さらなる激動へ①
『再厄』による都市への襲撃は、ゼルグのスロイデルだけではなく、他の六国にも仕掛けられた。
ただ一つ違いがあるとすれば、ゼルグは戦略的価値が高い重要拠点であったのに対し、他の六国はそこまでの価値を持たない都市だった点である。
戦略的価値が低い、というのは具体的に言えば飛び地のような場所で、占拠されたとしても周囲を取り囲んですぐに奪還できる程度の都市を指す。
一週間をかけて一日一国、まるで全ての国の戦力を平等に削ぐかのように。
その七国同時襲撃において、もっとも早く事態に対処し、首謀者タシュアに迫ったのはアルグアであった。
襲撃に対処したのは《闘極者》エイリュウ・レイダムだった。
***
エイリュウの身体が風を切り裂いて疾駆する。
普段は身につけている錘も、今は外されている。
兜も着けず、髪が激しく舞い踊る中、彼の瞳には燃え盛る正義の炎が宿っていた。
トルダの街並みが視界の端を流れ去る。
ーー間に合え、まだ間に合う。
「タシュア・イーライグ!」
雷鳴のような叫び声と共に、エイリュウは紫蝕の悪魔が立つ建物の屋上へと躍り上がった。
そこには、すでに血に染まった剣を手にしたタシュアの姿が。
「あぁ、エイリュウ・レイダム。やはり君が一番早かったね」
タシュアの足元には、トルダ守備隊の隊長が倒れている。
気を失っているようだ。
「貴様ッ!」
エイリュウの創力が爆発する。
光翔剣が煌めきながら抜き放たれ、凄まじい速度で斬撃が繰り出された。
一閃、二閃、三閃――人の目では追えないほどの連続攻撃が嵐のようにタシュアを襲う。
しかし、タシュアは冷静だった。
紫の瞳が微かに光ると、彼の剣が舞うように動き、エイリュウの全ての攻撃を受け流していく。
「素晴らしい速度だ……これは彼らを連れて行くのは骨が折れそうだ」
「黙れ! なぜ無用に争いを起こそうとする! 貴様は何を目的に動いている?」
エイリュウの声は怒りと悲しみに震えていた。
攻撃の手を止めることなく、彼は叫び続ける。
「無用に争い起こす?」
タシュアが苦笑した。
「戦争し続けている君達が何を言っているんだい? なんで君達は良くて僕はダメなのかな? 答えてくれないかな? エイリュウ・レイダム君」
「お前と一緒にするな!」
エイリュウの剣閃がより激しくなる。しかし、タシュアは余裕の表情を崩さない。
「あるがままに受け入れ、あるがままを歪める存在を嫌悪する……それが君の思想だっけか? 君のような綺麗事を信じる人間には理解できないだろうね」
タシュアの剣が一際鋭く光った。
「だが、僕は真の真実を知っている。この世界の本当の姿を」
「真実だと? 貴様の真実など――」
その時、タシュアの剣がエイリュウの頬を掠めた。細い血筋が頬を伝う。
「時間がないのは残念だ」
タシュアが空間に手をかざすと、紫の光が渦を巻き始める。
「逃がさない!」
エイリュウが全力で跳躍する。
「人の在り方を歪めるお前を逃がさない! 待て!」
しかし、タシュアの空間移動はエイリュウの手が届く寸前で発動した。
紫の光に包まれながら、タシュアが最後に微笑む。
「ふふ、君とやり合うのはまた今度だよ、エイリュウ・レイダム。その時までに、もう少し世界の真実について考えてみることだね」
「タシュア!!」
エイリュウの叫び声が夜空に響いたが、紫蝕の悪魔の姿はもうそこにはなかった。
残されたのは、血に染まった屋上と、拳を強く握りしめて立ち尽くすエイリュウの姿だけ。
「くそっ……!」
膝をついたエイリュウは悔しげに毒づく。
常に冷静沈着な彼には珍しい取り乱しようだ。
それもそのはず、エイリュウは今回の襲撃の報が届いた際、やり口やタイミングから『再厄』の仕業だといち早く察知し駆けつけてきた。
常日頃から暗躍する『再厄』がどのような目的で動いているか探りたいと感じていた。
だがエイリュウのアルグア国での立場上、それはできない。
そんな中で任務でありながら同時に『再厄』の目的を聞き出すことができ得る好機と感じて迅速に駆けつけた。
「もっとも、それも無意味だったわけだがな……」
風が吹き抜け、エイリュウの髪を優しく撫でていく。だが、その優しさすらも今の彼には残酷に感じられた。
***
《再厄》による七国への同時襲撃——それは、ウィスレ大陸三百年の歴史を根底から覆す、未曾有の大事件であった。
何が前代未聞であったのか。それは《再厄》という組織が歴史の闇に潜み始めてから現在に至るまでの長い歳月——正確な時期は定かではないが、少なくとも百年、おそらくは二百年近くに及ぶその暗躍の歴史において、彼らが決して越えなかった一線を踏み越えたことにあった。
確かに《再厄》は、これまでも七国間の戦争に影から干渉し続けてきた。
戦場の要所で兵站を断ち、重要な将軍を暗殺し、時として戦況を一変させる謀略を仕掛ける——そうした「戦争への妨害」は、もはや各国の軍師たちにとって計算に入れるべき変数の一つとなっている。
だが、都市への大規模な直接攻撃は皆無に等しかった。
もちろん、裏の記録には《再厄》による各国への襲撃事件が散見される。
しかしそれらはあくまで小規模なもので、巧妙な隠蔽工作により表舞台に出ることはなかった。
一握りの権力者たちだけが知る「不都合な真実」として、闇に葬られ続けてきたのである。
ところが今回の同時襲撃は、どれほど巧妙な工作を駆使しても隠しきれるものではなかった。
七国それぞれ一つずつの都市が蹂躙され、計数十万の民が犠牲となった惨劇は、大陸全土に衝撃の波紋を広げた。
これまで七国が《再厄》に対して取ってきたスタンスは放置である。
「邪魔ではあるが、排除に要するリソースと、排除した際のメリットが釣り合わない」——これが各国の王や重鎮たちの共通認識だった。
《再厄》の完全な討伐には、一国だけでも相当な国力を投入せねばならない。
そうすれば必然的に他の分野——特に他国との軍事バランス——に隙が生まれる。
その隙を突かれれば、《再厄》を排除する以上の損失を被りかねない。
故に「そこまでの被害が出ていないのであれば、現状維持で問題なかろう」というのが、暗黙の了解となっていたのである。
しかし今回の一件は、明らかにその境界線を粉砕した。
オーラクス襲撃の報が各国に届いたその日の夜、七国の使者たちは慌ただしく首都間を行き交った。
緊急の軍事外交会議が招集され、各国の王より全権を委任された重臣たちが一堂に会した。
普段であれば数カ月を要する交渉が、わずか一昼夜で決着を見る。
その日、ウィスレ大陸史上初となる「七国休戦協定」が締結された。
『七国間のすべての戦争行為を一時停止し、まずは国内の治安維持と《再厄》の情報収集に注力する』
それはあくまで「休戦」であった。互いの喉元に突きつけた刃を、一時的に下ろしたに過ぎない。
しかしその翌日——まるで誰かがそのタイミングを見計らっていたかのように、《再厄》の中核人物に関する情報が、七国すべてに同時に流れ始めた。
「『紫蝕の悪魔』タシュア・イーライグは、アルグアの南東部、古い鉱山町の出身だという」
「いや、レイゼフの西南部、辺境の漁村で生まれたという話もある」
「ゼルグの北東部、山賊の巣窟だった廃村の出身だと聞いたが……」
情報は錯綜していた。
だがすべてに共通するのは「『紫蝕の悪魔』タシュア・イーライグ」という名前であった。
七国の諜報機関が総力を挙げて追い続けてきた男——《再厄》の事実上の首魁であり、ウィスレの地に最も多くの災厄を振り撒いてきた存在。
その正体に関する手がかりが、ついに姿を現したのである。
だが、各国の重臣たちは同時に困惑していた。
タシュア・イーライグの能力の全容が未だ謎に包まれていることに加え、この情報の出処が不自然すぎたからだ。
そんな中——運命は、さらなる混乱を用意していた。
「イフィラのイフィルド、並びにレイゼフのレンフォルにて、大規模反乱が勃発」
その急報が円卓の間に届いたのは、まさに休戦の詳細が詰められている最中のことであった。
狙ったかのようなタイミングに、居並ぶ重臣たちの顔が一様に青ざめる。
イフィラでの首謀者は、クレイグ・レイ・フィローレ。
その名前を聞いた瞬間、場の空気が凍りついた。フィローレ一族——イフィラ王国の屋台骨を支える名門貴族の筆頭格であり、その血筋は王家の分家にまで遡ると言われている古い家柄である。代々イフィラに忠誠を誓い、幾多の戦争で王家を支えてきた一族の当主が、なぜ今になって反旗を翻したのか。
そしてレイゼフでの首謀者は、レルフォ・ザイン。
こちらもまた、レイゼフにおいてイフィルドの倍以上の広大な土地を治める大領主レルフォ一族の長である。
だがフィローレ家と決定的に異なるのは、レルフォ家が王族の血筋ではないという点だ。純粋な武力と経済力でその地位を築き上げた、実力主義の化身とも言える一族である。
王家の血を引く名門と、実力で成り上がった大領主。
対照的な二つの巨頭が、休戦協定を結んだ直後に、示し合わせたかのように同時に蜂起した事実。
これは単なる偶然の反乱ではない。
重臣たちは悟った。これは《再厄》による明確な挑発であり、世界を混乱の渦に叩き込もうとする意志であると。
ここに至って、事態は「休戦」という消極的な選択肢を許さなくなった。
「もはや各個撃破で済む段階ではない」
「休戦している場合ではない。共に戦わねば、我らが国も内側から食い破られるぞ」
各国の王の代理たる者たちの意見は一致した。
方針は「休戦」から「共闘」へ。
互いを敵視し続けてきた七国が、初めて共通の脅威に立ち向かうために剣を並べる——「七国連合軍」の結成が決まった瞬間であった。
タシュア・イーライグの出自に関する「噂」の追跡には、各国の影に潜む諜報員や暗殺者たちを動員する。
そして、イフィラとレイゼフの大規模反乱に対しては、七国が合同で軍を派遣し、武力鎮圧にあたることとなった。
三百年の怨恨を超え、真の連携を築くことができるのか。
《再厄》という未知の敵に、急造の連合軍で対抗できるのか。
ウィスレ戦国時代は、さらなる激動の渦へと呑み込まれていく。
その渦の中心で、紫色の瞳を持つ悪魔が、薄い笑みを浮かべながら次の一手を考えていることを、まだ誰も知らなかった。




