絶対に負けられない戦争② 将戦
開戦直後の先制攻撃により、敵軍に大打撃を与えることに成功した。
当初は混乱していた敵も、やがて軍の統制を取り戻し、戦局の流れを止めてきた。数の理が依然として敵に利していたためである。さらに敵の隊列が、こちらを奥へと誘い込むように変化したのを察知したことで、大将リガイルはより慎重な対応を迫られる。
その後、敵軍は主攻を受け止める右軍と、挟撃を狙う左軍へと、それぞれ均等に千八百ずつ分けられ、狙い通りの「軍を分けた戦い」へと持ち込まれてしまう。
「とはいえ、これも全て作戦通りだな。やっぱりうちの軍師は末恐ろしいぜ」
リガイルの口から漏れたその言葉は、まさに率直な感嘆であった。実際、この展開も軍師フェインが描いていた策のうちに過ぎない。先手で大きな打撃を与えても、なお攻めきらず、軍を分断される流れさえも、すでに計算の内に入っていたのだ。
もちろん、数で劣るリガイル軍が、敵の動きに呼応して愚直に戦力を二分してしまえば、それはまさしく敵の思惑通りであり、敗北を招く。
ゆえにフェインは、右軍と左軍に異なる役割を与えた。右軍は攻撃、左軍は防御である。
右軍には大将リガイルを筆頭に、サキルやホーキフら尖兵を含む約千名を配し、攻勢の要とする。一方、左軍は防御系創術に長けた兵六百名で構成され、敵の動きを受け止める役を担った。
両軍の比重を比べれば、その偏りは明白である。確かに攻撃の勢いは戦を制する鍵となるが、防御を軽視すれば、いずれ崩壊は免れない。
だが、そこにもまた、フェインの狙いが秘められていた。この偏りが、後の時間を稼ぎ、敵を迎撃・撃退する布石となるのである。
ここで、左右両軍が一時的に分かれた時点に、話を戻そう。
***
土壁があった。視界を完全に遮るほど巨大で、厚みも並ではない。下級程度の創術をいくつか同時に放たれたとしても、容易く崩れることはないだろう。
その壁は、リガイル軍の右軍と左軍を分かち、右軍を守るかたちで築かれていた。敵の勢いを左軍へと誘導し、受け流すためである。この土壁自体、右軍の創術士たちが造り出したものだった。
狙いは明確だ。右軍で敵の足止めを図りつつ、戦力を偏らせた左軍の攻勢によって敵軍を崩す。敵軍が右・左両軍にほぼ均等に戦力を振り分けたのに対し、自軍は左軍に重点を置いた構成。これを逆手に取った策だった。
一見、戦力が偏っているように見える布陣でも、この壁があることで右軍は敵の突進から守られ、敵の意識を左へと誘導できる。さらに右軍には戦闘経験豊富な精鋭が揃っており、敵が倍増してもある程度は耐えられる。
そして、敵が左軍に気を取られ過ぎたタイミングで、この壁を破り急襲を仕掛けるのが本命の一手だった。
もちろん、そんな策を見落とすほど敵も甘くはない。戦力の偏りを見て、右軍を壊滅させ本陣に攻め込むため、壁の破壊を企ててくるのは予想の範囲内。つまり、今壁が集中砲火を浴びているのも想定通りである。
壁は下級術式程度ではびくともしないが、さすがに連続して打ち込まれれば長くはもたない。やがて轟音と共に壁が崩れ、不安を煽る破砕音が響き渡る。内側の兵たちは不安を露わにし、ざわつき始めた。
「皆、落ち着いて。これも作戦通りよ」
その空気を凛とした声で鎮めたのは、右軍の将・リセだった。
まだ十五歳の少女ではあるが、彼女には一点を的確に捉えさえすれば、千の兵を屠るほどの異能がある。戦力を左軍に偏らせた今、右軍において彼女は最も重要な戦力であり、同時に次なる策の要でもあった。
「落ち着いて……いつも通りにやれば大丈夫。サキルもホーキフも、リガイル様も、左軍の皆も命を懸けて戦ってる……失敗するわけにはいかない……!」
実際のところ、最も緊張していたのはリセ本人であった。将として抜擢された重圧に加え、この術が実戦では初めてという不安。しかも、これは遊軍として戦う最後の戦。絶対に失敗は許されなかった。
それでも彼女は己を鼓舞するように、強く願った。
「私は……皆と一緒に生きていきたい。そして……まだ告白できてないけど、できればサキルの隣に……」
そうして強い決意と共に矢を番え、狙いを定める。目の前の土壁は今にも崩れそうだ。呼吸音だけが耳に残る中、彼女は一切動揺せず集中を極めていた。
壁が崩れ、敵の礫や水弾、土弾が襲いかかっても、味方が練っていた術式で迎撃する。魔術の衝突が空中で炸裂し、その余波が吹き荒れるが——リセは動じない。
――バシュッ。
渦巻く創力を一本の矢に込め、リセは矢を放つ。敵味方の創術が激突する合間を縫い、矢は一直線に飛翔した。そして敵右軍の中央に到達した瞬間、閃光が迸り、半径数メートルを巻き込む中規模の爆発が起こる。
断末魔すら許さぬ一撃——だが、それで終わりではなかった。
――バシュッ。
放たれた第二の矢が、敵右軍の後方に到達し、さらに大爆発を引き起こす。二撃によって、敵兵三千が一挙に蹂躙されたのである。
***
左の戦場まで、爆音が響き渡った。
右の戦場で立て続けに二度、爆発が起きたのだ。
サキルは遠目に、敵左軍が甚大な損害を受けているのを見て取った。
「三倍以上の敵に、これほどの楔を打ち込むとはな。……さすがリセだ」
「うん、本当に……さすがリセだ」
隣のホーキフも感嘆の息を漏らす。
周囲を見渡せば、自軍の士気が明らかに高まっているのがわかった。リガイル軍において、厳しい戦場で放たれるリセの矢はまさに勝利への嚆矢であり、希望そのものだ。
その将であるリガイルも豪快に笑い声を上げる。
「ははははは! さすがだリセ! 俺たちも負けていられん! 皆の者、ここで勝って全体の勝利につなげるぞおおお!」
叫びと同時に、目の前の女将軍へと襲いかかった。
その動きに呼応し、リガイル軍全体が敵軍へ突撃を開始する。
「行くぞ、ホーキフ!」
「ああ、やってやろう、サキル!」
叫びを交わし、サキルとホーキフも並んで戦場を駆け出す。
湧き上がる熱気が、大炎となって彼らの背を押し、その先にある未来を照らす。
「くっ……右軍の失態で、こちらが被害を受けるなんて! あの無能どもは後で殺してやりますわ! 皆様、迎撃です! この男は私が引き受けますから、他は皆殺しで構いません!」
相対する女将軍は悔しさに歯噛みしながらも、即座に的確な指示を出す。
迎撃態勢を整えた彼女の軍勢もまた、怒涛のように前進してきた。
「進めぇぇぇ!」
「止めなさいっ!」
両軍の将が真逆の声を上げるや否や、戦場は炎のような熱を孕み、激突の瞬間を迎える——。
この時代の戦において、軍勢同士の士気が高ければ高いほど、戦いは激しさを極める。
ゆえに、左翼の戦線はまさに熾烈を極めていた。
戦闘開始からわずか十五分。だが、既に両軍合わせて二千を超える死者が出ていた。計算すれば、九百秒の間に一秒あたり二人以上が命を落としていることになる。
もっとも、犠牲者の三分の二以上はリガイル軍と対峙する敵軍のものであった。それほどにサキルたちの士気は高く、各自が持てる力を最大限に発揮し、壮絶な戦いを繰り広げていたのだ。
「うおおおおおッ!」
サキルもまた、裂帛の気合とともに長剣を振るい、次々と敵を斬り伏せていく。
「!?」
敵兵の水平斬りを避け、首を一閃。背後からの斬撃には素早く反転してかわし、左胸を浅く切り裂いてトドメを刺す。
「っ……!」
次の一撃では敵の胴を真っ二つに切断した。
普段のサキルは、無闇な殺戮や凄惨な戦い方を好まない。だが、今はそれを選んでいる余裕すらなかった。矜持を捨て、一心不乱に敵を斬り続ける。
「おおおおッ!」
「くっ……!?」
「!?」
「……っ!!」
だが、その傍らでホーキフはさらに凄まじい働きを見せていた。
水気を帯びた長剣から放たれる水刃が、文字通りすべてを斬り裂き、敵兵の死体を量産していく。
まるで鬼神の如し——。事実、敵軍の死者の三分の一は彼一人の戦果であった。
サキルはその様子をちらと見て、口を真一文字に引き結ぶ。
ホーキフが無理をしていることは一目でわかった。この勢いもそう長くは続かない。
それでも——彼の働きなくして、この戦場は持たない。サキルも、倒れてなどいられない。
だが、今の戦場でサキルが気にかけていたのはホーキフだけではなかった。
数人の敵兵を斬り伏せた瞬間、戦いの隙間を縫って視線を逸らす。向けた先は、戦場中央——リガイルと女将軍の一騎討ちである。
戦場の真ん中にぽっかりと空いた空間。両軍の兵士たちが互いにその一角を保ち合うように、だが容赦なく殺し合いながら守っていた。
混沌の中に生まれた、ひとつの秩序。五百年に及ぶ戦乱で「正々堂々」などという言葉はとうに失われた。だが、大将同士の一騎討ちだけは、今なお戦場の鉄則として生き残っていた。
サキルも、あの戦いに割って入る気などなかった。リガイル自身もそれを望んではいないだろう。
だが、それでも——胸騒ぎがする。
確かにリガイルの実力を疑っているわけではない。だが、先ほど見た限り、あの女将軍は只者ではない。もしものことがあれば——。
この胸騒ぎは、ただの不安ではなかった。サキルの本能が、確かな危機を告げているのだ。
それは戦場で幾度も彼を生き延びさせた、生存本能と呼べる勘である。
どれだけ策を巡らせても、全てを防ぐことはできない。だからこそ、今こそ警戒を強めるべき時だった。
しかし——。
「死ねぇぇぇぇ!」
「くっ……!」
次々と襲いかかる敵の波。その猛攻の中で、サキルは戦場の中心へ意識を向け続けることは叶わなかった。
敵の斬撃を受け流し、返す刀で左胸を切り裂き、トドメを刺す。だが、倒した端から次の敵が現れる。
——リガイル様、信じています。
いまサキルにできるのは、そう祈ることだけだった。
目の前の敵を斬るだけで精一杯な自分が、情けなくなる。それでも、きっとリガイルなら、戦が終わればいつものように勝利の高笑いを響かせてくれる。
だから信じて戦うしかない。
サキルはそう心を決めると、胸の奥に巣食う不安を押し殺し、再び血霧のなかへと身を投じた——。
***
「がああああッ!!」
「はああああッ!!」
重なり合う気迫とともに、断続的な剣戟が激しく響き渡る。リガイルと女将軍、両軍を率いる大将同士による一騎討ちであった。
互いに一歩も退かず、全力の斬撃を交え続ける。どちらかがわずかでも隙を見せれば、その瞬間に勝敗が決する——そんな緊張が張り詰めた戦いを、すでに十五分もの間、一時も休むことなく繰り広げていた。剣技も身体能力も拮抗している。だが、それだけではない。
「……あんた、女の身の割によくやるな」
ようやく刃が止まり、わずかな間隙が生まれた時、リガイルが思わず呟いた。
「……聞き捨てなりませんわね。これまで真剣に戦ってくれていたので、てっきり女の戦いを理解する方かと思っていましたのに」
その声は周囲の喧騒に掻き消えるほど小さかった。だが、女将軍は鋭い聴覚で拾い取り、目を細めて辛辣に返す。将の地位にある者として当然の鍛錬だが、今回は裏目に出たらしい。まるで彼女の誇りを汚したかのような視線が刺さる。
「いや、悪く受け取ったなら謝る。他意はねえ。ただ、女の身でそこまでの体力と技を持ってるのは見事だと思っただけさ」
左手で頬を掻きつつ、素直に謝罪の意を示すリガイル。戦闘中でも、その程度の礼節は弁えている。
「……つまり、女は身体能力が劣るから戦場に出るべきではない、ということですの?」
「そんなつもりはねえさ。何も持たぬならともかく、この世界には創術っていう理不尽な力があるだろう」
「……少々引っかかる点はありますが、確かに創術の存在が前提ならば納得もできますわ。身体能力の面で男のほうが優れているのは、概ねその通りでしょうから」
怒りは静まり、彼女の創力が再び冷たく研ぎ澄まされてゆく。
「ですが、何事にも例外はあるものですわ?」
「くっ……!?」
刹那、彼女の姿が掻き消え、目にも止まらぬ速さで斬撃が浴びせられる。リガイルは反射的にそれをすべて受け止め、剣で捌いた。
「やるな」
「あなたも、なかなかですわ」
直感に従い、激情に任せて仕掛けてくるタイプではないと判断したリガイルは、誤解を解こうとしたが、それも無意味だったようだ。だが、それでもこの女を倒さねばならない。
距離が開いたのを見て、彼は探るように言葉を投げる。
「一つ、聞いていいか?」
「……答えるつもりはありませんが、独り言という体でならどうぞ」
予想通りの返答だった。情報を漏らすわけにもいかぬのは当然だ。だが、それでいい。揺さぶりをかける材料にはなる。
「ふっ……じゃあ遠慮なく“独り言”を始めさせてもらうぜ」
女将軍は眉をひそめたが、構わずリガイルは語りだす。
「最初から気になってたんだ。俺の剣と打ち合って凍らねぇ剣なんて、例外を除いてあり得ねぇ。けど、あんたの剣からはその“例外”の気配もしねぇ……つまり、別の強力な力が働いてるってことか?」
「…………」
黙して語らぬ彼女。しかしその一瞬の瞳の揺らぎが、リガイルには何より雄弁だった。
「ふん、図星か……」
「!?」
さらに一手。
「貴族ってのは腹黒か、あるいは無垢すぎて腹芸を知らねぇかのどっちかだ。あんたは初陣らしいが、その地位は貴族の特権で得たもんか?」
「……言葉遣いを改めなかったので、貴族と知られるのは承知でしたわ。ですが油断したわけではありませんのに……さすが、“遊軍の将”と噂されるだけのことはありますわね」
答えは避けながらも、彼女は軽く微笑む。そしてまた戦闘体勢に戻っていた。
「そりゃどうも——」
再び剣が交わる。真剣による命の奪い合いが再開された。
リガイルは力で打ち砕く「剛」、女将軍は受け流しの「柔」。だが、それだけではなかった。
彼女は決して本気で攻めてこようとはしていない。隙を見せても食いついてこず、攻撃のほとんどは威嚇の域を出ていなかった。
——俺が焦れて隙を見せるのを狙っているのか?
だが、リガイルに焦る理由はない。勝てば早く戦が終わるというだけで、負ければすべてが終わる。兵達の夢も未来も、すべて潰えてしまう。
それだけは、絶対に許せない。あの過ちを、もう繰り返すわけにはいかない。
——慎重に、そして冷静に。
そんな覚悟を固めたその時だった。
「ふふっ……」
「!?」
女将軍の口元が、挑発的に笑みを歪めた。
「……何がおかしい?」
探りを入れるリガイル。だが返ってきたのは、またしても意味深な笑みだった。
「いえ、自分が少しずつ確実に追い詰められているのも知らず、足掻こうとするその姿が可笑しくて……つい、はしたない笑いが出てしまいましたの。失敬」
彼女はわざとらしく戦闘体勢を解き、口元を隠してまた微笑む。
「……どういう意味だ」
「さあ、どういう意味でしょうね?」
リガイルがさらに問い詰めようとした刹那——
「チッ!」
女将軍が再び襲いかかってきた。リガイルは舌打ちしながら応戦する。
その瞬間、彼女は囁くように告げた。
「さあ、無駄話はここまでですわ。あなた達の敗北が決まるまで、お相手して差し上げますわ」
意味を計りかねたまま、リガイルは戦闘を続けるほかなかった。だが、確信だけはあった。——これは虚勢ではない。
その言葉通り、誰にも知られぬまま、感知網をすり抜けて接近する敵の援軍が、この戦場の均衡を根底から覆そうとしていた。




