#5 敵とは
敵? 渡は思わず問う。今まで渡が敵と思ってきた輩は少なからずいる。だが、彼女、リオは、渡の思う”敵”とは絶対に異なる物があった。
彼女の眼差し。その眼光は倒すべき仇敵を討つ、と言うよりも自分の目的の為に家族を殺す、と言う表現の方が近しい。そんな眼をしているのだ。それは渡が勝手に妄想した実に主観的な感覚だが、それをただの妄想と確定して行動する事が何だかはばかられる様な気がしたのだ。
彼女が悪いヤツじゃない、と心の内から語り掛ける様な。
「−−−けれど彼女は攻撃してきます! それを何もしない訳にもいかないでしょう! 私が…あなたの願が何も抵抗出来ず消えていくんですよ!?」
「僕の願なんてどうだって良い! けど……」
渡は拳を握ってニャンコとリオを見て、うつむく。
「ニャンコがいなくなるのは、嫌だ! それとリオが消えるのも、嫌だ! だから―――」
「僕は戦うッ!」
そう宣言すると渡はリオへ手招きのジェスチャーをする。手の平を上にして行うその動作は、一般的に挑発と捉えられる。勿論リオもそう解釈し、へぇ、と低い声色で呟いた。
「渡? どう言う事なのです?」
状況が掴めず質問するニャンコに良いから、と渡は本を用意する事を指示する。
「木刀を、作る!」
渡がそう叫ぶと本から湧き上がる粒子から木刀が作られた。ニャンコはそれを握ってリオを迎え撃とうとするが、渡は避けて! と叫んで今度は彼がニャンコを突き飛ばして回避する。
「ギリギリまで避け続けられる? ニャンコ」
「リオの渾身の一発にカウンターを仕掛けて一撃で終わらせよう。肩に当てて、気絶する程度でね」
少し茶化して言っているものの、渡は本気でその作戦を考えた。ニャンコはそれを汲んで、全力で敢行する事を誓う。例えエンジェルフェンを倒す使命があろうとエルフェンの望に従い、その通りにするのがエンジェルフェンの役目だから。
ああ、最初からそうすれば良かった、と自分の要領の悪さに渡は心の内で呆れる。エンジェルフェンとて、自分の願を叶えると言うのであれば、死なない程度に倒してくれと言えばそうしてくれるに違いなかった。それに気付いたのは先程のリオの目を見た時だった。絶対倒す、と言う気持ちはあれど、それはそうするべきと思っているからで、エルフェンの願ならばその意識を変えられるかも知れないと思ったがまさにその通りだった。
「ニャンコ、リオを消さないで欲しい。それが僕の願った”幸せ”だ」
「それが渡の幸せの形、なのですね……」
ニャンコがそう言って頷くと、木刀を握り締めてリオを見つめる。渡に離れている様言うと、腰を落とした姿勢で呼吸を整える。
「私とやろうっての? 良いじゃない、受けて立つわよッ!」
その一瞬、リオは持ち前の瞬発力でニャンコに襲い掛かるが、その突撃をニャンコは華麗に避けてみせる。彼女にとってはリオのスピード等取るに足らない、と言わんばかりだった。
「舐めんじゃ無いわよ!!」
リオがさらに攻撃してくる。ニャンコは咄嗟に避けようとするが、体がどうにも動きづらい。その不意を突かれ、腹に鈍重な一撃を食らう。
「うぅっ…!」
下から突き上げる様な拳にニャンコの体は持ち上げられ、宙に浮く。それを見計らってリオも空中へ跳び、拳に精一杯の力を込める。
「これで、トドメにしてあげる…」
リオの全身全霊の拳に彼女の体重を加え、今までとは比べ物にならない程の威力が込められている事は一目瞭然だった。その最大の力を持ったパンチは、コンマ一秒と経過しない時間の中で放たれた。
ニャンコの顔面へ向けられた拳は本気で彼女を殺害する、と言う強い意志が感じ取れる。が、ニャンコはその攻撃に臆する事無く”その時”を見定める。
―――明鏡止水。時の流れを何十倍にも希釈した様な静寂の中で、ニャンコは自らの感覚を研ぎ澄ませて、刹那……穿つ。
「―――がッッ!?」
リオの肩に重い物がのしかかる感覚。ニャンコの持っていた木刀だ。今まで蓄積していたニャンコのパワーは、宙に舞い上がちながら振り下ろす遠心力と、前方から迫ったリオのエネルギー。それらが相乗して結果的にリオをはたき落とす形となって彼女を文字通り”撃墜”したのだ。
救済戦線の真っ白な地面にリオが埋め込まれている。その冗談の様な姿に渡はえぇ…と言葉にもならずにいる。
「殺してはいません。安心して下さい」
渡の元に戻ったニャンコが報告する。そっか、と渡があっさりと言い放つと、リオに近付く。
「リオ……彼女は気丈に戦った。けれど、それが正しいのか分からないよ。人の願は誰かの犠牲で成り立つ物なのかな」
「それは……」
背中で語る渡の言葉にニャンコは何も返せない。それが答えだった。自分の命や存在なんて消耗品と変わらないと思っていたが、確かに誰かの犠牲によって成立する願がある事には軽々しく肯定は出来ない。
「ニャンコ。君は戦って犠牲になってしまっても構わない、と自分を切り捨てられるだろうけど…エルフェンの為だと、本当に他人を切り捨てられるの?」
渡がニャンコに振り返って問う。その言葉もニャンコには答えが出せない問題だ。何も言えずにうつむくニャンコの肩を渡は叩き、微笑む。
「ごめんねニャンコ、今のも意地悪。僕にもまだ分からないんだ」
「渡―――」
ニャンコが面食らった様な顔で渡を見つめる。一方の渡はん? と首を傾げる。と、背後から大きなオーラを感じる。
渡が振り向くと、そこにはリオが立っていた。
「―――!!???」
倒した筈のリオが目の前に立っている。その光景に渡は言葉として形容出来ない雄叫びを上げる。
「私、も…このままじゃ…終われ、ないのよ……」
リオが体全身脱力した様にふらふらとこちらへ近付いて来る。思わず渡は腰を抜かして後ずさりする。
ニャンコが応戦しようとするが、先程のリオの攻撃によるダメージと、体の違和感で動けない。
渡が命の終わりを予感し、目を閉じた瞬間だった。
「―――ちょっと待ったァーーーーッ!!」
耳をつんざく様な若い大声。その声の主は、渡の真上から急降下して来る探偵然とした風貌の人影だった。