#21 剣咲の願
時は遡り雪奈が剣咲の元へ到着する少し前の事だった。
苦戦を強いられていたニャンコ達は、橘がその場を後にしてからも雪奈の猛攻を食い止めていた。食い止めるだけで精一杯だった。
鎖による連撃、飛び道具は効かない。この状況で耐え凌ぐ事二十分。ニャンコに加えシャーロックも加勢し雪奈を押し留めるが、それでも歯が立たなかった。戦闘への参加が叶わない渡はその場から動けず彼女らの戦いを見守る事しか出来ない。
体力を切らす事無く戦い続ける三人だったが、雪奈が唐突に手を止めてニャンコ、シャーロックから距離を取る。
「…エルフェンが呼んでいますわね。失礼致しますわ」
あっさりと戦闘を終了する。まるで今まで戦っていた事が嘘の様だ。その意識の変わり振りは機械を彷彿とさせる。
「エルフェンが? どう言う事だ、雪奈!」
シャーロックが引き留めようとするが、雪奈の鎖で彼女の目の前を塞ぐとその隙に剣咲の元へと走り出す。自分の向こうにある壁に鎖を突き刺し縮める事で驚く程の超高速移動を図っており追跡は難しい。
一時的にも戦闘が中断され渡は安心からかその場にへたり込む。幸いニャンコとシャーロックに大きなケガは無く、渡の精神的な回復を待つのみだ。
「二人共無事で良かった。今すぐ雪奈を二人で追って。僕は、足でまといみたいだし」
先程の戦闘、そして今までの救済戦での自分の立場について考えた渡は、自分を置いて行く様申し出る。
「そんな、エルフェンがいなければ私の力は発動しないんですよ」
「いても使えないんだよ!」
ニャンコの能力、通称ビーキューブは、渡の体力を消費する事で物質を発現させる。エネルギーを回復しない状態で使い、さらには戦闘によるストレスが体力の消耗を激しくさせた。その為に渡は体力を切らし、ビーキューブは使用不可能となってしまった。
「僕は…誰かを助けられる人じゃないし誰かの力になれる程力は無いよ。漫画みたいな非現実に舞い上がってここまで来たけど、僕に出来る事なんて初めから無かったんだ…」
「分かっていた筈なんだよ。僕は無意味な人間だって。今までもこれからも幸せになりたいって努力もしないのにうわ言だけ並べて…もしエルフェンが取り換えられるなら是非そうしてくれ、ニャンコ」
長々しい独り言を呟くと渡は駐車場の地面に寝転がる。
「僕は、どうして幸せになりたかったんだろう?」
「それは貴方が考える事でしょう!」
思わぬ怒号に渡は目を見開き起き上がる。どこか懐かしく聞こえる言葉に渡は我に還った。と、目の前には目を吊り上げたニャンコが渡の目を見つめていた。
「私には渡しかエルフェンはいません。貴方の願を叶えるのが私なんです。本当にもう動きたくないと言うのなら私達だけで行きます。ですが、渡が他に願う物があれば、私は全力で叶えます」
「貴方がそこにいるだけで私は動ける。そして貴方を支えていく。渡がここにいる、また立ち上がる理由は私では駄目でしょうか?」
「言っている意味が良く分かんないけど、ちょっと分かった気がする」
自分自身がニャンコの支えになっている。そう言う事だと解釈した渡は心が救われた様な気がした。
誰にも必要とされず、愛されている自覚も無く。ただ一人生きていくだけと思っていた渡にようやく訪れた自分を必要とする存在。
「それじゃあ、この手を取ってくれますか? 渡」
彼女と初めて会った時もこうやって手を伸ばしてくれた。思えばあの時からニャンコは渡に手を差し伸べてくれていた。絶望に咽び泣く人々に天から手を伸ばす天使の絵画の様な荘厳さが頭によぎる。まるでこの瞬間は必然であったかの様な感覚まで覚える。
とにかく、渡は差し伸べられたその手を掴み、体を起こす。体のバランスが整ったと思った矢先、またも先程の様なイメージが湧く。
「この感覚は、なんだか分からないけれど、頭がスーッとして答えを導いてくれるみたいだ」
そう渡が呟くと、辺りの埃にまかれたリュックから探知機と思われる物を取り出した。
「昨日シャーロックが提案してくれた作戦でいこう。皆がバラバラになってもお互いの場所が分かる様に造っといて良かったね」
シャーロックは今朝、橘にあるアプリケーションのインストールを頼んでいた。それこそが橘がここを離れる際呟いていた”ヤツ”、位置情報共有アプリだ。
かの名探偵の名を我が物とする事だけあってシャーロックの予測力は桁違いであった。剣咲が橘を狙っているとすれば自分達と橘を分断する可能性は少なからずあった。その状況下で効率良く合流するにはこれが打って付けと言う訳だ。
「と言う訳だ。スマホ見せてよ渡君」
「え、持ってないの!?」
どうやら二人共忘れて来たらしい。シャーロックの作戦は大成功だが、この二人が孤立していたらどうしていたのか、想像したくは無い。
「こう言う所を見るとやっぱり人とは違うんだなーって感じるね…」
「私達が渡の力を必要としていると思えば」
ニャンコの苦笑に渡も苦笑を返し、三人は橘の待つ座標へと駆け出し始めた。
――
「お前が誰かに悲しみをぶつけたいなら俺にぶつけろ。だが、もうこれ以上誰かを傷付けるのはやめろ」
「腹いせなんかしてもお前の声は戻らないんだ」
剣咲の思いを受け橘も彼に言葉を投げ掛ける。
「ああ、俺の憎しみはお前との決着で終わらせる。だから……全身全霊で死んでくれ」
そして、橘と剣咲は走り出し、お互いの頬に全力の一撃を見舞う。殴られた反動によるテンションがさらに拳を前へと押し上げ、二人が同時に倒れ込む。が、すぐに起き上がると服の襟と額を同時にぶつけ合う。
「エルフェン!!」
「ぜってー手を出すな雪奈ァ! これは俺の、俺達の戦いだッ!」
今まで聞いた事も無い程の語気に雪奈は威圧され、言われるがままその場に留まる。
「ハッキリ言わせて貰うぞ剣咲。お前はとんだ言いがかりで俺に突っかかってるんだ。それなりの覚悟は出来てるんだろうな」
「上等だ。テメェがそのクソッタレな説教を言い終わらねぇ内にあの世送りにしてやる」
お互いをなじり合い、また殴り、そして殴る。雪奈が介入しないまま二人の喧嘩が続く。その光景は誰が見ても低俗な物だった。まるで意気がった高校生の喧嘩の様だった。生産性など無く、ただただお互いを傷付けるだけの行為。だが、橘と剣崎はこの時をずっと待っていたのだと、そう思っていた。
――
帰宅ラッシュで込み合う駅の街頭で歌う剣咲と、爪弾く橘。二人が出会ったのは高校生の頃だった。
技術も無く、志も初々しい二人は、隣同士でパフォーマンスしている内にお互いにシンパシーを感じ、意気投合した。二人で始めた音楽は、やがて街ゆく人々に支持され、事務所と契約し、神代と鮎川に出会いバンドとなった。
初めて出会ったあの時から二人の世界への夢は変わらなかった。いつか皆で掴み取ると信じていた。
しかしその夢は突然奪われた。
あの日からお互いの思いは壊れ、空虚な世界でただ生きていくだけだった。あの日の自分達を未だに夢に見る。そこから目覚めた現実との差になんど怒りを露わにした事か。
二人は形骸化した夢の燃えカスを燃料にして今までの日々を乗り越えて来た。
だが―――救済戦こそが二人の人生に変革をもたらしたのだ。天使達の戦いに巻き込まれた事によって二人の止まっていた歯車は周り始め、ここにお互いが立っている。これだ。これこそが”剣咲の願”だったのだ。
人々の注目をフォーカードに繋げたい。夢を追う為に仕事に縛られた。かつて絶縁した家族と繋がりたい。親の思う通りの子供になれと縛られた。歌で橘と繋がりたい。事故の記憶に縛られた。後悔してしまったから、また橘と絆を繋げたい。憎しみのあまり行った所業に縛られた。
剣咲が雪奈に願ったのは、繋ぐ事。その願と様々な状況に縛られ続けた経験が雪奈の能力をあの様にしたのだろう。
――
その壮絶な殴り合いには、決着が付かなかった。それは二人の勝負と言う意味である。二人の間の因縁、そしてすれ違う思いには一つの決着が付いた。
「これでスッキリしたかよ、烈」
「……だったら良いんだかな」
お互いの顔に、体に、拳をぶつけ続けた。それによって二人は救済戦線の地べたに倒れ込み、溜息をつく。重なった二人の吐息に、顔を合わせると再び顔を逸らした。
「―――ともかく。俺達の願を、どっちが叶えるか決めなきゃな」
「……ああ」