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想造世界  作者: 篤
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次なる惨劇④

「うーん、不可視にガード不可の世にも珍しい術を操る手練れか。いつもなら楽しくどう料理してやろうかと時間をかけて考えるんだけど、ちょっと時間を使い過ぎちゃったし、仕方ないから強引な力技でさっさと終わらせるよ」


 タシュアの誰にも向けられていないような呟きが、石造りの廊下に静かに響いた。

 その声音には、まるで退屈な雑務を片付けるかのような冷淡さが宿っている。戯れの時間は終わった。

 そんな雰囲気の変化が、戦場の空気を一変させていた。


 その瞬間、タシュアの背後に広がる大理石の床から、異様な光景が展開され始めた。


 無数の木々が、まるで地獄の底から這い上がってくる亡者のように生え始める。

 不気味な軋み音を立てながら天井に向かって伸び上がっていく。

 それは自然の摂理を無視した超常現象だった。石の床を突き破って現れる植物たちは、どう見ても正常な生命体ではない。


 その無数の木々は、まるで無数に絡み合う巨大な蛇の群れのように蠢いている。

 互いに擦れ合いながら不気味で耳障りな音を廊下に延々と響かせていた。

 ギシギシと軋む音、バキバキと折れる音、ザワザワと葉擦れの音。

 それらが混然一体となって、まさに地獄の交響曲を奏でている。


 それはまるで主人の攻撃命令が下されるのを今か今かと待ち望む、飢えた魔獣たちの群れのようだった。

 木々の一本一本が意思を持った生き物のように脈動している。獲物を求めて身を捩らせていた。


「「…………」」


 悪魔が創造した異常な光景を前にして、対峙するフィリッドとエインには最早驚愕の表情はなかった。

 その代わりにただただ無言の剣呑さのみがそこにある。二人の表情は石のように硬い。

 しかし瞳の奥には諦めではなく、最後まで戦い抜く意志の炎が燃えている。


 これまでに何度となく死線を潜り抜けてきた歴戦の勇士たちだからこそ、絶望的な状況にあっても冷静さを保っていられるのだ。

 しかし同時に、今度こそ本当に最期の時が来たのかもしれないという予感も、二人の心を静かに支配していた。


 そんな二人の様子を見て、タシュアは青紫色に輝く双眸を嗜虐的に細めた。まるで芸術作品を鑑賞するかのような陶酔の表情を浮かべる。


「いいね!いいよ!その反応!とっても珍しい!僕が今まで見たことのある人間の表情の中で一番興味深いものだ!」


 タシュアの声には純粋な興奮と喜びが込められていた。


 彼が興奮に身を任せて語っている間にも、彼の背後では不気味な軋み音を立てながら木々が攻撃態勢を整え続けていく。

 その動きは徐々に激しさを増している。

 今にも暴走しそうな危険な雰囲気を醸し出していた。


「それがこの後、どのようにどうやってどう変わっていくのか」


 タシュアの声音が、先程の興奮に満ちたものから一転して、氷のような冷徹さを滲ませたものへと変化した。

 その変化は、まるで別人格が現れたかのような不気味さを持っている。


「とっても楽しみだね」


 そして彼は、まるで死刑執行の合図でも出すかのように、そっと攻撃の命令を下した。


 瞬間、無数の木々が生きた災害のようにのたくり回り始めた。


 ビシビシ、バキバキ、ギギギギギ——攻撃命令が下ったことを心から喜んでいるかのような、不吉でいて不愉快な音の嵐が廊下を支配する。

 木々の一本一本が意思を持った猛獣のように唸り声を上げる。

 フィリッドとエインへと殺到していく。


 その光景は、まさに悪夢が現実となったかのような恐ろしさだった。数え切れないほどの木の枝や幹が、まるで触手のように自在に動き回る。二人を完全に包囲しようとしている。


「エイン、援護を頼む」


 その地獄絵図のような光景を前にして、フィリッドは内心の焦燥を必死に抑え込んだ。冷静な声音で端的にエインへ指示を飛ばす。


 抽象的な指示ではあるが、それだけで十分に意図が伝わる。

 そこには緊迫する状況にあっても決して揺らぐことのない、戦友としての強い信頼関係があった。

 数々の戦場を共に駆け抜けてきた二人だからこそ可能な、以心伝心の連携である。


 エインはフィリッドの指示に従った。いや、指示が飛んでくるのを既に予期していたかのような完璧なタイミングで、自身が操る四本のナイフを一斉に放つ。


 迫り来る木々の狂乱、狂舞めがけて縦横無尽に動く。人間の動体視力では到底追い切れないほどの尋常ならざる速度で、極めて緻密な操作を施しながら。


 四本のナイフは空中で複雑な軌道を描く。まるで生きた剣士が宙を舞っているかのような美しくも恐ろしい動きを見せている。

 それぞれが独立した意思を持っているかのようだった。

 最適な攻撃角度と攻撃タイミングを計算しながら木々に向かっていく。


 しかし常識的に考えれば、縦横無尽に操作され速度も飛躍的に増しているとはいえ、たった四本のナイフでは迫り来る木々の狂乱を完全に阻止するなど、物理的に不可能に近いはずだった。


 さらに、一般の観察者には分かりにくいことだが、タシュアが創造した無数の木々の全てには高度な硬化術式が精密に組み込まれている。通常の木材をはるかに超越した異常なまでの硬度を獲得していた。その硬さは、もはや鋼鉄に匹敵するレベルに達している。


 高い硬度によって刃が通りにくくなってしまうという厳しい条件も重なる。もはや四本のナイフだけで防ぐのは絶対に不可能というべき状況だった。


 ——しかし、その四本のナイフが特殊な術式を帯びていなかったのなら、の話である。

 消える——消えていく。


 波打ち、荒れ狂い、フィリッドとエインに向かって殺到していたはずの木々が、まるで最初からその空間に存在しなかったかのように、跡形もなく消失していく。


 縦横無尽に飛来する四本のナイフに触れた端から、まるで現実から削除されるように消えていっているのだ。

 物質の消滅——それは通常の物理法則では説明のつかない、超常的な現象だった。


 そうして消えていく木々が存在していたはずの空間に微細な歪みが生じる——


「ふふふ、もう自身の操るナイフに組み込まれた術式が看破されていると知って、逆に晒してきたのかな?」


 タシュアが興味深そうに分析の言葉を口にする。その表情には、相手の戦術を読み切ったという自信と、それでも尚楽しんでいるという余裕が同居していた。

 だがそのタシュアの考察は、如何に尋常ならざる洞察力を持っていても、今回ばかりは的外れな誤りだった。


 確かに術式の一部を意図的に晒したのは事実だが、それはタシュアに術式を看破されたからなどでは決してない。

 もっと深謀遠慮に基づいた、戦術的な判断によるものだったのだ。


 実を言うと、この四本のナイフによる物質の消去能力は、フィリッドとエイン二人の綿密な連携作戦の重要な一部分を成している。


 この連携作戦は、まずエインが四本のナイフの術式の一部を敵に晒すことを前提として成立する極めて高度な戦術なのだが——


 しかし、ここで当然の疑問が浮かんでくる。二人が連携作戦を示し合わせる暇など、この緊迫した戦闘の中で皆無だったのではないか?


 その疑問に対する答えがある。まずこの連携作戦は、二人がそれぞれの異能を最大限に活かそうと長期間にわたって考え抜いたものだ。

 幾度となく実戦でテストを重ねて完成させた連携作戦プランの一つなのである。


 そして二人は、戦場での素早い意思疎通のために、隠語による暗号システムを構築していた。


 フィリッドの「エイン、援護を頼む」という一見普通の依頼は、実はエインにのみ通じる特別な隠語だったのだ。


 わかりやすく「プランA」や「プランB」などと直接的に言わないのにも、重要な戦術的理由がある。


 この連携作戦は、対峙する敵が目前で術式の一部を晒されたのを見て、その術式の全貌を看破しようとする瞬間を狙うものだ。

 もしくはその背後にある真の意図を探ろうとして意識を集中させた瞬間に生まれる隙を狙うものであり——


「といっても、その裏を僕がわからないと思うのかな?」


 タシュアの不敵な笑みと共に放たれた言葉が、二人の連携作戦の核心を突いていた。


「くっ!?」


 エインの四本のナイフが迫り来る木々を迎撃し始めたその瞬間、フィリッドは既に複雑な術式の構築を完了させていた。渾身の一撃——無数の不可視の弾丸を一斉に放つ。


 そのフィリッドの攻撃は、確実にタシュアの意識の間隙を突いていた。ナイフと木々がぶつかり合う絶妙なタイミングで緻密な照準が行われていたはずだった。長年の戦闘経験に基づく完璧な連携攻撃である。


 しかしそれでもなお、タシュアを出し抜くことはできなかった。

 フィリッドが放った無数の不可視の弾丸は、放たれた瞬間から地面より突如として突き上がってきた鋭利な木の槍によって迎撃される。

 一つ残らず正確に貫かれ、粉々に破砕されてしまった。


 ここで息を呑むべきは、タシュアの恐ろしいまでに緻密で超人的な技量である。

 フィリッドが放ったのは、ざっと数えて二十発ほどもの弾丸だった。

 多少の個体差はあるものの、平均して成人男性の拳程度の大きさを持つ石の塊である。


 宙を高速で移動するそれらの石の弾丸を、地面から木の槍を瞬時に突き上げ、宙空において一つ残らず中心部を正確に貫いて完全破壊した。


 一つの宙を舞う石の弾丸の中心を正確に貫くだけでさえ、針の穴を通すような極めて高度なタイミングと精度が要求される。

 それを二十発も、しかも一つの例外もなく完璧に迎撃したのである。


 あり得ないほど、恐ろしいほどの精度と技術力。それはもはや人間の域を超越した、神業とも呼ぶべき離れ業だった。


 先程からフィリッドが放っている不可視の石の弾丸は、タシュアが既に看破したように、いくつかの異なる術式を同時に行使して構築された複合術式の産物である。


 まず基本となる土の創術で成人男性の拳ほどの石の塊を複数創造する。それらの一つ一つに高度な迷彩術を施して完全に不可視化する。


 しかしそれほどの大きさの石の塊程度では、威力的にはたかが知れたものでしかない。敵に致命傷を与えるには、明らかに破壊力が不足している。


 故に威力を劇的に増幅させるために、威力増幅術を同時に行使していた。

 またの名を慣性操作術という。


 といっても、この時代には現代的な「慣性」という物理概念は存在しない。専らこの時代では「衝撃増幅術」と呼ばれているが、本質的には同じ原理である。


 そうして複数の術式を巧妙に組み合わせ、単体では弱い術式から強力な複合術式を生み出したフィリッド。


 しかし、これはタシュアが的確に指摘したように、フィリッド自身の個別的な才能不足をいかに戦術的強みに転換するかを考え抜いて考案された苦肉の策でもあった。長年にわたって考えに考え抜いたものだ。


 そもそも迷彩術に絶対的な適性があるのなら、このような複雑な術式を開発しなくとも、全身に迷彩術を施すだけで敵にとって十分すぎる脅威となりうるはずだ。


 それを実行しないのは、つまるところフィリッドが迷彩術を施すことのできる物体の大きさが、成人男性の拳程度までしか不可能だからに他ならない。


 加えて衝撃増幅術についても、ある一定の慣性増幅にしか適性がない。慣性を異常にカサ増ししたり、逆に軽減させたり、自身の肉体に直接施すことも不可能である。


 そういった個々の才能的制約を巧妙に補完し、継ぎ接ぎすることで生み出された術なのである。いわば苦肉の策から生まれた術だった。


 といっても、これもタシュアが述べたように、複数の術式の同時行使を自在に操れているのだから、一概に才能不足とも言い切れない部分がある。むしろ、制約の中で最大の効果を発揮する創意工夫の才能と呼ぶべきかもしれない。


 そうして長年の研鑽によって構築されたフィリッドの不可視弾丸術は、敵から見えず、捉えることが困難で、しかも破壊力も十分に兼ね備えた脅威の攻撃術だった。しかし、さすがに宙空で中心部を正確に刺し貫かれれば、もろくも砕け散る他にない。


 また、タシュアの超人的精度以外にも、極めて不気味で理解し難い点が存在していた。

 フィリッドが放った二十発ほどもの石の弾丸には、一つ残らず高度な迷彩術がかけられている。

 肉眼では絶対に視認することができないはずなのだ。


 ここでどのような原理に基づいているのかは定かではないが、タシュアには迷彩術によって隠蔽されている石の弾丸が完全に、そして鮮明に視えていることが疑いようもなく明白となった。


 何かしら迷彩術を看破する特殊なすべを持っている可能性も考えられる。


 これほど精密に迷彩術に隠された石の弾丸を完璧に破砕されてしまっては、タシュアには迷彩術に隠れたあらゆるものが手に取るように明白に視えていると考えるのが妥当だろう。


 緻密で精密な術の行使能力に加えて、得体の知れない全ての戦術や思惑、迷彩、術式を完全に看破する超常的な能力。

 フィリッドは改めてタシュアの底知れない、人智を超越した実力を思い知らされた。

 悔しさと絶望感で強く歯噛みする。


「本当の本当、正真正銘、今度は僕の番だね」


 タシュアが邪悪な笑みを浮かべながら、ゆっくりと、しかし確実にフィリッドに向かって歩み寄ってくる。その足音は静かでありながら、まるで死神の足音のように不吉な響きを持っていた。


「くっ!?」


 慌ててフィリッドは距離を取ろうと後退を試みた。しかし、タシュアが距離を詰めてくる速度の方が明らかに速い。

 まるで獲物を追い詰める肉食動物のような、冷酷で計算された接近である。


 フィリッドの戦闘本能が、タシュアに接近を許してはならないと激しく警鐘を鳴らしている。

 長年の戦闘経験が培った危険察知能力が、最大レベルの警告を発していた。


 今までのタシュアの得体の知れない、底の知れない異常な能力を目の当たりにすれば、それは当然すぎるほど当然の反応だろう。

 そのフィリッドの本能的な危機感は、完全に正しい判断だった。


 このままタシュアに接近を許してしまえば、フィリッドの運命は確実に、そして不可逆的に決定されてしまう。

 タシュアとフィリッドの両者の距離は、ついに三メートルを切った。

 タシュアの青紫色に輝く両眼が、まるで死を予告する不吉な星のように、不気味で邪悪な光を放ち始める——


「隊長!」


 しかしそこで間一髪のタイミングで、タシュアの創造した木々の約三分の一を見事に殲滅し終えたエインのナイフが救援に駆けつけた。


 二本のナイフは依然として荒れ狂う残りの木々への対処に残す。残る三本のナイフが宙で美しい回転を描きながらタシュアに向かって殺到した。


 完全にタシュアの死角である背後斜め上から、雷のような速度で降り注いできた三本のナイフ。


 如何に底知れない異常な能力を持つタシュアでも、完全な死角からの攻撃であればさすがに回避は不可能だろう。エインは冷静に計算しての攻撃だった。


 そして仮に回避できなければ、エインのナイフには絶対に防ぐことのできない特殊術式が施されている。

 ガード不可能な術式だ。

 どのような防御術式も、物理的な障壁も、全てを無視して対象を切り裂く能力を持っている。


 これで決着がつく——エインは間違いなくそう確信した。

 長年の戦闘経験と冷静な分析力に基づく、確実な勝利への確信だった。

 確信したのだが——


 現実は、エインの計算を完全に裏切る結果となった。

 一本目のナイフは、タシュアが死角にいるにも関わらず、まるで未来を予知していたかのような完璧なタイミングで横っ跳びに回避された。


 二本目のナイフは、さらに驚くべきことに、ガード不可能な特殊術式が施されているにも関わらず、タシュアが前を向いたまま後ろ手に放った自分のナイフによって弾き返された。

 まるで計算されたかのように正確に。


 そして三本目のナイフも、同様に信じられないような精度で回避されてしまった。

 邪魔をするものは完全になくなった。

 タシュアとフィリッドとの間の距離は、ついに二メートルまで縮まってしまう。


 やむを得ず、追い詰められたフィリッドが最後の抵抗として、タシュアの頭部めがけて渾身の力を込めた右足の飛び蹴りを放った。

 しかし、その攻撃が命中する直前の瞬間、悪魔の青紫色の瞳が異常で不気味な光を放つ——


「ッッッ!!!」


 フィリッドの口から、声にならない断末魔の叫びが漏れた。


 ドサドサ、バタッ


 右足を飛び蹴りのために振り上げた不安定な姿勢から受け身を取ることもできずに、スロイデル城治安維持部隊総隊長フィリッド・スクレードルは、床に崩れ落ちた。


 その瞬間、戦場を支配していた緊張感が、死の静寂へと変わった。タシュアの青紫色の瞳は、まだ不気味な光を放ち続けている。















その瞬間、戦場を支配していた緊張感が、死の静寂へと変わった。タシュアの青紫色の瞳は、まだ不気味な光を放ち続けている。


しかし、その静寂は長くは続かなかった。


石造りの廊下に、複数の足音が響き始める。規則正しく、しかし急いでいる足音——それは明らかに訓練された兵士たちのものだった。


タシュアの青紫色の瞳が、わずかに細められる。


「ふふ、どうやらお客さんが来たようだね」


タシュアは振り返ることもなく、接近してくる気配を正確に察知していた。その表情には、まるで予定通りの展開を楽しんでいるような余裕すら感じられる。


「でも、まだお片付けが終わってないからね」


タシュアの視線が、震えながらも立ち上がろうとするエインに向けられた。


エインは仲間であるフィリッドの突然の昏倒に動揺しながらも、最後まで戦おうとする意志を失っていなかった。四本のナイフを再び手元に呼び戻し、構えを取る。


「君も、同じ場所に送ってあげるよ」


タシュアが何の前触れもなく、まるで空間そのものを踏み台にするかのように宙に浮き上がった。


瞬間移動——いや、それすらも生ぬるい表現だった。タシュアは文字通り空間を飛び越え、一瞬でエインの眼前に現れる。


「な——」


エインが驚愕の表情を浮かべる間もなく、タシュアの青紫色の瞳が再び不気味な光を放った。


「ッッッ!!!」


フィリッドと全く同じ、声にならない断末魔の叫び。


ドサッ


エインもまた、まるで糸が切れた人形のように床に崩れ落ちた。意識を失い、ぐったりとした体が石の床に横たわる。


「さてと」


タシュアは満足そうに二人の昏倒した姿を見下ろすと、再び空間を操る術式を発動させた。


フィリッドとエインの体が、まるで見えない手に持ち上げられるように宙に浮き上がる。

二人の体はタシュアの術式によって操られ、彼の傍らに浮遊していた。


接近してくる足音——それはサキル率いる熾炎隊と綺蓮隊の兵士たちのものだった。しかし、彼らがこの廊下に到着する前に、タシュアの姿は既に空間の彼方へと消失していた。

消える直前、タシュアの声だけが廊下に響く。


「楽しみは後にとっておくとしよう」


そしてまるで古い友人に語りかけるような親しみやすい口調で付け加えた。


「楽しみだなぁ、サキル君」


その声が完全に消失すると同時に、フィリッドとエインの体も空間の歪みの中に吸い込まれるように消えていった。スロイデル城全体が不気味な静寂に包まれる。


数分後、サキルたちがこの廊下に到着した時、そこにあったのは戦闘の痕跡だけだった。


辺り一面に散らばる木々の残骸、壁や床に刻まれた攻撃の跡。戦闘の激しさを物語る痕跡が、石造りの廊下に深く刻まれている。


しかし、フィリッドとエインの姿はどこにもなかった。


「隊長!副隊長!」


駆けつけた兵士たちの困惑した叫び声が廊下に響いた。戦闘の痕跡はあるのに、肝心の二人がいない。


サキルは無言で戦闘現場を見つめていた。その表情には深い不安と、そして抑えきれない怒りが宿っている。


「奴は消えたか……」


タシュアが去った時には既に『再厄』の面々は全員撤退を完了していた。

メレーシェル、ミリーレテ、グレイス——城壁での戦闘に参加していた者たちも、まるで最初から存在していなかったかのように姿を消している。


城の外に出ると、スロイデルの惨状が一望できた。


かつて美しく整然としていた軍事都市は、今や半分が瓦礫の山と化していた。

炎に包まれた建物、氷に覆われた街区、そして至る所に散らばる兵士たちの遺体。


フィリッドとエインは連れ去られ、その他にも多くの兵士たちが命を落とした。

スロイデルを守ろうとした者たちの尊い犠牲が、無情にも踏みにじられた結果がそこにあった。


「撤退だ」


サキルの重い声が、生き残った兵士たちに響いた。


『再厄』による襲撃は、勝利と呼ぶにはあまりにも多くを失い、何も得られない形で終結した。

彼らの真の目的が何だったのか、なぜスロイデルが標的となったのか、そしてフィリッドとエインがなぜ連れ去られたのか——全ては謎に包まれたままだった。


ただ一つ確実なことは、『再厄』は何かしらの目的で動いていることだ。

何故ならこの『再厄』による主要都市への襲撃はゼルグだけではなく、他の六国にも仕掛けられたのだから。


一週間をかけて一日一国、まるで全ての国の戦力を平等に削ぐようにーー







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