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想造世界  作者: 篤
26/62

シゼリ荒野復讐戦

シゼリ荒野。赤く染まった丘が長く影を引く。


 戦の初日が終わり、各軍は損耗を整理し、夜営に移る頃。裏戦場に展開するネレネス部隊もまた、静かに野営の準備を進めていた。


 だが、サキルは焚火の熱を前にしてなお、胸の奥にこびりついたような「ざわつき」を拭えなかった。


 ——何かが、まだ終わっていない。いや、“動いている”。


 音ではない。視界に捉えたわけでもない。ただ風の流れが違う。土の匂いが、何かを隠しているように感じられる。


 「……血の臭いが、風に紛れて消えきってない」


 呟きは、自分に向けた確認でもあった。その直感は戦場で幾度も命を繋いできたものだ。ためらわず、今回の作戦の指揮官であるスフィードへ報告を上げる。


 スフィードはそれを聞き、糸目をさらに細めて指を二本立てた。


 「うーん僕は他に報告の取りまとめとか色々しないといけないしな……それじゃあコウルとテインを連れていきなよ。まだイフィラ裏部隊の残存勢力が残っているかもしれない。気配の源を確かめて欲しい……けどあくまで偵察だから戦闘は避けてね」


 その言葉に従い、サキルは指定された二人とともに暗がりへと身を投じた。


 「またお前の勘が騒いだか。まったく、隊長も信用しすぎなんだよ」


 大柄な男、コウルが笑いながら肩をすくめる。


 「スフィード様が信用してるなら、それで充分だ。俺たちは命令に従う」


 隣に並ぶテインが、低く落ち着いた声で言った。


 三人は火の灯らぬ荒野を進む。夜の帳が下り始める中、土の上を歩く音さえも遠く吸い込まれていくようだった。


 やがて丘の下、崩れかけた岩陰を通りかかったとき。


 ——サキルの足が止まった。


 「……ここだ」


 風の音が止まる。


 その「無音」の中で、なにかが確かに「在る」と感じた。だがそれは、姿を見せない。気配すら読めない。ただ「空間そのもの」が殺気を孕んで歪んでいた。


 「……っ、待て」


 サキルが息を呑み、警告を発しようとした瞬間だった。


 首が落ちた。


 コウルの首が、まるで最初からそこになかったかのように、音もなく崩れ落ちた。


 「っ——!!」


 横目に動いたテインが即座に抜刀しかけたが、既に胸元を“何か”が貫いていた。刃の形すら、軌道すら見えない。


 二人とも、何が起きたのかもわからぬまま、事切れていた。


 「……姿が見えない……?」


 瞬間、背筋に冷気が走る。視界には何もいない。音もない。風すら止まったままだ。だが確かに「死」だけがそこにあった。


 ——見えない。完全に存在を消している。先程交戦した裏部隊の敵が使った隠形とは比べ物にならない。


 サキルは身体を一瞬沈ませ、半歩後ろへ跳躍する。


 その刹那、空気が裂けるような感覚。真横を「何か」がかすめた。


 「……」


 長剣を横に薙ぐ。手応えは——空を裂いたような硬質な圧だけ。


 だが、確かに何かが「そこ」にいた。音も、光も、存在すらない「殺意」だけをまとって。


 「何者だ!!!」


誰何の声を張り上げる。

 と同時にサキルの右眼が、わずかに白銀へと染まり始めた。銀光が、虚無を睨む。

ただサキルは内心焦っていた。


 ——辛うじて反応はできたが何もできなかった……先程のようにいけるか?


偵察が言い渡された指示であり、実力差が明白な以上撤退することが最善なのは間違いないが、逃がしてくれそうもない。

だがそれ以外にもサキルが引けない理由があった。


ーーこれほどの隠形術の使い手……可能性がある。


サキルが気絶中に見た夢ではあったが、それがただの夢ではないとも断言できる。


ーーあの時、俺の部隊を皆殺しにした敵の内の一人だとしたら、このまま生かしておくことはできない。


故に確かめる必要があった。


「まずは引き摺り出して姿を暴く!」


そう啖呵をきり、サキルは臆さず前に一歩踏み出した。










剣閃が闇を裂いた。


 視えぬ「何か」が襲い来るたびに、サキルは反射と直感だけを頼りに回避し、受け流し、時に僅かに斬られた。肩が裂け、脇腹をかすめられ、血がにじむ。


 だが、そのすべてが致命に至る一線を、辛うじて外れていた。


 ――視えなくとも、感じる。


 呼吸と鼓動を最小限に抑え、感覚を極限まで研ぎ澄ませる。足音、風の流れ、音のない場所。そこに気配がある。


 ——ギリギリ、捉えられている。


 が、十合を越えたあたりで、ふと戦場の気が緩んだ。


 「……なんでやられてくれないの? めんどくさ……」


 その場に、初めて「声」が降った。


 姿を現したのは、闇の中に溶け込むような黒衣の青年だった。全体的に気の抜けた雰囲気で、無精髭こそないが寝起きのような目つきでサキルを見つめていた。

ただそれ以外の容姿には特に特徴もないどこにでもいる平均的な体格、造形の青年だった。


 「その技、ただの隠形じゃないな」


 サキルは剣を構え直しながら問う。


 「ふつう、姿が見えないって気づいた時点で、体が勝手に警戒して止まるのに……君、普通じゃないね」


 青年は気だるげに首を傾げた。


 「……もう一度問う。何者だ」


 サキルの問いに、影の男は無表情でまばたきを一つし、ため息を吐くように答えた。


 「名乗る意味あるの? どうせこのあと死ぬのに。君が」


 言葉と同時に、再び気配が消える。


 「……さっさと死んで」


 刹那、空間が沈むような錯覚。意識がぐらつき、眼前の男の存在感が薄れていく。


 ——これは、隠れているのではない。「認識から逸らされている」。


 「……っく」


 薄氷を踏むような戦いだった。気配を殺すのではなく、意識そのものを操る。精神を誘導し、「敵が存在しない」と錯覚させる異能。視えないわけではない。脳が「視ようとしない」のだ。


 ただの隠形術なら、研ぎ澄まされた感覚で見抜ける。だがこの男は、己の存在を「無」に近づけることで、意識の網から外れた領域に潜り込む。


 サキルは防ぎ続けた。傷を増やしながら、心を研ぎ澄まし、意識を強制的に引き戻して「そこにいる」という確信だけで受けた。

ただ奇妙なことに己の中の何かに突き動かされるような違和感があった。

右眼が疼き、心がざわつく。


 「……はあ。さすがに疲れてきた。君、名前は?」


 今度は先に尋ねてきたのは影の男だった。


 その目にわずかな興味の色が浮かんでいる。さっきまでとは違い、ほんの少しだけ重力が戻ってきたような声色。


 サキルは構えを崩さず、短く名乗る。


 「サキル・セルフェウスだ」


「うん?セルフェウス?どこかで聞いたような気がするなぁ……」


 だが影の男はサキルではなく家名のセルフェウスを反芻する。


その意味を察し、サキルの白銀の右目に憎悪が宿る。


とはいえまだ確信には満たないので歯噛みをするに留まった。


「セルフェウス……セルフェウス……なんだっけなぁ」


 影の男のまぶたが一度だけゆっくりと上がり、その名を繰り返し反芻する。


「あー、思い出した。あの時みんなで痛めつけたおじさんと同じ家名だ。ってことは君はその息子?」


「貴様が……貴様らが!!」


確信に変わり怒りが沸点を超え、視界が明滅する。


 「……へえ。じゃあ少しは楽しみそうだな……」


 口の端が、わずかに持ち上がった。笑ったのか、何かを思い出したのか。だがその表情には、今までになかった明確な「個」が浮かんでいた。


 「サキル・セルフェウス……やっぱり、君は簡単に殺しちゃうのもったいないかもね」


 その言葉と同時に、空間が再び沈む。


 今度は「殺意」を隠していない。

 だがそれは、完全な無関心ではない。対象として認めた殺意だった。


 次の瞬間、影の男の気配がサキルの背後から迫る。

だがサキルの方にも戦う理由ができた。

故に真の命の奪い合いとなる第二幕が、静かに始まった。










剣戟が激しく鳴った。空気が裂け、地がえぐれるような軌跡が、夜の闇を切り裂いて駆ける。


 鋼がこすれるたび、火花が夜を焦がした。だが、それはもはや「人」と「人」の剣ではない。


 サキルはなおも踏みとどまっていた。だが、その動きには既に人間らしさがなかった。

 呼吸は荒れ、筋肉は異様に張り詰め、踏み込みは獣の跳躍に近い。剣筋は鋭さを増す一方で、常軌を逸した力と速さに任せた一撃が混じり始めていた。


 「へぇ……さっきより……ずいぶん速くなったね」


 闇の中、ミルズが笑った。さっきまでの気だるげな声音ではない。高揚に満ちた、どこか興奮を含んだ声音だった。

 その双眸がわずかに見開かれ、追い詰められる快感を喜ぶように光る。


 「これだから、“未知”ってのは面白いんだ……!」


 サキルの瞳には、もはや理性の色はなかった。

 白銀に染まった右目が、脈動するかのように輝きを増す。肌には鱗のような異形の変異が走り、頬、首、右腕の一部が白銀の鱗で覆われ始めていた。


 視界は微かに揺れ、口元は変形し、もはや言葉を紡ぐことすら困難な形を成していた。


 「——■■■……ッ!!」


 その咆哮は、言葉ではなかった。言語の枠を越えた「怒り」そのもの。

 振るわれた長剣から、黒い風が奔る。地を裂き、空気をねじ曲げ、斬撃が空間を砕くように疾駆した。


 「まいったな……“人”ってのは、こんなに簡単にやめられるものなんだっけ?」


 影の男はなおも冷静に見えるが、足元の踏み込みには確かな緊張が宿っていた。かすかに口元を歪め、滑るようにして後退しながら呟く。


 「これじゃ、僕の能力が効かないわけだ。君、もはや“意識”の枠から外れてるもんね……。ああ……羨ましいよ……そういうの」


 サキルは答えない。否、応える意識すら持っていない。


 目の前の“敵”をただ殺す——それだけが、今の彼の世界のすべてだった。


 そして、サキルが跳んだ。


 風が鳴る。否、唸る。


 黒き旋風が巻き起こり、その中心から一閃が放たれる。夜気を裂いて、斬撃が闇に閃く。空気すら避け、重力が一瞬逆巻くような軌道で、影の男を斬り裂かんと迫る。


 それは、もはや剣ではなかった。形ある破壊。理性なき執念。人間の技ではなく、怒りという本能が創り上げた「災厄」そのものだった。


 地が震え、裂けた岩が破片となって宙を舞う。ミルズの頬をかすめた一筋の風が、仮面のような笑みを切り裂く。


 「……はは、やば……」


 僅かに跳び退いたその瞬間、ミルズの額に一滴、血がにじんでいた。

 まさに紙一重。

 それが遊びではなくなったことを、彼自身の身体が理解していた。


 しかしその瞬間。


「さて、そこまでにしておこうか、サキル・セルフェウス君」


 ——声が落ちた。


 空間が、静かに沈む。

 それはあまりに自然な、だが全てを支配するような声音だった。


 次の刹那、紫の「眼」が現れた。


 虚空から差し込むようにして、ただ一つの視線が、サキルを射抜いた。


 ドゥン、と何か重い音が心の奥で鳴る。

 咆哮をあげかけていたサキルの動きが止まり、そのまま膝をつく。


 「……ッ」


 剣が地を打ち、サキルの体から黒い気が漏れるように散る。

 彼の眼が、揺れる紫の光を映しながら、静かに閉じられた。


 「タシュア……っ!」


 ミルズが吐き捨てるように言った。

 声に怒気を孕ませ、睨みつけるようにその名を呼ぶ。


 現れたのは、黒衣の男だった。

 風の音すら凍りついたかのような沈黙の中、闇に溶け込むようにして一歩、また一歩と踏み出してくる。足音はなかった。だが確かに「そこにいる」と空間が告げていた。


 紫の双眸が、倒れているサキルを見下ろすように細められる。


 その瞳に映る光景は、まるで世界のすべてを玩具のように捉えているかのような、底知れぬ狂気と冷淡な知性を宿していた。


 ——タシュア・イーライグ。


 その名を口にせずとも、彼を知る者なら一目で分かる。

 この世界に災厄を呼び込む「紫蝕の悪魔」。狂気と力の象徴。あらゆる意志をねじ伏せる、絶対的な支配の存在。


 「ミルズ、騒ぎすぎ。せっかくの戦なんだし、楽しむのは構わないけど……タイミングってものがあるよね?」


 その声音は柔らかかった。まるで親しい友人に語りかけるような、優しげな響き。


 だが、その語尾のどこかに混じる冷ややかさと「命の軽さ」が、逆に全身の毛を逆立てさせる。


 「……っ、タシュア……!」


 あれほど気だるげで気まぐれだったミルズが、今は明確な感情を露わにしていた。顔をしかめ、忌々しげにタシュアに詰め寄る。


 「なぜ邪魔をする!? ただの人間を斬り続ける日々には、もう飽きていた……!」


 声には激しい苛立ちが滲んでいた。


 「だが今回の敵は違う! “人間であること”を自ら捨て去った。あれはもう、ただの餌ではない。……“戦い”だった! 久々に……本当に楽しかったんだ!」


 ミルズの眼がギラついていた。明確な「欲求」がそこにある。戦いへの渇き。理解を拒む“本能”に近い執着。


 だが、タシュアはその熱を前にしても、変わらぬ微笑を浮かべたままだった。


 「うん、わかるよ。君が“楽しい”って感じる相手なんて、本当に久しぶりだものね」


 そう言いながら、タシュアは小さく肩を竦める。


 「でもね、ミルズ。僕は“戦”そのものが好きなんじゃなくて、“戦の流れ”を見たいんだ。ここで君が本気を出しすぎると……台無しになっちゃうからさ」


 その声音は、どこまでも静かだった。淡々として、冷たくさえなかった。


 だが、その背後には確かな支配の圧があった。


 否応なく、言葉に逆らうという選択肢を奪う「空気」。空間そのものがタシュアの意志に屈服しているかのような、理不尽な圧力があった。


 「……っち」


 ミルズが舌打ちを一つして、忌々しげに視線を逸らす。

 タシュアに逆らう気はない。ただ、それでも割り切れないものが胸に残ったのだろう。


 「どのみち、僕が止めなくても邪魔は入ってたよ?」


 タシュアがふと視線を逸らし、はるか遠方の丘の向こうを見やった。そこには、イフィラ軍とゼルグ軍の本隊が、それぞれ布陣を整え始めているはずだった。


 その意味を悟り、ミルズは渋々ながらも剣を納め、ゆっくりと後退する。


 「……覚えてろよ、サキル・セルフェウス」


 その吐き捨てるような言葉に、憎悪と執着、そしてほんのわずかに“期待”が混じっていた。


 「そうだね。今は僕が君の中に眠る“怪物”を御してあげる。次に会う時は——もっと楽しいものを見せてよ」


 タシュアが倒れているサキルに一歩近づき、その紫の瞳で覗き込む。


 その瞬間、白銀の瞳と紫の光が交錯した。


 ——意識が、崩れる。


 倒れていてもなお全身を満たしていた「怒り」と「力」が、急速に抜けていく。骨の芯から冷たくなっていく感覚に支配されていく。


 紫の瞳が、呪詛のように心に刻まれた。

最後に耳に届いたのは、タシュアの軽い口調だった。


 「じゃ、続きはまた今度ね。あんまり盛り上がりすぎると、つまらなくなるから」














夜風が荒野を撫でていく。倒れ伏したサキルの傍らで、タシュアは紫の瞳を遠い空に向けながら、ふと口を開いた。


「面白いものを見せてもらったよ」


問いかけの相手は、既に意識を失ったサキルだった。

既にミルズは去り、この場にはタシュアと意識を失ったサキルしかいない。

だが、タシュアは構わず続ける。まるで独り言のように、しかし確かに「誰か」に語りかけるように。


「君とミルズ——二人とも、とても似ている。『見えない』という点でね」


その声音には、いつもの狂気めいた響きに加えて、どこか哀れみに似た感情が滲んでいた。


「ただし、君の場合は『見ようとしても見えない』力。ミルズの場合は……『見ようとしてもらえない』呪いだ」


タシュアは振り返り、サキルの白銀に染まった右眼を見つめる。


「世界には、生まれながらにして『枠』から外れてしまう者がいる。君のように力を得て外れる者もいれば……最初から、誰の『意識』にも引っかからない者もいる」


風が強くなり、タシュアの黒衣を揺らす。


「想像してみるといい。子供の頃から、誰も君を『覚えていられない』世界を。話しかけても相手の目が泳ぐ。名前を呼んでも振り返ってもらえない。そこにいるのに、『いない』ことにされる日々を」


タシュアの唇に、皮肉めいた笑みが浮かぶ。


「それでも『血』というのは不思議なものでね。家族だけは、かろうじて輪郭を拾ってくれることがある。父と母、そして弟——彼らだけが、その子の『存在』を認めてくれていた」


だが、その笑みがゆっくりと消える。


「しかし時は残酷だ。力が成長するにつれて、その『呪い』も深くなっていく。そしてある朝——ちょうど『十』という節目を越えた翌日だったかな——」


タシュアは一度言葉を切り、夜空を見上げた。まるでその日の記憶を思い出すかのように。


「最後の砦だった家族さえも、その子を『見る』ことができなくなった」


その言葉には、重い沈黙が続いた。


「父と母は慌てた。『息子がいなくなった』と。でも村人たちは首を振る。『そんな子は知らない』と。正しい反応だよ——認識できないものは、この世界には『存在しない』のだから」


タシュアの声が、わずかに震える。


「その子は一週間、家にいた。奇跡を信じて。愛する人たちが、いつか自分を『見つけて』くれることを願って。でも——」


「誰も、振り返ってはくれなかった」


風が止む。


「愛している人の前で『いない』ことにされるのは、死より辛い。だからその子は決めた。世界が自分を拾わないなら、自分の方から世界を選び直そうと」


タシュアはサキルの傍らにしゃがみ込み、その白銀の瞳を覗き込む。


「生きるために、その子は『見えない』ことを武器にした。誰にも認識されない存在は、誰も警戒できない。完璧な暗殺者の誕生だった」


「でもね——」


タシュアが立ち上がる。


「あまりにも簡単すぎる殺戮は、心を蝕む。手応えのない戦いは、生きている実感すら奪っていく。その子は次第に考えるようになった。『人間』は弱く、つまらない生き物だと」


紫の瞳が、月光を映して光る。


「だからこそ『人外』に憧れた。人を超越した存在なら、自分を『見て』くれるかもしれない。自分の退屈を壊してくれるかもしれないと」


タシュアは闇の中に歩み去ろうとして、ふと振り返る。


「そして彼は『再厄』の扉を叩いた。世界の縁で生きる者たちの元へ。僕たちは、そういう『見えない子供たち』を拒まない。世界から滑り落ちた者の居場所は、世界の縁に用意しておくのが礼儀だからね」


その唇に、狂気の笑みが戻る。


「君は彼にとって、久しぶりの『希望』だったんだよ。長い孤独の後に、初めて彼の刃を『見た』相手。彼の存在を『認識』してくれた相手」


「だから彼は、君に執着した。君という存在が、彼の『いない』人生を『いる』人生に変えてくれるかもしれないから」


タシュアが振り返る最後の瞬間、その瞳に何かが宿る。


「でも君も似ているよ、彼に。大切なものを失って、一人ぼっちになって、それでも生きていかなければならない。違うのは——」


その声が、夜風に溶けていく。


「君には、まだ『帰る場所』があることかな」


そう言い残して、タシュア・イーライグは夜の闇に溶けるように消えていった。


残されたのは、意識を失ったサキルと、彼を包む静寂だけ。

だが風の音の中に、かすかに聞こえるような気がした。

遠い昔、十歳の少年が家族に向かって叫んでいた声が——


「僕はここにいる! 僕はここにいるよ!」


その声は、もう誰にも届くことがない。













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