#10 送る者
雨鵜渡のエンジェルフェンとの出会いから一カ月が経った。エンジェルフェンとの生活にも慣れ、渡は今までの日常に戻った。シャーロックは渡との問答で新たな発見と疑問が生まれた故か、再び旅に出た。彼女を快く送り出した渡とニャンコはこれからの生活の目途を立て始めた。
午前中は渡は学校、ニャンコは家事を担当する。渡がニャンコの為に洋服を購入してからは午後から二人でアルバイトをする事になった。
戸籍を持っていなかったニャンコは自らの持つ能力「ビーキューブ」、Be・Build・Bookと渡が名付けたその力によって渡が彼女の戸籍を”創った”のだ。
しかしBuildは英語では建造に近い意味合い、ニャンコの能力に合った名前なのかと彼女に指摘されたが、渡は英語を覚えた事を褒める事で誤魔化した。何故なら語呂だけで決めたから―――。
だが、その力の恩恵によってニャンコはアルバイトが出来る様になったお陰で二人分の生活が安定して来た。
――
「それにしてもニャンコ、本当に凄いな。あっという間に二人暮らしに慣れて、アルバイトを始めるなんて。前なんて何も出来なかったのにね」
「何も出来なかったなんて酷いですよ!」
不貞腐れるニャンコに、渡はごめんごめん、と平謝りする。だが、渡は彼女の事を尊敬しているのだ。
彼女がここまで成長出来たのはエンジェルフェンと言う超常的な存在である事もそうだが、技術や生活力を高めようとする向上心があるからだ。
彼女のその向上心は、渡としても見習わなければいけない、とつくづく思う。今考えてみれば、その向上心もエンジェルフェンとしての”システム”を思えば頷ける。
ニャンコをはじめエンジェルフェンは人の願を叶える為に戦う存在だ。”誰かの為に”と考えて行動する事ならば右に出る者はいないのでは無いかとも思えてくる。その度を越える程の奉仕精神が今、戦う事では無く生活の糧になる事に向いているのならば、ニャンコのこの向上心の意味も理解出来る。
渡は改めてエンジェルフェンの凄さを体感した。そして、その気持ちをニャンコに素直にぶつける。
「凄いよニャンコは。誰かの為にそんなに行動が出来るなんて。僕なんか他人の為に働くなんてきっと出来ないよ」
ニャンコが照れくさそうに滅相も無いです、と答える。その謙虚さにも渡は敬意を表す。
「別に誰かの為、とか理由とかを考えて行動している訳では無いのですけれど…」
ニャンコは照れているのか、それとも何か別の感情なのか、渡には推測出来ない複雑な笑みで俯く。
「私は私の為に行動しています。私が知りたいから何かを知る、私が働いてみたいから働く。私は他のエンジェルフェンと違って、誰かの為では無く、自分の為に行動するんです」
「先日シャロと会って気付きました。私は”異端”なのだと」
異端―――そう表現したニャンコの気持ちが渡には分かる様な気がした。
渡には本当の親はおらず、去年まで一緒に暮らしていた養父だけが家族だった。
その養父も忙しく、中々学校の行事にも来れなかった。
自分だけ一人の運動会はもう慣れた、渡にとって孤独は日常の中の自然な物と化していた。
故に学校の級友達は渡から距離を置く様になって来た。渡が友達と呼べる存在は次第に少なくなってきた。
自分だけが孤立した空間において自分はどんな存在なのか、自分が何なのか渡には分からなくなっていた。と、渡はいつか読んだ小説に出て来た単語を思い出す。
異端。他人とは違うさま、あるべき場所から外れているモノ。
その一つの語は、渡を引き付けた。魅力的では無いが、印象的。美しくは無いが、芳しい。昔はそう思ったが、今はそう思わない。渡の”尊敬する人”の教えによって気持ちが変わったのだ。
故に今のニャンコは、昔の自分を見ている様で放っておけない。
「なぁニャンコ、別に異端でも良いじゃん」
え? とニャンコが豆鉄砲を食らった様な驚きの表情を見せる。
「誰かと比較する事だけじゃ幸せになれないんだ。自分と他人を認められる様にならなきゃ」
「認め、る…?」
「自分が周りと違うから何? どんなに人と異なっていたってそれを認められない事が一番駄目なんだ。自分を認められないヤツはどんどんと心の中の”ものさし”が狭まって、他人まで異端扱いしてしまう」
そう言うと渡はニャンコの目を真っ直ぐ見つめる。
「ニャンコ、自分を認めて。自分を異端なんて言ってちゃ他人を認められなくなる。自分も他人も認められないとどうなっちゃうと思う?」
「えーと…恐らく孤立、してしまいますね。人の場合ですが」
「まあ人の場合ね? オッケーオッケーそれで合ってる。孤立しちゃうんだ。自分と他人とを線引きしてしまってね。結果ニャンコの場合は救済戦が苦しくなる」
救済戦の話を出して来た事にニャンコは少し疑問を抱いたが、すぐにその意図を理解した。渡は何か手探りにでも自分を励まそうとしている。
ニャンコが合理的な結果に走る事は渡の想像の範疇だろう。それは戦いに特化したエンジェルフェンならば至極当然であり実際間違いでは無い。そして私は悩んでいる。ならば合理的な解決を以て自分に納得させ、異端だなんて思わせない、と言う事なのだろう。
不器用なのか器用なのか良く分からないが、ニャンコの心を案じている事は必死になって弁舌している彼を見るとすぐに察する事が出来る。
「渡」
ニャンコが呼ぶと渡はえ? と間抜けた返事をする。
「あなたが私を励まそうとする気持ち、理解出来ました。ありがとう渡、もう大丈夫です」
「えっ大丈夫? 分かってくれた? それなら良いんだけどね!」
アハハと笑う渡は内心自分の言葉に納得が行かなかったから適当な事を言われてるのでは、と勘繰ったが、どうせ受け売りなので笑い飛ばした。
「まぁ僕の言いたい事が分かってくれれば良いんだね、良いんだね…」
気持ちが晴れた所でニャンコが部屋の時計を見ると、わっ、と声を出して部屋の中を駆け巡り始めた。
「バイト、バイトの時間です! 渡は確か今日シフトありませんでしたよね? お留守番頼みます!」
アルバイトを始めるからと渡がプレゼントしてくれたバッグを持って来てニャンコは準備を始める。急いでいる為か渡の前で着替え始めたので渡は目をつむる。最低限の男としての矜持だ。
「いつも思うんだけど露出に抵抗無いのはどうかと思うよ!?」
「急いでいるのだから仕方ありません!」
ええ…と困惑する渡をよそにニャンコはその長い髪をまとめて、諸々の準備を済ませると一目散に出掛ける。
「それじゃあ行って来ます! 帰りはお惣菜貰って来るのでご飯だけ炊いといて下さいねっ!」
口早にそう言うとニャンコはあっと言う間に出て行ってしまった。
渡は出送りが済むと、はあ、と溜め息を吐いて床に寝転がる。
ニャンコがいないのが寂しいと思い始めていた。前まで一人暮らしだったので一人には慣れていた筈だったが、こうやってまた誰かと暮らし始めると途端に寂しくなるものだ。
幸せになりたいと願うのは、寂しさからも来るのだろうか。
こう言う時はいつも昔の事を思い出す。
「―――俺は自分の事を不幸とは思わないが、幸せでは無かったと思う」
渡の尊敬する人の言葉がフラッシュバックする。もういない人、話したくてももう話せない人。あんなに愛していたのに、掴んだ手はするりと抜けて遠くへ行ってしまった。
かなしくて、さみしくて、せつない。
ぼくをたすけてくれた人。
「僕はまだ強くなれない…幸せに、なれているかな?」
天井に向かって渡が呟く。いつしか瞼が重くなって、眠ってしまった。