アーヴィル軍
アーヴィル軍には元々ライガーという軍師がいた。
今まで軍の隊の構成から戦争における陣の組み立て、施策まで全て彼が行ってきており、いわば軍の核ともいうべき主要人物である。
しかしただの軍師というだけではなく軍発足当初からいる最古参にしてアーヴィルの親友でもあった。
幼馴染、そういえば二人の関係性は十分伝わるだろう。
「俺が策を練って助けてやる。だからアヴィは敵を薙ぎ払いまくってくれ。そして全てを変えてやるんだ」
「ああ、任せておけライ。お前の策があれば楽勝だ。絶対勝ち続けてこんな争いの絶えない世界を変えてやる!」
互いを愛称で呼び合い、幼き日から二人で戦場に立ってこの理不尽な世界を変えようと夢を語らってきたのだから。
そしてそんな幼き夢はそれぞれが才覚を現してきたことで、不可能と笑う者は少なくなった。
アーヴィルは力を覚醒させ、剣においても並々ならぬ天秤を示し、ライガーは頭脳明晰で百の隊でも千の軍に勝てるほどの策を練る天才となって異能にも恵まれた。
そんな二人がいればどんな相手も敵ではない。
ライガーが策を立てて盤面を作り、アーヴィルが実行、その存在感をもって戦場を掌握し勝利するーーそれがアーヴィル軍の常勝戦術といってもよかったのである。
ライガーが知を、アーヴィルが武を担い、隊員に恵まれたのもあって今までほぼ無敗で三千規模の隊まで成り上がることができた。
とはいっても二人の内どちらか片方でも欠けていれば不可能だっただろう。
実力的に、というのも十分ある。
片方だけならば戦争に勝つことそのものが困難だっただろうから。
しかしそれ以上に二人の在り方は良き人材を惹きつけ、強固な軍を作った。
最初は単純な利を求めて入隊した者が殆どだったが、彼らと戦場を駆ける内にその大願に共感し、共に夢を追いかけたいと思う者が増えていく。
その評判が伝わって強く有能な将が加入し、若手最有力と目される軍へと成長できたのだ。
故にアーヴィルとライガーがいれば隊は強固になってゆき、これから先も決して敗北することはないだろう。
そして夢を叶える事もきっと可能だ。
無論、決して簡単にはいかない。
苦戦し、大切な戦友と死に別れて心が折れそうな時も多々あるだろう。
それでも二人が揃っているならば全てを堪えて夢を叶える事はできた。
なのに、それなのに何故——
「何故……何故死んでしまったんだライ……」
ライガーは隊が三千になり、ここから夢への一歩を踏み出そうとする——正にその絶頂の時に戦死した。
一瞬だった。防御陣の網の目を掻い潜り、敵の刃がライガーを刺し貫いたのだ。
二人が紡ぎ続けた夢が呆気ないほど簡単に消えてしまった。
「すまない……すまないライ!俺が……俺がもっと賢くて強ければお前を死なせることはなかったのに!」
もちろん敵軍にも怒りの矛先は向かった。
だがそれ以上にアーヴィルは後悔し、自分を責めて責めて責め続けた。
自軍の兵へと八つ当たりをしないのは、真っ直ぐな在り方の顕れだろう。
しかしアーヴィルの心に穴が空いたことは変わらない。
自罰的になり、強き意志を宿した瞳も溢れ出る熱意も全てが翳ってしまった。
戦う意味を見失い、今までの姿は影も形もない。
軍師が消えて片翼を失い、残されたアーヴィルもそのように意気消沈したことで、軍の力は実力的にも士気的にも大きく下がってしまう。
「報告です!ユイン隊、スレイ隊、ディルン隊が奮闘するも、我が軍は全面的に苦戦。勝報を伝える隊はなく、このままでは軍が瓦解します!」
故にいつもなら容易に一掃できる敵に苦戦し、全面的に不利な状況へ追いやられたとしても仕方ないだろう。
「俺が出るしか……しかし……」
いつもは前線に立って敵兵を薙ぎ払い、自ら先を行くことで兵を鼓舞してきた。
その効果は絶大で、今まで勝ててたのはそれによる士気の爆発があったのも理由の一つである。
しかしライガーがいなくなって頑なに代わりを務めないとならないと思い込むようになり、後陣に隠れて指示を出して戦況を動かそうとしていた。
だがアーヴィルとライガーは全く真逆のタイプ。
代わりなどできるはずがない。
故にこそ、ここまで追い込まれているのだから。
そして他にも理由はあって——
「俺は戦えるのか?」
アーヴィルのもつ光は翳ってしまった。
前のように——ライガーと共にいた頃のように戦えるとは思えない。
「隊長!早くご決断を!もう持ちませぬ!」
「隊長!」
「隊長!」
しかし時は一刻の猶予もくれず、軍の崩壊が迫る。
「俺は……」
しかしアーヴィルは決断できない。
迷いが判断を鈍らせ、躊躇いに手が震える。
今までは当たり前のように全てに対して即断してきたのに、今はその「当たり前」がままならない。
——ライガー……俺はどうすれば……。
失った拠り所に救いを求めた時点で結末は決まった。
アーヴィルは本能的に軍の瓦解を感じ、それでも何もできない自分に歯噛みをして——
だが不意に戦の風向きが変わった。
敵軍の歓声が止まり、変わりに響く声がする。
「ゼルグ国レキス軍が分隊、援軍として参戦する。流れを取り戻すぞ!」
若い男の芯が通った声で、後陣に控えていたアーヴィルまでよく届いた。
そしてそれだけ聞けば何が起きたかはわかる。
援軍が来て、アーヴィル達は助かったのだ。
そう思えるほどに流れは変わっていた。
後陣にいても勢いを失っていた自軍の兵達が少しずつ活発化していくがよく感じ取れた。
アーヴィルも今まで伊達に戦場を渡り歩いてはいない。
そして自らが作り上げた軍のことなら全て理解できるといっても大袈裟ではないだろう。
「攻め時だ!者共かかれ!」
再度聞こえたその声をきっかけに趨勢は傾く。
敵軍は全面的に押し返され、遂には撤退させるまでに至った。
「レキス殿感謝します」
そっと呟くも、そこまで感情がこもってないことに驚く。
「俺は何をしたいんだ……」
これでは勝ちたかったのか、あのまま負けたかったのかわからないではないか。
これまで積み上げてきたものを失くすなど絶対にあってはならないのに。
そう、ライガーと積み上げた全てを。
その筈なのに、何故此の期に及んでまだ戦うことに怯えているのだろうか。
「いや先のことは後で考えよう。差し当たっては援軍としてきてくれた兵の方々に感謝を述べてから、援軍を送ってくれたレキス軍へ感謝状を送るべきだな」
そう、それだけで終わる筈だ。
なのに——
「新しくこの軍に派遣された軍師、名をサキルという。よろしく頼むアーヴィル隊長、その隊の皆々」
現れたのは黒髪黒眼の男一人だけ。
そして彼こそが派遣された新しい軍師だった。
しかしライガーの代わりはどこにもいるはずがない、いて良いわけがない。
「お前が新しく派遣された軍師?ふざけるな!俺達に軍師などいらない。さっさと帰れ!」
故にアーヴィルは認めることなどできる筈もなく、助けてもらった感謝など忘れて男の襟を掴んで怒鳴り散らす。
ライガーを失ってから内に溜まる蟠りが、ここにきて新たな軍師に成り代わろうとする相手へぶつけられたのだった。
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「お前が新しく派遣された軍師?ふざけるな!俺達に軍師などいらない。さっさと帰れ!」
名乗りを上げた次の瞬間、アーヴィルに襟を掴まれ怒鳴り散らされる。
——この反応、そういうことか。
しかしサキルは全く動じず、至近で今までは太陽だった筈の男の翳ってしまった瞳を無感動にみつめて納得する。
アーヴィルとライガーといえばゼルグの上層部の間ではもちろんのとこ、ここらの領土一帯と対面する敵国のアルグアにまで名が知れている。
サキルのいた裏部隊にも伝わっていた。
ライガーが有能な軍師であり、アーヴィルと二人が唯一無二の友なのだと。
故にこそわかる、彼は既に——
「待つんじゃアヴィ、お前の気持ちもわからんでもない。じゃがその者は儂等を助けてくれた恩人でもある。その彼に対してそんな態度はあんまりじゃろうて」
「そうだぜアヴィ!さすがにそれはあんまりだ!軍師云々は別にしてもお礼くらいはすべきだと思うぞ!」
「私もお祖父様とスレイに賛成よ。気持ちは痛いほどわかる、けどその態度はダメだわ!どうしちゃったのアヴィ?」
サキルの思考が帰結する前に、初老の男と若い男、若い女のアーヴィルを諌める声が耳に入る。
チラと視線を向けてみればその三人が先程戦場を俯瞰していて本調子に遠く、実力を発揮しきれていなかった三隊それぞれを率いる将だとわかった。
おそらく三人共この軍を構成する中心メンバーだろう。
「邪魔をするな!こいつが……こんなどこの馬とも知れない奴がライの代わりなど断じて容認してなるものか!俺達の軍師はこれまでもこれからもライ一人だけだ!それがわかったならさっさと帰れ!」
しかしアーヴィルは彼らの言葉を聞かず、それどころかアレクの襟をさらに強く締め上げながら語調を荒げ、サキルを射殺さんとばかりに睨み付ける。
「そうはいかない。俺も使命があってここに来たのだから」
だがサキルは全く怯むことなく、淡々と言葉を紡いで拒否した。
例え疎まれるとしてもここで引けば説得は不可能だと思ったから。
「帰らないというなら力づくでも追い出してやる!」
強硬な態度を崩さないサキルにアーヴィルが締め上げる力を強め、激昂する。
「……スレイ、ユイン、アヴィを」
「ああ、ディルン様」
「わかったわ、お祖父様」
「離せ!俺はこいつを!」
彼自身の感情を御することができず八つ当たりして醜態を晒すアーヴィル。
その見果てた姿にディルンと呼ばれる初老の男が一瞬瞑目して厳しい顔付きになり、他の若い男女——スレイとユインの二人に命じて抑えさせる。
そしてアーヴィルの代わりに彼がサキルに向き直った。
赤錆色の髪には白髪が混じり、顔の輪郭に沿って生える髭や眉毛も白くなっている。
垂れ目で口元には優しげな笑みが浮かんでいる柔和な顔付きで、相手を包み込むほどの泰然とした雰囲気を纏っている。
彼は人当たりの良さそうな笑顔のままに口を開き、
「大変失礼しましたサキル殿。隊長アーヴィルに代わり私ディルン・レイラーが応対いたします。今回は助けていただき感謝いたします。あなたが来なければ私達は確実に負けていた。どうかお礼だけでもさせてください」
自己紹介をしてから頭を下げてきた。
プライドを捨てて感謝ができるのは好感がもてる。
しかし最後の「お礼だけ」という言葉は話をする気はないと暗に告げており、説得は難しいと思えた。
何よりも不自然なくジャブを仕掛けてくるあたり、一筋縄ではいかない人物だと感じる。
「お礼だけ……か。それ以外にもなさなければならないことが多くあるのだがな」
ならばまずはその継ぎ目から説得の緒を探してみせる。
サキルには引かない以外の選択肢はないのだから。
「では単刀直入に言いましょう。それは諦めていただけませんかな?」
しかしサキルが言葉の端を捉えても初老の男——ディルンは全く怯まず優しげな笑みさえも崩さずに語調だけで厳しく突き放してきた。
やはり簡単にはいかない。
ならば別の切り口から。
「いや諦めるも何も、これは上から与えられた命令だ。あんたらが国の軍にいる以上、これは絶対の決定。選択肢はないのだが?ああ、そうだ敬語はいらないからな。あんたの言葉で話してくれ」
「……そう命令したということは、私達の軍に策に覚えのある者がいないと思われているからでしょう。ならば心配する必要もありません。私達の軍の中では既に戦術が構築されております。ならば新しい存在は必要ない。私は色々と上の方と繋がりがあり、後でその旨を報告しときますのでご心配なくあなたはお帰りください」
淀みなく反論してくるが、全く動じてはいないようだ。
表情は同じでも目付きは鋭くなっている。
敬語を不要と告げても、変えようとしない。
敢えて距離を取る為にそうしているのだと容易に想像がつく。
それは感情的になっているとも思え、最初から軍師として扱ってもらうことは諦めた方が賢明だ。
故に何をするにもまずはここにおいてもらうことを最優先に話を進めていくとしよう。
「本当に、心配はないのか?もしそうならば今回の戦で格下相手に劣勢まで追い込まれることはなかっただろ?」
「それは策とは関係ない私達の心の問題です。助けていただいたことに感謝はしますが、口出ししないでいただきたい」
「そうも言ってられないぞ?今回はたまたま敵国が弱くこの程度で済んだだけだ。おそらく次の敵軍は強い、対抗するには今のままでは難しいと思うのだが?」
「……例えあなたがいたとしても結果は変わらない」
そこで初めて動揺をみせた。
一瞬目を見張って笑みが崩れたのを見逃さない。
おそらく彼もその考えはなかったのだろう。
短時間話しただけでもディルンは頭がキレる男だとわかる。
この程度ならば容易に思い至るのだろうが、やはり今は本調子ではないようだ。
彼にも戦友を失った傷は深く残っているのだろう。
とはいってもディルンの不調など関係なく、今のアーヴィル軍に入るには多少なりのリスクは覚悟しなくてはならない。
それに煩わしそうな外野が帰って来て話が拗れる前に済ませねば。
サキルはスッと瞳を細めてディルンの両の瞳を見据え口を開く。
「そうか、ならばそれを確かめる為に次の戦の後陣にいて良いか?無論、問題が無ければ手出しすることはない」
「つまり監督役として次の戦をみせてくれと?それでもし私達だけで無難に勝つことができれば……」
「もうあんたの言う通り口出しも何もしない。大人しく帰って報告も全て俺が請け負おう」
「…………それは良いですな。ただあなたの予想通りになった時をお聞きしたい」
サキルの目的がこの軍の軍師になることの筈なのに、矛盾する賭けに平然とベッドするサキルを怪しんだようだ。
話す時から貼り付けられていた笑みが消える。
先程は一瞬消えてすぐに貼り直していたが、もう腹の内を隠そうとしない。
次のサキルの言葉を静かな威圧感をもって待つ。
「負け戦と判断すれば介入する。そしてその戦が終わった後も暫くはこのアーヴィル軍の軍師となれるよう猶予をもらいたい」
それを肌で感じながらも淡々と要望を伝える。
「猶予……てっきり我々の軍に居座るつもりかと思ったんじゃがの」
すると意外にでも思ったのか、言葉に棘こそあれど威圧感は和らいだ。
敬語でなくなったのがその一つでもあろう。
「あんたらの気持ちも弁えている、それだけだ。では天幕を一つ貸して欲しい。それまで陣の端にいて待たせてもらう」
そう話が決まるや否や、サキルは起立してマントを翻し後陣を後にする。
ディルンの周りに控えてる連中の機嫌が悪くなってきているのもあるし、うるさそうな連中が来そうなのも『眼』を使って確認している。
故に交渉も終わった今は一刻も早くこの場を去ることが無難な選択だ。
「そうだ、去る前に一つ忠告しておく」
だがそこで何かを思い出したような素振りを見せて天幕を出る前に立ち止まり、
「おそらく次の敵軍は早く攻めて来るぞ。明日の朝か午前のどちらかだ。お前らを狙って来るのだから疲弊しているその頃に違いない。準備は忘れないことだ」
「……負けるかもしれんというのに何故そのような忠告を?」
訝しげに……いや怪しげに目を細めてディルンが問うてくる。
おそらく疑われているのだろう。
それも予想の範囲内で今は特に気にする必要もない。
「期待を背負うお前らの部隊を助けろと命令を受けているからな。例え軍師になれなくても役割くらいは果たす、ただそれだけだ」
ただ無為に話を長引かせて立場を悪くしたくはないし、面倒事も避けたかっただけだ。
「それでは失礼する」
布をめくり、天幕を出た。
「…………」
すると丁度そこに先程アーヴィルを連れて行った片割れの女が立っていて苛烈な強い意志を宿した藍色の瞳でサキルを睨んでいた。
長く美しいピンクがかった赤髪は水色の髪留めでまとめ背中に垂らしている。
戦場にいるのだから当然ではあるが化粧はまったくしていないが、それでも身に纏った藍色の鎧も相まって凛々しく美しい容姿といえる。
第一印象はそんな感じだ。
しかしながら先程アーヴィルを諌めた時の話し方や雰囲気などから口煩く面倒な女の類とみた。
もし交渉の場にいたなら無駄に拗れていただろう。
まぁそれが終わった今は関係ない。
もっとも後で面倒事の種になるだろうが、後回しにできただけで良い。
取り敢えずは適当に黙礼だけして彼女の横を通り過ぎようとするが、
「……助けて感謝はしてる。けどあんたの居場所なんてないわ。さっさと帰って」
すれ違い様、そう刺々しく囁かれた。
「…………」
何か言い返しても泥沼になるかと思い無言で去ったが、やはり前の軍師ライガーに成り代わろうとするサキルを疎んでいるのは間違いない。
もっともアーヴィルを諌めた時に誰一人としてサキルを擁護してなかったことや周りの兵の態度から容易に想像がつくが。
「そうするのも当然だがな」
むしろ今まで共に生きてきた戦友の代わりに素性の知れないサキルが入るのに反発しない方がおかしい。
ただでさえそれなりに長い軍において新入隊員が入る上で敬遠されがちなのに、そんな理由が加われれば刺々しくもなる。
だから彼らがサキルを疎むのも理解できる。
——さて、どう盤面を変えてゆこうか。
とはいっても彼らの「感情」は考えることなく、ただの「問題」として理解しただけだった。
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「……すまないスレイ、取り乱してしまったみたいだ」
「いや俺よりもアヴィの方がライと関係が深かったんだ、仕方ねえよ。俺もあんな奴がライの代わりなんて絶対認めたくねえし、俺がアヴィの立場だったらもっと怒り狂っちまっていたかもしれんしな」
椅子に腰掛け項垂れるアーヴィルに、彼を抑えて連れてきたスレイが足を投げ出してだらしなく座りながら気楽な感じに慰める。
鮮やかな茶髪で同色の瞳、堀りが深い顔立ちでガタイが良い。
鎧を脱いでラフな格好をしており、鍛え上げられた強靭な肉体が露わになっている。
そして粗野な口調とは裏腹に明るく優しい慰め方から彼の人情深い人となりが垣間見えた。
「ありがとうな、スレイ、少し落ち着くことができた」
「おうよ。アヴィの助けになれたならそれで良かったぜ」
その温かさを感じて始めてアーヴィルは冷静になれ、控えめながらも笑みを浮かべることができた。
スレイもにかっと白い歯を見せて満足そうに笑う。
しかしアーヴィルはすぐ真剣な表情へと変え、前傾姿勢になって指を組み、
「けどそれでもあのサキルとかいうやつが軍師になるのは絶対反対だ。確かにあの絶対的不利な状況からたった一人であの状況を覆したのだから実力が十分ありそうだ。だが俺達の軍師は今までもこれからもたった一人だけ。あんな奴はいらない」
「俺も同意見だ」
とスレイも同時に笑みを引っ込め頷く。
そして彼は憂いを帯びた顔付きで「だが」と首を振り、
「問題はどう追い出すかだな。国の上の奴らが派遣してきたのなら強引っていうのは後腐れありそうで怖い。なら何か他に方法はねえか?」
「そうだな、先程はちょっと我を失っていたけど確かに強引は危なそうだ。何か、何かないか……」
二人の間に暫し考え込むような間が生まれる。
だが不意にアーヴィルが天幕の入り口の方へ視線を向け、
「……いや、わからないことはわからないし、実際どうなったのか聞くのが最も良いな」
そう呟くと同時に天幕が捲れ、スレイと同じ軍の支柱であるディルンとユインが姿を現した。
「二人共、先程は取り乱してすまなかった」
しかしすぐに本題に入ることはなくまずは頭を下げた。
やらかしたことのけじめは真っ先につけなければならないから。
「ほほ、誰でも過ちはあるもんじゃぞ。それを認めるかどうかが重要なんじゃ」
「いいってアヴィ。私も同じ想いだからね。あんな根暗野郎が軍師とか冗談じゃないわ。もし私がアヴィの立場だったらもうアヴィ以上にブチ切れてたかもしれないし」
ディルンは優しげに微笑み、ユインも常のさばさばとした口調はそのままに、言葉の節々でアーヴィルを慮ってくれているように感じた。
「ありがとう二人共。もう同じ過ちはしないよ」
そしてアーヴィルもまた笑顔を浮かべる。
この二人にも救われていると実感できた。
「でもちょっとスレイとユインの慰め方が似てて、笑いそうにもなったな」
「はぁ!?それ本当?」
苦笑するアーヴィルに素っ頓狂な声を漏らすユイン。
それに視線を逸らして反応するスレイをみて彼女は、
「なんでこの私がこんなガサツな男と一緒なのよ!あり得ない、あり得ない……再戦、そうよ再戦を要求するわ!」
「おいてめえこのアマ!そっちが先に俺と言葉被せてきたんだろうが!なのになんだその言いようは!」
「何よガサツ男。あんたと一緒なんて死刑宣告みたいなもんでしょ。しかも同じようなことを言うなんて……ねぇアヴィ、本当に同じようなこと言ったの?やっぱりなにかの間違いだと思うわ」
「てめぇ……」
この二人の普段はガサツ男とアマと呼び合う犬猿の仲で、先程は状況が状況だったから合わせていただけだろう。
ユインがスレイと何にしても「同じ」と素直に認めることはほとんどない。
仕草や話す内容は当然として、一緒の意見を言う時すら「不本意」と前置きする。
そのことに対してスレイが常に青筋を立てるのだから不毛の言い合いは毎度絶えることはない。
とはいえ二人は素直になれないだけで根底には互いへの信頼がある。
故に彼らの喧しさは普段のアーヴィル軍の活気にも繋がってもいるのである。
しかし——
「二人共、やめぬか。今はそんな不毛な言い争いをしてる猶予はないぞ」
ディルンの鋭い声が二人を叱責した。
普段もユインとスレイの喧嘩を止める役回りをするのはディルンだ。
しかしそれはあくまでやんわりと優しげに注意する程度である。
だが今回は厳しく注意した。
「すみません、お祖父様」
「ああ、俺も悪かったディルン様」
理由も全て分かっているからこそ二人はすぐに言い争いを終わらせ、謝った。
事実としてディルンの言うことが正しい。
今最も重要なのは突然現れたサキルという異質な存在で——
「そうだな、確かに今は普段通りに在ってはならない。ではディルン様、まず奴との話し合いがどのようなものとなったのかを教えてください」
「うむ、だが話し始めるにしてもクレリッドがおらんぞ?まさかこの状況にまでなって忘れたわけではあるまいな?」
アーヴィルの問いかけにディルンも問い返す。
実はこのアーヴィル軍の中枢を担う人物はこの四人以外にもう一人いた。
その名はクレリッドという。
彼は三十代前半の男で軍全体の補給を担当しており、それなりに優秀だ。
しかしその才が発揮されるのは縁の下の力持ち的なところにおいてであり、本人の気弱な性格もあってどうしても影が薄く感じてしまうのである。
いるところでもいないところでも空気扱いされる時があるので、散々といえばその通りである。
本人もそこらへんには忸怩たる思いがあるらしい。
とはいっても忘れていたわけではない。
実はサキルのような男が来てアーヴィルが取り乱した時に彼は陣の近くで話を聞いていた。
表に出なかったのは、話がややこしくなると思ったかららしい。
そして先程取り乱して別の天幕に連れ込まれて落ち着いた後に短時間だけ彼とは話をしていた。
そして曰く——
「あのサキルとかいう男をどうするかについては全て任せるらしい。無論クレリッドもあの男を軍師にしたくはないと言ってたからそれを反映する形でな。その代わり今日の戦後処理や補給に関してはほとんど任せて良いと言っていた」
別にクレリッドがサキルに関する問題を解決することに介入して無意味とはいわないし、むしろ有能な彼も話を聞いてくれればより良い解決策がみつかるかもしれない。
だがアーヴィル軍には今回の戦と明日の補給を考えるという大きな仕事もある。
それらを成すにはアーヴィルら軍の中枢を担う存在が指揮を執らねばならない。
しかしサキルへの対処法を考えるのはこれからの隊の在り方を決める重要極まりないものだ。
ただでさえ隊が本調子でなく時間もない中では他に人員を割きたくはない。
故にクレリッド一人が集中して補給全てを担ってくれるならばそれが最適解だろう。
そのことは全て分かっているようで、ディルンも頷く。
「ふむ、それならば問題なかろう。ただ後でしっかり礼は言っとくべきじゃな。あやつは器用貧乏なところに劣等感を抱いておる。だが今回はそれを押し込めてまで補給全てを請け負ってくれたのじゃからな」
「はい、分かっています」
全てディルンの言う通りだ。
きっとクレリッドもサキルへの問題解決に協力したかったに違いない。
それでも彼なりに今できる最適解を考え、この軍のことを第一にして動いてくれている。
その献身を無駄にしてはならない。
「だから聞かせてください。俺が退場した後にどんな話し合いとなり、どのような結論に至ったのかを」
芳しい結果にならなかったのはディルンとユインの表情をみれば察することができる。
それがどのようなものなのか聞かなくてはならない。
今は大分落ち着いているしあの邪魔な男、サキルはいないから落ち着いて話を聞けるはずだ。
その内情を察したのか否かはわからないが、ディルンがユインとアイコンタクトをとって頷き合い、
「まぁ今なら取り乱すこともあるまい。まぁ肩肘張り過ぎず落ち着いて聞いとくれ」
そして彼はサキルとの交渉の全てを話し出した。




