#19 いきなりかよ!
救済戦の当日の朝。橘邸の各部屋に眩い光が差す。雀のさえずりが渡の耳に届き、目を覚ます。慣れないベッドの感覚ですぐに体を起こした。
今日、この日、また戦いが始まると思うと身震いが止まらない。皆の前では気丈に振る舞っていたが、正直怖い。手の平を見ると若干汗ばんでいた。
(いつか救済戦で誰かが傷付いたり、誰かを失ったりするのだろうか)
(もしそうなら…僕の願なんて、幸せなんて……)
この短い期間で様々な思いに触れて来た。その体験と重ねて、自分の曖昧な幸せへの探求を矮小だと思い始めた。
「渡?」
渡を呼ぶ優しい声に肩を震わせた。流石に急に呼ばれると驚いてしまう。扉を開けて見つめている声の主、ニャンコに渡はおはよう、と気だるげな挨拶をする。
「おはようございます、渡。……今日、ですね」
素っ気無い彼女の挨拶だが、何か含みのある言い方だった。大方緊張しているのだろうと思い、渡は少しにやけながらその事を問う。と、ニャンコは俯きながら首を横に振る。
「そうじゃなくて、あのゼムと、渡の願について考えていて…その」
「僕の願かぁ…ごめん、ニャンコ。君が僕の願の為に戦ってくれているのに僕はその願を決めあぐねている」
口を動かしながら渡はベッドから降りると、ニャンコの元に寄る。
「この戦いが終わったら願を決めるよ。例えそれが君を呼んだ時の願じゃなくても僕はその願の為に”戦う”」
この渡が口にした”戦う”とはエンジェルフェンとの戦闘では無く、逆境に負けず抗う事であると注訳すると照れ臭そうに笑う。決意を表明する渡に、ニャンコも笑いかけるが途端に顔を強張らせた。
「渡の記憶から得た情報ですが、そう言うのは死亡フラグと言うのでは」
勿論渡にそんなつもりは無かった。彼女の縁起でも無い発言に水を注され興ざめした渡であったが、独特なギャグなのだろうと溜め息を吐きつつもその言葉を受け止めた。
――
そしてその日の昼へと時間は戻る。
「出発だ……!!」
ドアを開けて少し歩くと、手入れの行き届いていない様に見受けられるガレージに案内された。
シャッターを開けると、布の覆い被さった車が置いてあった。恐らくしばらくは使われていないだろうその様相にシャーロックは疑問を募らせる。
「ねえ、ジュンは一人で暮らしている筈なのにどうしてこんな広陵な家を持っているんだい? それに大人数用の車まで…君はそこまでどうら、贅沢をするとは思えない。一人では有り余っている様に見受けられるのだけど」
埃臭い布を取り払って車のロックを解除しつつ、シャーロックの問いにあー、と言葉を濁すと埃の余り咳き込んだ。
「っと、その質問だが俺の昔話を覚えていればすぐ分かる事だろうが……アレだ。バンドのメンバーとルームシェアしてたんだよ。だから部屋多いだろ? 車も皆が乗れる様なの買ったんだ」
「まさか俺だけじゃ一ミリも動かさない木偶の坊が功を奏すとはな」
全員に乗車を促すと、一行がドアを開けて乗り込む。運転席、助手席、後部座席に四人で乗り込むと人数は丁度良い位だった。橘の所属していたバンド、フォーカードが四人組だった事を思い出すと合点が行く。
車のエンジンを起動させると、長らく発進の時を待っていたと言わんばかりのエンジン音が炸裂する。
けたたましい重低音に一行が肩をすくめる。
「これでも車検は通ってるんだ…出るぞ!」
ゆっくりと橘の車、赤い光沢の映えるスポーツカーが走り出す。オートロックの機能を持つ橘邸はガレージから発進しても戸締りは完璧だ。
――
橘の駆る車はいわゆる「カマロ」と呼ばれる車種の、第五世代目のものだ。車を見た渡が適当に調べた所、そう出ていた。橘自身は車に疎く、剣咲に勧められて購入したらしい。とは言え、その走りは軽快、ブランクを感じさせないハンドル捌きだ。
「乗せて貰ってこんな言い方って無いでしょうが、運転凄い上手いですね」
渡の口から素直な感想が出る。橘が少し照れながら微笑む。かつての仲間を乗せて現場を掛け回っていた日々を思い出した。
あの時皆で笑い合った事も今や過去。仲間は去り、剣咲とも争う事となった。
「俺の培ってきた事なんて過去の産物に過ぎない。今の俺じゃリオを助けられない」
信号が赤になり、車を停止させる。カマロのアイドリングと思うと非常に格好良く聞こえる。
「だから皆の助けがいる訳だが…出来るだけ俺がリオを助けられる様に頑張ってみるよ」
「―――変わるんだ」
少しの静寂を置いて彼の口から強い思いのこもった決意の一言が漏れる。それと同時に信号が青に変わり、車を発進させる。その情景はまるで変化を求め邁進する彼の心情を揶揄している様にも見えた。
――
品川シーサイドヒル。京浜運河を見渡せる高層マンション、広大な敷地の中にはショッピングモールやコンビニエンスストアが配置されており生活に不自由しないデザインとなっている。
(予想以上にデッケー所……)
思わず渡が車の窓から辺りを見回して感嘆する。が、周囲の緊張感からその気持ちは思いを巡らせるのみに抑える。
雪奈に指定された通り、マンションの地下を目指す。そのフロアは一帯が駐車場となっており、コンクリートが剥き出しになっている。
「ここに彼がいるって言うのかい?」
「らしいが―――」
生活感が無い。どう見ても車しか無い。あまりにも広い駐車場をぐるぐると回り続けてからおおよそ一時間。流石に全員が帰ろうかと思ったその時、目の前に雪奈が現れた。
「うわっ!? どっから出て来た」
危うく彼女を轢きかけ、橘の顔が青ざめる。
「お待ちしておりました、皆様」
「こっちが散々探しても出て来ねーのに待ってたは無いだろッ!」
橘の怒りが爆発する。人、エンジェルフェンではあるが…轢きかけてパニックに陥ったドライバーによる怒号は流石の雪奈も顔をしかめる。
「申し訳ありません…私の救済戦線は特殊な物で、この空間自体が”歪んでいる”のです」
雪奈の言葉にあった”歪んでいる”と言う語を聞いたシャーロックが辺りを見回すと、何かに気付いたのか目を見開いて雪奈の方を向く。
「ちょっと待って、つまりこの駐車場全体が……君の救済戦線と言う事かい?」
「その通り。この場所は全て私のテリトリー。貴方がたは成す術も無く、エルフェンの願の踏み台となる」
雪奈が腕を振り上げる。と、手首に巻かれた金属製のバンドに繋がれた鎖が一気に伸びて駐車場を破壊しながらこちらへ迫る。
「なッ!?」
「いきなりかよ―――!」
ニャンコが機敏に反応し、渡と橘を左右へ突き飛ばし、超人的な跳躍で回避する。シャーロックは突き飛ばされた橘を庇う様に彼の前へ出て避ける。
「何のつもりだ、雪奈!」
渡が憤慨する。突き飛ばされた上車に激突した彼は頭を抱えながらも、コンクリートを粉砕して発生した煙を掻き分けて姿を見せる。
「エルフェンは橘様に用があるのです。それ以外の部外者は直ちに撃退して敵を減らせとの…事です」
「それで不意打ち先手必勝って…性格悪いなアンタ」
悪態をつく渡に雪奈の鎖が勢い良く襲いかかる。が、渡はビーキューブの名を叫ぶ。
「盾を造る!」
その言葉と共に、鋼鉄で固められた分厚い盾を持ったニャンコが鎖の攻撃を防ぐ。鎖の強度はさほど無く、盾に防がれた鎖はその勢い余って粉々に砕け散る。
「ここは既にあなたの救済戦線の中。こちらの能力も使えます」
「食えない子達ですわね……」
盾を捨ててニャンコが戦闘態勢を取る。右腕を持ち上げて人差し指を雪奈に向ける。その仕草に雪奈が首を傾げて不思議そうに見つめる。その隙を見計らい、渡は唾を飲み込み再び叫ぶ。
「銃を造る!」
雪奈に向けられたニャンコの右手に拳銃が握られる。そしてその瞬間発砲される。雪奈の左肩を狙って放たれた銃弾はそのまま真っ直ぐ彼女へ――――――届かない。
「あなた方が何か行動を起こすのは分かっていましたわ。前もって腕を上げて下さるのですもの。そんな攻撃は所詮子供騙し、私の鎖からは逃れられませんわ」
ニャンコの撃った銃弾は雪奈の鎖に弾かれ、彼女に傷一つ付く事は無かった。渡の編み出した渾身の攻撃方法は最早”封殺”されたと言っても過言では無かった。