#4 救済戦
少年、雨鵜渡は同居する事になったエンジェルフェン、ニャンコに振り回されながら新たな日を迎えた。
――
渡が昔来ていた服を借りて着替えたニャンコは、違和感を覚えて裾の辺りを触っている。そんな彼女を尻目に渡は溜め息を吐く。
「はぁ…朝の食事も二人分か、面倒臭いな」
「食事、ですか? 私達は人ならざる存在なので食事は致しません。エルフェンからそのエネルギーを頂くのです」
「そう言うと思った。僕としてはそれが不服なんだってば。僕が食べてんのに相手は見てるだけとか気分が悪い訳さ」
そうですか…と渡の面倒な言い分にニャンコは頬杖をついて唸る。すると間も無く彼女の頭頂部に電球が現れた様に閃く。
「”能力”を使いましょう!」
能力? 渡は首を傾げて問う。一方のニャンコは今まで見た事の無い自身に満ちた表情で頷き、手を自分の前にかざす。
と、ニャンコの手の前から緑色に発光する物体が生成される。その物体は次第にはっきりとした形になっていき、光も消えていく。
十秒ほど経つと、物体はその真の姿を現す。それは、人の胴位の大きさで、辞書を二冊重ねた程の厚さの”本”だった。
何も無い空間から生まれた本に渡はまるで非現実を見ている様だった。
「それがニャンコの能力?」
「いいえ、これは能力を使う為の単なる端末です。これを出している間に渡のつくりたい物を想像し、口にする事で機能します」
「つくりたい、物…例えば?」
「物質でも、概念でも。あなたが詳細に想像出来る物なら何でも。ただし物質においてはその仕組みと材質。概念においてはその論理まで考えないといけません」
難しいな、と渡が唸る。すると、渡は何かを閃いた様に手槌を打ち、ニャンコに能力を使ってみても良いか問う。ニャンコが快諾したのでこほん、と咳払いをして渡は試しに能力を使ってみる。
「…朝飯を作る!」
その叫びに反応して大きな本が輝き、開かれたページから先程の様な粒子が発生し、収束するとそこにはご飯、味噌汁、焼き秋刀魚、バナナ等の料理に加え食器まで現れた。
「おおっスゲェ! 完璧だ……」
渡が子供の様に興奮する。
「これは一体どこから?」
「渡の想像で生み出される物は渡の想像に費やされるエネルギー燃焼と神の御力によって生み出されるのです。だから実際にそのご飯は食べられるし、これを生み出すエネルギーは渡から消費されるのです」
「成程、僕のエネルギーでこれらの物が作られると。で、想像力が無いとどうなるの?」
渡が目の前の料理に目を逸らしながら問う。それに対してニャンコも料理に目を逸らしながら答える。
「例えばこの料理なら色や味がおかしかったり、食器が無かったりします。そう考えると渡、あなたの想像力は非常に凄いです」
ニャンコが素直に驚いているので渡は誇らしそうな笑みを浮かべる。これも小説を書く事で培った賜物である。こうやって自分のやってきた事が活かされるのは何は無くともやはり嬉しい。
と、渡とニャンコの腹が同時に鳴る。渡は先程のエネルギー消費から、ニャンコはただの空腹である。
「…今これを作り出すだけで腹が鳴るのか。やっぱりこの能力、エルフェンの体力に起因しているんだね?」
「ご明察です。ただ、そう考えると渡は……」
「体力無いのは自分が、一番、分かっている」
渡が悔しそうな顔でニャンコの言葉を止める。
「それより、この朝ご飯、もう一つその能力で作って一緒に食べようか。お腹空くけど」
「はい!」
ニャンコが空中に浮遊している本をもう一度開き、もう一度朝食を作ろうとする。
それと同時にインターホンのチャイムが鳴る。
別に何も頼んでないのに、と渡が不思議に思いつつ腰を上げる。と、ここで渡は気付く。
「…もしかしたら昨日のエンジェルフェン、リオかも知れない」
少し考えてから渡は何かを思い付く。
「このまま何も音を立てないで。ここに誰もいないと装うんだ」
ニャンコが黙って頷く。二人が押し黙ったまま、以後もチャイムが鳴ったり、ドアを叩く音が聞こえる。時折女性の強い声色が聞こえるがそれでも音一つ立てずにその場をやり過ごす。
それから十分。音が止み、渡がふーっ、と安堵の息を漏らす。と、その音に反応してか部屋のドアが思い切り飛んで来た。
「!?」
ニャンコが咄嗟に渡の前へ出て飛来するドアを跳ね返す。その先にいたのは、あの赤いエンジェルフェン、リオだった。
「最初からいるのは分かってたのよ、出て来てくれればこんな手荒な真似しなかったのに」
リオが溜め息を吐きながら部屋に上がる。
「……本気の戦い、見せてあげる」
部屋が白一色に包まれる。昨日も見たあの空間。
「ここがエンジェルフェンの戦うバトルフィールドって訳…」
「はい。ここは”救済戦線”。私達の戦闘で被害が発生しない様に構成された世界です」
ニャンコが大きな本を自分の前に配置して戦闘態勢を取りながら説明する。
何も無いただただ空虚な世界。それが彼女らエンジェルフェンの戦場―――。
その場に立ったが戦いの合図。リオとニャンコ、二人の視線が交わったその時、戦いは、始まる。
リオが短い吐息の後、腰を落として足を踏み出す。その一瞬の瞬発で前方のニャンコへ跳躍し、右腕を腰の後ろに引く。落下していく重さと腰をバネの様にして捻った反動を利用した拳を撃ち込む。ニャンコは渡を突き飛ばして回避する。渡は倒れた弾みで打った肩をさすりながらニャンコに向けて親指を立てる。
「すばしっこいのね、”ツインテ緑”」
リオがニャンコを嘲る様に呼ぶ。何ですかそれ? とニャンコは不思議がるが、渡は合点が行った様に頷いている。ポイントをまとめた良い愛称だね、なんて感心しているとまたニャンコに突き飛ばされる。
また攻撃!? と渡は再び肩をさすりながらリオの方へ視線を向ける。が、彼女は何もしておらず、苦笑しながら肩をすくめている。
「ツインテ緑は心外です…」
「……ごめん」
ニャンコの気持ちを察する事の出来なかった渡は己を省みる。
「あのー、良い?」
リオが手の平を開いたり閉じたりしながらつまらなさそうに問う。
救済戦は未だ続いている。その現状に渡は引き戻される。一方のリオはその場で軽くジャンプしながら戦闘態勢を立て直す。それはまるでボクサーのフットワークに似た動きでリズムを作る。
「渡、リオは本気です」
気を取り直してニャンコも渡の前に立ち、本を掲げる。渡の指示を仰ぐ様に彼に視線を向ける。が、渡は何も言わずに眉をしかめた。
やはり彼には戦いへの強い抵抗感があった。この場が穏便に済めば良いと思っていた。だから、緊迫した状況下においてもニャンコを茶化した。そんな事が何の意味も持たないと知っていても。
自分の浅はかな知略を尽くして、この場を何とか切り抜けられないか、と考える。
が、戦いは渡の思考を待ってはくれない。
「遅いッ!」
リオの右腕がニャンコ目掛けて飛んで来る。それを渡は目視出来ない。がニャンコはその攻撃を捉え、咄嗟に回避する。そしてニャンコの真横に来たリオの腕を掴む。軽く舌打ちをしながらリオは腕を強引に引っ張るが、その反動を利用してニャンコは身軽さを利用して体を大きく反らせながら跳ぶ。その姿は正しく”ムーンサルト”の形を取っていた。
着地すると同時に遠心力によってリオを投げ飛ばす。成すがままにリオが体を地面に叩き付けられる。その隙にニャンコは渡に近付く。
「指示を、渡!」
「でも…」
「戦わなくてはいけないのです、彼女はあなたの夢を阻む存在。敵です!」