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想造世界  作者: 篤
27/54

シゼリ荒野丘奪取戦⑤ そして副将戦へ

赤土の風が砂礫を巻き上げ、朝靄を裂いていく。


 夜明けと共に、再び号砲が荒野に鳴り響いた。

 戦の第二日。

 その音は、昨日の血潮が乾ききらぬ大地に新たなる死の刻印を求めるかのようであった。


 初日の衝突は凄まじく、刃と創術が交錯した戦場には、今なお斃れた兵の亡骸と折れた槍が転がっている。陽が昇るたびにその影が長く伸び、誰が生き、誰が死んだかを問わず、その身がこの地にあった証だけを残していた。


 そして、新たな一日が始まる。


 中央丘を挟み、両軍が再びにらみ合う中、もっとも早く、かつ熾烈な動きを見せたのは、ゼルグ右軍とイフィラ左軍の戦域である。


 初日、イフィラ左軍の将クルト・リガールが討たれたことで、イフィラ軍は一時的に指揮系統を失い、混乱のうちに後退を余儀なくされた。その混乱を突いたゼルグ右軍は一気に攻勢を強めたが、イフィラは夜間のうちに陣形を再編し、左翼の戦線を防御主体へと切り替える。


 この日、イフィラ左軍は広域に兵を展開し、全体を緩やかに湾曲させた横陣へと変貌していた。これは正面の中央丘への圧力を維持しつつ、敵の突撃を受け流すための「捨て身の防陣」であり、左右両端を少数で構成し、中央を厚くすることで、ゼルグ右軍の鋭い突進を内に抱え込んで押し返す、いわば“袋撃ち”の形を狙ったものであった。


 対するゼルグ右軍は、昨日クルトを討ち取った猛将——オーディルド・コールズが指揮を執っていた。


 かつて北辺を焦がし、敵将二名を一太刀で斬り伏せたことから「双断そうだんの鬼」とも呼ばれた武名の持ち主。その勢いは衰えず、彼はなおも鋭い陣を率い、斜面を駆け上がってはイフィラ陣の内側を削り取るように突撃を繰り返した。


 彼の陣形は、前衛に重歩兵と盾兵を据え、中列に機動歩兵と創術部隊を組み込んだ「咬み込み型」。一撃目で敵陣を揺さぶり、二撃目でそこに咬み込むようにして敵の中核を斬り裂く、まさに猛獣の牙のごとき布陣である。


 しかし、イフィラ左軍もこの日、遊軍を後方より加え、兵数の均衡を保ったことで一気に壁を構築。剛と剛の激突は、やがて互いの刃を鈍らせ、鋭さだけでは突破できぬ泥濘へと戦場を変えていった。


 地を抉る戦いは、刻々と兵の疲弊を生み、血と汗が地を染め、幾度も戦列は崩れては再編される。


 両軍ともに「決定打を打ち出せぬ」まま、時間だけが焼け付く空の下を過ぎてゆく。


 一方——。


 ゼルグ左軍とイフィラ右軍の戦域においては、まったく別の様相が広がっていた。


 ここでは、静かな拮抗が異様なまでに長く続いていた。


 初日、ゼルグ左軍はイフィラ右軍の猛攻を受け、その混乱の中で主将ホロッティスが討死。

 しかし、ゼルグ遊軍たる熾炎隊が後方より急行し、命懸けの突撃でその進撃を封じた。


 だが、代償は大きかった。


 その戦闘で熾炎隊の軍師ライガーもまた討たれ、熾炎隊そのものが後方へと下がり、左翼は一時的に無将の状態へと陥った。


 同じく、イフィラ右軍も主将を失っていた。混乱の最中、決断を下す者を欠いたイフィラ側は、一時その戦域を封鎖し、後衛から各小隊に個別指令を出す形で戦闘継続を装っていた。


 つまり、ここには、名のある将の姿が存在しない。


 誰も指示を出さず、誰も大局を語らない。

 前線に立つのは、ただ「昨日の命令」と「己の誇り」に従って動く兵たちばかり。


 連携を欠いた衝突。各部隊の判断で小競り合いを繰り返し、どちらかが攻め込もうとすれば、その隙を見て逆側が応戦し、結局は再び膠着へと戻る——そんな、意味の見えぬ泥仕合が延々と続いていた。


 それでも兵たちは戦い続けていた。

 誰もが疲弊し、誰もが不安を抱えながら、ただ「崩れてはならぬ」という一点だけを支えにして。


 その姿は、ある意味、戦場という名の不条理にもっとも近しい景色であった。


 風は止まず、陽は昇れど、戦の趨勢はなお定まらず。


 中央丘を中心とするこの戦の本質——

 すなわち、「誰がこの地を制するか」という一点に、未だ明確な答えはない。


 赤土の砂礫が舞い、沈黙の荒野は、その問いの答えが出される時を、ただじっと待っているかのようだった。


 そして、戦の第二日は、静かに夜の帳に包まれながら、終焉を迎えた。














二日目の戦が終焉を迎え、荒野に沈む夕闇が赤黒く滲む中、戦場から遠く隔たれた丘陵の背に、一つの陣があった。


 そこは、ゼルグ軍副将イガート・ヴァル・ヴィリアの本陣である。


 だが、その在り方は常道を逸していた。


 兵の喧騒はない。鬨の声も、角笛も、旗すら掲げられていない。天幕は質素を極め、周囲の兵はほとんど姿を見せず、巡回すら行われていない。あたかもここに軍勢など存在しないかのような空虚さ——それこそが、この陣の正体だった。


 だが、それは偶然でも怠慢でもない。計算され尽くした沈黙、意図的に作られた無音の罠である。


 その沈黙の中心、天幕の内には一つの焚き火が灯されていた。火は小さく、だが決して消えずに揺れている。それはまるで、この場にいる者たちの本質を象徴するかのようだ。


 そしてひとりの女が沈黙を破る。


 黒き軍衣を纏い、肩までの銀髪を丁寧に束ねた若き将校——イレーネ・グラッド。

 その紫紺の瞳が炎の揺らぎに照らされると、瞳の奥に宿る決意と疑念が、まざまざと浮かび上がった。


 「……イガート様。何故、動かれないのですか?」


 静かな問いだった。だが、その奥には焦燥と、答えを得たいという切実な意志が潜んでいた。


 焚き火を挟んで座していた男——イガート・ヴァル・ヴィリアは、微かに瞼を上げた。


 全身を漆黒の軍衣に包み、黒檀のように艶めく長髪を背に垂らしたその姿は、貴族の装いでありながらも、どこか人ならざる威圧を纏っていた。


 焔に照らされる横顔。紫水晶めいたその瞳は、まるで火の光さえも内側に封じ込めてしまうような、底知れぬ深淵を湛えていた。


 「……まだ、その時ではない」


 低く、抑えた声。まるで風のように緩やかに流れ、焚き火の煙と共に天幕の空へと消えてゆく。


 「私がここにいると、敵に知られること——それが最大の損失だ。情報とは力であり、力を隠すこともまた、戦術だ」


 イレーネは口を噤んだまま、その言葉を静かに噛みしめる。

 初日、彼女はイガートの命で丘を奪取する遊軍の一端を担い、戦果を上げた。だがそれ以降、この陣はまるで時が止まったように沈黙を保っていた。


 「……我らだけが、このまま何もせずに終わるのではと……」


 選び抜かれた言葉だったが、その声音には抑えきれぬ苛立ちと懸念が滲んでいた。


 と、その背後から、焚き火に炙られた声がひとつ、くぐもった笑みと共に漏れた。


 「心配しすぎだな、イレーネ。まだイガート軍に来て日が浅いから無理もないが……」


 焚き火の影、その先に座していたのは、イガートの腹心とされる四人の男たちであった。


 それぞれに面差しも体格も異なりながら、全員が一様に戦場で名を伏せ、静かに牙を研ぐ謀将たち。彼らは焚き火の明かりに顔の一部しか晒さず、その目だけが鋭く燃えていた。


 「イガート様の“沈黙”こそが最も恐るべき刃よ。焦るな、若造」

 「二日間、動かなかったのは——動く必要がなかったからだ。それだけの話だ」

 「我らの兵は既に、ゼルグ正規軍と変わらぬ装いで左右両軍に紛れている。敵はそれを“補填兵”としか見ていない」

 「だが、その配置こそが、次の一手を決める駒だ。全ては意図の通り。機が熟せば——戦局は一瞬で転ぶ」


 その声のひとつひとつに、イレーネは瞳を伏せる。

 論理では理解できる。だが、それでもどこか、胸の奥に引っかかるものが拭えなかった。


 その様子を、イガートは一言も挟まず見つめていた。

 そして、ふと、視線を宙へと泳がせる。


 「……イレーネ。お前の問いは正しい。そして……貴い」


 焚き火がはぜる。

 彼の目に、ようやく微かな感情の揺らぎが浮かぶ。


 「心配するな。俺は必ず、“出番”を作る。だが、それは誰よりも深く、誰よりも遅くなる」


 その言葉に込められたものは、決して慰めではなかった。

 それは、確信。そして、宣告。


 「この沈黙の先にある一撃こそが、敵にとって最も恐るべき“運命”となる……。そう設計してある」


 彼の紫の瞳が、焚き火の赤を宿す。まるで深淵に浮かぶ炎のごとく、妖しく、冷たく、美しかった。


 「だからこそ、我らは動かぬ。今はまだ“観察”の段階だ。だが、次に動く時……戦場の景色は、根こそぎ変わる」


 焚き火が大きく音を立てて燃え上がる。


 四人の腹心が、まるでそれに呼応するかのように静かに膝を折り、声を揃える。


 「——御意」


 天幕の外では、誰も彼らの存在に気づくことはない。

 だが、火は確かに灯っている。静かに、そして狂おしいほどに熱を帯びながら。


 イレーネは、その炎を見つめ続けた。

 そして、誰にも聞こえぬほどの声で、囁いた。


 「……その“運命”が、私たちにとっても、最後の夜にならぬことを……」









 ーー暁光が赤土の荒野を照らし出す。


 数多の命が散った丘は、もはやただの高地ではなく、血と誇りと戦の記憶を刻み込まれた「象徴」となっていた。二日間にわたり幾度となく攻められ、守られ、踏み荒らされたその斜面は、今や赤く滲んだ土に骨と鉄が埋もれる戦塵の檀。風に乗って漂うのは、草の匂いでも焼けた土の香りでもなく、乾いた血と汗と鉄錆の臭いだった。


 そして、三日目——。


 その朝の静寂を破るように、中央戦線が動いた。


 両軍の中央陣営より、ついに二人の総大将が姿を現したのである。


 ゼルグ軍を率いるは、《五芒刀》の異名を冠するオブリグス・ストレイド。

 鋭き眼光はなお衰えず、白髪混じりの長髯に威厳を宿し、歴戦の軍服に身を包むその姿はまさに古き戦神の如し。

 かつて幾多の辺境戦を勝利へ導いた老将にして、ゼルグの武威を体現する筆頭大将である。


 対するは、蒼き雷を纏いし覇者、ラルド・オルフェガス。

 雷を身に纏い、黒鉄の鎧を雷鳴と共にきしませながら進む姿はまさに《雷神》の異名に相応しく、ただ立つだけで戦場の空気を変える男。

 破格の創術を以て幾多の戦場を制圧し、若き将軍として名を馳せるイフィラの雷槍であった。


 これまでに両軍の副将以外の顔ぶれはおおよそ割れており、もはや伏せる意図も意味を成さない。

 戦は、完全に主戦局へと移りつつあった。


 ——そして、この丘に長く留まる猶予は、すでにない。


 故にこの二柱が、ついに正面から出で、覇を競う時が訪れたのである。


 中央の丘を挟み、両軍それぞれの陣より進軍の合図が掲げられる。


 オブリグスが愛用の軍杖を掲げた。

 風に翻る五つの銀紋が刻まれた軍旗が、赤土の空に翻ると、ゼルグ兵たちは一斉に声を上げる。


 「聞けィィ!! この地を簒奪せんとする者どもを討てッ!! ゼルグの誇りを、いまこそ見せよ!!」


 老将の喉は枯れながらも、声は荒野全体を揺らすほどの迫力を持っていた。

 その背に続くは、精鋭の重装兵たち。若き兵も老兵も、指揮官の一声に、槍を掲げて応えた。


 ——老将の威光は、未だなお消えず。


 一方、ラルドは馬上より遥か前方を見据え、己の雷槍を天へ向けて掲げる。


 「立て、イフィラの子らよ!! この丘を越えた先が、我らの栄光の地と知れッ!!」


 その言葉と共に、雷鳴が走った。

 ラルドが掲げた雷槍には、黒と青の光が螺旋を描き、その力に兵たちは震え、興奮に拳を震わせた。

 金属を打つような槍の音が全軍に伝播し、ついには大地までもが震えるほどの応答が返される。


 ——イフィラの意志は、揺るがぬ雷となって集う。


 そして、風が止んだ。


 ゼルグの太鼓が鳴る。

 その低く重たい音が、地を揺らすように鳴り響いたかと思えば、イフィラの角笛が空を裂く。


 ——それは、開戦の合図。


 丘の斜面を、両軍の歩兵が波のように押し寄せる。

 幾千もの足音が地鳴りとなり、鉄の甲冑が擦れ合い、創術が火花を散らしながら戦列を焼き始めた。


 矢が空を唸り、盾を打ち砕き、血と肉の臭いが戦場を満たす。


 中央丘を巡る攻防は、もはや緻密な兵法ではない。


 それは、意志と意志の衝突。


 指揮、戦略、布陣——全てが限界まで試され、それでもなお、最後は個々の意志の強さが勝敗を分ける熾烈な消耗戦だった。


 兵たちは、名の下に戦っていた。

 オブリグスという名に、ラルドという名に、故郷と仲間のために。


 死地へと駆け込む彼らの瞳に、恐怖はなかった。

 あるのは、ただ勝利への渇望と、己が使命を果たすという静かな決意であった。


 戦列の最前で、オブリグスは高地を遠望しながら、状況を見極め、淡々と指揮を続けていた。

 老将の目には、戦況全体が盤上の如く映っている。その一手が、数百の命運を変えるのだと、誰よりも理解していた。


 その一方で、ラルドは雷を纏って前線へと躍り出る。

 敵陣の只中に雷光が走れば、数人が吹き飛び、蒼い閃光が轟く。


 雷神と呼ばれる所以を、彼は言葉ではなく力で示していた。


 ついに、中央が燃え上がった。


 鉄と雷、血と紫電。

 怒号と咆哮が荒野を震わせ、中央丘は無数の戦士たちの死闘の舞台と化した。


 その丘を制する者こそが、シゼリ奪取戦の覇権を握る。

 名将たちの覚悟と、無数の兵たちの命を懸けた、最終の主戦場が、今、火蓋を切った。












 第三日の昼下がり。

 陽炎が揺らぐ荒野の只中、中央戦線では刃と創術が幾度も交錯し、両軍ともに消耗の色が濃くなり始めていた。


 その時だった。


 ゼルグ中央軍の後方陣、そのさらに背後に、長く沈黙を保っていた一群が突如、姿を見せた。


 その兵たちは、一様に黒衣に身を包み、異様な統率で四方へと展開する。

 その動きは、まるで四本の黒き矢が放たれたかのように淀みなく、同時に戦場の四辺へと駆け出していった。


 突如として戦線に割り込んだそれらの部隊は、イフィラ軍中央の側面や連結部を正確に突き崩し始める。

 その動きは、二日間、戦の潮流に一切姿を見せてこなかった者たちのもの。


 ゼルグ副将、イガート・ヴァル・ヴィリアが、ついに動いたのだった。


 イガートは自らの軍勢をゼルグ一般兵と同じ格好で偽装し、二日間、正規軍の補填として左右両軍へ忍び込ませていた。

 その中枢たる腹心四人とその直下兵のみを温存し、三日目の好機を見定めていたのである。


 その四人——

《黒蛇》セリム・ガルダは、イフィラ左翼の背後へ潜入し、通信と補給の経路を切断。

《鉄紋》ドレアス・ムヴァールは中央斜面の隙を見逃さず、重歩兵を以て押し上げる。

《焔斧》バシク・トランガスは火術と斧兵を交えた突進部隊で右翼の盾を打ち砕く。

《残風》ニリウス・スヴァリスは遊軍との連携を断ち切るべく、機動騎兵で包囲をかける。


 彼らはまるで、戦場の風向きを読んだかのような精緻な進軍で、イフィラ軍を側面から蝕み始めた。


 突然現れた黒衣の軍勢に、イフィラ軍は大きく動揺する。


 「な、何だ……? 中央後方から敵!? 増援か……否、見たことのない旗印だ……!」


 混乱が走る中、指揮を執っていた者たちは、焦燥の中で報告を束ねるが、そのどれもが意味を持たなかった。


 ——敵の名がわからない。

 ——敵の目的が読めない。

 ——そして、いつからそこに潜んでいたのかすら不明。


 「奴らはいったい、どこから湧いた……?」


 イフィラ本陣、その指揮中枢にて。

 騒然とする報告の数々に、ただ一人、静かに耳を傾けていた男が立ち上がる。


 雷の蒼衣を纏い、漆黒の髪を束ねたその姿。

 イフィラ軍副将、ヴェルンド・テルエス。


 彼は地図の上に視線を落としながら呟いた。


 「……読んでいた。だが、予想以上に早く、深く入ってきたな」


 ヴェルンドはこの三日間、あえて姿を現さず、敵の不自然な空白を見つめていた。


 ゼルグ軍の布陣。右軍と左軍の編成。兵の動き。

 一見整っているように見えたそれが、実は何かを隠しているという確信があった。


 「これは本陣に“将”がもう一人いるな。……名は知らんが、そういう奴がいる」


 彼は一つ息をつき、剣を手に取った。


 「ならば、出るか。こちらも……“隠していた”身だ」


 その声が発せられた直後、本陣から軍旗が掲げられる。


 それは、これまで誰にも明かされてこなかったもう一つの旗——ヴェルンド直属の精鋭部隊の出陣である。


 その兵は皆、雷撃の文様を持つ鎧を纏い、全員が重装歩兵と創術使いの複合。

 力と技巧を兼ね備えた機動部隊を引き連れ、ヴェルンドは正面から未知の敵を迎え撃つ。


 そして、戦場の東縁——


 そこに、黒衣の将が馬上より眼差しを向けていた。

 イガート・ヴァル・ヴィリア。


 「……あれが、切り札か。姿を見せなかった理由、こちらと同じと見た」


 薄く微笑み、彼は剣を引き抜く。


 「だが、遅かったな。——この流れは既に、こちらが握っている」


 その一閃を皮切りに、ついに黒と蒼の副将同士が、戦場に姿を現す。


 策略と直感、隠密と雷撃、そして互いに「名を知らぬ」まま——

 シゼリ荒野の主導権を巡る最深の戦いが、ここに始まった。














蒼と黒の雷撃が交錯し、大地が軋む。


 その戦場の中央——炎と轟音が交わる混戦の只中に、ひときわ異質な気配を纏って現れた男がいた。


 紫紺の光、その身を包むは鋭利な静謐。

 騎乗のまま、赤土を踏みしめて彼が進み出るや、周囲の空気が一変する。


 イガート・ヴァル・ヴィリア——ゼルグ軍副将。

 紫水晶を生み操る異能を持つ、〈戦場の彫刻師〉の異名をもつ若き将である。


 彼は馬上から戦場を一瞥したのち、ためらいなく跳躍し、赤い砂に足をつける。

 その所作には、迷いも躊躇もなかった。まるで、自分がここに立つべくして立ったとでも言わんばかりに。


 その眼前に立ち塞がる影。


 黒雷を纏い、地の底から噴き上がるような殺気をまとう者——イフィラ副将、ヴェルンド・テルエス。

 黒衣に包まれたしなやかな体躯の奥に、制御された狂気のような雷光が潜んでいる。


 二人の視線が交錯した瞬間、周囲の時間すら一瞬凍りつく。


 言葉を交わすことなく、互いの格と意志を読み取る。

 名も知らず、過去も知らぬ。しかしこの場における「最も厄介な敵」として、おのおのの勘が告げていた。


 「……貴様が、ゼルグの“隠された刃”か」


 ヴェルンドの声は低く、そして冷たい。

 まるで内に潜む雷のように、静かに、だが間違いなく周囲を焼く熱を孕んでいた。


 「そういう貴様こそ……雷神の影に隠れていた、もう一つの刃か」


 イガートの返しもまた、冷淡で、微笑のようなものさえ宿していた。

 だがその笑みの奥には、計算と支配の意志が見え隠れする。


 言葉が終わると同時に、風が一変した。


 最初に動いたのはヴェルンドだった。


 その掌から奔る黒雷は、疾風を伴いながら地を裂く。

 蛇のように這うそれは、地面に刻まれた砂文様を灼き、焼けた鉄の匂いを漂わせながら迫る。


 ——しかし、届かぬ。


 イガートの足元から紫水晶の尖塔が次々と隆起し、雷撃を受け止めるや否や、鋭利な破片として空中に炸裂。

 飛び散った破片は、空間を横断する弾幕となり、逆にヴェルンドを狙う。


 「ふっ……面白い」


 ヴェルンドは瞬時に黒雷を右腕に収束させ、それを薙ぎ払う。

 雷は刃と化し、その刹那、漆黒の雷剣が空を裂いた。


 鋭く震える刃先。

 剣の形を保ちながら放電を続けるその武器は、ただの物理ではない。

 斬撃と同時に、触れたものを内部から焼く“破壊”を内包していた。


 イガートは対するように、自らの手のひらに紫晶を浮かせ、柄から刀身までを瞬時に造形。


 その剣は儀礼用のように優雅な線を描いていたが、内包する力はまごうことなき“殺意”であった。


 距離が詰まる。

 刹那、剣戟が爆ぜる。


 紫と黒。光と影。

 異なる性質をもつ創力の斬撃が空中で交差するたび、火花と砂塵が閃光となって吹き上がった。


 ヴェルンドは剣戟に乗じ、雷の軌道を意図的に「見せる」ことで、相手の視覚を狂わせるフェイントを繰り返す。

 だが、イガートはそれを見切っていた。


 「なるほど。視える故の精度か」


 彼はわずかに間合いをずらし、紫晶の刃を分裂。

 一振りを前方へと投げ、もう一方を旋回させ、敵の死角を狙って背後から斬撃を加えようとする。


 ヴェルンドは即座に反応。

 雷を爆ぜさせて衝撃波を発し、間合いを強引に広げた。


 「それでかわされるなら、まだまだ精度が甘い……!」


 雷の稲光が背を走り、彼の肉体が再び“武器”となる。

 彼は自らの体に雷を纏わせることで、攻防一体の状態に切り替えた。


 その動きを見届けるや、イガートは微かに笑みを浮かべる。


 「ならば——これでどうか」


 彼の足元、そしてその周囲に散らばった紫晶の破片たちが共振を始める。

 小さな震動とともに、大地に紋が走る。

 まるで刻印された魔法陣のように、それは一つの形を持ちはじめていた。


 「——囲ったぞ」


 低く囁いたイガートの声とともに、紫水晶の柱が数十本、地中から隆起する。


 それらは半径十数メートルを取り囲み、天井すら閉ざすように角度を変えて伸びてゆく。


 まるで檻。まるで聖堂。


 だがそれは、敵を葬るために設計された、“紫晶の死地”だった。


 「……閉じたか。それならば」


 ヴェルンドは左手を差し出し、掌に雷を集める。

 雷は鼓動のように脈動し、次第に一つの球体へと凝縮されていく。


 それは——「雷核」と呼ばれる、ヴェルンドが数少ない本気で放つ必殺の一撃。


 「砕け……!」


 雷核が手から離れた瞬間、音が消えたかのように時間が止まる。

 次の瞬間——轟雷とともに、紫晶の柱が数本一気に砕け、嵐のような黒雷が結界の一角を貫いた。


 瓦解する檻。

 砂塵が吹き上がるその隙に、ヴェルンドは踏み込む。


 斬撃。雷撃。爆発。破片。

 両者はもはや一対一の「戦」ではない。

 異能と技術、意志と美学、そのすべてがせめぎ合う「戦域」そのものだった。


 そして、譲らぬ二人がいた。


 未来を計算し、冷静に盤面を支配しようとする紫晶の将。

 対するは、自らの力を解き放ち、瞬間を焼き切る雷の武人。


 だが、その決着は、未だ遠い。

 この戦場のすべてが、二人の意志のぶつかり合いに飲まれていくのを、他の兵たちはただ圧倒されながら眺めるしかなかった。







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