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想造世界  作者: 篤
15/54

死への誘い②決着、そして……

 「やった……の?」


  「ふぅ……やったねサキル……」



  「さすが……だ」


  リセとホーキフ、フェインがそれぞれ歓声をあげる。

  とはいえ三人共全力を出し尽くした故に息も絶え絶えだ。

  しかし全員声や表情などから喜びを滲ませているのがわかった。

  ギリギリの戦闘で一か八かの最後の賭けに勝ち怨敵を倒すことができたのだ、当然の反応だろう。


  「はぁはぁ……はぁはぁ……やった……のか?」


  だが当のタシュアを切り裂いた本人であるサキルは半信半疑だった。

  肉を断つ手応えがあり、飛び散った血は確かなものである。

  そして切り裂かれる瞬間のタシュアの驚愕の瞳も演技ではなかった筈だ。

 

  なのにサキルは安易にその最期を信じることができなかった。

  あれほどにこちらの思惑や動きを全て見透かし、ギミックの検討もつかない規格外な力を振りかざしてきたあの悪魔がこれで終わりとはどうしても思えなかった。

  そして何よりも例の嫌なことが起こる前に限って起こる本能的な悪寒が、今も止まらない。

  故に本当に仕留められたのか地面に横たわり今も血を流し続けているタシュアへ剣を向けて警戒しながら近づく。


  「ふふふ……さすが、僕がこの程度でやられてないと見抜くなんてね!」


  「っっ!?」


  するとむくりと上体を起こし、まるで何事もなかったかのような調子で不気味に嗤ってきた。

  口の端から血を流し、蒼白な顔色のままで。

  例え息があったとしても死に瀕している筈なのに、だ。

  まるでただ死んだフリをしていただけのようである。


  だがそんな筈はない。

  今もタシュアが受けた刀傷からは止め処なく血が流れており、前述のように死んでいない方が不思議な状態に変わりない。

  致死の攻撃を受けても立ち上がって歪に嗤いかけてくる、それはまるで悪夢のようで——


  「まさか、幻術か!?」


  サキルは真っ先にその可能性に思い至り、背後へ跳躍してタシュアから距離を取りつつ唇をきるほど強く噛んで血を流し、痛みを与える。

  と同時に全身の魔力を活性化させた。今即席で可能な幻術に有効と思われる手を試してみたわけだ。

 

  しかし何も変化は起こらない。

  相変わらず悪夢のように無惨な姿になってもタシュアは立っている。

  強力な幻術ならば解けたか否かもわからないのだから、幻術とそれ以外の特殊な力の二つの可能性が浮上する。

  だがいずれにしてもサキル一人では打開できない。

  故に他三人の仲間と連携を図ろうとするが——


  「残念、魔力が無くなったからゲームオーバー、そして幻術ではありませーん」


  「ぐう!?」


  「うっ!?」


  「くっ!?」


  今度は全く別の方向からあの憎たらしいほどふざけた声が聞こえてきた。

  同時にホーキフ、リセ、フェインの苦鳴も。


  「何が!?」


  常に平静を装っていたサキルも突然の事態に動揺してしまう。

  何故、目の前にタシュアがいる筈なのに、全く違う場所から同じ存在の声と気配を感じるのか。

  何故、他の三人がほぼ同時に呻き声をあげているのか。

  何が起きているのか全く状況を把握できない。

  動転して眼前に立つタシュアへの警戒も忘れ、慌てて意識を声が聞こえる方へ向ける。


  「なっ…………」


  するとそこには言葉を失うほどに絶望的な光景が広がっていた。

  リセとフェインとホーキフが全員土槍……いやこの場合は土の触手というべきもので絡め取られ身動きを封じられていたのである。

  三人はサキルから五メートルほど離れた場所で横に並ばされている。

  それらを背にし、不気味なほどに今までと変わらない軽薄で楽しげな笑みを浮かべ、タシュアが佇んでいた。

  パッと見てそちらのタシュアは目立った外傷はなく、むしろ余裕を感じさせる。

  慌ててもう一人の先程斬った方へ視線を向けるが、そこにも同時に存在している。

  同じような表情と雰囲気、そして違いは外傷の極端な有無のみという歪な鏡写しだ。

  しかし不意にその外傷のある方のタシュアの肌が土気色に変わり、そのまま身体が土となって原型を留めず崩れ落ちた。


  「なにっ!?」


  その異様な現象にもう何度目かもわからない驚愕の声をあげる。

  どのような効果の術を使ったかは辛うじてわかった。

  タシュアは何らかの方法で土塊を己の姿に化かして身代わりにしたのだろう。


  だが同時にあの土人形が血を吐いたり肌色を蒼白にしたりするなど反応がリアル過ぎて、俄かには信じ難かった。

  さらにそんな身代わりを作って化かすような術をサキルは見たことどころか噂の類も含めて聞いたことも一切ない。


  しかしこれが現実だ。

  幻術ではない。感覚的にそして本能的にそう察する。

  悪夢ならば覚めて欲しいが、仮に幻覚だとしても覚めた後の世界もまた地獄なのだろう。


  甘かった「底が知れない」と一言で片付けて良いレベルではなかった。

  しかしもう何を考えても遅い。

  リセ、フェイン、ホーキフの三人はタシュアの手に落ちて——


  「楽しい楽しい罰ゲームの時間だよ。ふふふ、ふふふふふふふ……さぁ君達の儚くも美しく最期に輝く『想い』を見せてくれよ!」


  かくして決着はついた。そして真の悪夢が始まる——


 










「フェイン、リセ、ホーキフ!!」


「ふふっ、無駄に動かない方がいいよ?お仲間は僕の手の中。君はもう負けたんだ」


 負けた……

 何もできないまま、ただ踊らされて終わったのか。

 仲間を案じる声さえも届かないほどに、全てが支配されていた。

 どれだけ油断を突こうと、足掻いても、結局はタシュアの掌の上で弄ばれていただけだった。


 ——格が違いすぎる。俺たちが積み重ねてきた力や連携、策も全て通じなかった。まるで、子供が大人に戯れるかのように……。


 サキルは膝から崩れ落ち、絶望がじわじわと心を侵食していく。

 対局はほぼ決していた。

 フェインたち三人の拘束を解こうにも、あの硬度を持つ土の枷をどう破壊すればよいか見当もつかない。

 先程の総攻撃でも壊れなかったのだ。今のサキルに破壊する手立てなど存在しない。


 ——それでも……諦めたくない。ここで諦めれば、仲間も夢も、全てを失う。生きる意味すら消えてしまう。


 だが、少しでも動けば仲間の命は消え、反撃しようとしても打開策のない、絶対的な詰みの状況。


 ——俺は……どうすればいい……。


 何もできないまま、心がさらなる絶望に囚われていく。

 助けたい——けれど、助けられない。

 それどころか、助けようとすれば見殺しにする結果にしかならない。


「くっ……!?」


 突然、激しい頭痛がサキルを襲った。

 脳を何かが這い回るような歪な感覚が意識を侵食する。

 理不尽な力で全てを簒奪される光景に、記憶が疼き出した。

 視界が揺れ、身体に力が入らない。


「はっ……はっ……はっはっはっ……」


 息の仕方さえ忘れ、過呼吸に陥る。


「さて、予告通り、敗者にはすぐにでも死を……と言いたいところだけど、僕を楽しませてくれたことだし、特別サービスをしてあげよう」


 タシュアの声が鼓膜を震わせ、その言葉にサキルは辛うじて意識を繋いだ。

 まだ、全てを守れるチャンスがあるのかもしれない。

 その一縷の希望に、痛みも違和感も耐えるのは苦ではなかった。

 命と引き換えにしても構わない——そう心の底から思えたからだ。


 だが、それは恐ろしく脆弱な希望でしかない。

 タシュアの言う「特別サービス」とは、ただ彼がサキルを弄び、楽しむためのものだ。

 わざとラストチャンスを与え、足掻くサキルを嘲笑うつもりだろう。


 タシュアは今も、サキルの苦しみを楽しげに見下ろし、瞳を細めている。

 人の命を弄ぶ悪魔の所業に反吐が出そうになる。

 だが、油断して作った隙を突く以外に手はない。


 ——まだだ、諦めない。さあ、特別サービスとは何だ?


「さて、僕が捕らえた君の仲間、リセとフェイン、ホーキフ——そして今回のゲームの景品の一つ、サキル君が親として慕うナバ・セルフェウス。この四人を処刑する前に、君たちの未練をできるだけ解消してあげようじゃないか」


 タシュアの説明の最中、彼の隣の空間が歪み、そこからナバが現れた。

 直後、地面から土槍が隆起し、触手のようにフェイン、リセ、ホーキフと同様に縛り上げられる。

 人質四人が横一列に並び、その前でタシュアは歪んだ笑みを浮かべて立っていた。


「未練……どういう……意味だ?」


 サキルは荒い息を整え、震える声で問いかけた。

 冷静さを装ったものの、余裕など微塵もない。


「くっ……どう……いう……」


「うくっ」


「ぐっ、はぁはぁ……」


「フェイン、リセ、ホーキフ!」


 捕らえられた三人が意識を取り戻したのを確認し、サキルは激しく動揺した。

 しかし、闇雲に動けば彼らをさらに傷つけることになる。

 ギリギリと歯を噛み締め、怒りを飲み込んで耐える。


 ——だが、その耐えは次のタシュアの、いや、悪魔の言葉で脆く崩れ去った。


「うん、君たちを処刑する前に、それぞれが胸の内に温めていた想いを吐き出してくれたら、サキル君の命だけは助けてあげるよ」


「なっ!?なんで……」


「ん?なんで処刑するのが決定事項かって?

 ラストチャンスをくれると思ったかい?残念、そこまでサービスはしないよ。

 でも、君もこの世界の残酷さを知っているだろう?

 それなのにそんな甘いことを考えるなんて、とても必死なんだね」


「……黙れ」


 いつものように全てを見透かし、神経を逆撫でする物言い。

 だが、咄嗟に出た言葉は非難でも反論でもなく、ただの拒絶だった。

 それは図星を突かれたからだ。

 この世界がどれだけ残酷か、サキルは嫌というほど理解している。

 なのに、一瞬でも甘い考えを抱いてしまった自分を、否定したくなった。


 そして、その隙をついて悪魔は囁く。


「まぁ、でも僕もそこまで外道じゃないからね。

 特別サービスとして人質全員の意識を戻してあげるよ。

 最期の言葉を告げさせてあげる。処刑はその後だ。

 無念を抱えたまま殺すのは、さすがの僕も嫌だからさ」


「何が……外道じゃないだ!ふざけるな!

 ただお前が楽しみたいだけだろ!この魂まで腐りきった悪魔が!」


 サキルは怒りに任せ、衝動のまま叫んだ。

 タシュアの言葉が慈悲深い譲歩などではなく、彼らの苦しみを楽しむための方便に過ぎないと理解したからだ。


 しかし——


「うーん、僕が情けをかけてあげているのに、そんな言われようとはねぇ。仕方ない、今すぐ残酷に殺すかぁ」


「っっ!?」


「なっ!?やめろ……やめてくれ!」


 人質を取られている以上、サキルには意見する権利などない。

 タシュアの言葉に呼応するように苦鳴をあげる四人の姿を見せつけられ、その現実を突きつけられた。

 芝居がかった風に肩をすくめ、ため息混じりに笑うタシュア。

 ——その悪魔の気まぐれ一つで、サキルの生きる意味は簡単に奪われてしまうのだ。


「えー?やめてくれ?やめてくださいじゃなくて?」


「……やめてくだ……さい……」


 サキルには、その横柄な態度に逆らう術などなかった。

 怒りも悔しさも今は飲み込むしかない。


「うんうん、まぁ跪いて土下座してほしいところだけど、そこまではしなくていいや。

 良いね、謙虚になったところで、早速全員の意識を戻してあげよう」


「うっ、くっ……はぁはぁ……」


 タシュアの合図と共に、四人の意識が戻る。

 彼らは朦朧とした感覚を振り払うように頭を振り、周囲を見回した。


「ここは……?」


 その中で、ナバだけが状況を把握できていないようだった。


「ナバ様っ!!」


 その様子に不安を覚え、サキルは思わず叫んだ。


「サキル!?な、何でお前が……いや、フェインとリセ……ホーキフは捕まって……

 いや、俺も捕まっていて……まさか……この破壊し尽くされた街はオーラクスだとでもいうのか!?」


 ナバは、サキルが見たこともないほど狼狽していた。

 無理もない。

 戦勝後に合流し、新たなスタートを切るはずだったのに、こんな絶望的な状況になるとは誰が予想できただろうか。


「ナバ様……」


 常に冷静沈着なナバらしくないその姿に、フェインもリセもホーキフも言葉を失っている。

 彼らもまた、どう絶望的な状況を伝えればよいのか迷っているように見えた。


 ——いや……何故ナバ様が俺たちと同じだと思い込んでいたんだ?


 ここでサキルは気付く。

 ナバがいつから捕らえられていたのかを知らない。

 一〜二時間前か、数時間前か……。

 いや、巧妙に取り繕っていたのなら、サキルたちがオーラクスに着く前から捕らわれていた可能性もある。

 それほどまでにこの悪魔は異常だ。


 だが、ナバの顔色や服装を見る限り、それほど長い時間ではないようにも見える。


「いや……そうか、俺は敗れて……それから……まさか、意識が途切れる間際に聞いた言葉の通りにしたとでもいうのか?」


 さすがは歴戦の猛者、大将軍の地位にあるナバ。

 すぐに状況を理解し、冷静さを取り戻していく。

 今すぐ聞き出す時間はないにせよ、無事であったことに一先ず胸を撫で下ろした。


「けど……何でこんなことに……」


 だが、素直に喜べるはずもなかった。

 むしろ、再会がこんな絶望的な状況だという事実が、どうしようもなく苦しい。

 無意味で、不毛。

 現実逃避だとわかっていながらも、心が叫ぶ。


 ——できるならば、新たな門出の特別な日として祝福し、笑い合って再会したかった……。


 どうしようもなく切なく、苦しく、胸が張り裂けそうになる。

 だがその痛みを必死に抑え、一縷の望みに賭けた。

 国が異変に気づき、助けに来るまでの時間を稼ぐのだ。


「貴様……許さん……絶対に許さんぞ!」


「!?」


 その時、ナバの怒号が空を裂いた。

 同時に捕らわれた彼の肉体から膨大な魔力が吹き荒れ、土の枷が軋み、ひび割れを見せる。


 サキルも驚いたが、それ以上にチャンスだと確信する。

 捕虜のはずのナバがこれほどの力を使える余裕があるならば、彼が自力で拘束を破ることも可能なはずだ。

 どれほどの強度を誇る枷であろうと、大将軍ナバ・セルフェウスの力ならば突破できる——


「いやいやぁ、君、自分の立場を考えなって」


「なっ、ぐぅ!?」


 しかし、その膨大な魔力の胎動も、タシュアの歪んだ笑顔と冷酷な一言で一瞬にして鎮められる。

 ナバは何が起こったのか理解できず、驚愕の声を漏らした。

 同時に額には脂汗が浮かび、苦しみ始める。

 土の枷に遮られているが、ナバの身体が赤く光り出しているのがはっきりとわかる。


 ——何が起きたんだ!?いや……ナバ様は捕らわれていたのだから、そんな都合の良いことはないか……。


 サキルはその瞬間、絶望が押し寄せるのを感じた。

 この悪魔に捕らえられた時点で、何らかの術式を施されていたに違いない。

 さっきの一瞬の希望は、あまりにも儚く潰えた。


「さーて、役者の皆さんが大人しくなったところで、演目を始めよう。

 ナバ君はさっきヒステリックになっちゃったから、まずはホーキフ君からいこうか」


「お前がナバ様を苦しめたのに、ヒステリックも何もないだろ!!」


「さぁて、ホーキフ君?まずは君からだ」


 サキルの怒りは無視され、タシュアは強引に悪夢の幕を開けようとする。

 その声は嗜虐的な響きを孕み、悪魔の本性を隠そうともしなかった。


「あ、そうそう。これ以上無駄に時間を使いたくないから、僕への害意的な言動はできないようにしておくよ。それと、僕が喋っていいと言わない限り、喋れないようにしたからね。さあ、まずはホーキフ君から始めよう!」


「うぐっ!? くぅ……誰が……誰がお前なんかの指図を受けるものか!」


 タシュアの言葉に応じるように、ホーキフの口が不自然に閉ざされた。

 反抗心は見せるものの、言葉として外に出ることは許されていないようだった。


 ——いや……ホーキフだけじゃないのか?


 他の三人、いやナバは先程受けた謎のダメージで話せる状態にはない。

 だが、リセとフェインも同様に、何か言いたげな様子を見せながら、声を発することができない。

 タシュアはそれを当たり前のように受け止め、話を進めていく。


「でもさ、君、これから死ぬんだよ? 死んだら何も残らずに……ああ、こう説得するよりも、良い交換条件を提示してあげた方がいいかな?」


「何を……」


「ナバ君も聞いておくんだよ? 君たち捕まった四人がサキル君に最期の想いを伝えたなら、僕もサキル君だけは助けてあげよう」


「!?」


 フェイン、リセ、ホーキフは一瞬にして目を見開いた。

 ナバも脂汗を浮かべながら片目を閉じ、右目だけで驚愕の色を浮かべている。

 その様子を見たサキルは、両手の拳を強く握りしめた。


「ふざけるな……ふざけるなよ! この期に及んでまだ欺瞞で俺たちを揺さぶるつもりか!

 リセ、ホーキフ、フェイン、ナバ様! こんな悪魔の言葉を信用するな!」


 今までのやり取りを思い返せば、どう考えても信用などできるはずがない。

 人の命を弄び、もがき苦しむ姿を楽しむような外道が、今さら何を言っているのか。

 サキルは理解できないし、理解したくもなかった。


 しかし——


「本当……ですか? 本当にサキルだけは助けてくれるんですか?」


 リセの震える声が耳に届いた。

 一瞬、誰が発言したのか理解できなかったが、この澄んだ声音は彼女のものだ。

 タシュアを見つめるその瞳は、まるで祈るような儚げな光を帯びていた。


「なっ、リセ!?」


 サキルは信じられなかった。

 この悪魔を信じるなど言語道断だ。

 冷静な判断力で戦場を支えてきたリセが、こんな男の言葉に縋るなんて——。


「なんでだリセ! こんな男の言うことを信用するな!

 それに俺が助かったとしても、みんなが死んでいたら生きる意味を見出せない!

 だからそんな悲しいことを言わないでくれ!」


 サキル一人が生き残ったところで、絶望しか残らない。

 未来を見出せるはずがない。

 だから必死に説得を試みた。


「……いや、俺もリセと同感だ。サキル、お前が助かってくれればそれで良い」


「ナバ様!? なぜ……なぜですか。貴方がいなければ俺は前に進めません!」


 ナバの言葉が胸に突き刺さる。

 これまでナバの決断に間違いはないと信じてきたサキルだが、今回ばかりは納得できなかった。

 目の前で苦しそうにうなだれるナバに縋るような視線を向けるが、彼は何も言わず、ただ黙っていた。


「私もナバ様の言う通りだと思う。短時間だが、この男と対峙して性質は読めた」


「ごめん、サキル。僕も二人と同じ意見だ」


「フェイン……ホーキフ……なんで……!?」


 ホーキフとフェインの同意が重なり、サキルの中で疑念が膨らむ。

 まるで自分だけが間違っているかのような錯覚すら抱かせる。


 ——否、違う。間違っているはずがない。サキル一人が生き残ったところで何ができるというのか。


「……まずは僕から、だったね。話すよ。サキル、頼む、聞いてくれ」


 しかしサキルの思考を断ち切るように、ホーキフが口を開いた。

 他の三人も痛みに耐えるような表情を浮かべつつも、流れを止めようとはしない。


「待て……待ってくれ! まだ俺は納得も理解もしていない!」


「俺たちの話を聞け、サキル!」


 尚も食い下がるサキルに、ナバが腹の底から響くような芯の通った声で叱責する。

 その一言には、これまで以上の重みと覚悟が込められていた。


 慌てて意識を向けると、ナバが静かに口を開いた。


「気持ちはわかる。だが、今は堪えてくれ」


 その言葉の裏に含まれる意味を察し、サキルはナバのわずかな視線の動きを見逃さなかった。

 ナバの目線は、ほんの一瞬だけタシュアへ向けられていた。


「……申し訳ございません、ナバ様。動揺しておりました」


 つまりこれは——茶番。

 救援を待つための時間稼ぎ。

 生き残るための策略なのだ。

 そう悟った途端、心の中に余裕が戻ってきた。


 ——そうだ、そうに違いない。


「サキル、リセ、フェイン。戦場で皆が隣にいてくれたから、僕は数多の死地を生き抜き、共に戦い続けることができた。

 リセ、フェイン、サキル……君たちは僕にとってかけがえのない戦友だ。そして、なによりも僕の命の恩人であり、生きる意味を与えてくれたナバ様。

 皆がいなければ、僕はここまで来れなかった。本当に……ありがとう」


「そんな……俺もホーキフ、お前がいたから生き延びられたんだ。俺にとって、お前は唯一無二の相棒だ!」


「うん、ありがとう。僕も君と出会い、共に生きることができて本当に良かった」


 ——なのに、時間稼ぎだと知っているはずなのに、何故こんなにも心に響いてしまうのか。


「サキル、ホーキフ、リセ。感謝の前にまず謝らせてくれ。毎度毎度、私の——いや、俺の無茶な作戦に命を懸けさせてしまい、すまなかった。

 けれど、そうして俺を信じて動いてくれたからこそ、多くの戦を優位に進められた。

 そして、俺が見落としていた盤上の問題点を、それぞれが見抜き解決してくれたからこそ、数多の戦を勝利に導けたんだ。本当に……本当に感謝している。ありがとう」


「そして……ナバ様。貴方に拾っていただき、恋をしました。

 貴方が『共にいよう』と言ってくれた時、想いが報われた時は、とても嬉しかったです。

 できるなら、これからもずっと一緒にいたかった……でも……私は……私は本当に……幸せでした」


 フェインの瞳から涙が零れ落ちる。

 その姿に、サキルの胸に込み上げるものがあった。

 時間稼ぎのはずだ、そう思い込もうとしても、この涙が偽りだとは思えない。


「……フェイン、お前の想いは伝わった。俺も同じようにお前を想っている。

 若く美しいお前が、こんなむさ苦しい俺をここまで想ってくれるとは……嬉しい。

 できるなら、これからも共に歩んでいきたかった。命果てるまで、隣に……いたかった」


「ナバ様……私は……私はこの世で一番の果報者です」


 ナバの言葉にフェインはさらに涙を流した。

 それは、二人の過去を知るサキル、リセ、ホーキフにも同様だった。

 身分や国という大きな壁に翻弄されながらも、二人はその想いを貫いてきたのだから。


「……けれど、俺とフェインがこうして想い合うことができたのは、サキル、リセ、ホーキフ……そしてリガイルや部隊の皆、

 俺が拾い育てた我が子らと、助けてくれた部下達がいてくれたからだ。

 この場に感謝すべき者たちが三人しかいないのは残念でならないが、サキル、生き残ったら皆に伝えてくれ」


「そんなこと言わないでくださいナバ様!! 俺は……俺は!!」


 サキルは叫んだが、胸の奥に不安が芽生え始めていた。

 それは、今の言葉が正真正銘の「最期の言葉」なのではないかという予感。


「なんで……これは……」


「いや、君だけだよ? 時間稼ぎなんて無駄なことを考えてるのは」


「なっ!?」


 タシュアの囁きがサキルの心をさらに揺さぶる。

 恐る恐る周囲を見渡せば、ナバもリセもフェインも、悲しげな表情を浮かべながらも、強い覚悟を宿していた。

 時間稼ぎなど通じるはずもない。

 タシュアが見抜かないわけがないのだ。


「い……嫌だ……無理だ……」


 サキルの心は再び狂乱する。

 嫌だ、こんな終わりは——。


「……私は、例え私自身の命を捧げても、サキルには生きて欲しい」


 その凛とした声にサキルは意識を引き戻された。

 振り返ると、リセが強い意志を込めた瞳でサキルを見つめていた。


「……何故……何故俺……」


「私は、サキルが好きです」


「———」


 その言葉に、サキルの時間が止まった。

 あまりにも突然の告白に、意味を理解するまでに数秒を要した。


「誰よりも仲間を想い、戦友を大切にし、己よりも皆の命を優先する……。

 多くの戦を乗り越えても、戦争のない未来を夢見続けるその姿に、私は恋をしたのです」


 リセの言葉は真っ直ぐにサキルの心を貫いた。

 そして彼女の熱のこもった声と瞳は、嘘偽りない想いを物語っていた。


「最初はサキルについて行きたいと思ってた。

 でも、共に戦っていくうちに、いつしかその隣に立っていたいと思うようになっていました」


 サキルは戸惑った。

 大切なものを守るため、己の夢のために生きてきた彼は、恋など意識したことがなかった。

 それでもリセの言葉は確かに彼の心に届いていた。


「うん、サキルは夢に真っ直ぐで、真っ直ぐで……ちょっと鈍感なのもわかるわ。でもね、そんな実直なところが好きなのよ」


 リセの言葉に、サキルはわずかに動揺した。

 彼女の目はまっすぐサキルを見つめ、その心情を透かし見ているようだった。

 真っ直ぐ過ぎると言われたことで、自分の行動が思った以上に読まれやすいのではないかという不安も少し感じた。


「……リセの言う通り、俺は今まで一つのことだけを考えて、不器用に生きてきた。だから、正直に言うと……答えを考えることすらできていなかった。

 だから、今すぐにストレートな答えは出せない」


 それでも、例え想いを寄せられることに不慣れでも、リセの澄んだ碧眼に浮かぶ純粋な想いを曖昧にはしたくない。

 どれほどの勇気を持って彼女がこの気持ちを伝えたのか、それを思うと、サキルの鈍感さなど些細な問題に過ぎなかった。


「けれど……例えどんな関係になろうとも、俺はリセと死ぬまで一緒にいたい。だから……頼む、俺だけ残すなんて言わないでくれ」


 サキルの言葉は、決意に満ちていた。

 一人残されてしまえば、リセが告げたこの想いが何だったのか、知ることもできない。

 彼は心から願った——皆で生きて、また同じ時を過ごしたいと。


「サキル……」


 リセの碧眼に涙が滲んだ。

 しかし、その涙は悲しみではなく、温かい感謝のようにも見えた。


「ありがとう……」


 泣き笑いの表情でリセが告げた、その瞬間だった。


 ギチギチ……


 土の枷が軋むような音を立て、人質の四人が一斉に苦悶の表情を浮かべ、血を吐き出した。


「なっ!? や、やめろ……やめてくれ!」


 唐突に始まった処刑の執行。

 サキルはただその場に立ち尽くし、叫ぶことしかできなかった。

 共に戦場を駆け抜けた相棒が、策を巡らせてくれた師が、拾い育て護ってくれた父が、そして——想いを告げてくれた大切な少女が、目の前で苦しんでいる。

 だが、サキルにはどうすることもできない。


「ふふっ、さぁ待ち侘びた死の瞬間だ!」


 タシュアは嗤いながら、残酷なまでに死の宣告を告げる。

 ゴキゴキ……

 骨が砕ける音が響き、尋常ではない激痛に苛まれているはずなのに——


 リセは微笑んでいた。


 その切ない笑みに、サキルは思わず言葉を失った。

 そして、リセは最期の力を振り絞るように唇を動かした。


「……サ……キル……あなたは……生きて……」


「終わりだよ」


 タシュアの無慈悲な声が響く。


「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」


 サキルの叫びが空間を震わせる。

 しかし、その声が届くことはなかった。


 グシャリ——


 鮮血の雨が降り注いだ。


 魂を引き裂かれるような絶望が、サキルの心を支配した。

 その目の前で、大切なものが全て奪われ、無惨な結末を迎えたのだから。












 なんて無力で愚鈍な弱者なのだろうか。


 愛する人たちを失うというのに、サキルにはただ駄々をこねる子どものように願いを叫ぶことしかできなかった。

 その無様さはこれまで幾度も感じてきたが、今この瞬間ほど痛感することはない。


 ——何故、こんなにも弱いのだろうか?何故、こんなにも無能なのだろうか?


 問いかけではない。

 それは自虐であり、自嘲であり、己を貶める独白に過ぎなかった。

 だが、それでも現実は変わらない。

 大切な人々を無力さゆえに見殺しにし、自分だけが生き恥を晒していることもまた揺るぎない事実だ。


 孤独となった今のサキルには、生きる意味など存在しない。

 命を捨てることに、躊躇などなかった。

 だからこそ、せめてこの悪魔だけは——


「殺す……殺す殺す殺す! お前は……お前だけは殺してやる!」


 嘲笑いながら、大切な人々の想いを踏みにじり、奪い去った悪魔が憎かった。

 その憎悪は、かつてないほどの激情となってサキルを内側から焼き尽くし、全身の血が沸騰するかのように視界が真っ赤に染まる。


「殺……す……ころ……す……ころ……す……」


 怒りで痛みも疲労も麻痺し、枯渇しかけていた魔力がどこからか湧き上がる。

 無理やり引き出しているせいで、後に反動が来るだろう。

 最悪、命を落とすかもしれない。

 だがそれでいい、それがいい。


「絶対に……ぜっ……たい……ころ……ぐっ!?」


 しかし、標的を定め、魔力を活性化させた瞬間、強烈な違和感がサキルを襲った。

 何か得体の知れない存在が覚醒し、内部で暴れ出すのを感じた。

 立っていられず、四つん這いになり、右手で額を押さえる。


 ——頭が割れそうだ。


「ぐ……う……ぐ……」


 その存在は、あまりにも強大で圧倒的だった。

 サキルの意識を押し潰そうとするその力は、本能的に死よりも恐ろしい結末を示唆していた。


「ふふっ、ほらほらどうしたの? 僕が憎くて憎くて仕方ないんじゃないの? 殺したいんでしょ?

 まぁ君程度の力じゃ到底不可能だけど、その力を解き放ったら少しはマシな勝負になると思うよ?」


「ぐ……う……ぐぅ……き……さ……ま……」


 タシュアの挑発的な声が耳を刺す。

 最もな指摘だった。

 サキルの魔力が多少上がったところで、この規格外の悪魔に敵うわけがない。

 手のひらで弄ばれて終わるのが関の山だ。


 ならば、少しでも勝てる可能性があるのなら、この衝動に身を任せるしかない。

 サキルという存在が消え、死以上の何かが待っているかもしれない。

 だがそれでいい、むしろそれが望ましい。


 大切な人々を失い、生ける屍となった今のサキルに「後」など存在しない。

 この悪魔を地獄へ引きずり落とせるならば、どんな痛みも苦しみも厭わない。


「がぁぁぁぁ——」


 サキルは抗うことをやめ、衝動に身を任せ、力を解放した。

 その瞬間、両の瞳は黒から白銀へと変わり、その奥にはもはや自我はなかった。

 そこに宿っているのは、殺意の塊のような異形の存在——


「いやぁ、色々と煽っといてなんだけど、それをされると困っちゃうんだよね」


「ぁぁ!?」


 刹那、タシュアが目にも留まらぬ速さでサキルの眼前に現れた。

 至近距離で視線が交差し、青紫の瞳が不気味に輝く。


 次の瞬間、目に見えない奔流がサキルの脳を蹂躙した。


「ぐ……う……が……ぁぁぁ!?」


 何が起こったのかもわからないまま、圧倒的な力がサキルの意識を押し潰していく。

 その奔流は、彼の内側で覚醒しかけていた存在をも押し戻し、再び深い眠りへと沈めた。


ーー力尽きる前に最後に一撃だけを放って。


「おっと」


それは流石のタシュアも予想外だったのだろう。

彼の右袖を引き裂いた。

そこには黒い炎を模した痣にも似た印が刻まれているのが見えた。


とはいえ既にサキルの中の怪物は眠りにつき始め、サキル自身も気を失いつつある。


「……ぁ」


 故にその情報を記憶する間もなく頭を庇うこともできずにサキルは地面へ倒れた。

 滾る憎しみは理不尽に鎮められ、身体は重く大地に縛られたかのように微動だにしない。


「いやぁ、最後の攻撃は素晴らしかったよ。痣を見られるのは少し恥ずかしいなぁ。また次会えるのが楽しみだね。その時までに憎悪を燃え滾らせて、また僕の前に来な。待ってるからね」


「もう、遅いですよタシュアさん。楽しむのは良いですが、楽しみ過ぎて時間を忘れないでくださいよ?」


「……その通り」


 朧げに悪魔と二人の声が聞こえた。

 そのタイミングで、ポツリポツリと雨が降り始める。

 憎むべき声、憎むべき存在がそこにあった。


 そして、無情の雨に打たれながらサキルの意識は深い闇へと沈んでいった。

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