外面は完璧だ。他者がいれば可憐で優秀な部下を演じきる。だが、サキルと二人きりの盤面で、しかもこれほどの死地となれば、被っていた猫を大事に抱えている余裕も理由もない。


「ただの『動く粗大ゴミ』なら、最初からそう言ってくださいよ、先輩。スマートにやる必要、ないってことですよね?」


「あぁ。毒が効かないなら、物理的に関節と骨を粉砕するしかねえ。遠慮はいらん、やれ、性悪女」


「誰が性悪ですか、ぶっ殺しますよ」


 リノルはサキルの軽口に悪態をつきながら、両腕を大きく広げた。

 彼女が殺意を剥き出しにして《重水》の形態を「超質量の鈍器」へと変えていく間、サキルは迫り来るエインの空間切断ナイフを紙一重のステップと剣の腹で凌ぎながら、自らの《白銀の瞳》——風の視界を通して、戦場全体の「ギミック」について極めて冷静な思索を巡らせていた。


ーー目の前にいるこのふたりは、間違いなく死体だ。だが、背後に控え、陣形を組んで殺到してくる反乱軍の一般兵たちは違う。


 気流の乱れが教えてくれる。背後の数万の兵士たちは荒い息を吐き、心臓を脈打たせ、生きた人間としての生体反応を完全に保ったまま、熱に浮かされたような狂乱状態で剣を振り回しているのだ。


ーー生者と死者の混在。なぜそんな面倒な真似をする?


 サキルの明晰な頭脳が、刃を躱しながら無機質に最適解を弾き出していく。


 仮説の一つは『術の処理能力リソースの限界』だ。生きている人間を幻術で操る場合、術者がやるべきことは脳にバグを書き込むだけでいい。創力の生成も術の発動も、操られている兵士の『生きた肉体』が勝手に自動処理してくれる。


 だが、死体は違う。大元の創力供給から、フィリッドの不可視の複合弾丸のような複雑な術式の演算まで、すべて術者がマニュアル操作で遠隔入力リモートコントロールしなければならない。


 これほど高度な固有術式を、死体を通して他人が完璧に再現して操る。それは常軌を逸した精密作業だ。数万の死体でそれを実行するのは不可能。だから死体操作は「強力な固有能力を持つ一握りの将」に限定し、残りはコストの安い「生者の幻術操作」で補っている。


 ーーいや、もう一つの可能性もある。そもそも『術者が別々』である可能性だ。


 サキルは冷静に敵の戦力を分析する。

 高度な死体操作を行っているのは、おそらくあの異常なまでの創力制御力を誇るタシュア・イーライグだろう。だが、背後の数万の生者を幻術で操っているのは、広範囲の精神支配を得意とする別の『再厄』——たとえば、メレーシェルあたりが担当しているのではないか?

 役割を分担し、前線に「死体の将」を配置して圧倒的な武力を示し、後方の「生きた兵士」には幻術で狂信的な特攻を強いる。生と死を混同させることで、こちらに「助けられるかもしれない」という無駄な逡巡を与え、心理的に消耗させるという悪趣味な副次効果も狙っているのだろう。


「理にかなった、最悪の布陣だな」


 サキルは誰にともなく、氷のように冷たい声で呟いた。

 だが、ギミックの仕組みが視えたのなら、叩くべき急所も自ずと決まる。


「リノル! 生きてる後ろの雑兵どもは無視でいい! 敵の術者はこの二つの死体エリートを遠隔操作するのに、莫大なリソースを割いているはずだ。この『通信端末』を物理的にぶっ壊せば、背後の術者に間違いなくデカい負担がかかる!」


「はっ! 理屈はどーでもいいですけど、壊せってんなら最初からそうしてますよ!!」


 本性を剥き出しにしたリノルが、悪役のような凶悪な笑みを浮かべ、両腕を大きく振りかぶる。

 空中に滞留していた何トンもの《重水》が、彼女の創力によってさらに圧縮され、周囲の空間が歪むほどの超質量の鈍器へと変貌していく。


「動く粗大ゴミ風情が、二度と生き返れないようにすり潰してやりますよ……!!」


 リノルの口汚い怒声と共に、巨大な重水の塊が信じられない水圧を伴ってフィリッドの頭上から叩きつけられた。

 ドッッッゴォォォォン!!

 大地が爆発したかのような轟音が響く。何トンもの質量を持つ水の暴力が、フィリッドの防御用の衝撃波ごと強引に押し潰し、彼の右半身の骨をバキバキと無惨に砕き折った。


「ナイスだ。その調子でミンチにしろ!」


「先輩もぼーっとしてないで手ぇ動かしてください! 働け!」


 生者の狂乱と、死者の特攻。

 敵の合理的な盤面を冷徹に見透かしたサキルの誘導と、一切の容赦を捨てたリノルの超質量攻撃。二人のいびつで強固な連携が、かつての英雄たちを物理的に粉砕する凄惨な作業へと移行していった。





***




 一方、血と泥に塗れた前線から遠く離れた反乱軍本陣。

 静寂が保たれた豪奢な天幕の中で、タシュア・イーライグは卓上の戦況図を眺めながら、ふつふつと湧き上がる歓喜の笑いを噛み殺していた。


「ふふっ……そろそろ、彼も気づいた頃かな。あの前衛の二人がすでに『死んで』いて、後ろの雑兵どもが『生きたまま』操られていることに」


 チェスの駒を指先で弄びながら、タシュアはさも愉快そうに目を細める。

 その言葉に、傍らに控えていた青年フォーユが、無表情のまま小首を傾げた。


「なぜ、わざわざそのような手間を? タシュア様のお力であれば、全軍をあらかじめ殺し、死兵として運用した方が幻術が解けるリスクもなく、より確実だったのでは?」


「それじゃあ味気ないじゃないか。死体と生者が混ざっている陣形を相手にすれば、彼らは『どうすれば殺しきれるか』『どこまでが手加減すべき生者なのか』と迷い、混乱する。……そして何よりーー」


 タシュアは言葉を区切り、ひどく甘ったるい、それでいて猛毒を含んだ声音で囁いた。


「何より?ですか」


 フォーユの問い返しに、タシュアは青紫色の瞳を怪しく三日月の形に歪め、心底楽しそうに口の端を吊り上げた。


「死体と生者が一緒に行動しているって、面白くない?」


「……」


 純粋な子供が、蟻の巣に水を流し込む時のような無邪気な笑み。

 フォーユはわずかに息を呑んだ。どれほど長く仕えていようと、この主の底知れない狂気を前にすると、背筋に冷たいものが這い上がるのを止められない。


 そう——サキルの理知的な考察は、最も残酷で、最悪な形で外れていた。


 サキルは前線で、この異常な布陣の理由を「術の処理能力リソースの限界」や「メレーシェルなど、他の術者との役割分担」だと推測した。死体を完璧に操作するには莫大な創力と並列思考が必要であり、数万の生者の幻術操作まで一人で担うことなど不可能だと。軍師としての常識に照らし合わせれば、それは完璧に正しい論理だった。


 だが、現実は違う。

 この戦場に、メレーシェルをはじめとする他の術者は「一人も」いない。

 右翼を強襲した数万の兵士の脳を直接弄り回す広域精神支配も、かつての英雄の死体をマニュアル操作し、高度な不可視の複合弾丸や空間切断の創術を寸分違わず再現させる異常な死体操作も。


 そのすべてを、タシュア・イーライグただ一人が、この安全な天幕から「一人で」行っているのだ。


 限界などない。

 彼にとって、数万の命の精神を操ることと、複雑な死体を同時に躍らせる程度の創力演算は、少し手間の掛かる「遊び」に過ぎない。

 リソースを節約するためでも、効率を求めたためでもない。彼がわざわざ生者と死者を混ぜたのは、ただ単に「その方が相手が絶望して、面白いから」という、純粋悪の娯楽のためでしかなかった。


「アハハハッ! ああ、サキル君! 君のその優秀な頭脳は、今頃必死に『僕の限界』を計算して、勝機を見出そうとしているんだろうね! 『術の要である死体を壊せば、僕に大きな負担がかかる』って!」


 タシュアの狂気を孕んだ嗤い声が、薄暗い天幕の中に響き渡る。

 青紫色の双眸が、遥か遠くで抗うサキルたちを幻視し、嗜虐的な悦楽に濡れていた。


「いいよ、いいよ! その必死な足掻き、たまらなく愛おしい! もっと僕を楽しませておくれよ! 君がようやく死体をぶち壊して、何一つ状況が良くならなかった時の、その絶望に染まる顔を想像するだけで——ああ、たまらないねッ!」


 戦場の理を外れた、たった一人の化け物。

 サキルたちがどれほど死力を尽くし、泥沼の死闘を繰り広げようとも、それはタシュア・イーライグという悪魔の掌の上で行われている、無慈悲な余興に過ぎなかった。




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