シゼリ荒野丘奪取戦②
丘陵の地形は、まるで運命が舞台を整えたかのように、両軍の布陣を分かつ。
ゼルグ軍は西の双丘、イフィラ軍は東の双丘を押さえ、四つの丘を挟んで両軍が対峙する形となっていた。
眼下には乾ききった大地が横たわり、風も息を潜める。
兵たちは陣に整列したまま、五分、いやそれ以上にも感じられる沈黙を保ち続けた。
槍が揃い、旗が翻る。鎧がきしむ音一つすら、まるで大地が息を飲むかのように聞こえた。
そして——先に動いたのは、ゼルグ軍であった。
両丘の頂より号令が上がり、整然とした隊列が前進を始める。
左右の丘から、それぞれ二万の兵が怒涛のごとくなだれ下り、まっすぐにイフィラ軍の側面へと向かう。
その動きは疾風のごとく鋭く、戦場を裂く双刃のように左右から迫った。
ゼルグ軍の両翼は、敵の注意を中央に引きつけたまま、左右からイフィラ軍を挟撃する構えを取ったのである。
この動きに呼応して、イフィラ側の丘にも緊張が走る。
伏兵も無く、遮蔽物も無い開けた地形。逃げ場のない斜面を、互いの兵が一気に駆け上がり、交錯の瞬間が迫る。
中央では依然、創術同士の撃ち合いが続いていた。
空には轟音と共に閃光が交差し、地を焼くような火柱と雷撃が走る。
創術兵団の先鋒部隊が繰り出す術の応酬は、地形すら塗り替えるほどの激しさを帯びていた。
だがその喧騒の裏で、左右の戦場はついに臨界を越える。
斜面を駆け登った兵たちが激突し、槍が折れ、剣が鋼を打ち鳴らす。
陣形は一気に崩れ、丘の斜面はたちまち修羅の場と化した。
乾いた土が血に濡れ、轟く怒号と悲鳴が入り混じり、地を揺るがす戦が始まる。
ゼルグの兵は勢いに乗り、攻勢を強める。
だがイフィラもまた、丘という地の利と数の優位を以て応じ、戦線は膠着の色を帯びていく。
左右合わせて四万の兵が鬨を上げ、剣を交わすその光景は、まさに一国と一国が火花を散らす大戦に他ならなかった。
この世界の戦では、馬は移動手段や荷車の運搬にしか使われない。
戦闘中に乗馬する者は一人もいなかった。
その理由は至極単純だ。
創術が織りなす戦場では、遠距離から放たれる一撃で命を絶たれる危険が大きい。
仮に馬術を極め、馬と一体となって疾駆する技術を身に付けても、大将軍級の創術の一撃を防ぐことは難しい。
それならば、膨大な時間を創術の鍛錬に費やした方が建設的だという結論に至るのは自然なことである。
ゼルグの右軍を率いるのはオーディルド・コールズ。
彼の手には「創剣」と呼ばれる武具が握られていた。
創剣は創武具の一種で、媒体として創術を発動することで通常の創術では不可能な現象を実現する。
オーディルドの創剣は水の属性を持ち、流動的な刀身は自在に形状を変え、伸縮も可能だ。
ただし、形状を変化させるには制御が必要であり、伸ばせば伸ばすほど扱いが難しくなる。
ゆえに、オーディルドはこの創剣を中距離戦に特化して運用している。
将軍には三つのタイプがある。
一つ目が後方支援型 — 後方から指示を飛ばし、士気を鼓舞するタイプ。
二つ目が前線特攻型 — 自ら前線に立ち、敵を屠り士気を高めるタイプ。
三つ目が万能型 — どの距離でも戦える全能型。
オーディルドはその中の前線特攻型。
その戦いぶりは鬼神の如き迫力を放ち、見ている者を圧倒させた。
「はああああああああああああ!」
烈々たる気合いと共に、創剣の刀身が波打ち、無数に分裂する。
無数の刃は、敵兵を次々と斬り裂き、断末魔が響き渡る。
放たれた礫や炎弾も、創剣の刃が壁のように展開され、悉く防がれた。
彼一人で百以上の敵兵を屠り、その猛威は右軍全体の士気を高めていく。
ゼルグの右軍は鬼の如き勢いでイフィラ左軍を蹂躙し始めた。
このまま進めば、ゼルグ軍は戦局全体を優位に進める「大炎」となり得るはずだった。
オーディルドの勢いが最高潮に達したその時、天から無数の水の槍が降り注いだ。
「ぎゃああ!」
「ぐぼっ……がはっ……」
一瞬にして咆哮は悲鳴へと変わり、ゼルグ右軍の兵士が次々と命を落としていく。
皮肉にも、イフィラ左軍が受けた損害と同じ数が、この一撃で埋め合わされたのだ。
オーディルドは創剣を防御に用いて自身と数名の兵を守ったが、突然の襲撃に右軍全体を守るには至らなかった。
その場に立ち込める血霧は、彼の戦いの痕跡をも上回る凄惨なものだった。
「調子付くのも大概にしてもらおうか、ゼルグの虫けら共」
霞む血霧の中、嘲るような声が響いた。
そしてイフィラの兵が左右に分かれ、一人の男が現れる。
現れた男は体格も顔立ちも平凡で、大軍に紛れれば見つからないだろう。
しかし、その一歩一歩には揺るぎない自信と威圧感が宿っていた。
オーディルドの如き正面から圧迫する存在感とは対照的に、じわじわと内側から浸食するような圧力を放っている。
「お前が左の戦場を支える将だな。俺の名はクルト・リガール、お前の首を貰うぞ」
「貴様の貧弱な首を叩き落とし、この戦場を我々の勝利へと導いてやる。我が名はオーディルド・コールズ。いざ参らん!」
その宣言と共に、オーディルドの創剣が無数に枝分かれし、クルトへと襲いかかる。
対するクルトもまた、虚空から生まれた無数の水の槍で迎撃する。
——やはりこいつは……。
オーディルドは悟った。クルトは水の創術だけでなく、形のない水に形を与える「形化術」を自在に操っているのだ。
それは創武具のような媒体を必要とせず、彼自身が術を駆使している証拠であった。
「はあああああああぁぁぁ!!」
オーディルドの創剣とクルトの水の槍が激しく交錯する。
幾筋もの刃が砕け、無数の槍が弾け飛ぶ。
二人の将は、その場を震わせるような怒号と共に、激しい刃の応酬を繰り広げていった。
オーディルドが右軍の前線で鬼神の如き猛威を振るっていた同時刻、ゼルグの左軍もイフィラの右軍と交戦を開始していた。
ここでも主導権を握ったのはゼルグ軍だった。
左軍を率いるホロッティス・ラズ・ストレインの手によって、戦場には突如として無数の木々が生い茂り、津波のごとくイフィラの右軍へと襲いかかる。
バギバギッ……ボギッ……ビシビシビシッ!
不吉な音を立てて生まれた樹木の波は、血を貪り、命を吞み込み、悲鳴をも呑み込んでいく。
炎の創術を放って抵抗するイフィラ兵もいたが、その炎は一部の枝葉を焦がすに留まり、樹木の勢いを止めるには至らなかった。
むしろ炎が燃え広がり、逆に勢いを増した樹木が再びイフィラの陣を襲う結果となった。
ゼルグ左軍を率いるホロッティスは二十代後半の若き将軍であり、後方支援型の戦術を得意とする異能者だ。
オーディルドの剛毅さとは対照的に、ホロッティスの印象は「器用」そのものだった。
刀傷一つない清潔感のある顔立ちに、無駄のない所作。周囲を圧倒するというよりは、包み込むような穏やかな雰囲気を纏っている。
だがその外見に反して、彼の操る木の属性の創術は常軌を逸していた。
ホロッティス一人で、小規模ながらも樹海を創り出すことができるほどであり、戦場の地形を一変させる力を持っていた。
その圧倒的な創力は、ゼルグの左軍にとって頼もしい支柱となっている。
樹木の波がイフィラの右軍を呑み込もうとしたその瞬間、突如として焔の渦が生じた。
樹木の奔流は焼き尽くされ、灰塵と化していく。
ゴォォォォォ……!
焔の勢いは凄まじく、見る間に樹木を消し去り、さらにゼルグ左軍へと襲いかかる。
イフィラ兵の誰一人も焼かれることなく、焔だけが的確に敵を狙っていた。
おそらくは対象を選んで燃やし尽くす術式が組み込まれているのだろう。
「上々、上々……今日も簡単に終わりそうであるな」
圧倒的な炎の創術を前に、ゼルグ左軍の士気が下がるかと思いきや、ホロッティスは笑みを浮かべていた。
それは不敵な笑みだった。
その表情には絶望の色は一切なく、まるで戦局が自分の掌中にあるかのような自信すら漂わせていた。
イフィラの右軍が再び焔の渦を放つ。
しかし、今回の樹木の波は違っていた。
炎が触れた瞬間、焔はかすかな音を立てて掻き消え、逆に炎が押し戻されていく。
「な、なに!? 炎が効かないだと……!?」
イフィラ右軍の将が目を見開く。
それも当然だ。
木は火に燃える。それはこの世界の摂理である。
だが、ホロッティスの樹木は違っていた。
木と水の属性を掛け合わせることで「燃えない樹木」へと変化させていたのだ。
通常、木は可燃性の物質を多く含む。
それが酸素と結びついて燃え広がるのだが、ホロッティスの創術はその可燃性の物質を水で包み込み、燃焼を阻害していたのである。
「上手く焼けると思ったか? ならばその幻想を打ち砕いてやろう」
ホロッティスは手を振り上げ、再び樹木の波を生み出す。
今度はさらに大きく、さらに猛々しい勢いでイフィラ右軍を蹂躙し始めた。
火炎も効かず、イフィラ右軍の士気は急激に削がれていく。
ホロッティスの樹木の波は止まらない。
圧倒的な勢いで進軍を続け、イフィラの兵を貪るように飲み込んでいく。
ゼルグの左軍もまた、士気を鼓舞され、鬼気迫る勢いで前進していた。
戦場の光景は苛烈を極め、木々が折れ、炎が散り、血が大地を染め上げる。
互いの陣営は一歩も引かず、戦局は苛烈な消耗戦へと突入した。
ゼルグ右軍とイフィラ左軍は拮抗。
だが、ゼルグ左軍とイフィラ右軍はゼルグが優勢だった。
正面の創術の撃ち合いでは、両軍とも五百名ほどの兵を削り合い、膠着状態が続く。
総合的には、ゼルグがわずかに優位。
だが、イフィラも策を巡らせ、裏で戦局を覆そうと動いていた。
ゼルグもまた、さらに優勢を確実なものにするため、裏で策略を巡らせている。
刻一刻と戦場は変わり続ける。
その天秤がどちらに傾くのかは、神ですら予測できない。




