序章
かつてこの世界には、「ウィスレ大国」という名の絶対的な覇権国家が存在した。
高度な技術と文化の爛熟。街には子供たちの笑い声が溢れ、穏やかな食卓の風景がどこまでも続いていた。幾多の内乱すら呑み込み、長きにわたり繁栄を極めた巨像。だが、突如として訪れた「大災厄」は、そのすべてを無慈悲に踏み砕いた。
地震、疫病、飢饉、そして凍てつく寒冷化。災厄の連鎖は止まることなくウィスレを蹂躙した。家畜は斃れ、大地は枯れ果て、人々は底知れぬ飢餓と恐怖に震えた。さらに、崩れた世界から湧き出した異形の怪物たちが、逃げ惑う人々を次々と貪り食っていく。
三千万人を誇った人口は、わずか数年で五百万人にまで激減した。八割を超える命が失われ、栄華を誇った秩序は跡形もなく崩壊する。統計上の数字ではない。そこには確かに生きていた無数の物語があり、それらは永遠に途絶えたのだ。
生存者たちは極限の飢餓の中で人間性を捨て去った。生きるために親兄弟を殺し、友の肉を喰らう地獄絵図。ウィスレという巨人は解体され、数百の群小国へと無様に引き裂かれた。地図はずたずたに裂けたが、人の心はそれよりも深く、修復不能なほどに割れていた。
それから、三百年——。
血で血を洗う争いの果て、七つの大国が台頭し、世界はようやく仮初めの安定を取り戻したかに見えた。
だがそれは、より惨劇に満ちた戦乱の幕開けに過ぎなかった。
生存圏を懸けた七国の覇権争いは激化の一途をたどり、戦火は再び世界を焦土へと変えようとしていた。そこに、失われた禁忌「創術」を操る異分子たちが現れ、混沌に拍車をかける。神ごとき力を振るう彼らは各国の中枢へと根を張り、戦いをより凄惨な殺し合いへと変貌させていった。
終わりの見えない戦乱の中、それでも人々は希望を捨てきれずにいた。復讐という憎悪に身を焦がす者、愛する者を守ろうと足掻く者。
そして今、時代を揺るがす変革が、静かに動き出す。
闇に蠢く戦闘集団。そして、深い傷を抱えながらも明日を睨む一人の青年。
彼らによって、止まっていた運命の歯車が軋み音を上げて回り始めた——。




