次なる惨劇②
「はぁ、はぁ、はぁ……侵入者の人数と、奴らが操る異能についての情報を取得いたしました!」
血と硝煙の匂いが微かに残る兵舎の廊下に、切羽詰まった女性の声が響いた。二十歳前後と思しきその女性兵は、息を荒げ、肩を激しく上下させながら、必死の形相で報告を続けている。
切れ長な瞳が特徴的な凛とした面差しは、普段ならば冷静沈着な印象を与えるのだろう。だが今は脂汗と土埃にまみれ、頬には浅い切り傷が走り、その表情は深い悲痛に歪んでいた。軍服の所々に血が滲み、激戦を潜り抜けてきた者の痛ましい姿がそこにあった。
「なんだと!? さっさと教えろ! 突然侵入してきた敵は一体どんな奴らなんだ!? 取り敢えずは人数を教えろ!」
その切羽詰まった報告に反応したのは、同じく焦燥に駆られた様子の、ガタイの良い中年の男性兵だった。顔には深い皺が刻まれ、その声には苛立ちと、隠しきれない不安が滲んでいる。スロイデル城への侵入——それは今まで一度も起こったことのない、あってはならない事態だったからだ。
「はい! 敵の数は四人と思われます! うち二人は個人名が判明しました!」
女性兵は間髪入れずに、縋るような視線を男性兵に向け、必死な声で答えた。その声は震えながらも、驚くほど明瞭に響く。まるで自らの命を懸けて情報を伝える者の、それだった。
「そうか……判明している敵二人は誰だ?」
中年の男性兵もまた、今の状況に対して切羽詰まっていた。彼女を労う言葉一つかける余裕もなく、手短に次の情報を求める。彼の頭の中には、すでに最悪の事態が幾つも描かれているのだろう。
まるでそれを予測していたかのようなタイミングで——
「はい! 一人は『紫蝕の悪魔』タシュア・イーライグ! 二人目は『蒼赫魔』フォルデです! 他二人は正体・能力共に不明ですが、相当の手練だと思われます!」
女性兵は中年の男性兵だけでなく、周囲の兵士たちにも聞こえるような音量で、早口だがしっかりと聞き取れる速さで告げた。
その名前を聞いた瞬間、周囲の空気が凍りついた。
『紫蝕の悪魔』タシュア・イーライグ——その名を知らぬ兵士はいない。
数々の要塞を陥落させ、無数の兵士を葬り去ってきた災厄の化身。
そして『蒼赫魔』フォルデもまた、炎と氷を操る狂気の殺戮者として恐れられている存在だった。
「……よく伝えてくれた! 皆の者も聞いたな! この情報を——」
ここで初めて中年の男性兵は、一言ではあるが女兵士を労う。血と汗にまみれ、震える声で重要な情報をもたらした彼女への敬意を込めて。その短い言葉には、感謝と、そして「よくやった」という承認の響きがあった。
それからもたらされた情報を一刻も早くスロイデル城にいる近衛兵に伝えるべく、周りの兵士たちを見渡すが——
「待ってください! その敵の異能についての情報の伝令役を、私に任せてはいただけませんか?」
そんな予想外な女兵士の言葉に、中年男性兵は一瞬言葉に詰まる。その理由を問うまでもない、と直感したからだ。だが、彼は敢えて問いかけた。
「……何故だ?」
しかし、その理由は聞かなくとも大体は予想できた。戦場で生き残った者が背負う、あの重い想いを。
その予想に違わず、女兵士はその凛とした面差しを深い悲哀に満たし——
「……私の所属していた第六守衛隊は、私以外全滅しました……。私を……私なんかに情報を伝えさせる為に、隊長は……隊長は……」
決して泣くまいと必死で堪えているのだろうが、頬を伝う涙はその意思とは関係なしに流れ落ちていく。それでも嗚咽だけは堪え、「だから」と言葉を継ぐ。
「この情報は私が伝えたいと思います! それが……託された私の使命なんです。それに……私ごときよりも、ここにいる特殊守衛隊の方々の方が、奴等を倒せる可能性が高いです」
「一刻も早く侵入者を倒してください。お願いします」
そんな女兵士の様子を見て、中年の男性兵の胸に熱いものがこみ上げるのを感じた。
戦場で仲間を失った者の痛み、それでも使命を果たそうとする意志——それは兵士として、人として、尊敬に値するものだった。
「……わかった。いけ! 時間がない! 一刻も早く近衛兵の方々に伝えろ!」
本来ならスロイデル城内に守衛特殊隊以外の者を入れてはいけないのだが、中年の男性兵は非常時と割り切り独断で判断した。
その独断に異議を唱える者も周りにはいなかった。
特殊守衛部隊の者たちは普段、肉親や一般の民の友人に会えない。そのため部隊の仲間意識は強く、同じ境遇の者への同情的な感情も人一倍強かった。このシステムの思わぬ弱点と言えるだろう。
しかし、何よりも女兵士の言動には不自然さが全く見られなかった。彼女が第六守衛部隊に所属しているということも既に調べられ、真実だと確認されている。
それに、この泣き崩れる状態の彼女がここにいても、正直邪魔になるだけだと中年の男性兵は判断したからでもあった。
「…………ありがとうございます」
女兵士は呟くように感謝の言葉をこぼし、スロイデル城内へと向かった。
中年の男性兵はそれを敢えて無視し、周りの同部隊の者たちに指示を飛ばす。
——侵入の手助けをしてくれてありがとう。
女兵士が城門からスロイデル城へと入城する際に、口の端をほんの少し狂ったように歪めたことに、彼は気づくことができずに——。その瞳に一瞬だけ宿った、冷酷な光にも。
城の周囲を取り囲むのは、兵士たち専用の広大な居住区である。
この居住区には例外もあるが、スロイデルの政治家連中に認められた大将軍、将軍、一等軍、二等軍、三等軍までの階級を与えられた者たちのみが暮らすことを許されている。この厳格な階級制度こそが、スロイデルの軍事力を支える根幹だった。
さらには特有のルールもあった。
まず一つ目に、居住区で暮らす兵たちの衣食住はスロイデル側が階級別に用意したもので、厳しく管理されていた。自由な選択は許されない。すべてが統制され、管理された生活——それがスロイデル軍人の日常だった。
さらには兵たちのスケジュールも、一ヶ月に一日ほどの休みはあるが、それ以外は修練の日々と決められている。朝は日の出と共に起床し、夜は日が沈むまで鍛錬に明け暮れる。そうして鍛え上げられた兵士たちこそが、スロイデルの誇る精鋭部隊なのだ。
二つ目に、一般の民がその居住区に立ち入ることは、一番上の階級の大将軍の肉親のみ許され、将軍以下は肉親を居住区に連れて行くことはできない。
それでいて兵たちも、戦争で出陣が決まりでもしない限り、普段は居住区から出ることは許されない。
唯一、一ヶ月に一回の休みにのみ、居住区の外に出られる。と言ってもスロイデルの街の外には出られないわけだが。
更にその居住区にいる者の中でも、スロイデル城内に入ることができるのは大将軍と将軍の階級の者たちのみ。
そのスロイデル城への入城を統制し、常に護る役目を与えられているのが、特殊守衛隊と呼ばれる特殊部隊だ。
特殊守衛部隊は守りに優れた創造術を操る者たちで集められ、スロイデル城内に与えられた衣食住で暮らす特殊部隊である。
スロイデル城内で暮らせるのだから何不自由ないように思えるが、それは間違いである。むしろ居住区で暮らす兵たちよりも厳しいと言うべきだろうか。
城で暮らし、城の重要な情報を掴んでいるため、彼らの場合は一年に一日、城を出て肉親に会うことが許される。それも監視付きで、だ。
これも居住区に住む兵たちと同様に、スロイデルを出ることはできない。
そのような厳しい管理下でスロイデル城を護るシステムが構築されている。
そのため、兵のみ居住区は、万一スロイデルに侵入されたとしてもスロイデル城にまで不審者を侵入させないための「壁」の役割を十二分に果たしていた。
今までにスロイデルに侵入した者はいたが、スロイデル城まで辿り着いた者は皆無である。それもほとんど、このスロイデル城を囲むように張り巡らされた兵の居住区で捕まっていた。
また、万が一その居住区を抜けたとしても、スロイデル城には侵入することはできなかった。
故に、スロイデル城は今まで敵の侵入を受けたことがない。
スロイデル城は侵入不可と安全神話が囁かれているほどだった。
しかし——
…………!?
ッッッ!?
…………ぁ
ドサ、バタ、ドサ、バタ
スロイデル城内を警備する近衛兵が三人ほど、何の前触れもなく、糸が切れた人形のように崩れ落ちた。
血の匂いが石造りの廊下に漂い始める。静寂に包まれていたはずの城内に、不気味な沈黙が訪れた。
そうして安全神話は、いとも容易く崩れ去ったのだった。
スロイデル城内では大将軍並みの権限を持つ、フィリッド・スクレードル治安維持隊総隊長は、突然起きた騒動を収束するため、廊下を早足で移動していた。
スロイデル城内の廊下は全て豪奢なカーペットが敷き詰められている。そして、壁の左右に三メートル間隔で取り付けられた蝋燭が、その深紅のカーペットをぼんやりと照らし出していた。
そのようにスロイデル城内の廊下は、どこか幻想的でいて、ほんの少しだけ肌を撫でるような寒気を感じさせる独特の雰囲気を醸し出していた。
普段この光景は夜の宵闇がなければ成立し得ない光景なのだが、今日は曇天が空を覆い隠し薄暗かったため、一足早くそんな風情となった。
しかしフィリッドは、廊下の明かりを映して鋭く煌めく亜麻色の瞳に焦りを滲ませながら、廊下の醸し出す独特の雰囲気に欠片も意識を向けず早足で歩き続ける。
彼の脳裏には、先ほど受けた報告が繰り返し響いていた。
——城内に侵入者。兵三名が倒れている。
スロイデル城への侵入など、今まで一度もなかった。それが今、現実のものとなっている。敵は一体何者なのか。どのような手段で侵入を果たしたのか。そして、その目的は——。
すると不意に、彼を呼ぶやや高めの、幼さが少々残る声が左から聞こえてきた。
「隊長! 現状はどうなっておりますか!?」
フィリッドから見て左側には、やや小柄な身体につぶらな瞳、一見すると少女と見紛うような男がいた。また、「男」としても精々青少年がいいところの童顔の顔付きである。
実際は二十歳ほどなのだが。
小柄で女と見紛う童顔なのに年は二十歳の男という容姿に、初見の者の多くが驚く。フィリッドも彼に会った頃は驚かされたものだ。
だが彼の驚くべき点はこれだけではなかった。
彼の部隊の一員としての名は、エイン・トラデル治安維持隊副長である。
ただでさえその容姿に驚くというのに、副長というあまりにも不釣り合いな肩書きも持っていることが、更なる驚きだった。
といってもフィリッドは、エインが近衛部隊副隊長に任命された時はそれほど驚きはしなかった。まぁ、その分入隊したてのエインが頭角を現し始めた時には大いに驚愕したものだが。
そのようにエインの容姿は脆弱と言っても良いものなのだが、それで彼を侮るのは自殺行為である。
何故ならエインは容姿に似合わず途轍もなく高度な術を操る、治安維持隊の若きホープにして、今ではフィリッドの最高の相棒なのだから。
「待て、それ以上近づかないでくれ」
しかし、フィリッドはその最高の相棒であるエインに硬い声を浴びせる。
城内への侵入を許した今、誰を信じて良いか分からない。たとえ長年の相棒であっても、警戒を怠るわけにはいかなかった。
「……はい、これで信じていただけますか?」
意外なことに、エインはそれを聞いても微塵も動揺しなかった。それどころか、フィリッドが次に言わんとしていたことを先回りして見せる。
エインの手元にあった五本のナイフが宙に浮き、その内の一つが手近な蝋燭めがけて飛来した。
このままではナイフが蝋燭に命中し、落ちた蝋燭がカーペットを赤々と燃え上がらせてしまう大惨事となってしまうだろう。
しかし予想に反して、ナイフは蝋燭をすり抜けてブーメランの如く、くの字にエインの手元へと戻ってくる。
その本来なら驚くべき事象に、フィリッドは逆に安堵の表情を浮かべ、警戒を解いた。
もっとも蝋燭がカーペットに落下したところで、城内のカーペットは全て燃えにくい繊維で構成された代物故に、燃え広がることは決してないのだが。
それを見たフィリッドが同じ蝋燭に手を伸ばす。
ガツン
それだけで軽い音を立てて蝋燭がカーペットの上に倒れ、カーペットに少々の火が燃え移った。しかしやはり燃え広がることはない。
それを見たエインは呆れ気味で、
「隊長、どうするんですか? これ。後でめっちゃ叱られますよ?」
そう言いながら胡乱げにフィリッドを見つめてくる。
「今は非常事態だからな、後でどうとでもなる」
しかしフィリッドは、そのエインの胡乱げな眼差しを非常事態という一言で一蹴した。
「それよりも侵入した敵が気掛かりだ! 先を急ぐぞ!」
と更に時間がないことを強調し、強引に話題を打ち切る。別にエインの胡乱げな眼差しが居心地悪かったわけではなく、純粋に時間がないからだ。
フィリッドの心持ちを察し、エイン自身もこのような無駄話を続けるべきではないと判断して、フィリッドの傍らで並走し始める。
しかしすぐにフィリッドは、傍らのエインに向けて、その精悍とした鋭い面立ちを厳しい表情へと変えながら、先程中断させてしまったエインの問いに答える。
「そういえば先程中断させてしまったお前の問いについてだが、俺もまだ城内に何が起きたのかは何もわからない。現状わかるのは、城内に敵の侵入を許したということくらいだ」
何も詳細なことは言えずに、そう答えるしかフィリッドにはできなかった。
しかし、それだけの情報でもエインは、幼さを残す童顔をフィリッド同様厳しいものへと変える。
「そうですか……。では尚更先を急がなければいけませんね」
「ああ」
フィリッドがそれに短く頷いて肯定を返す。
それから数秒ほどは二人とも何も話すことはなかった。石造りの廊下に響く足音だけが、緊迫した空気を演出している。
「はぁ、はぁ、はぁ……フィリッド総隊長! エイン副隊長! 報告があります!」
しかし、不意に息を荒げた必死な声が、二人の行く先から聞こえてきた。
その二人の行く先には、治安維持隊の一員でフィリッドとエインの部下の男が、その淡白な顔立ちを必死な形相に染め、立っている。
「わかった、話せ」
そうフィリッドは冷静に応対した。
フィリッドも内心では焦燥に身を焦がしていたが、焦って対処するのは敵の思い通りなのだと焦燥を抑え込み、敢えて冷静に問いただしたのである。
そのフィリッドの冷静沈着な対応が、言外に「落ち着いて話せ」と告げているのに気付き、部下の男は荒げていた息を数秒かけて整えた。
それから落ち着いて頷き、尚もフィリッドに近付きながら報告しようとする。
「はい、実は……」
だが——
「待て、それ以上俺に近付かずに報告しろ」
近付いてくる己の部下の報告を、不意に硬い声で遮った。
「そ、それはどういう!?」
部下の男は狼狽する。エインのようにはいかないようだ。
そんな部下の男に言い聞かせるように、
「すまない、別にお前を侵入者と決め付けているわけではない。だが城内にまで侵入されたのなら、敵は味方に成り代わっていると考えるべきだ。念の為にそこから報告してくれ」
理由を釈明する。
「な、なるほど。確かにその可能性はありますね……」
と部下の男は、フィリッドの釈明を聞き、すぐに狼狽を収めて納得した。
その納得を示すように、並んで立つフィリッドとエインから一メートル半ほどの距離で止まり、再び口を開く。
「では、報告します。侵入者は——」
!?
だがその報告が始まった瞬間に、フィリッドとエインは素早く背後へと跳躍した。
直後にフィリッドが先程までいた場所に敷かれていたカーペットに、水の槍が降り注がれた。
シュッ、シュッ、シュッ——
鋭い音と共に、カーペットに無数の穴が穿たれていく。普段は絶対に見られないはずの大理石の床が剥き出しになってしまっていた。
「…………!?」
だがフィリッドには、そのカーペットの惨状に意識を向ける時間はなかった。
何故なら背後へ跳躍したフィリッドの動きを読んでいたかのように、跳躍した背後からさらなる水の槍が襲いかかってきたからである。
しかし、フィリッドが鋭く睨むだけで、その水の槍は右側から尋常でない圧力を受けて一つ残らず破裂し、元の水へと戻り、カーペットを濡らした。
「…………だ、大丈夫ですか隊長!?」
そう部下の男が驚愕に表情を支配されながらも、必死に叫びながらフィリッドに近付いてくる。
しかし——
「寄るな」
フィリッドの鋭く冷たい拒絶を示す声が、決して高い声ではないのに関わらず重く廊下に響き渡る。
「…………!?」
部下の男は、いきなりの強い拒絶によって、さらなる驚愕に打ちひしがれたように絶句する。
一方のエインは落ち着いたもので、早くも戦闘態勢に入っていた。手元のナイフが再び宙に浮き、いつでも攻撃に転じられる体勢を整えている。
フィリッドは傍らの相棒の察しの良さに頼もしさを感じながらも、部下の男の様子を完全に無視して、
「近付くことを禁じられ、不自然に反論することも不信を招くと考えた貴様は、代替案で俺を仕留めることにした。貴様は報告する直前から俺の頭上に水の槍を生成させておき、報告と共に俺の意識が貴様に集まった瞬間を狙って、水の槍で俺を仕留めようとした」
「…………」
「そろそろ姿を見せろ」
それからフィリッドは、急に黙り込む部下の男の——いや、部下の男の皮を被った悪魔の皮を剥ぐトドメの一言を言い切った。
「……あはははは、やっぱバレちゃったかぁ〜」
すると部下の男は畏まった態度を豹変させ、両の瞳を青紫色に光らせながら、男性としてはやや高い声で不気味に笑った。
そして悪魔が化けの皮を剥ぎ、姿を見せる。
先程までフィリッドの部下の男だった容貌が、その顔の造形も体格も全てが不気味に変化していく。肉がうねり、骨が軋むような音が微かに聞こえる。まるで粘土細工を作り変えるかのように、その姿は別人へと変貌していく。
そのような不気味な変化が終わった後にそこにいたのは、一人の男だった。
飄々とした軽薄そうな笑みを浮かべている姿は、一目見ただけで狂っているとわかるマッドサイエンティストのような印象を与える。青紫色の瞳に狂気の色を浮かべた男だった。
その男は口元の狂ったような笑みを更に歪め、フィリッドを見ながら狂気を孕みながらも、
「やぁやぁ、こんにちは。それともこんばんはと言うべきだろうか? まぁ、どちらでもいいか。僕はタシュア・イーライグ。『紫蝕の悪魔』なんて大層な二つ名で呼ばれてるけど、気にしないでくれ」
不気味なほど明るい声音で言った。
その瞬間、エインの表情が強張る。『紫蝕の悪魔』タシュア・イーライグ——その名は、数多の戦場で恐怖と共に語り継がれてきた災厄の象徴だった。
それに対してフィリッドは、
「いや、挨拶は必要ない。『じゃあな』と別れの挨拶をするだけで十分だ。——何故ならお前はもう後少しで死ぬからな。《紫蝕の悪魔》タシュア=イーライグ」
そう、腰を落として戦闘態勢になりながら、苛烈な敵意と殺意を混ぜ込んだ言霊を、目の前の狂気の笑みを浮かべた悪魔に向けてぶつけたのだった。
それを見てタシュアは、ますます狂気の笑みを深くして、
「いいね、いいねいいよ! 楽しみだなぁ。君たちはどんな『想い』を見せてくれるんだい? 絶望? 怒り? それとも……愛? あぁ、考えただけでゾクゾクするよ」
そう嗤った。
廊下に響く狂気の笑い声が、スロイデル城内に戦いの火蓋が切って落とされたことを告げていた——。




