#22 剣咲烈
雪奈は剣咲に出会った頃から彼が何を考えているのか知りたかった。
彼女はエンジェルフェンとしてエルフェンの言葉に従い、特に彼に対して質問をする事はしなかった。
自分が何故エンジェルフェンで、何故こうやって人の願を叶えているのか、不思議に感じていたが、それが不快になる事は無く、ただ命令のままに動くだけの自分に満足していたしそれに対して使命感も感じていた。
それがいつからだろう。エルフェンに対して興味が湧いたのは。
「エルフェンは、どうして橘ジュン様にお会いになられないのですか」
ふと、剣咲に問うた事があった。彼がいつも復讐相手として語っていた橘と言う男。彼への恨み辛みを語るが、剣咲は彼から離れていっている様な気がしたのだ。この世界に来て数ヶ月も経つと人の行動原理や社会性について理解を始めるのだが、剣咲の行動している意味についてはもやがかかっている様に不鮮明だ。
「……俺はジュンをボコボコにぶん殴ってやりてぇ。だが、俺はアイツに会うのが、嫌なんだ」
意外だった。いつもは何かと雪奈に拳を振るう剣咲が何もせずに語り出すとは思いもしなかった。
「んだよ意外って顔しやがって…。俺が真剣に話すんだから良く聞かねーとぶっ飛ばすぞ」
「―――でだ。俺はこんなクソ飲み込んだみたいな声になっちまって、それで今まで積み上げてきたモノは全部無くなった。全部アイツのせいだ」
「だが、本当にアイツがやったのか分からねえからそれを明らかにしたかったのに、俺はアイツの口から真実を聞くのが怖くなってきやがったんだ。本当にアイツが俺を貶めたのなら……俺が信じてきた橘ジュンと言う男が、そのイメージが無くなっちまうんだ」
二律背反、とでも言うのだろうか。橘に直接真実を問い質したいのに真実を知りたくないとも考えている。自分の目的を遂行する最短距離となる行動を起こそうとしない人間とはやはり合理に欠ける、と雪奈は思いを巡らせた。エルフェンに付き従うのみだった筈のエンジェルフェンが疑問を抱える姿に自虐の笑いがこみ上げてくる。勿論表情に出す事は無いが。
「エンジェルフェンには長距離を高速で移動する身体能力が備わっています。それを以てすれば橘ジュン様を探し出す事は容易ですわ」
剣咲が目を見開いて雪奈の方を向く。どうやら橘の今の場所を知れる事に僥倖を見出したらしい。すると俯いて手を顎に当てると、目を細めて長考に至る。
「エルフェン?」
「……雪奈。これからジュンの場所を調べてアイツの真意を問い質して来い。途中でエルフェンかエンジェルフェンに会ったら殺してライバルを減らせ。力の無いエルフェンを優先してな」
「殺すのですか? ましてやエルフェン、人間を?」
語気を強めて聞き返す雪奈の頬を剣咲は渾身の力ではたいた。先程まで荒ぶる事無く会話していただけにその衝撃は機械の様に行動するエンジェルフェンの心にも響く。それ故に雪奈がはたかれた体制のまま硬直する。
「俺の願の為なら他人の命なんて構わねえよ。俺は俺の声を治す。それさえ叶えばまた俺は返り咲けるんだからよ!」
それから、雪奈は剣咲の言う通り橘を探して都心を巡った。その最中出会ったのがエルフェン、雨鵜渡だった。彼がエンジェルフェンから離れ一人になった所を狙った。
剣咲の言葉に従いエルフェンから殺害してしまえば戦闘は容易、すぐに競合を減らせる。と思っていたのだが。
ベランダから赤い服装のエンジェルフェン―――リオに阻まれてしまったのだ。おおよそ渡の動向を探って好機を伺っていたのだろうが、行動に移せなかった上に渡を守っている。エンジェルフェンの使命に背く様な軟弱な天使は、間もなく玉砕してみせた。
文字通りの褒章としてリオを捕らえた訳だが、エルフェンもエンジェルフェンも倒していない上に橘の情報すら入手していない雪奈はまたもや殴られる。が―――。
「ちょっとやめなさいよッ! アンタ男でしょ、エンジェルフェンとは言え女の子殴ってんじゃないわよこのガラガラ声!」
捕獲したリオが喚き立てる。厳重に鎖で縛り付けているが千切れてしまわないか心配になる程の剣幕だ。
「黙れ! 今俺に殴られてるコイツに手も足も出なかったのはどこのどいつだ!?」
雪奈から目を離し、リオをの顔面を殴る。そして首を掴んで縛り付けている鉄骨に頭を叩き付ける。
「俺の声を愚弄しやがって……そうだ、聞いても意味は無いと思うが……橘ジュンと言う男を俺は探してるんだが知らねぇか? まぁ知ってる訳もねぇからとっとと死ね―――」
「ジュン!? 知ってるわよ、ソイツの事」
は? 思わず剣咲が声を漏らす。リオは確かに知っていると言った。が、それが苦し紛れの嘘である可能性は高い。雪奈の鎖をリオの首に巻き付けさせ、問い詰める。
「その男とお前がどこで会ったのか、その男が今どこに住んでいるか。正直に話せ。じゃねぇとハッタリこいたとみなして今すぐ殺す」
「殺す、ね。簡単に言ってくれるわよね。誰かを殺した事も無いか弱い人間が大きく出たものね」
再びリオの頭を鉄骨に叩き付けると首の鎖をさらにきつく締める様雪奈に命令する。さらに締め上げられた鎖が、リオの喉を圧迫し呼吸が乱れる。
「どうだ、お前もガラガラ声だざまぁねぇ。死にたくなきゃとっとと言え!」
「……ジュンは私のエルフェン。剣咲烈と言う男の声を治したいと願って私を呼んだ。今はとんでもない豪邸に住んでるわ。住所なんて知ったこっちゃ無いけど、”アンタと一緒にいた頃”と住まいは同じなんじゃないの? 剣咲烈」
剣咲が雪奈に首の鎖を解く様言う。リオの鎖が解かれ咳込んでいると、剣咲は成程な、と不敵な笑いを彼女に見せた。
「まさかたまたま見つけたエンジェルフェンがこんなに物知りとはな。ジュンはもう誰も帰って来ないのにあんなデカい家に住みっぱなしだったんだな……。雪奈に探らせるのも面倒だったから頭から抜けてたぜ」
そうは言いつつ、やはり橘から距離を置いていたのかも知れない。根底にある自分自身の臆病さに剣咲は辟易した。だが、何の因果の運びだろうか、橘との距離が恐ろしい程近付いてきたのだ。この救済戦を行うエルフェンとして。
「それと一つ良いかしら。ジュンの家にはきっともう他の人が一緒に住んでいる筈よ。アンタらがぶっ壊してくれた家の主がね」
「アンタとずっと一緒だと信じてたジュンが、もう新たな関係性を築いてんのよ。私を含めてね。あー滑稽、ジュンはもう一人なんかじゃない、アンタはどうかしら?」
鈍い打撲音が雪奈の救済戦線、コンクリ造の駐車場に響く。リオの頬に剣咲の重い一撃が見舞った。
「この女をエサにしてジュンをここに呼ぶ! あわよくばエルフェンも一網打尽だ!! 全員だ、全員ぶっ殺す! 俺を置いて行った奴なんてもう知らねぇ……俺の声を取り戻す為に全てのエルフェンと戦う!」
雪奈はようやく、剣咲の事が分かる様になった。このエルフェンは、自分の願に貪欲で、その為に手段を選ばない程の情熱を持っている人なんだと、そう考えた。きっと剣咲は雪奈なんていなくても自分の願の為に奔走するのだろう。
「エルフェン、少しお聞かせ下さい。もし橘ジュン様が以前エルフェンの仰っていたイメージと違わぬ方でしたら、どう致しますの?」
「お前からグイグイ質問なんて珍しい事もあるんだな。……そうだな。その時こそ正々堂々エンジェルフェン同士で戦うつもりだ。自分の身勝手な願を天使どもに押し付けた責任は、お前か赤いのの死で償うんだ」
「負けた方がまた”大切なモノ”を失う、か……それでも、俺はアイツと決着を付けるべきなんだよな?」
「と、問われても私には答える口などございませんわ」
「良いから答えろよ」
「……決着、ですか。そうですね。付けるべきですわ。ですが肝要なのはその後、だと思いますの」
「どちらかが負けた時、同じ願を持つ仲間として支え合って欲しい、と私は願っております」
願っている。そんな言葉が自分から出るとは思わなかった。それはこの世界で、剣咲と知り合った中で知った気持ちなのだろうか。だとしたら今まで殴られてきた事にもきっと意味はあるのだろう。
「雪奈、勝つぞ。勝って、俺がお前にしてきた事の全てが無駄じゃないと思わせてみせる」
「その日が来る事を心待ちにしております」
――
「俺はずっと前から決めていた……俺の願の為に誰であろうとなぎ倒すってな」
「ああ、剣咲。俺とお前の願は同じだ。だからこそお前を倒すつもりだ」
剣咲が雪奈にリオを放す様伝える。鎖から解放されたリオがその場に倒れ込むと、橘が支える。
「良いのか、剣咲?」
「誰であろうと、とは言ったが……俺と一緒にバカやってた頃から何一つ変わんねーお前だけは殺したくねぇ。正々堂々エンジェルフェン同士で決着を付けてやる」
しばらくするとリオが目覚める。自由の身になっていて、橘が共にいる事に気付くとその場で肩を回しながら立ち上がる。何度も殴られ体は本調子じゃないが何とか橘の元に寄る。
「久しぶり、リオ。突然だけどこれから……雪奈と戦ってもらう」
「はあ? 寝起き早々最悪の状況じゃない、まぁ相手になってやるけど」
橘とリオが同じ方向を向く。その視線の先には雪奈と剣咲が立ちはだかる。
ついに救済戦の火蓋が切って落とされようとしていた。