シゼリ荒野丘奪取戦③
創術が支配する戦では、規模が大きくなるほど戦況の変化も早くなる。
シゼリ荒野における二十万の大戦も例外ではなく、早くも戦局に大きな揺らぎが見られ始めていた。
具体的には、ゼルグ右軍とイフィラ左軍、ゼルグ左軍とイフィラ右軍の両戦線が、徐々に均衡を崩し始めていたのだ。
ゼルグ右軍とイフィラ左軍の戦況は、イフィラ左軍がわずかに優勢を保っていた。
その中心に立つのは、ゼルグ右軍の将・オーディルドと、イフィラ左軍の将・クルト。
だが、二人の能力には決定的な差があった。
オーディルドの創剣は流動性を与えられ、刀身を自在に操るものの、物理的な攻撃に限られる。
一方、クルトは水を形状化し、槍のような硬質な強度を持たせることで、物理攻撃と流動的な水流攻撃の両方を同時に行えるのだ。
オーディルドは、実体のある水槍は斬り払うことができるが、ただ形を与えただけの流動的な水槍は避けるしかなかった。
攻撃を見極めるには飛沫の違いを確認するしかなく、その識別の一瞬が隙を生んでしまう。
オーディルドの創剣は刀身を枝分かれさせることで攻撃の手数を増やせるものの、創剣のリソースには限界がある。
対してクルトは水を無尽蔵に操れるため、戦場全体を覆うほどの槍を無数に創り出せる。
さらに、七割はオーディルドに向けられ、残りの三割はゼルグ右軍の兵へと容赦なく降り注いだ。
ゼルグ右軍は土壁や火炎を展開して防御に回るが、イフィラ左軍は隙を突いて礫や鉄砲水を放ち、相殺を試みる。
この手数の差が、徐々にゼルグ右軍を圧迫し始めていた。
戦況は確実にイフィラ左軍に傾いていたが、オーディルドは冷静だった。
手数の差を生んでいる原因は明らかにクルトにある。
しかも、クルトはオーディルドを見下しているのか、全力を出していない。
ならば、こちらも全力で応えるのみ。
——討ち時!
オーディルドは創力を全て創剣に注ぎ込む。
刀身はさらに無数に枝分かれし、猛然とクルトへと襲いかかった。
「くっ!!」
クルトも驚愕の表情で水槍を放つが、全てを防ぎきることはできず、一本の刃が左胸を貫いた。
——殺ったか? いや、これは……。
剣からの手応えに違和感を覚え、オーディルドは身構える。
クルトは倒れることなく、何事かを呟いている。
何らかの防御手段を使ったのか、致命傷には至っていなかった。
「三下雑魚野郎がァァァ!」
クルトは激昂し、周囲の水槍が倍増した。
オーディルドの創剣は防御形態「淼歌」を展開し、全方位に刃を流動させて壁を作り出す。
千人規模の軍の一斉射撃にも耐える防御だが、クルトの猛攻はそれを超えんと迫る。
——だが、それで十分だ。
防御の一瞬を利用し、創剣の一部を水たまりのように変化させ、地面を這わせてクルトに近付けていたのだ。
クルトはそれに気付き、飛び退く。だが、その時点で勝負は決していた。
「攻撃形態変化」
オーディルドは創剣の全てをクルトへと向けて一斉に放った。
クルトは即座に水槍を集めて防御に転じるが、刃の一部は貫通し、クルトの肉体を穿つ。
防御が崩れた隙に更なる刃が襲いかかり、クルトは血反吐を吐いて崩れ落ちた。
「敵将クルト・リガール、ゼルグ軍右軍、オーディルド・コールズが討ち取ったぞぉぉぉぉぉ!」
「おおおおおおおおおおお!!!」
咆哮が戦場を駆け抜け、ゼルグ右軍の士気は一気に上昇した。
オーディルドがクルトを討ち取ったことで、ゼルグ右軍はイフィラ左軍を制圧する。
士気は最高潮に達し、戦局はゼルグ優位へと転がった。
しかし、オーディルドは油断することなく、深追いせずに陣を立て直すよう指示を出す。
イフィラ中央軍の動きが読めない以上、無闇な追撃は禁物だ。
一方で、ゼルグ左軍は既にイフィラ右軍の将を討ち取っており、戦局は圧倒的な優位に傾いていた。
ゼルグの両翼は完全に制圧し、中央軍の動きが鍵となる局面へと移り変わった。
オーディルドとホロッティスの快進撃により、ゼルグはこの大戦の趨勢を大きく引き寄せることに成功したのだ。
シゼリ荒野におけるゼルグ左軍とイフィラ右軍の戦局は、既に一方的なものとなっていた。
ゼルグ左軍を率いるホロッティスは、イフィラ右軍の将を早々に討ち取ったことで、敵軍の統率は崩壊。
もはやイフィラ右軍は隊列を維持することも叶わず、次第に瓦解していった。
ホロッティスはその圧倒的な勝利に満足げな笑みを浮かべ、側近たちも同調するように歓声を上げる。
「さて、このまま敵軍本陣を落としたら、どれだけの大功となる? ふふふ、どうしたことだ、今から笑いが止まらないぞ!」
その言葉に、周囲の側近たちも拍手喝采を送る。
「今回も完勝、お見事ですホロッティス様!」
「これで敵総大将も討つことができれば、ストレイン家の御家名もさらに上がり、ホロッティス様も大出世は間違いなしですな!」
次なる目標は敵本陣。ホロッティスの高揚感は頂点に達し、その勢いのまま進軍を宣言しようとした——その時だった。
「ホロッティス将軍、それはお待ちいただきたい」
場違いな声が陣幕の外から響いた。
黒を基調に赤銅を織り込んだ陣服を身に纏った軍師風の青年と、赤銅を主とする軽鎧を着た青年が、堂々と幕を開けて現れる。
「貴様、何者だ? この私の陣に無許可で入るなど無礼極まりない。斬首ものだと理解しているのか?」
ホロッティスの目が鋭く光り、周囲の兵士たちも剣に手をかける。
だが、青年はその威圧に一歩も引かず、涼しげに答えた。
「右が三軍将のアーヴィル、そして私がその軍師を務めるライガーです」
「三軍将? お前たちがか? 笑わせるな、端の兵に過ぎん者が軍を名乗るとは」
嘲笑交じりの声を返すホロッティス。しかし、ライガーは動じずに続ける。
「本大戦で総指揮を執るアルティラ=ケイト様より、命令違反の監視役を仰せつかっておりますので、手荒な真似はご容赦願います」
そう言いながら、手に掲げたのはアルティラ直筆の命令書だった。
ホロッティスの顔が一瞬引きつる。
「……ほう、貴様がアルティラの弟子だと? 確かに聞いたことはあるが、だからといってここで私の指揮を阻む権利はない」
「いいえ、あります。アルティラ様は明確に命じました。『中央軍に動きがあるまで本陣への攻撃を禁ずる』と」
ライガーの言葉は冷徹で、理路整然としていた。
ホロッティスは顔を顰め、さらに声を荒らげる。
「馬鹿馬鹿しい! 気構えを示しただけだ、準備を進めることが何の問題だというのか!」
「なるほど、準備ですか。それなら、なぜ軍の移動命令を出そうとしているのです?」
その問いに、ホロッティスの顔が一瞬引きつる。
ライガーの目は鋭く、まるで全てを見透かしているかのようだった。
ホロッティスは咄嗟に笑い飛ばしたが、内心では動揺を隠せなかった。
ライガーはさらなる言葉で追い打ちをかける。
「影武者を立て、指示だけを出して急襲してきた——それがこれまでの戦功を築いた手段ですね?」
「……何を言っている?」
「2週間前のドウル戦線で確認しました。将軍の位置と術式の範囲、そして敵軍への強襲のタイミングに齟齬があったのです」
ライガーの指摘に、ホロッティスの顔色が変わる。
彼が隠してきた戦術が、すでに暴かれていることを理解したからだ。
「もっと具体的な根拠はあるのか? 私は誰にも術式範囲を教えていないぞ?」
「それは不要です。目視できる範囲は術式の範囲ではない。だが、最大有効範囲と最小有効範囲が存在する。私の調査では、将軍の範囲は1000メートルを超えない。敵本陣まで届かないのに、強襲が行われたのは明白です」
ホロッティスは内心で激しい動揺を覚えた。
確かに、ドウル戦線では焦って慎重さを欠いた部分があった。
だが、それをここまで正確に把握されているとは思わなかった。
「……なるほど、貴様がアルティラの手先ということはわかった。だが、それが何だ? 私が敗れるとでも思っているのか?」
「思っています。将軍の存在が、左翼崩壊の引き金になると確信しています」
ライガーの断言に、ホロッティスの顔が怒りで真っ赤に染まる。
次の瞬間だった。
轟音と共に、雷撃が大地を穿ち、ゼルグ左軍の陣地が焼き焦げる。
真っ白な光が視界を奪い、数秒後に戻った景色は、まるで焦土の如き有様だった。
「なっ……!?」
ホロッティスの瞳に映るのは、無惨に焼かれた自軍の兵士たちの屍の山。
圧倒的な力を前に、彼の心は砕かれ、瞬時に背を向けて走り出した。
「お待ちくださいホロッティス様!お待ち……くっ、せめて軍に撤退命令を出してから逃げろホロッティス!!」
ライガーの叫びも届かず、ホロッティスは己の命のみを優先し、戦場を去っていく。
将を失ったゼルグ左軍は次第に瓦解し、秩序は崩壊の一途を辿っていく。
「……予想通りか」
ライガーは呆れたように吐き捨て、隣のアーヴィルに目を向けた。
「ヴィル、残った兵をまとめて熾炎隊を呼び戻せ。俺はホロッティスの残した兵を何とか立て直してくる」
「了解だ。ただ、稼げても10分だぞ?」
「わかっている。それでもやるしかない」
互いに視線を交わし、不敵な笑みを浮かべて駆け出した。
戦場は混沌の極みへと突き進み、ゼルグ左軍は命運を賭けた防戦へと移行する——。
ホロッティスの無様な逃亡からおよそ十分後、ゼルグ左軍の陣営には再び秩序が生まれつつあった。
それを指揮していたのはライガーとアーヴィル、そして彼らの配下である熾炎隊である。
熾炎隊はライガーの軍師としての指示を的確に捉え、アーヴィルの陣頭指揮によって素早く防御陣形を整えていた。
「さすがだな、ライガー。これほど早く隊を立て直すとは思わなかったぞ」
陣形を整えた熾炎隊の中心で、アーヴィルは手にした槍を振り上げ、周囲を見渡す。
ライガーは冷静な眼差しで戦況を見極め、各部隊へ的確な指示を飛ばしていた。
「まだだ、これで持ち堪えられる保証はない。連中が来る前に防壁をさらに強固にしろ」
「了解だ。お前の指示通りに動くさ」
短く返事をしたアーヴィルは、すぐさま熾炎隊の指揮を執り、左翼の防御を厚くするための準備に入る。
その動きは素早く、無駄のない整然としたもので、まさに戦場での経験が物を言っていた。
ゼルグ左軍の立て直しが急ピッチで進む中、ライガーは感知術を最大限に展開し、敵の動きを探っていた。
先の雷撃でホロッティスの隊列は壊滅的な打撃を受け、指揮系統も崩壊した。
敵の正体は未だ掴めていないが、彼の名は伝説として知られている。
「雷神……ラルド・オルフェガス、か」
その名を呟いた瞬間、ライガーの脳裏には過去の記録が蘇る。
かつて一度だけ目撃された存在。単騎で数千の軍を壊滅させたと言われる、雷の創術を極限まで操る男。
だが、それは一瞬の出来事であり、目撃者もほとんど生還できなかった。
伝説として語り継がれる存在を相手にしている以上、半端な策では突破は不可能だ。
地鳴りのような振動が伝わってくる。
ライガーの感知術が捉えたのは、遠く丘の頂上に立つ一つの影。
そこから放たれる膨大な創力が大気を揺らし、雷光が空気を焦がしている。
「来るぞ! 全軍、障壁を展開しろ! 熾炎隊は前方の防御を固めろ!」
ライガーの号令が響き渡り、ゼルグ左軍は即座に防御体制に入る。
熾炎隊はその名の通り、炎の障壁を展開し、電撃の衝撃を和らげる準備を整えた。
——ゴロゴロゴロ……ドォンッ!!
瞬間、天を裂く雷撃が襲いかかる。
それはただの稲妻ではなく、創術によって形を与えられた「雷の槍」であった。
数百もの雷槍が天より降り注ぎ、地を穿ち、轟音と共に火花が散る。
「ぐっ……さすがに、強力だな」
アーヴィルは槍を突き立て、踏み止まるようにして防御を張り続ける。
だが、雷槍の衝撃は熾炎隊の障壁を次々と突き破り、じわじわと陣形を崩していく。
「持ち堪えろ! あと少しだ!」
ライガーは声を張り上げ、全軍の士気を鼓舞する。
彼の感知術によれば、雷神ラルドの雷撃は短時間で途絶えることがわかっていた。
だが、その間にどれだけの兵が耐え切れるかは未知数だった。
やがて雷撃が途絶え、荒れ果てた大地の中でライガーは指示を飛ばした。
「今だ、反撃に移れ! アーヴィル、熾炎隊を率いて右翼へ回り込め!」
「了解だ!」
アーヴィルが陣を整え、熾炎隊を先頭にして駆け出す。
その後ろをゼルグ左軍の兵が追従し、雷撃の後の一瞬の隙を突いて前進を開始した。
「これで終わりではない……だが、この機を逃す手はない!」
ライガーの眼光が鋭く光り、感知術の範囲を広げて敵の動きを探る。
次の一手を見極め、全てを切り開くために——。




