#3 決意、そして心意
少年、雨鵜渡は謎のメールに答えると、翌朝自宅に”エンジェルフェン”と自らと名乗る少女、ニァンと出会う。彼女は自分と同じエンジェルフェンと戦い、最後まで生き残る事で自らの主の願を叶えると言う。
だが、渡は彼女の語る争いの意味を理解出来なかった。
「…それでは、私達の戦いについて、説明させて貰いますね」
「ニャンコで良い?」
「好きに呼んで下さい」
”ニャンコ”がうなだれる素振りを見せて言う。話の腰を折られたので不服になるのも当然である。
「で、私達エンジェルフェンの戦いですが、それを私達は”救済戦”と呼んでいます」
「救済戦?」
「エルフェンの望を叶え、救済する―――だからなのです」
でも、と渡は呟く。
「望を叶える代わりに君達エンジェルフェンは死んでしまうんだよね?」
ニャンコは黙って頷く。
「…それは嫌だな」
渡は微笑んで言う。が、その目は彼の内に秘める悲しみを物語っていた。自分達の私利の為に少女が犠牲になるなんて渡には耐えられなかった。厳密に言うならば、それは”渡の幸せ”では無かったのだ。
渡の幸せとは何なのか、それを彼自信が上手く説明する事は出来ない。彼が幸せの答えに辿り着いていないからだ。だが、それでも答えを出せずとも、彼は幸せは何なのか考え、行動する。こうしたら幸せになる、とかこれをすると幸せにならない、と考える。それは至極当然とも言えよう人間の行動原理だが、一々理屈っぽい渡らしい判断ではある。
その判断の結果、渡はニャンコを戦わせず、エンジェルフェンの死を嫌だと言った。
「僕は幸せになる為にニャンコの力を借りるんだ。それでニャンコが死んじゃったら僕は幸せにならない。本末転倒じゃないか」
「君が僕を幸せにするエンジェルフェンなら、どうか死なないで」
渡の懇願にニャンコは言葉が出ない。何だか、それが初めて聞いた言葉では無い様な気がした。ただニャンコは彼に従う事を選んだ。
「分かりました。エルフェン、あなたの願を順守する為、私は生きます」
「ありがとう。…それと、渡で良いよ。堅苦しくしないで」
生きる決意を固めたニャンコに、渡は心を開いて微笑みかける。ニャンコは渡、と何度も呟いて、涙を流し始めた。
「え!? ニャンコどうしたの!?」
困惑する渡。一体何なのか全く見当もつかず、慌てふためく。一方のニャンコはいいえ、と首を横に振る。
「あなたの、渡の…名前を呼べた事が何故だか分からないけれど、初めて呼んだのだけれど…これは、嬉しい…んです」
ニャンコはそう言うと渡の肩を抱いて泣き叫ぶ。それが何故なのかニャンコにも渡にも分からなかったが、二人はまるで運命を感じた様に暖かさを感じた。
「―――あ、バイト」
雰囲気をぶち壊す様に渡が時計を見て言い放つ。渡は優しくニャンコの手をどかし、アルバイトの準備をし、部屋を出る。
「おいしい晩御飯作るから待っててね。あ、今度は窓を閉めてカーテンも閉めておいたから!」
「エンジェルフェンは窓を閉めても来ます。でも、待ってます」
ニャンコに満面の笑顔でそう言われ、渡はまんざらでも無さそうに照れて行って来ます、と一言残してアルバイトへ行く。
一方部屋に残ったニャンコは、何故自分が渡に対してこんなに強い感情を抱くのか、その意味を考える。エンジェルフェンとしてここに呼ばれてまだ一日と経っていないのに知識よりも渡への思いが大きく表れて、心が今にも爆発しそうだった。
「何故……こんなにも、苦しくて、嬉しいのでしょう……」
答えは出る事も無く、瞼が重くなっていく。体が次第に温まっていく。
――
「ただいまー!」
渡が威勢良く帰って来る。スーパーでのアルバイトが幸いして惣菜が安く、大量に買って来た。ニャンコが何の食べ物を好くのか分からなかったので適当に購入して来た。
「コロッケとかすっごく美味しいから食べてみて…って」
床でごろ寝しているニャンコを見つけて渡は少し呆れた素振りを見せるも、彼女の寝顔になんだか惹かれた。起こすのに少々躊躇うが、自らの食欲には変えられない。首を横に振って決意を固め、ニャンコを起こす。
起きてー、とかご飯だよー、と呼びかける。が、ニャンコは起きない。痺れを切らした渡は一つアイデアを思い付く。これだ!と心の中で思って口を開く。
「ニャンコ、エンジェルフェンだッ!」
「何ですって!? ……?」
渡の目論み通りニャンコが飛び起きる。が、辺りを見回してもエンジェルフェンがいない事に不思議そうにしている。
「ごめんニャンコ。嘘です」
「……」
ニャンコが口を半開きにしたままずっと渡を見ている。流石に渡も悪い事をしたなぁ、と思って惣菜を取り出す。
「ご飯用意するから機嫌直して、ね?」
渡が手を合わせて謝罪する。が、ニャンコは無視する。その様子に渡は嫌われたのかと不安になる。
「ニャンコ…ごめん。不謹慎、だったよね……」
やはりニャンコは返事すらしない。心配になった渡がニャンコの顔を伺う。と―――
寝ている。
立ちながら寝ている。
「ニャンコぉーーーッ!?」
――
「ご飯なのに寝てしまって申し訳ありませんでした、えーと…」
「渡で良いよ」
「渡、ごめんなさい」
ニャンコが惣菜の並べられた食卓の前で謝罪するが、渡は笑顔でそれを許す。
それよりも、とニャンコに食事を勧める。言われるままニャンコが箸を持ち、ご飯に手を伸ばそうとする。と、渡が慌てて彼女の手を止める。
「ニャンコ、ご飯を食べる前に作法があってね、”いただきます”って言ってから食べるんだよ」
「何ですかそれ!?」
初めて聞いた食事のマナー。それが良く分からず思わず理由を問う。自分でも驚く位に声が強くなっていた。今までの自分には存在していなかったモノ。それは自分がここへ来てからとかでは無く、もっと昔の意識から出て来る感覚、の様な気がした。だが、そんな記憶も思い出も無い。自分は今日生まれて来た存在の筈だ。この違和感もただの興味だとニャンコは理解する。
「それじゃあ―――」
「いただきます!」
渡が手を合わせる。それを真似する様にニャンコも手を合わせて、ご飯を食べ始める。
暖かい白米。電子レンジで温められ、程良い食感のコロッケ。その美味しさにニャンコは目を輝かせ、思わず感嘆の声を上げる。今までに無い初めての感動、初めての食への感激。人間の日常がエンジェルフェンのニャンコには全て初めてで、発見と驚嘆の繰り返しだ。特に、この食事は興味深い。生きていなければ行えず、行わなわない限り生きていない。これが人間の”生”。ニャンコは実感する。
もっと人間の日常を知りたい。ニャンコの貪欲な意欲が爆発する。他にはどんな生活をしているのか、と渡に問う。少し悩んだ後、渡は風呂を提案する。が、その1秒と経たない内にあっ、と声を漏らし後悔する。ニャンコはその意味を全く理解していなかったが、後にそれがどう言う事なのか知る事となる。
これで良いのかと悩み続けたまま渡の次にニャンコが風呂に入る。彼女が入浴している間、渡は執筆でもしながら暇を続け、己の精神を整える。
着替えは用意した。自分のだけだがそれなりの物の筈だ。風呂について指南する紙を書いて置いた。完璧だ。”ハプニング”は起きない、だろう―――
「お風呂あがりましたよー」
そう言って出て来たニャンコは、服を着ていない。着ていないのである。
思わずニャンコの方へ振り向いてしまった渡は言葉にならない叫びを上げる。”こう”ならない為の用意だったのに、全てが藻屑と化す。水泡と化す。
「何で何も着てないの!? 紙見てないの!?」
目をしっかり閉じて渡が声を荒げて問う。一方のニャンコは何も知らない素振りでへ? と問い返す。念の為渡は床を這いながら風呂場へ向かう。これらの事が発生しない様にと作った紙の行方を知る為に必死で向かう。
が、脱衣所には無い。もしやと渡が風呂場を見ると、そこにはちりじりになった紙が辺りに流れていた。渡に続いて来たニャンコによると、大事な物だろうからと特に気にも留めずに風呂に持ち込んだ様だ。
「良いからチミは服を着たまへッ!」
自然に現れた裸のニャンコに渡は再びの衝撃を受け、口調までおかしくなっていた。もうどうしようと非常に混乱している渡と対になる様にニャンコは穏やかでいた。但しそれは悪い意味での”穏やか”であった。
「服を着ろぉぉぉ……」
渡の鳴咽はしばらく続いた。