あの戦場へ
「さて、俺が行く軍はどんなところなのか」
サキルは馬車から降り、黒衣のマントをはためかせながらそっと呟く。
ここまではゼルグの安全圏と呼べる場所で、敵の襲撃を受ける可能性が低かったから馬車を使えた。
だがこの先はその領地とはいえ油断ができない紛争地帯でもある。
異能のない世界だったなら後数百メートルは安全圏だっただろうが、異能のあるこの世界では急襲の恐れがある故に危険地帯ともいえる。
故にここから先は徒歩で向かう方が安全だ。
「あれがシャウド城か。まぁ紛争地帯だけあって立派なものだな。城壁の高さや兵の配置もある程度考えられている」
サキルは向かって左側に聳え立つ城塞を眺めて暇つぶしがてら評価をつけてみた。
しかし目的はその城にはなく、寄る時間も惜しいのでその横を通り過ぎていく。
サキルが通ることを伝えてある筈なので背を撃たれることはないだろう。
「とはいってもここらは紛争地帯。先を急ぐに越したことはない。シャウドを通り過ぎたり次の城のシャスプがあってその先は——」
頭に叩き込んだ地図から目的地への経路へ一人、身体強化を使って紛争地帯を駆けていく。
ここらは四方を城壁に囲まれた内側に街があり、誰でも入れるような風通りの良い街はない。
その「四方を城壁に囲まれた街」がその地域を守る防衛拠点、「城塞」として機能し、ゼルグの防衛戦線を作っているのだから当然ではある。
「機能的には申し分ない筈だが……」
しかしながらその戦線に乱れが生じているのだとサキルは聞いていた。
いや正確には乱れが生じつつある、のだと。
その原因はサキルがこれから派遣される軍にあるらしい。
「これから君が行く軍は今問題を抱えている。つい先程の戦争で軍を構成する主要メンバーが死んだからだよ。それによる他のメンバーへの精神的ダメージと単純な軍としての弱体化が予想される。その問題を解決するのが君の最初の仕事だ」
そうラギアロが言っていたのも一考の余地がある。
逆に言えばだからこそ一考しか余地がないのだけれど。
あの性悪のことだ、何か企んでいてもおかしくはない。
「とはいっても目的地に着かないことには意味がないか。今シャスプ城に着いたから、その数メートル先のシャスプ平原に軍の野営地がある筈だ」
頭には入ってるが念の為に地図を取り出して経路を確認し、再度走り始める。
そして数分ほど駆けてようやく見えてきた。
いや、聞こえてもきた。
蟻の如き大量の兵が無為に争い殺し合い、大量に流れ出た血が大地を汚す。
剣と剣が打ち付け合う音と罵声と断末魔が入り混じり、命が消えていく音が無数に弾けてゆくのが聞こえた。
正に地獄である。
全てを失い他者の命を顧みることのなくなったサキルでもそう呼ぶほどの血塗られた空間だ。
しかし今は異質な空気に圧倒されている場合ではない。
軍がどこの国のものなのかは旗の色などで大体判別がつく。
故にゼルグ軍か否かもすぐにわかる。
そしておそらく今交戦している両軍の内ゼルグ軍の方がサキルがこれから入隊しようとする軍だろう。
すぐさまサキルは両軍の趨勢を見極め——
「全面的不利……だと?」
ゼルグ軍が局所局所で劣勢を強いられていることに驚きを感じていた。
敵軍は隊列を連携させて上手く立ち回っているようだが、逆に言えばそれだけだ。
見る限り並外れた力を有する個もいなければ、情報にあるような警戒すべき将もいない。
対してゼルグ軍は二人ほど別格の存在を確認できた。
それなのに何故、こんなにも押されているのか。
——隊列の配置自体は悪くないが、いかんせん戦況に合ってない。そして何よりも兵達の動きが悪過ぎる。士気が低いんだろう。それによって格が違う二人の奮闘も空回りしている悪循環だ。何故そうなっている?
その理由はわかったが、何故そうなっているのかがわからなかった。
いやラギアロが言っていたことが本当だとしたら兵の士気が下がっているのは説明がつく。
今まで慕い背を付いて来た将がいなくなればそうなるのも当然だ。
サキルもリガイルを失った時、ナバに元気付けられなければ、そして次の希望がなければタシュア相手に戦うことすらできなかっただろう。
故に士気が低いのはよくわかる。
だが何故戦況の変化に陣形の形成がついていけてないのか。
——どちらにしてもこのままではまずい。一刻も早く立て直さなければ。
見捨てるという選択肢もあるが、それだとあの性悪に何を言われるかわからないだろう。
それに暗殺集団の情報を流すという約束も反故になりかねない。
——局所的に押され、それが全体の劣勢に繋がっている。ならば逆に局所的に抑えればそれが優勢に繋がるはずだ。それならば……。
サキルは素早く盤面を確認し、勝利への道筋を探り策を練る。
そしてすぐに行動に移った。
正直最初から前線に出て能力を晒し目立つのは避けたかったのだが、もう迷ってる暇はない。
身体強化で地を蹴り、両軍が交戦する戦場の一角に跳ぶ。
その宙空で羽織っていたマントを脱ぎ捨て、術式を練り上げた。
「ぎっ!?」
「がっ!?」
「な、何!?なんだこれは!?」
不意に敵の肉体に穴が穿たれ、地に縫い止められる。
まるで天から無色透明の槍が降ってきたからのように。
突然の正体不明な攻撃を受けて敵軍は混乱している。
狙い通り、次はこの間隙を利用できれば。
「ゼルグ国レキス軍が分隊、援軍として参戦する。流れを取り戻すぞ!」
この地より数メートル先に駐屯する軍の名を拝借して叫ぶ。
マントの下に着ていたゼルグ国の軍服と併せて、サキルが味方ということはゼルグ兵に伝わっただろう。
これで参戦する為の条件は果たした。
後は策を実行するのみ。
サキルは右眼を白銀に変化させ——
「ふぐっ!?」
向かって右の戦場には空気圧のようなものが降り注ぎ、敵兵が突然ひしゃげて真っ赤な血溜まりのクレーターができる。
「っっ!?」
左の戦場ではカマイタチのような風が起きて敵を細切れにし、鮮血が飛び散る。
風の杭を含めたそれら三種の現象は等しく戦場の局所で起きた。
これらは全てサキル一人で演出したものだが、通常ならばあり得ないことだった。
一部の例外を除いた魔術は対象を視認していなければ使えないのが原則だ。
その「例外」だって感知術などのサポート系のみであり、攻撃系の魔術は総じて視認しなくては使えない。
しかしサキルは裏部隊で五年間死地を超え続けて得た力の恩恵で裏技を使い可能にしている。
そしてそのお陰でサキル一人でも援軍が数十人分がきたように見せかけることができた。
敵にも味方にも。
「くっ、陣形を立て直」
「攻め時だ!者共かかれ!」
敵の指揮官が流れを戻そうと声を張るが、檄を発して塗り潰す。
欺瞞を看破させず戦況を傾ける為にも落ち着く時間を与えてはならない。
「おおおおおお!!!」
その思惑通りゼルグ兵が勢いに乗り始める。
援軍が来たという単純な事実と、その援軍が手練れであり敵に被害を与えていることが士気に火をつけた。
できればこのまま押し切りたいところではある。
さらにサキルが先頭に立って敵を切り崩せば、局所的に起きている現象と併せて詰みに近い流れを得られるだろう。
「…………」
しかしサキルは最初の檄以降はゼルグ兵に紛れて先頭から数メートルほど後方にいた。
一言も言葉を発さず、銀眼に映る光景に意識を向け、術式を編み続ける。
サキルの力は強力ではあるが、並々ならぬ集中力を要する。
故に同時に剣をとって戦うことはできない。
「いくよ皆!私に続いて!」
「おら、てめえらいつまでも押されてんじゃねぇ!やるぞ!」
「ほほ、儂等も負けてるわけにはいかんぞ!」
しかしこの軍に対してはそれで十分のようだ。
流れに押され本調子に乗れてなかった三隊が、それぞれの将を筆頭にして勢いを取り戻す。
遠距離から適当に支援をすれば自然と勝敗は決するだろう。
その予想通り敵軍の守備陣は徐々に決壊し、撤退していった。
本当ならばこのゼルグ軍は強く、この程度で苦戦する筈がない。
一蹴することも可能だろう。
しかし事実として今回は押されに押され、詰みの一歩手前まで追いやられていた。
サキルが来て流れを変えなければ敗北もあり得ただろう。
この要因は今までいた将とやらが重い存在だったのが一つで間違いはない。
しかしそれだけでは説明がつかない陣形の歪さが際立った。
故にさらなる理由は察することはできる。
つまり前回の戦で死んだ主要メンバーというのは——
「……あの性悪が」
口に出したくもなかったので一言ラギアロへの悪態をつくに収める。
とはいってもこれからどうするかは考えておかねばならない。
今すぐラギアロをぶん殴りたい衝動に駆られていたが、もうどうしようもないところまできていたので仕方なく飲み込む。
だがこのまま何もできなければやり込められたことになる。
それだけは容認できない。
故にサキルは右眼を黒に戻し、状況の推移を見守りながらも方策を考え続けていた。
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「援軍深く感謝します。助かりました」
援軍として勝利に貢献したサキルが連れて行かれたのは総大将とおぼしき男の前だった。
日輪のように鮮やかなオレンジの髪と同色の鋭く大きな瞳。
その瞳の奥の強く、苛烈とも表現できるほどに強固な信念が宿る光。
自信に漲り、行く道を疑わず常に真っ直ぐ進み続ける強さがあった。また下僕に近い身分で生まれながら、そのことを気負うことなく武功をあげ続けているらしい。
この部隊も最初は百人だったが、その在り方をもって隊を導き、引っ張って幾多の困難を超えて今の三千規模の隊となった。
新たな世代の中で最も期待されている若き将だ。
——だがそう聞いていた情報とは大きな差異があった。
いや容姿などはともかく、これまでの足取りは情報通りなのだろう。
情報源がラギアロだけならば信頼性は低いのだが、別方面からも色々噂となって流れてきているので間違えようはない。
しかしそう思えないほどに情報とはかけ離れたものだった。
髪色は変わりようがなくオレンジである。
しかし両の瞳に宿していた強い光は翳っており、弱々しく光とも呼べないものに成り下がっていた。
漲る自信とやらも今は萎んで跡形もない。
辛うじて落ち着いた雰囲気を保ってるようだが、虚勢を張り無理をしてるのは明白だった。
本当にこの人物が若手最有望と呼ばれる人物なのか俄かには信じられない。
「あなたしか姿がみえないようですが他の方は何処にいますか?」
「……いえ、私一人です。そして実をいうと私は援軍では無いのです。勝手ながらレキス軍の名を拝借させ、」
そんな想定外の第一印象に気を取られたが、すぐに用意してた返事をだせた。
「一人?それに援軍ではない?それはどういう・・・いえ失礼しました」
「いや、もう敬語はやめにしよう。これから関係が続いていくのにこのままでは堅苦しくて連携もかなわない」
「まさかあなたは・・・」
「新しくこの軍に派遣された軍師、名をサキルという。よろしく頼むアーヴィル隊長、その隊の皆々」
戸惑う目の前の男ーーアーヴィルと他の面々を見渡し、堂々と名乗りをあげる。
このアーヴィル軍が抱える問題がなんにせよここから始めるべきだからーー




