血濡れた幕間
シゼリ荒野の丘奪取戦が終結して、まだ数日しか経っていなかった。
地獄のような戦地から帰還したネレネスは、その戦果を一切公にせぬまま、静かにゼルグの影へと溶けていた。
だが、勝利の余韻に浸る暇もなく、彼らにはまた新たな任務が課される予定だった。
戦の合間に生じた、わずか七日間の空白——。
それは他の部隊にとっては身体を癒やすための猶予に過ぎなかったが、ラギアロにとってはまさに「仕掛けの時」であった。
「……ちょうどいい間だ。ふふ……試してやるさ」
深夜、ネレネス本部の地下にある一室。
光を絞ったランプが仄かに照らすその部屋で、ラギアロはグラスの縁を指でなぞりながら、机上に広げた一枚の紙に視線を落としていた。
それは、ある一人の隊員に関する極秘監視報告書だった。
名は伏されていたが、誰であるかは明白。
普段から部内で浮いた存在であり、協調性を欠き、命令に従いながらもどこか冷ややかな態度を崩さぬ男。その視線の奥に常に他意を隠しているような、油断ならぬ存在。
「任務中にはよく働く。だが、それゆえに“抜け道”を知りすぎた……それを利用しようと考えないならまだ生きれただろうに」
ラギアロの唇に、わずかに笑みが浮かんだ。
それは警戒ではなく、歓喜に近いものだった。
使い道の見つかった駒を見る、主の目である。
彼は報告書を静かに畳むと、机の上に置いてあった封筒を取り出した。
上質な黒革に包まれたその封筒の中には、綿密に偽造された命令書が納められている。
内容はこうだ。
――ネレネス隊員・サキルが部隊からの離反を企てている。その行動を止めるため、任務を装い、密かに処分せよ。
明らかに仕組まれた嘘。
だが、それを見抜く理性を持たぬ者にとっては、十分な正義の命令となり得る。
実際、その書類を受け取ることになる男は、すでに「何かを疑う」心の土壌を持っていた。
野心家でありながらも、心のどこかで自分が不当に扱われていると感じている者。
他者への信頼を持たず、指令という“正しさ”の盾を求めてやまない者。
ラギアロは、その人物の内面を正確に読み切っていた。
「サキル。貴様にとってもいい機会だ。獲物として狙われる立場に立ったとき、どう動くか——それで真価がわかる」
やがて部屋の扉が開かれ、黒衣の従者が姿を現す。
ラギアロは何も言わず、封筒を指先で押しやり、渡した。
「内容は伝えてあるな」
「はい」
「余計な尾は引くな。ただ一人にだけ届けろ。計画が広がっては困る」
「心得ております」
従者は一礼し、音もなく去っていく。
再び静寂が訪れた部屋で、ラギアロは椅子に身を沈め、深く息をついた。
その目は虚空を見つめているが、思考はすでに数手先へと進んでいた。
——サキルには、一切知らせていない。
だが、もし彼が真に戦場において生き抜くべき“特異点”であるならば、この一週間のうちに何かを察知し、対応を始めるはずだ。
偶然に見える襲撃を、ただの異変で済ませるのか、それとも意図された敵意と見抜くのか。
「君の持つ直感が、ただの勘にすぎないのか。それとも、理屈を超えた異能なのか……」
ラギアロの瞳は、一切の感情を排した冷たい硝子のように光を反射させていた。
「この裏任務で生き抜け。反撃せよ。……あるいは、死ね。それも一つの証明だ」
彼にとって、実験の成否に道徳的な結末など存在しない。
重要なのは、そこに確かな結果が生まれることだけ。
その結果が、生きた者による証言か、死体となった沈黙か——それは興味の範疇ではなかった。
窓の外では、月が雲間に浮かび、城下の灯りがぼんやりと夜気に滲んでいた。
夜はすべてを隠し、静かに進行する策謀を照らすことはない。
だからこそ、この一週間が最も都合が良い。
「さて……観察者に戻ろうか」
グラスに残った酒を一口だけ含み、ラギアロは静かに笑った。
その笑みは、試験を楽しむ教師のものではない。
むしろ、断罪を見届ける裁判官に近かった。
——ゲームは始まった。
音もなく、狙いすました刃が、サキルへと向かう。
だが、それを迎え撃つ者が、ただの獲物であるかどうかは、誰にもわからない。
シゼリ荒野の任務を終えてからというもの、サキルは自分の身に起きた変化に、ひそかな興奮を覚えていた。
最初に気づいたのは、視野の広がりだった。
それは単なる感覚の誇張ではない。周囲の動きが以前よりも明確に、鮮やかに捉えられる。その視点にはかつてなかった鋭さと奥行きが宿っていた。
そして何より、右目を意識的に「白銀の瞳」へと変化させられるようになっていた。
光の反射を内包するかのようなその眼は、己の意思で生まれた異変でありながら、どこか別の力に触れているような錯覚を伴っていた。
目に見えるものだけでなく、何か起こり得る危機までも微かに察知できるようになった感覚——それが、今のサキルには確かに存在していた。
「……これは、嬉しい違和感だな」
ひとりごちた声は、どこか楽しげで、けれど同時に研ぎ澄まされていた。
任務中、極限の緊張と死線を潜り抜けたことで目覚めた何か。
その感覚を無駄にしたくない——そう思ったサキルは、自然と修行に打ち込むようになっていた。
彼が選んだのは、ネレネスの拠点からやや離れた、岩場の混じる開けた丘陵地。
隊の規律として「そこまでなら訓練や瞑想目的での立ち入りが許されている」という半ば黙認された区域だった。
ネレネスの拠点自体が外界と隔絶された谷のような地形に築かれており、その外縁部に点在するこの訓練区域は、多少の騒音や術式の衝撃があっても気にされない。
故に、全力で身体を動かすにはうってつけだった。
サキルはその地で、剣の素振り、反応速度の鍛錬、創術の圧縮と展開を繰り返していた。
特に白銀の瞳の発動と制御に関しては、繰り返し己の限界を試している。
視界の異常な鋭さ。空気の震え、風の流れ、地面の僅かな揺れまでも——それらが脳に図として浮かぶように感じられる。
そんな精度を、自身の力として完全に扱えるようにするには、まだ時間が必要だった。
「もう少し……もう少し深くまで制御できれば、きっと」
荒い呼吸を整えながら、剣を肩に担ぎ上げたその背には、たしかな意志の光があった。
——だが、その様子を、遠くから見つめる視線がひとつ。
岩陰。
草を伏せて、音もなく、気配すら抑え込んで潜む影。
その眼差しは、冷たく、だが執拗にサキルの動きを追っていた。
「……随分と、熱心に訓練してやがる」
男は小さく呟く。
それは嘲笑ではない。
むしろ僅かに混じるのは、苛立ちと警戒だった。
偽の命令書には、「サキルは離反の兆しあり。動向を探り、必要とあらば処理せよ」と書かれていた。
だが、男の目に映るサキルは、ただ修行に没頭する兵士に過ぎない。
(……離反する者が、こんなところで剣を振るうか? それとも、隠してるだけか……)
答えは出ない。
だからこそ男は、今は動かない。
観察を続け、隙を見つけ、そしてその瞬間に行動する。
それが、自らに課された処理任務の意味であり、ラギアロから与えられた試金石としての役割でもあった。
風が吹いた。
剣の軌道が地を裂き、草木を揺らす。
その風の吹きすさぶ岩場で、サキルは呼吸を整え、全身の力を一点に収束させるように集中する。掌に溜め込まれた風の創圧——即席の空気弾は、岩を一撃で砕くには充分な圧力を秘めていた。
「さて……試してみるか」
その一撃を、岩壁へと撃ち出そうとした、その時だった。
「……誰だ」
彼の視線が、僅かに右側の斜面へと滑った。
気配は完璧に殺されていた——はずだった。だがサキルは、風の流れの中に僅かな乱れを感じ取っていた。人が立てばわずかに乱れる空気。それを肌と肺と目で感じた彼は、何の迷いもなく空気弾の軌道を変え、斜面の陰に撃ち放った。
ゴウッ、と風を裂いて飛んだ一撃が、岩陰の一点に炸裂する——
「チッ、バレたか」
反応は早かった。風圧が届く刹那、黒衣の男が滑るように岩陰から姿を現す。その動きは無駄がなく、サキルの空気弾を寸前で躱すと、即座に後方へ跳躍して距離を取る。
「……お前は確か……テルグといったか」
サキルが低く名を呼んだ。男が名乗る前に、彼の動きと身に纏う気配からその正体を見抜いていた。
「名前を知られているとは、やりづらいな」
黒衣の男、テルグは舌打ち交じりに呟くと、腰元から細身のナイフを抜いた——その刃は一本。しかし、空中に放たれた次の瞬間、刃は音もなく複数に分裂した。
「創具か……!」
サキルが目を細めた。
テルグが操るのは、投げたナイフを複数に分裂させ、それぞれを独立して操作できるという特殊な創具。分裂した刃は鳥の群れのように自由自在に空を舞い、全方向から襲い掛かってくる。
「こいつは……手強いかもしれないな」
無数の軌道。交錯する刃の雨。
一度受ければ無事では済まないと判断し、サキルは身を低くしながら空間を縫うように跳び退く。
だが、
ーー……見える
回避の最中、ふと気づく。今までなら捉えきれなかった死角からの軌道すら、はっきりと視界に映っていた。自分が見ているはずのない角度。だが、それは確かに「視えて」いた。
サキルは一瞬、跳躍中の空中で静止したかのように錯覚した。
——右目だ。
彼はようやく、自分が無意識のうちに「白銀の瞳」を開いていたことに気づいたのだ。
その力は、風と視野を擬似的に共有するという異能。
風の流れを介して、視界のない位置までも「感じ取る」ように把握できる。まさに俯瞰視のような能力であった。
ーー……そうか、広がった視野とは、そういうことだったのか
その力を得たことを理解したとき、次の刹那、動きが遅れた。
ギンッ!
数本のナイフがサキルの左肩と脇腹を掠め、衣の上から血をにじませた。
「……くそっ」
痛みに顔を歪める。
だがその表情の裏に、確かな安堵と喜びが浮かんでいた。
ーーこの力……使いこなせれば、戦い方は変わる。これなら……あれができるかもしれない。
サキルは切り裂かれた衣の裾を翻すと、ゆっくりと構えを取り直す。
「いい攻撃だった、テルグ。だが——もう当たらない」
静かに、しかし確かな自信がその声には宿っていた。今、サキルの右目には、風が描くすべての軌道が、まるで地図のように浮かび上がっていた。
ーー……さて、もう一つ、試しておくか。
サキルはゆっくりと後退しながら、ちらりと右肩の傷を見やった。そこからわずかに血がにじんでいるが、問題はない。
彼はテルグに背を向け、そのまま岩場の陰へと駆け出す。
「逃げるつもりか?」
テルグが吐き捨てるように言ったその瞬間、彼の身体が前のめりに大きく揺れた。
「ぐッ……!」
岩陰の横腹から、鋭く圧縮された風の弾が放たれ、テルグの右脇腹を正確に撃ち抜いていた。
吹き飛ばされたテルグが岩に背中を打ちつける。
それは、明らかに「死角」からの攻撃だった。
「……見えない角度から……術を……? バカな……!」
その事実に、テルグは愕然とする。創術とは本来、視界内での発動が基本だ。イメージに紐づくこの力は、術者が「意識して視認できる空間」でなければ成立しない。それが創術の原理であり、長く続く実戦の中で培われてきた常識であった。
だが、
ーー俺には、見えていた。
サキルは静かに空気を吸い込んだ。
「右眼のおかげだ」
白銀の瞳が淡く輝いていた。視野の拡張——正確には、風を通じた俯瞰的な視認が可能になったことで、サキルは自らの背後、すなわち視界外にも正確に創術を打ち込むことができた。
今の攻撃は、その力を試すための布石。
逃げる演技もすべては、実戦で「右眼の視野」による術の可能性を探るためだった。
「こいつ……」
呻きながらも、テルグはゆっくりと立ち上がる。
脇腹に食らった衝撃は重い。だが、それでも動けないほどではない。
そのテルグに向かって、サキルは剣を構えて距離を詰める。明らかに「仕留めに来た」構え。剣が風を裂く気配とともに、高速で斬撃を放つように見せかける——。
ーー来るなら来い、ナイフを……。
サキルの視線がわずかに剣先ではなく、テルグの両手に向けられていた。
その気配を察知したかのように、テルグが反応する。
「……させるか!!」
言葉とともに、彼の袖から無数のナイフが放たれる。
散弾のように広がる、絶え間ない死の軌道。その全てがサキルを狙っていた。
——が、その瞬間。
「フッ!」
サキルは斬撃を放つ素振りだけで一歩踏み込み、構えていた剣の角度を急激に変える。
そして、風の流れを読むかのように、一振りで襲いかかってきたナイフを何本も叩き落とした。
「ッ……!」
テルグの目が見開かれる。読み切られた……?
だがそれだけでは終わらない。
落としきれなかったナイフが数本、残っていた。
——来い。
サキルの左掌が閃いた。
「空弾」
風の塊が爆ぜるように拡散し、ナイフ群を弾き飛ばす。
今のサキルには、風の軌道、ナイフの角度、全てが俯瞰的に視えていた。
だからこそ、「剣で叩き落とすもの」「術で吹き飛ばすもの」を瞬時に分類できたのだ。
「これが……右眼の力か」
小さく呟いたその声とともに、サキルの剣が返された。
一歩踏み込み、振り抜く。
「シィィ——ッ!」
刃が空を裂き、テルグの胸元から腰へとかけて逆袈裟に斬り裂いた。
激しい金属音が炸裂し、テルグの身体が斜面を転がるように吹き飛ぶ。
ーー……手応えが、おかしい。
斬撃の感触は確かにあった。
だが、それと同時にサキルは「硬質な」感触と、甲高い打撃音を感じ取っていた。
ーー何か、仕込んでいたか……。
吹き飛ばされたテルグの身体には、血の気配がない。
右眼でその異様さを確認したサキルは、構えたまま言い放つ。
「……血が出てないぞ、テルグ。早く起きろ」
沈黙が数秒。
やがて、斜面に横たわっていた黒衣の男が静かに身体を起こした。
懐に仕込まれたナイフが、盾のように致命傷を防いでいたのだ。
「……恐ろしいな、お前は」
「そっちもな」
互いに言葉少なに睨み合い、再び戦闘は続行された。吹き抜ける風の中で、二人の呼吸が重なり合う。無音のまま、再び剣とナイフが火花を散らす瞬間を待っていた。
テルグが構えを変えたのは、静かなる決意の表れだった。乱れ撃ちでは勝てぬと悟った今、彼は攻め手を変える。
「十本で十分だ……量ではなく、質で殺す」
両手を広げ、空中にふわりと浮かぶ十本の黒いナイフ。そのどれもが別の意志を宿したかのように微かに震え、鋭い音を立てながら空気を切る。
一斉に放たれた瞬間、ナイフはそれぞれ異なる軌道を描き、サキルを包囲するように迫った。
ーー視える。
右眼が淡く輝いた。風と視野を繋ぐ「白銀の瞳」。サキルの脳裏には、風が感じ取る圧力と流れ、そして十本のナイフが描く全ての軌道が俯瞰的に浮かび上がっていた。
「……っ!」
サキルはその場からわずかに身を捻り、まずは最も直線的な一撃を身体を傾けて回避する。
次に、剣を振るい二本を撃ち落とす。金属がぶつかり合う高音が響き、火花が舞う。
さらに空弾を片手で放ち、三本を爆風とともに吹き飛ばす。
最後の一本は軌道をわずかに修正することで避けられると判断したサキルは、風の流れを一瞬制御し、ナイフの飛翔角度を微細にずらす。
全て、的確に処理された。
ーーだが……それで終わるはずがない。
踏み込もうとするサキルに対し、テルグが不敵に笑んだ。
「読めてたさ。お前が近付いてくるのは」
テルグが指を弾く。
直後、先程弾かれ地に伏していたナイフの一部が、まるで命を得たように再び宙に浮かび、サキルに向かって一斉に襲いかかる。
ーー想定済みだ。
サキルは一瞬も迷わず、掌を振り上げる。
「空弾」
空気が圧縮され、円状に放たれた爆風がナイフ群を弾き飛ばした。だがそのうちの一本が、風の流れに抗うように軌道を描き、空中を旋回し始める。
「まだ終わらないッ!」
テルグの集中が爆発する。吹き飛ばされたナイフがまるでブーメランのように旋回し、背後からサキルを狙って戻ってくる。
ーー風圧を変えたか……いや、術式で軌道操作を?。
咄嗟に空壁を展開し、迫るナイフを受け止めるサキル。衝撃が右腕を伝ってくるが、踏みとどまる。
そして即座に、彼は剣を振り抜く構えを取る。
「はッ!」
放たれた斬撃は、疾風を纏って真っ直ぐにテルグへと迫る。
テルグは咄嗟に反応し、全身を横に投げ出すようにしてその一撃を回避しようとする——だが。
「……!」
剣が風を切る勢いのまま、サキルはその手から剣を放った。
ーーまさかッ!?
斬撃ではなく、放たれたのは「剣そのもの」だった。風の流れに乗せ、風の力で軌道を操り——
サキルは右眼で追跡しながら、その剣をテルグの回避動作の背後から襲いかかるように自在に操った。
背後には防具も仕込みもない。
ーー直撃する——ッ!?
しかし、テルグも即座に反応する。
足元の小さなナイフを踏み台にし、それを操って再度跳躍。剣の軌道を外れるよう、ギリギリの角度で横へと飛ぶ。
風を割く剣が、テルグのすぐ傍を通過して空をきっていく。
跳びながら、テルグはその反動で体勢を崩す。
ーー今だ!
サキルは跳ね返った剣を右手でキャッチ。風の流れを読み、完璧な角度で自らの手元へと導いていた。
態勢を立て直そうとするテルグを逃すまいと、サキルは一気に詰め寄る。
再び斬撃を放つ直前、テルグの背後に空壁を展開。
逃げ場を封じたまま、勢いをつけた一撃が放たれる。
ーーここで終わる……が!
テルグもただ黙って終わるつもりはなかった。
彼は、先程弾かれたナイフの一つに意識を集中させ、それを操って斬撃を放とうとするサキルへ向けて放つ。
だが——
「甘い」
サキルの足元から、風が広がった。
風圧が渦を巻くように周囲へ放たれ、サキルを中心に円心状に展開する。
ナイフはその風に押し返され、届くことはなかった。
その瞬間、サキルの剣が閃いた。
「終いだ……!」
風を纏った鋭い一閃が、テルグの胸元を正確に貫く。
甲高い金属音が鳴り響き、懐に仕込まれていたナイフを突き破って、斬撃はそのままテルグの身体を斜めに裂いた。
背後を空壁に阻まれ、固定されたテルグの身体は吹き飛ぶことはなく、地面に落ちた。
——今度こそ、直撃だった。
ここに血濡れた試練は完了した。
そして次なる任務へーー
夜。拠点の離れ、人気のない小屋の軒先。
剣を膝に立て、サキルは静かに息を整えた。
ひと振りの銀光が視界を満たす。
ーー制御できた。だが今はまだ引き金を自分で引ける段階に過ぎない。
脳裏に、白髪の青年──ミルズ──が薄笑いを浮かべる光景が去来する。
あのとき、自分は確かに優位に立っていた。
タシュアさえ現れなければ、十中八九、仕留められたはずだ。
──だが、その力は怪物が肩代わりしてくれただけだ。
サキルは拳を握る。
復讐の標的はタシュアとミルズだけではない。
《再厄》――かつての 「ウィスレの災厄」の再来と恐れられる、正体不明の戦闘集団。
孤児部隊を虐殺した巨漢の硬化術使い。
空間を歪め、時空を跳ぶ空間使い。
悪魔の右腕を操る少年・ディアグ。
妖艶な微笑みと豊満な肢体で、幻惑の夢へと引きずり込む《夢魔》の女。
――判明しているだけで五名。潜伏している仲間が同数以上いると読む。
「全員、地獄に叩き落とす」
闇の中で小さく呟いた言葉は、炎のように胸の奥で燃え続ける。
右眼の力があれば、ミルズと《夢魔》は確実に射程圏内に入る。
だが巨漢の鎧皮も、空間の裂け目も、悪魔の右腕も
──未知の脅威だ。
そのために必要なのは、暴走でも賭けでもない。完璧な制御と、戦場を読む冷徹な頭脳だ。
サキルは立ち上がり、乾いた夜風の中で剣を構えた。
銀の右眼がかすかに光を帯びる。
風がざわめき、砂粒が舞う。
彼が引き金を引くたびに、視界はさらに広がり、怪物の力は少しずつ己のものとして沈んでいく。
──一週間の猶予など短い。だが着実に糧にしてこの力を、いずれ必ず手懐けてみせる。
そして《再厄》の名を、ウィスレの歴史から消し去る。
剣を振り下ろす。
途端、谷間の岩壁が無音で抉れ、月光が石塵の靄を銀色に染め上げた。
その光景を見上げながら、サキルは静かに笑った。
――まだ足りない。
だが、殺すには近づいている。
右眼の銀は、夜の底でなお冴え冴えと輝き続けていた。




