漆黒の血夜〜宵闇〜
広大な大広間——パーティーや集会が開けるほどの空間で、惨劇の幕が今まさに上がろうとしていた。
天井からはシャンデリアが柔らかな光を放ち、数百人は収容できるであろう広間の中央に、ナバ=セルフェウスが立っている。彼を取り囲むのは、かつて悲しみも、喜びも、すべてを分かち合った戦友たち。だが今、彼らは「仲間」と呼ぶにはあまりにも異様な存在へと変わり果てていた。感情のない、ただの操り人形——。
一般的な幻術は、一定の身体的ダメージを与えれば解ける。だが、中には強力すぎてそれでは解けぬものもある。
その解除方法は主に二つ。一つは、術者本人を倒すこと。もう一つは、幻術と対を成す“依術”と呼ばれる対抗術を使うこと。
だが、ナバにはその術を扱う術はない。となれば、目の前の戦友を止めるには——殺すしかない。しかしそれだけは、どうしてもできなかった。
そこで彼は、再び感覚を研ぎ澄ませる。城へ入る前、内部に生きた人間の気配をいくつも感じ取っていた。操られているのか、捕らわれているのか定かではない。だが、まだ生きていることは確かだ。
「ならば——必ず救い出す。皆を、サキルたちを、この地獄から!」
決意を新たに、ナバは剣を高々と掲げた。瞬間、刀身を包んでいた炎が火花を撒き散らしながら膨れ上がり、まばゆい光柱を形作る。それは十メートル近い天井に届くほどの高さに達し、広間全体を紅の輝きで満たした。
その熱量と圧迫感に、操られているはずの兵たちが無意識に身構える。
「はあああああああっ!!」
咆哮とともに、ナバは炎の柱と化した剣を円を描くように薙ぎ払った。剣先から解き放たれた灼熱の炎は、遠心状に広がり、瞬く間に周囲を焼き尽くしていく。燃え盛る火の奔流が大広間を飲み込み、石床を、柱を、壁を——すべてを灰へと変えた。
その圧倒的な火力により、土台を失った城の構造は重みに耐え切れず、崩壊を始める。天井が落ちかかるのを見たナバは、再び炎を振るい上げた。上方へ放たれた滅炎が、降り注ぐ瓦礫を一瞬で燃やし尽くす。
そして、その場に残ったのは——剣を地に突き立てるナバの姿と、焼け落ちた城の残骸、そしてなお燻る炎の残滓のみ。
いや、違う。大小いくつかの朱色の火の玉が宙に浮かび、地上にも点在している。
ナバはそのひとつひとつに剣を向けて軽く振り下ろす。すると火の玉は静かに降下し、やがてひとつに融合して大きな炎となった。
ナバの操る炎は、ただ敵を焼き尽くす無骨なものではない。
濃い紅色は攻撃を司る炎、明るい朱色は守護を担う炎——ナバはそれらを自在に使い分けることができる。
紅の炎は理に従い、全てを焼き尽くし、朱の炎は理に逆らい、包み込んだものを脅威から護るカプセルのような役割を果たす。
先ほど放たれた攻撃の炎が城を焼き払い、同時に発せられた守りの炎が、生体反応のあった仲間たちを包み込んでいた。
ナバは感知術を用いることはできない。
しかし放った炎と感覚を同調させることで、接触した対象の状態をある程度感じ取ることができる。
この精緻な制御は、規格外の出力を持つ彼だからこそ可能な芸当であった。
「この反応……やはり全員、操られているな……」
剣を通じて仲間たちの無事を感じ取りつつも、なお炎の中で暴れ続ける気配から、状況の厳しさを改めて悟る。
だが、ようやく敵の姿が見え始めた。
今ここにあるのは、ナバと仲間を包む大炎のみ——そのはずだった。
だが一つ、異質な存在が残っていた。不自然な岩の塊である。
炎の感覚を通じて、その中に五つの生体反応を感じる。
そして次の瞬間、岩は崩れ、中から六人の影が現れた。
——一人、多い。
ナバは眉をひそめたが、何らかの術で錯誤を生じさせているのだろうと判断し、詳細な分析は後回しにする。
それよりも、現れた敵の姿を観察することの方が重要だった。
女が一人、男が五人。
紅一点の女は気怠げな表情を浮かべており、整った顔立ちと豊満な肉体、半ば閉じた瞳が妖艶さと人ならざる異質さを同時に放っていた。
しかし、さらに異様だったのは次の二人である。
一人は、二十代半ばほどの平凡な容姿の男。
軽薄そうな笑みを浮かべ、紫色の光を帯びた瞳が異様に輝いている。底知れぬ闇を湛えるような不気味さを持つ男だった。
もう一人は、少年と呼ぶべき小柄な男。
幼さを残す顔立ちに、ニヤついた表情。どこか正気ではない、危険な狂気を漂わせている。
女を含めた三人からは、本能が「近付くな」と警鐘を鳴らしていた。
警戒を高めながら、ナバは残る三人へと視線を向ける。
三人目は鍛え上げられた筋肉と、百九十センチを超す巨体を持つ偉丈夫。
不気味さは感じないが、対峙するだけで肌を刺すような強烈な威圧感があった。
見た目通り力任せの戦法で来る可能性が高いが、それゆえに侮れない。
四人目は、百八十センチほどの端整な青年。
静謐さをまとい、湖畔で書物を読んでいる姿が似合いそうな、理知的な雰囲気を漂わせていた。
そして五人目——彼は小柄で、童顔で、存在感が薄い。
発する気配すら希薄で、他の五人に紛れていれば見落としかねないほどだ。
不気味さも威圧感もない。だがそれがかえって不気味だった。
ナバは六人を見据え、確信する。——こいつらがオーラクスを襲ったのだ。
まだ仲間が潜んでいる可能性もあるが、いるとしてもごく少数。
なぜなら、この六人のうち三人を、ナバは記憶していたからだ。
名を知る者、顔を知る者、能力の一端を知る者。いずれも直接の関わりはないが、その存在は広く知られていた。
彼らは、都市や軍、村を無差別に襲い災厄を撒く、危険な組織の一端とされる者たちだった。
最近はその姿を見たという報せは途絶えていた。
まさかここで姿を現すとは——ナバは、想像もしなかった。
彼の炎を、ただの土壁で防ぎきることなど本来あり得ない。
だが、あの偉丈夫の力を使えば可能になる。
正体さえ明かせれば勝機を見出せると踏んでいたナバにとって、この六人の出現は最悪の展開だった。
——正面から打ち合えば、確実に後手に回される。
そして、その先にあるのは敗北だ。
かといって、オーラクス城をわずか六人で壊滅させた異常な連中を相手に、仲間を庇いながら逃走するなど、自殺行為に等しい。
ならば、攻撃を仕掛け、少なくとも二、三人を戦闘不能にして活路を開くしかない。
ナバは剣先を地に向けていた構えを正し、瞳に鋭い光を宿しつつ、臨戦態勢を取った。
無駄な言葉は要らぬ。
ただ、相手の一挙手一投足すべてに神経を張り巡らせる。
「アイツ、けっこう強いねぇ」
「破壊の中で仲間も同時に救い上げるとは……想像以上、かな」
ナバの沈黙をよそに、ニヤニヤと笑みを浮かべた少年が、変声前のボーイソプラノで隣の飄々とした男に話しかける。
男はナバを観察するように見据えながら、軽く応じた。
「じゃあさ、俺が先に行っていい? 最初に俺がやれば、どれくらい強いか分かるでしょ?」
「うーん、僕は見れば分かるけど……まぁいいよ。君が先の方が面白くなりそうだしね」
「ひひひっ、よしよし、最高最高。久々に楽しめそうだなぁ」
ナバは、彼らのやり取りの隙を突いて先手を取るべきかと逡巡した。
しかし、彼らから放たれる殺気は尋常ではなく、一歩動けば即座に殺されると本能が警鐘を鳴らしていた。
「じゃあ――殺りますか」
少年はニヤついたまま上体を傾け、ナバも応じて剣を構え直す。
そして、少年が右手を前方へ突き出すと、その手は瞬く間に膨張し、まるで悪魔の爪のような禍々しい気配を纏った巨大な魔手が姿を現した。
その常識外れの禍々しき顕現に、ナバは思わず息を呑んだ。
この少年が魔手を操るという情報は漠然と把握していたが、眼前の光景はその想像を遥かに凌駕する、破壊の「暴」そのものであった。
不覚にも、ナバの心に怯えが芽吹く。
それを見て取った童顔の少年は、獣のように獰猛な笑みを浮かべる。
そのまま俊敏な動きで、魔手を掲げながらナバへと襲いかかった。
「……ッ!?」
気付いたときには、すでに数メートル先まで接近されていた。
少年は愉悦に染まった笑みを浮かべたまま、巨大な魔手を振りかざす。
ナバは即座に後方へ跳び退る。
振り下ろされた魔手は標的を捉え損ねたものの、地面を大きく抉り、轟音と共に礫を撒き散らす。
「くっ……!」
直撃は避けたが、想定を超える破壊力に飛礫がナバの身を掠め、皮膚を裂いて血が滲む。
「逃さないよぉ」
痛みに身を歪める間もなく、少年は再び笑みを浮かべたまま魔手を振り上げ、迫ってくる。
ナバは崩れかけた体勢を保ちながら、驚異的な速さで剣を振るい、炎渦を放った。
「……!」
少年の動きが一瞬止まる。
まさか、そこから反撃が来るとは思っていなかったのだろう。
しかし怯んだのも束の間、魔手は振り下ろされ、炎渦はあっさりと掻き消された。
「何……!?」
それは単なる打ち消しではない。
まるで最初から、そこに炎など存在しなかったかのような虚無。
胸中をよぎる嫌な予感を抱えながらも、ナバはこの隙を逃さず後方へ跳躍し、距離を取る。
直後、無数の水槍が先ほどまでナバがいた場所に向かって降り注いだ。
おそらくは、突撃してきた少年以外の五人のうちの誰かの仕業であろう。
——それにしても、速い……。
魔手を振るう少年の動きの速さに、ナバは内心で息を漏らす。
この手の相手は、何よりも厄介だ。
動きが速ければこちらの攻撃は当たりにくく、逆に敵の攻撃は回避しにくい。
しかも、あの化け物はまだ真の力の一端しか見せていない。
それは先程の飄々とした男との会話からも明白だった。
だが、少年が全力を出していないにせよ、その魔手の脅威は、攻撃を仕掛けながらの撤退すら不可能と思わせるほどに十分すぎた。
ならば次に取るべき手は、一つしかない。
——奴が本気を出す前に、叩く。
「仕留める!」
ナバはそう叫ぶや、炎柱を展開。空中を飛び交う礫や、斜めの角度から飛来する水槍を残滓も残さず焼き尽くす。
その勢いを駆って、間合いを詰めてきた少年の魔手を狙い、渾身の一撃を薙ぎ払った。
一連の動作は、すべて数秒足らずで完遂された。猛り狂う炎渦が、少年の肉体を焼き尽くさんと迫る。
「無駄だねぇ」
だが少年も尋常ならざる反応速度を示した。
右腕の魔手を振り払うことで、炎渦をまるで霧でも払うかのように拡散させ、四散させる。微かな炎の名残だけが空を舞った。
——くっ……まさか、この魔手……!
ナバの脳裏を、最悪の推測が過った。
少年の魔手が炎をことごとく打ち消している。もはや隠しておく余裕はない。
——仕方ない。
次の瞬間、ナバの剣に纏っていた赤い炎が熾火のような青い輝きへと変じる。
それは熱波を無差別に撒き散らす攻めの炎ではなく、周囲に均等な圧をもって迫る、熾烈なる焼灼の炎——青き《大焼炙》であった。
魔手とナバとの間を隔てるように、青い炎が空間を埋める。赤き炎の十倍を超える熱量が辺りを灼き焦がす。
「それでも、この手を止めることは……!?」
少年はそう言い放つが、魔手を振り切る前に、青炎の熱波が全身を包み込んだ。
皮膚が焼け爛れ、呻き声と共に彼の身体が後方へと吹き飛ばされる。
今こそ追撃の好機——しかしナバは動けなかった。
この炎を制御するには、細心の集中を要する。己の力ゆえに、今は一歩たりとも動けぬ。
「青い炎……それが君の本当の力なんだね。《大焼炙》ナバ=スクアレス」
そんなナバの前に、先ほど吹き飛ばされた少年を除いた五人が再び姿を現す。
その中でも、紫色の瞳を印象的に光らせる飄々とした男が、やや高めの声音でナバを二つ名で呼び、青炎の存在をいともたやすく言い当てた。
男はナバの名を知っているばかりか、たった一度の戦闘の中で切り札の本質すら見抜くほどの鋭い洞察力を有しているらしい。
情報戦において、明らかにあちら側が上だ。
この手の敵は、戦闘が長引けば長引くほどこちらの手を読み、先を取ってくる。
できる限り早く決着をつけなければならない。
だがその思惑を見透かしたように、男は飄々とした調子で語り始めた。
「熱分解を介さずに発火させることで、本来の炎の姿である青炎へと変化させる術……。
その青炎は火炎以上の熱量を持ち、近づくものすべてを焼き尽くす」
「…………」
男の声はまるで、語ることそのものに歓喜しているかのようだった。
ナバが言葉を返さぬまま沈黙を保つなか、男は勝手に熱を帯びて話し続ける。
「でもあれだけの高温なら、普通は自分も無事では済まないはずだよね。その点もきっちり守りの炎で対策してるとは、抜かりがない。ただ……あの炎柱のときは、明らかに炎を操作していた。つまり、何かしらの負荷か制約があると見ていい。そしてそれを青炎に応用するとなると……やっぱり完全には制御しきれてないんだ」
男は楽しげに笑いながら、さらに言葉を続ける。
「とはいってもそこまでの高温だったら君も無事ですまないだろうけど、その点においても守りの炎を纏ってしっかり対策しているね。けどさっきの炎の柱を出した時は炎自体を操作していたことから考えるに何かしらの危険性があるのかな?そしてそれを青炎に使うということは、やっぱり青炎は操作しきれていないんだね。それでも素晴らしい力だ!そしてその力を完全にとは言わないまでも操ることができる君の技量はまさしく規格外じゃないか!少し作戦を変える必要があるね。けれど手札を全て見せちゃって尚且つ追い詰められちゃった君にはもう勝ち目はないみたいだね」
そして男は興奮の気色を浮かべ、両手を広げながらまくし立てた。
「さぁ、この街の連中以上の興味深い悲しみの華を咲かせてくれ!」
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ナバの術を一目見ただけで、まるで術式の内奥を覗き見たかのように看破され、その上、術の威力だけでなく伴うリスクまで見抜かれていたことに、驚きを禁じ得なかった。
――いや、どう考えても単なる洞察力で得られる情報量ではない。
そこには明らかに、何らかの裏がある。だが今のナバにはそれを探る術がない。その意味でも、すでに後手に回っている。
そして気づかぬうちに――
「なっ!?」
敵の攻撃気配を察知し、ナバが咄嗟に後ろへと踏み込もうとする。しかし踵が不自然に止まり、身体がうまく動かない。警戒を怠らぬまま横目で背後を確認するも、そこには何も見えない。だが確かに、そこに何かがある。足がぶつかったのは、目に見えぬ障壁だった。
「これは……まさか!?」
「そうそう、君の予想通りだ。君の背後にあるのは“空間の壁”だよ。今までの攻撃は、すべて君をそこへと誘導するための布石だったんだ」
驚愕の声をあげるナバに、例の男が飄々とした口調で答える。今すぐこの袋小路から脱したいが、それを黙って許す相手ではないだろう。ナバは機を伺いつつ、表情を険しくしながら疑問をぶつけた。
「……だが、俺は周囲への警戒は怠らなかった。一体、何をした?」
「アハハ、それはね――秘密ってやつさ」
あっさりと笑ってかわすその姿に、ナバは眉を潜める。容易に明かせぬ情報。すなわち、奴らのうちの誰かの異能によるものか。
顕現させた青炎の熱気とは別の、嫌な汗が頬を伝う。ナバは息を呑み、言葉を絞り出した。
「タシュア=イーライグ……青紫の瞳、あれが“《紫蝕の悪魔》”と呼ばれた所以か」
「“《大焼炙》と呼ばれ、幾度となく火炎地獄を生み出してきたナバ=セルフェウス”に名を覚えられているなんて、光栄の極みだよ」
ナバの独白めいた呟きを、タシュアは逃さず拾い上げ、狂気を孕んだ笑みをさらに歪ませる。
「ねぇタシュアぁ、そろそろ時間なんじゃない? さっさとこいつ、殺しちゃった方がよくないぃ?」
背後から、気怠げな女の声が割って入った。タシュアの隣に寄り添い、緩く微笑みながら言葉を継ぐ。
「あっ、そうだった! 時間がないんだったね」
その一言で、ナバはようやく気づいた。――完全に、会話に乗せられていた。
青炎の制御は難しく、持続しながら守りの炎で身を包むには、相応の魔力を消耗する。応じるべきではなかった。だが、術を見破られたことで芽生えた知識欲が無意識に心を奪い、敵の術中に嵌ってしまったのだ。
――こいつ……ただの洞察力だけじゃない。人の知識欲を刺激し、判断を鈍らせる術にも長けている。“《紫蝕の悪魔》”の異名は伊達ではない。
ナバは冷静に状況を分析する。戦闘の主導権は明らかに敵にある。だが、負けるわけにはいかない。
――幸い、魔力の消費は深刻なレベルではない。まだ動ける。
剣を握る手に力がこもる。脳裏に鮮明な戦術を描き、次の一手を練る。
――あいつらを、必ず死地へ引きずり込む。
鋭い双眸に新たな光を灯し、六人の襲撃者を見据える。右手の剣を両手で真正面に構え直すと、纏っていた青炎が術者の苛烈な決意に呼応し、荒れ狂い始めた。
その怒涛の気迫を前にしても、タシュアは涼しい顔を崩さず、静かに口を開く。
「君の魔力もだいぶ減ってきたようだし……そろそろ僕の研究の“贄”になってもらおうか」
その言葉に、ナバは戦慄を覚えた。
——こいつ、まさか……青炎を持続する反動まで見越して話していたのか!?
ナバが思考を巡らせていたその時、不意に耳に異音が届いた。何かが落ちてくるような、歪な音だ。最初は微かだったが、次第にはっきりと響き始める。
咄嗟に空を仰いだ。
その瞬間、視界に飛び込んできたのは、燃え盛る熱波を纏い、全長数十メートルを超える隕石だった。圧倒的な質量と速度をもって、ナバめがけて落下してきていた。
「なっ――!?」
今日何度目かの驚愕が胸を打つ。同時に、ナバを取り囲んでいた六人の敵が、一斉に距離を取る。その動きから、これは彼らが仕組んだ攻撃であると即座に悟った。
だが、あの規模の巨岩を、ナバの目を盗んでこの場に持ち上げるなど、話術だけで注意を逸らしたところで到底不可能だ。おそらく、城を制圧した時点で、ナバの到着を見越してあらかじめ仕込まれていたのだろう。
逃れようにも、背後にはすでに“空間の壁”が構築されている。跳ぶなら、敵が待ち構える正面しかない。そして、その一瞬を狙われることも明らかだった。
——これもすべて、計算ずくか……!
しかし考える暇はない。いかに青炎が存在するだけで周囲を焼き尽くす圧倒的な力を誇るとはいえ、あれほどの質量を防ぎきるには、即座に防壁状に展開せねばならない。
ナバは急ぎ青炎を壁状に展開しようとする。だがその瞬間、足元の大地が不自然に揺れ、わずかに隆起した。
その刹那、意識が思わず足元へと引き寄せられる。
——なっ……!?
ほんの一瞬のことだった。だが、なぜかその一瞬で終わらず、数秒ものあいだ、視線と意識が足元から離れなかった。
警戒の声を上げる暇もないまま、隕石が轟音を伴って落下。大地を深く抉り、破壊の余波があたり一面を呑み込んでいった。
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「クッ、ガハッ……!」
土埃が舞う中、ナバはうつ伏せに倒れ、吐血しながらも辛うじて命をつないでいた。
意識を逸らされたことで、青炎の壁の展開がわずかに遅れた。その結果、青炎の圧倒的な熱量によって隕石の大部分こそ焼き尽くすことには成功したものの、その余波までは防ぎ切れなかった。
さらに、余波による衝撃で守りの炎の維持が困難となり、纏っていた青炎が隕石の熱量とぶつかった際に生じた破滅的な熱波をまともに浴びてしまった。
その結果、ナバの全身は酷い火傷を負っていた。
本来ならば立つことすらできない重傷である。それでもナバは腕をついて起き上がろうとする。だが激痛に全身が痺れ、立てかけた腕は力を失って折れ、そのまま体は地面へと崩れ落ちた。
そんなナバの前に、隕石の落下地点から離れていた五人の敵が現れる。魔手の少年も含め、彼らは平然とした面持ちでナバを見下ろしていた。
ナバは驚きを隠せなかった。あれだけの攻撃を加えたにもかかわらず、あの少年は傷一つ負っていないように見えたのだ。
確かに火傷を負わせたはず。数日は立てぬほどの重症だったはずなのに——。
「ありゃりゃ?これで死んだと思ってたのに、案外しぶといねぇ」
少年が肩をすくめながら言う。
だがそれに構わず、タシュアが笑みを浮かべて口を開いた。
「くっ……」
ナバにはもはや返す力もなかった。
意識だけは辛うじて保っていたが、目の前に現れた五人の姿が絶望として重くのしかかる。
その絶望の淵で、タシュアがナバの視線に合わせてしゃがみ込んだ。
「まぁ、よく頑張ったよ。素晴らしい奮闘だった。だからご褒美に、僕が集めた“贄”を分けてあげよう」
青紫色の瞳がナバを覗き込む。その瞬間——
ナバの脳が、正体不明の何かに侵されていく感覚に襲われた。
——この力こそが紫蝕の悪魔と言われる所以か……くそ……。
そのとき初めて、ナバはタシュア=イーライグが持つ異名《紫蝕の悪魔》の意味を身をもって理解した。
だが、すでに遅かった。断末魔を上げることすら叶わず、意識が深い闇へと沈んでいく。
ーーすまない、フェイン……。
最愛の者を想い最期に一雫の涙を流してナバ・セルフェウスの意識は途絶えた。
「さて……あとは君が大切にしてきた“子どもたち”が来れば、演目は整う。ああ……終幕の時、彼らはどんな顔を見せてくれるのだろう?ああ……楽しみだなあ」
その声は、悪魔の囁きのように歪んでいた。
——そして、月は厚い闇雲に覆われた。
それは、幾多の絶望の始まりにすぎなかった。