試練の戦②
スレイ・デイルは上流貴族に仕える中流貴族の出身だ。
故に家のしがらみなどもあるはずだったが、三男ということで自由ができ、戦場に行く機会を得られた。
スレイ自身も戦場に出たいと幼き頃より武芸に精を出し、願っていたのも大きい。
初陣は熾炎隊でのものだった。
それはアーヴィルが百の兵で隊を結成してから千の規模になった頃であり、以降アーヴィルの意思に共感して軍の成長に貢献してきた。
スレイがいたからこそ三年ほどで三千規模まで拡大させられたといっても過言ではない。
戦歴はアーヴィルと同程度の三年。
戦国の世で将となる者の中では比較的短い。
しかしその実力はそこらの将とは比べ物にならない。
「スレイ、お前になら俺の背を預けられる。なんていったってお前はこの軍における武の要だからな」
そう言うように隊長アーヴィルからの信頼も厚く、武においても抜きんでている。
アーヴィルと双璧を成し、敵に恐れられるほどに。
スレイは単純な武においても天賦の才があったが、同時に創術の才もあり、故にこそ他を圧倒することができた。
とはいえ何も特別な属性の創術だとかそんな力はない。
スレイが実践で使えるレベルの属性は水土木氷の基本属性の内の土と木のみ。
他には身体強化と硬化術を使える、といった感じだ。
それぞれの練度も常人を大きく上回るわけではない。
しかしその使い方に他との圧倒的な違いがあった。
スレイは白兵戦で高速戦闘を繰り広げながらも、同時に正確無比に創術を展開することができる。
言葉で聞くだけではそこまで圧倒的な力には感じないかもしれない。
しかし創術の仕組みを考えれば規格外の力だとわかる。
創術とは肉体の中を流れる魔力を媒体として本来世界に起こるはずのない事象を起こす力だ。
異能とも言い換えられるその力は、術式を組み上げその規模と密度に合わせて発動する。
故に術式が複雑であればあるほど術式を作るのに難易度は増し、より多くの時を要した。
どれだけ技巧を極めた者でも複雑な術式は展開の速さのみを得るのがやっとで、高速戦闘の中で操るなど到底不可能だ。
それらを考えればスレイの使う創術は畏怖すら覚えるほどに圧倒的なものだとよくわかるだろう。
味方の兵に援護させればよいともいうかもしれないが、どれだけ連携が上手くとも敵への攻撃が邪魔になることもある。
しかしそれが一人で全てできるのならより完璧なタイミングで武と創術の連携をきめることができる。
天賦の才だけではない、血の滲むような鍛練といくつもの実践経験が得た力だ。
スレイがこれまで倒した敵兵の数は軽く一万を超え、歴戦の将などと呼ばれる強者を倒してきた。
故にこそ今回の戦では『闘極者』と呼ばれ畏れられている猛者、エイリュウ・レイダムを食い止める役割を担ったわけだ。
しかし——
「はぁ!」
「ぐぅ!?」
今回ばかりは敵の格が違い過ぎた。
エイリュウの左手の掌底が防御をかいくぐり、確かなダメージを与えてスレイを吹っ飛ばす。
「くっ……」
だが地面に足を擦らせ、何とか耐えきってみせた。
「へぇ、僅かに身体を逸らして衝撃を逃したか。やるな。今ので行動不能にしたつもりだったんだが、予想以上にしぶとい」
「はぁはぁ……はぁはぁ……ふぅ……まぁな、しぶとさとしつこさには定評があってよ」
——なんて野郎だ……こいつ化け物かよ。
息を乱すことなく関心したようにエイリュウが頷き、スレイも息を荒げながらどうにか笑みを作り答える。
だがその内心では戦慄していた。
——甘かった……認識が甘過ぎた。『闘極者』の名は伊達じゃねえ。
足止めと体力を削ることが目的ではあるが、それすら満足に果たせそうにない。
今まで相対した敵の誰よりも速く、一切の無駄がない動きをしてくる。
「瞬殺できると思ったんだけどなぁ、もう十分くらい経っちまったよ」
エイリュウはそうぼやくが、今思えばその十分という時間稼ぎもこの男相手ならば上等だろう。
認めたくはないが事実だ。
しかしまだまだ稼ぐべき時間が足りない。
何故ならユインの囲い込みが成功ししなかったから。
ユインらが早々に囲い込みが成功させていれば、実力で劣っていたとしてもエイリュウを止めることは十分可能なはずだった。
そうなればエイリュウの突破力に頼った敵軍の戦法を封殺することができ、大局を塗り替えることができる。
つまりスレイがエイリュウを抑え込む時間は十分でも充分だったのだ。
しかし読まれていたのか、意識を向けてみればユイン達の囲い込みが止められているのがなんとなくわかった。
後方のディルン自らがくるには戦況が熟してないし、兵を使って何かしら打開策を見つけようとしているのがわかった。
しかしその場合エイリュウの足止め時間はまだまだ足りない。
「まぁもう見切ったから次で終わりだな」
とはいえ次を止められる気もしない。
「くっ、やってみろ!」
「まぁ慌てるな。やる前にここまでやったあんたの名前くらいは聞いておこうか。改めて、エイリュウ・レイダムだ」
「……スレイ・デイルだ。けどこれで終わりなんてさせねえぞ」
それでもやるしかない。
「いいぜ、スレイ・デイル。次を耐えられたらもっと褒めてやるよ!さぁ、続きだ」
そうして両者は再び構え直し、
「——!」
「らぁぁぁ!」
スレイは憂いを強がりと裂帛の気合いをもって搔き消し、迫り来るエイリュウに叩きつけんとした。
スレイの大剣が唸りを上げて袈裟に振り下される。
同時にその右斜め下方と左斜め下方の大地から木の杭がそれぞれ三本ずつ生えてエイリュウを狙う。
それだけではない。
獲物を横に逃さないように、土壁がエイリュウの左方と右方にも展開された。
全てタイミングは完璧。
同時に創術を使ったというのにスレイの斬撃も重く鋭い。
空中に逃れれば格好の的であり、普通に考えれば背後しか逃れる術はないだろう。
そしてそうさせる為にこれほど仕掛けているのだ。
大抵はこれで詰みあるいはそれに近しいところまで追いつめることができる。
「はっ、だからもう見切ったっていってんだろ?」
しかしエイリュウは一笑に付した。
目にも留まらぬ攻撃……おそらく蹴りだろうか?とにかく一瞬で土壁が破壊され、場所を確保されてしまう。
その間隙を襲う筈の木の杭がエイリュウをすり抜けた。
いや回避の動きが速すぎてそう見えているとスレイは既に知っている。
これがエイリュウが手強い最たる理由。
無駄がなく尋常でない速さは、地を水平に滑っているかのようにみえ、どれだけ攻撃を放ってもあたかもすり抜けているかのように感じるのだ。
確か『氷舞』などと呼ばれていただろうか。
氷の上を滑るように舞い、どんな攻撃も舞い降りる雪のように手応えがない。
身体能力を最大限に向上させ、その肉体を完全にコントロールしてみせる神業だ。
ただでさえ至難極まりないこの業を皮兜で視界を限定されながらやってのける。
それがエイリュウが『闘極者』と畏怖される理由だ。
「それでも!」
しかしどれだけ強大な力だろうと圧倒されて良い理由にはならない。
スレイにこの戦の全てがかかってるといっても過言ではないのだから。
大切な人達を守る為に躊躇わず大剣を振り抜く。
だが次の瞬間エイリュウは左に高速移動してきた。
そして振り抜かれる大剣の腹に右手の曲剣を器用に逆袈裟に振り、斬撃をあてて逸らされる。
哀しきかな同時に繰り出した筈の斬撃も、高速に動いているエイリュウにとっては微かなタイムラグがあるのだろう。
「これで終わりか?」
そう、これで全ての仕掛けは崩されたわけだが、
「まだだ……ぐぅ!?」
もうこの男の速さが規格外なのに驚くことはない。
故に大剣が弾かれるのを予想して、右側から成人男性の拳を一回りも二回りも上回るでかい礫が複数鎧に当たるように放っておいた。
その衝撃で左に身を投げ出すことができ、斬撃を逸らされた後の硬直を縫ってエイリュウに迫られることは避けられた。
スレイ自身の身を削る強引な方法ではあるが、これ以外にない。
「だが……これで……!」
「はっ、やるじゃねえか。けど無意味だ!」
流石のエイリュウもそれは読めなかったのか、足を止めた。
しかしそれも一瞬のことですぐに向かってくる。
スレイは今バランスを崩しているのだから、その機を逃してくれる筈はない。
「させるか!」
だがそれを狙ったわけでもない。
仕切り直しを目的とした回避であり、当然この後の手も考えている。
吹き飛びながらも強引に体勢を整えながら術式を発動。
常人では不可能な芸当だが、スレイならば可能だ。
無数の木の杭が大地から盛り上がり、迫るエイリュウを阻む。
「無駄だ!」
だがエイリュウは鼻で笑い、残像が見えるほどの高速で全てを回避してきた。
そして刃が鈍い光を放ち、振り下ろされんとする。
「ここ!」
しかしそれも予測済み。
無数の木の杭は一つの場所に誘導する為の布石に過ぎない。
故にエイリュウが回避を開始する時には既に術式を編み上げ、放っていた。
三本の木の杭が回避した先のエイリュウの胴を狙い、大地から突き上がる。
だがそこでスレイは見てしまった。
エイリュウの口元に浮かぶ笑みを。
三本の杭の間を絶妙な体位ですり抜け、懐に入られる。
「終わりだ」
「くっ!?」
咄嗟に両手で頭を覆い、全身を包む鎧の硬度を最大にあげる。
スレイがもつ鎧は術式の展開を補助する特殊な創具だ。
鎧そのものに作用させる術式にのみ効果がある故に、スレイは硬化しかその創具の補助を受けて発動することはできない。
だが逆に硬化ならば鎧の硬度を自由自在に操ることができ、部分的に硬化することも瞬時に全身を岩よりも硬くすることも可能だ。
全身を覆う鎧で刃は通さず、例え掌底を受けたとしても最大硬度ならば耐えられる。
「--!」
ーーエイリュウに別の手がなければ。
「なっ!?」
彼の左の掌に妙な揺らぎが起こり、同時に放たれた掌底でその謎のパワーが鎧を貫通して衝撃を伝えてくる。
スレイは体勢を大きく崩して仰け反り、頭を覆う両手が引きはがされた。
「しまっ!?」
そしてエイリュウの右手に持った曲剣の刃が無防備となったスレイの頭部へと振り下ろされる。
もう防ぐ術はない。
——すまねえ、ヴィル……。
スレイは何もできずにただ迫り来る死に目を閉じた。
瞼の裏に親友の顔を思い浮かべ懺悔と共に覚悟を決める——
ガギン
しかし刃は虚空で突然できた障壁に阻まれたのだった。
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「……何のつもりだ?」
サキルは周りにいた兵に刃を突き付けられ、その指示を与えたであろう男——アーヴィルを睨む。
「それは俺らのセリフだ」
彼もまた紅の瞳に敵意を宿して睨んでくる。
そして逆に問うてきた。
「何のことだ?」
「惚けるな。お前が今何かしらの術を使ったのを俺らの感知部隊が感知した。約束した筈だぞ、介入はしないと」
感知されたならば、しらを切ったとしても無駄だろう。
創術を使う瞬間はその性質上魔力の変化が顕著にみられる。
故に感知にかけられていたならばどんな創術かはともかくとしても創術を使ったことくらいは簡単にわかるだろう。
抜け目のない男だ。
しかし今力を使う大義名分はサキルにある。
だからこそ反論材料には事欠かない。
「……約束というならそれこそ剣をどけさせろ。今お前らが少しでも俺に危害を加えたならばスレイとかいうお前の仲間は死ぬことになるぞ」
その筈なのに、出てきたのはそんな誤解を招きかねない言葉だった。
翳りのない頃だったらともかく、今は曲解するに違いない。
「何?この状況で人質をとるつもりか?どこまで腐ってるんだ!……調子に乗るなよ。お前の刃が届く前に俺がお前を——」
「そんなわけがあるか!先程俺が術を使わなければスレイ・デイルは確実に殺されていた。今も危ない状況だ。邪魔をするんじゃない!」
状況を微塵も考えずサキルを蹴落とすことのみに思考を無駄遣いするアーヴィルの在り方に苛立ちは限界値を超えてしまう。
らしくなく冷静さを失い怒鳴ってしまった。
まだまだ技量が足りない。
サキルは右眼の白銀の瞳を使えば原理はわからぬが、風と擬似的に視野を共有して、離れた場所を視ることができる。
シゼリ荒野から目覚めた後に何故か使えるようになっていたのだ。
そしてその眼を使えば、対象を視認しなければ発動できないという創術の原則を満たしたままに、 視界の範囲外で術を使うことが可能だ。
これは画期的な力で、創術の常識を覆すようなものである。
しかしながら当然弱点もあった。
別の場所を視るにはそちらへと意識を集中しなければならず、通常の視界が疎かになり思考力も低下してしまうことだ。
少なくとも今のサキルは別の場所を視ながらでは、戦闘どころかいつも通りに話すことすら難しい。
それが今スレイの戦闘を視ているサキルがいつになく冷静さを欠いた言動をしてしまった理由だ。
もっとも——
「俺は信じないぞ。そんな力は見たことも聞いたこともない。況してや同じ国に居たのに気付かないなどあり得ない。お前はその見え透いた方便で何をしようとしている?」
アーヴィルは頑としてそんな力はないと信じ込んでいるようだが。
前の戦であんなに派手に力を使ったが、あまり周りには伝わっていないらしい。
故に話が通じない。
それが更に苛立たせる要因の一つとなっている。
いっそこれがサキルの道に無関係な相手だったら良かったのだがこれから軍師となる以上は先の関わりも考慮しなくてはならない。
こんな男でも今は説得するしかない。
少し息を吸って冷静さを戻し、
「……何と言おうとスレイが危ない、それは事実だ。確かに彼の技量ならばそこらの将を容易に圧倒できるだろう。だが今回だけは相手が悪い、エイリュウ・レイダムは規格外だ。早く助けなければ本当にやられるぞ」
「それは……」
「陣の外まで聞こえておるぞ。兵を不安にさせるでない」
「……もういい。戻ってきたかディルン、あんたがさっきから兵を動かしているのはわかる。だがそれではこの戦局が変わることはない。早く何かしらの手を打たなくては」
言い淀むアーヴィルは後回しにして、丁度陣に入ってきたディルンに水を向ける。
長年戦場を渡り歩き、経験を重ねた彼ならば動かすことができるかもしれない。
実際既に兵を動かして状況を打破しようとは試みているのだから。
とはいえ問題はサキルへの敵愾心だが——
「……わかっておる。だが手を打つとはいっても具体的にどうすれば良いのだ?儂が出ればそれこそ奴らの思うツボ、エイリュウ軍はまだまだ戦力を隠し持っておるだろうよ」
ディルンは一瞬の逡巡はあれど、確かにサキルの目を真っ直ぐに見て問いに対し考えを示した。
その態度の変化は彼が戦況を正しく認識し、意固地を捨てた証。
ならばサキルにもやりようがある。
「確かにその通りだ。そして俺が出たとしてもエイリュウを止めることは可能だろうが、戦況そのものを変える種火にはなり得ない」
「ならばやらなければならないことは一つだろうて」
「ああ、そうだな」
戦況への認識を共有し、同時に打開策も一致した。
さすがに数多の戦場を渡り歩き、老年まで生き抜いてきただけはある。賢明だ。
問題はそれをどう成すかだ。
しかしその鍵を握る男アーヴィルは——
「待ってください……待ってくださいよ!何故こんな奴とまともに話してるんだですか!こいつは信用できません。こいつの言う事をまともに聞いたら俺達は終わる。なのに何故、何故ですかディルン様!」
戦況を考えることなくただただ変わらずサキルを貶めることに腐心していた。
最も信頼すべき仲間である筈のディルンにさえも信じられないものを見るような目を向けて、疑心暗鬼になっている。
そんな変わり果てた醜さをみせるかつての太陽を前にしても、ディルンは優しげな垂れ目はそのままに、笑みを浮かべる。
それはまるで孫を見守る祖父のような笑みで、
「ヴィルよ、お前の気持ちは痛いほどわかる。儂もこんな男など信用できないし、夢半ばで倒れたライの事を想えばこの場に立たせてることが許せなくなる」
想いは同じであることを言い聞かせる。
「それなら……」
そこに嘘偽りはないように感じたのだろう。
アーヴィルは我が意を得たりと不安な顔色を綻ばせるが、
「だが、そうも言ってはいられまい」
「————」
一転してディルンの瞳が厳しいものに変わり、アーヴィルは一瞬何を言われたのかわからないように言葉をのんだ。
「儂は兵を通じて今の状況を把握して、こやつの言うことは間違いではないと知った。スレイはエイリュウ・レイダムに追い詰められて限界が近付いており、ユインも別の敵将と一騎討ちをしていて抑えきれておらぬ。またその二人を囲うように敵軍が押し込んできた。このままでは確実に儂らは負けるぞ」
「それは……」
「確かにこの男は許せないが、疎んじている間に儂らが負けて全てを失ってしまえば本末転倒だ。この男の前に片付けるべき相手がおるだろう」
「……だからといってこの男の話に耳を貸す理由にはなりません。ディルン様も檄ではあんなにもこの男を敵視していた筈ではありませんか。なのに何故ですか!」
アーヴィルの指摘は正しい。
この戦いをサキルを追い出す為のものとしたならば、行動の整合性が取れなくなる。
サキルを追い出すこともほぼ不可能になる筈だ。
「確かにそうだな。檄で利用して我ながら都合が良いとは思う。だがここまで戦況が悪化してしまえばそうも言っていられまい。この男の力なしでは勝てないところまで戦況を悪化させてしまった儂の責任だ」
それでもディルンは何が最善かを考え、自ら賭けの負けを認めてでも戦争の勝利を選ぼうとしている。
「……俺にも責任があります。それならば尚更俺らの力で状況を打開すべきじゃないんですか?この男の力を借りずに俺達だけで戦況を変えるんです」
だが対してアーヴィルは変わらずにサキルを排することのみしか頭にないようだ。
説得として筋は通ってるが、所詮絵空事で実がない。
「……もしヴィルがそう思うのならば、今儂らはどうすれば良い?」
「……兵を動かして敵軍の意識を撹乱しつつーー」
「兵力差もあるのだし無為に兵を動かすこともできまい。そも、あのエイリュウ軍にそんなものが通用するとも思えん」
「それは……」
浅く言及されただけで言葉に詰まるのがその証左だ。
「このまま今の戦況が続く中で儂が出ていけば良くなるかもしれんが、敵軍が黙ってる筈もあるまい。それで戦況が好転しなければ儂らにはもう打つ手がなくなってしまう」
俯くアーヴィルにディルンは厳しい面持ちと声音で諭す。
ただそこにアーヴィルを追い詰めるような意図を感じるのはサキルの気のせいではないだろう。
「俺が残ります。それなら」
「それで何かを変えられると本当に思っておるのか?」
何故なら先程の指摘はアーヴィルの逃げ道を塞ぐ為のものなのだから。
「それは……」
「ヴィルよ、お前もわかっておるはずだ。今この絶望的な戦況を変えられるのはお前しかおらん」
「ですが今の俺は……」
「ライを失ってから、儂はお前の心の傷に触れることを避けて見守ることにした。無為にその傷口広げてしまうような気がしたから」
「だがそれは誤りであった。そういう時だからこそ支えてやるべきであった。この歳になっても誤る一方だな」
「そんな……そんなことは……」
ディルンは両の瞳でしかとアーヴィルを見据え、両肩を掴む。
その視線は、言葉は光を苛む陰りに向けているかのようでもあり、
「だがもう決して誤ることはない。ヴィルよ……いやアーヴィル。もうライの代わりになろうとするのはやめよ。お前では代わりにはなりえない」
「……っ!」
断言、厳しい言葉でアーヴィルを突き放す。
しかし昨日の檄を聞いただけの短期間とも呼べないが、ディルンのやり方は理解したつもりだ。
「だがヴィルにはヴィルの誰にも代わることができない役割がある。皆の希望、それがお前なんだ」
下げて上げるのがこの男のやり方だ。
「!!……けどもう俺はライを失ってしまいました。護れなかった。俺自身もうどうすれば良いのかわからないんです」
サキルよりもディルンとの付き合いが数十倍も長いアーヴィルならばすぐにわかったかもしれない。
だが彼を押し潰す後悔がそれを是としなかったのだろう。
「その荷が重ければ共に持とう。苦しければ共に苦しもう。もう、ライの想いを一人で背負い苦しまないでくれ」
だがディルンはそんな恐怖に震えるアーヴィルを優しく包み込むような温かさをもって語りかける。
「俺は……」
アーヴィルは迷うように目を細め、口を開閉する。
右腰に吊った長剣の鞘を右手で強く握りしめていた。
このまま彼が立ち直ってくれれば光を示して今の戦況を覆してくれるかもしれない。
エイリュウを退けるだけでなく、劣勢の隊の皆に希望の火を灯すことができる。
この次のアーヴィルの答えで全てが——
「ぐっ!?」
「!!どうした戦況に動きがあったのか?」
そんな時に思わず苦鳴をあげ、水を差してしまった。
突然のことに顔を上げ、慌てて問うディルンの声を聞き、サキルが右眼を抑えて歯噛みをする。
最悪だ。邪魔をするつもりはなかったのに。
ただもう本当に時がないのも事実だ。
右眼が捉える景色はスレイが限界を迎えながらも気力で踏みとどまり戦う満身創痍の姿であり、彼を助ける為に力を多く使い過ぎた。
もう時を稼ぐのも限界に近い。
「ハァハァ……スレイ・デイルがもう限界だ。ハァ……俺も力を使い過ぎた」
「!!」
戦友の危機の報せにハッと息をのむアーヴィル。
兵の流れや時々聞こえる敵兵の歓声、先程よりも大分わかりやすい故に、今度はサキルが芝居をしていると決め付けることはできなかったのだろう。
「俺はお前の軍師ライガーと顔を合わせたことはない。だが彼の人となりは知っている。だからこれだけ言わせてくれ」
とはいえそのように最悪な状況をアーヴィルが認めたとしても、サキルから言えることは決して多くない。
「…………」
口を開閉しながらも飛んでくると予想していた文句は聞こえず、一言も発すことはなかった。
ディルンの説得を聞いて心が揺さぶられたこと、スレイの危機とそれを伝える為にサキルが力を尽くしていることの全てが作用してるのかもしれない。
以前厳しい状況だが、大きく息を吸って呼気を整える。
そしてアーヴィルを真っ直ぐに見据え、
「失くした仲間の意思と共に戦う仲間の想いを決して無駄にするな。全てを失う前に——俺のようになる前に」
たった一つ、それだけを伝えた。




