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ソニック・フェアリー

作者: シグ沢


 戦いというのは時と場所が変わろうとも、凄惨であり過酷である。

 人が新たな星を求めて宇宙を旅する大航海時代を迎えた今でも、人は変わらず同じ種で争い血を流すことを止めることが出来ずにいた。


 『ロンヌギスよりシュライクへ、ポイントL2-Aへの爆撃後、そのまま空中哨戒へ移行せよ』


 『シュライク1、了解』


 『2、ラジャー』


 「3、ラジャー」


 『4、ラジャー』


 眼下にひたすらと広がる砂の海の上を、レーザー誘導投下爆弾を吊り下げた4機の複座型戦闘攻撃機F-253D《ワグテイル2》で構成されたシュライク隊が、巡航速度を保ち、教科書通りのフォーメーションで戦闘空域へと向かっていた。


『方位そのまま。高度32へ上昇せよ』


 4機のワグテイル2がどこかを飛ぶ早期空中管制機の誘導の元、機首を群青一色に染まる空へと向ける。

 隊長機の号令が無くとも、訓練された彼ら――そして彼女は意識がそろっているかのように編隊を崩すことなく空へと駆け上がっていく。

 ワグテイル2に搭載されている二発のスーパーグリフォンXX2ジェットエンジンのパワーは、例え爆装されていようとも、軽々と空へと導いてくれる。


 『フェリス中尉』


 シュライク3――フェリス・エンフィールド海軍中尉の後席に座る兵装士官アガノ海軍少尉が機内線で突然口を開いた。

 作戦行動中の私語を咎める程、フェリスは厳格ではない。


 「どうした?」


 『今回の任務、謎が多過ぎませんか?』


 アガノが言うのも無理もない話だった。

 今回、フェリスとアガノのシュライク3を含めた計4機の攻撃部隊に与えられた任務はとある軍施設の奪還の為の支援だ。

 その施設は連邦海軍基地であり反抗勢力に占拠されていて、戦略的価値があるのなら攻撃にでるのはなんら不思議なことではない。しかし、この砂の惑星――ニュー・ゴビにおいて反抗勢力による攻撃やテロの兆候はフェリスの知る限りでは見受けられなかった。

 それに加えて、このニュー・ゴビは砂漠と至極稀にオアシスが確認できる程度で入植と軍事目的の双方から見て、価値は薄い星だった。


 「そんなこと考えても無駄だよ」


 『しかし』


 「集中して」


 フェリス自身も思う所がないと言えば嘘になる。

 ニュー・ゴビは危険生物が多いことでも知られ、民間ベースでの入植はほぼ行われることが無かったために、広い土地を活かして兵器試験の場としては使われていることは周知している。新型兵器でも奪われたのだろうか、と勘繰るも無駄なことだと直ぐに意識をキャノピーの向こうへと戻す。


 作戦空域ポイントL2-Aは目前だ。


 *


 『ロンヌギスよりシュライクへ、攻撃目標への爆撃を開始せよ』


 空中管制機の指揮の下、4機のワグテイル2に懸架されていた爆弾が次々と投下されていく。


 『誘導開始』


 投下と同時に軽くなった機体がふわりと浮きあがるのをフェリスは操縦桿を前へと力を加え、抑え込む。

 完全電子制御のワグテイル2は操縦桿が固定式サイドスティックとなっているため、スティックに加えられた圧力を検知してコンピュータが動翼を動かしているのだ。

 フェリスはスロットルレバー、操縦桿に備えられたボタンやスイッチを駆使して戦場を探る。


 (レーダーに感無し……何が目的でこんな作戦を)


 機首のフェイズドアレイレーダーと機体の随所に備えられた電子警戒システム、赤外線監視機を用いても敵と言う敵は見受けられない。

 ただ、管制機の指示した基地へ向けて爆弾を落としただけで周囲には何もいないのだ。


 その後、シュライク隊の任務の真相を知ったフェリスは軍を自ら去り、海に囲まれた常夏の星――水玉星へと転居、その後の行方を軍の同僚は誰一人知ることはなかった。


 *


 水玉星。

 星の殆どが海で構成された文字通り、水の星だ。

 陸地は少なく、降り立った人々はメガフロートを浮かべるなど工夫を余儀なくされ、産業面でも制約は多い。しかし、温暖な気候と、美しい群青を見せる海は人間の心を癒すには充分な物だった。

 青い海と空、白い砂浜。誰もが美しいと言う場所で、彼女――フェリスは何処か退屈さを感じていた。

 海軍航空部隊時代に取得した航空機操縦のライセンスのおかげで、海に囲まれたこの星で再就職先に困ることはなかった。観光客向けの遊覧飛行機、群島を結ぶ旅客・貨物便のパイロットと仕事は選べる程に恵まれていた。

 しかし、超音速で空を切り裂き圧倒的な機動性で敵を狩ってのける戦闘機を乗り回す限界世界を体験してきたフェリスにとって、決まったコースを呑気に飛び回る仕事というのは退屈極まりない物だった。

 他者からすれば平和な中だからこそ享受できる退屈さと言えるだろう。

 だからと言って軍に戻る気があるか、と言えばフェリスはノーとはっきりと答えるだろう。

 同じ味方を平気で焼き払おうとする組織に長く居座ろうなどと、思いもしない。


 『今シーズンのファイターエアレースは水の星で有名な水玉星での開催が決定!――それ加えなんと今大会は――』


 晴天、風もない快適な空の中でフェリスの駆るカーゴジェットは仕事を終えスバル群島へ針路を向けていた。

 コックピットに流れる地元ラジオ局のDJが興奮を隠さず、今回この星で行われるエアレースの報道を続ける。まるで子供のようだ。


 「そう言えばエンフィールドさんって海軍でファイターパイロットしてたんですよね?」


 おしゃべりな副操縦手、ホセ・アンドレアズはフェリスのようなエリートがこんな呑気な星で、定期便の操縦桿を握っているような人間ではないことを感じてはいたが、ここにいるにはどこか思うところがあるのだろうと突き詰める。


 「ええ」


 定期便の主――マリブ・エアカーゴの制服に付けられた航空徽章ウィングマークはフェリスの物だけ錨があしらわれ、金色に輝いていた。そう、ネイビーファイターパイロットであった証であり、退役後も商業用航空機の操縦資格を付与するものである。そして、退役後も軍での極秘作戦の口外を一切禁ずるという戒めでもあった。


 「こんな寸胴なカーゴを飛ばすより、エアレースでジェットを飛ばす方が性に合うんじゃありません?」


 「別にもうそんなのは――」


 ――求めていない。

 嘘だ。

 ジェットファイターで空を飛ぶ。それが何よりの夢だった少女は必死の努力の末、鋼鉄の翼を手に入れた。しかしその代償にあったのは戦場での命の応酬だ。

 遠く向こうで自らの放った中射程ミサイルで消える命。

 バルカン砲で粉々になったアビオニクスと破裂した肉体で掻き混ぜられたコックピット。

 投下爆弾を落とした後に広がる焼け焦げた空虚な町。

 それでもフェリスが翼を離さなかったのは空を舞う感覚とスピードに魅せられていたからだ。

 

 「いやぁ、まぁ余計な話ですよね。すいません」

 

 詰まるフェリスの横顔から何かを察したホセはそれ以上質問することはなかった。


 「別にそんな気にすることでも……」


 マシンガントークと陽気なことで知られるホセが自ら口を閉じるとは珍しいことだ。


 『こちらスバルタワー。所属不明機に告ぐ。貴機は定期便コースに侵入しつつある。ただちに針路を変更し意図を明らかにせよ。繰り返す――』


 突如、緊急の共通周波数で飛び込んできた警告通信にフェリスの神経が尖る。

 旧宇宙港の大きな滑走路とハンガー群が水平線に見えてきた頃、右舷を駐留軍の要撃機編隊がすり抜けていく。衝撃で機体が震えるのを抑えた。

 針路をそのまま保ちつつフェリスは無線周波数を軍用回線に切り替えた。


 『こちらは連邦海軍である。所属不明機に告げる。ただちに意図明らかにし当方に帰順せよ。従わぬ場合は撃墜する。繰り返す――』


 不明機迎撃の定型文が海軍パイロットから告げられる。フェリスはシートベルトを緩めて座席から身を乗り出しながら機外の様子を自分の目で探る。

 要撃機の抜けた先に不明機の姿は無い。

 明らかに近場で空戦となれば危険なことに変わらないと、フェリスはスロットルレバーを最前方へ押倒しカーゴを増速させた。

 ファイターパイロットだった過去が自然とカーゴを導いていく。

 かつて自分の駆っていたワグテイル2の様にレーダー警戒装置とチャフフレアディスペンサー、ECM・ECCMもないこの機体が戦場となろう場にいては危険なだけだ、とフェリスは全速で宇宙港へとカーゴを飛ばす。


 「フェリスさん……さっきの海軍機は」

 

 「わからない――でも所属不明機アンノウンはこのどこかにいる。だから早く逃げるよ」


 ホセの焼けた肌に汗が流れる。平和な空しか飛んだことのない彼からすれば、海軍機が近場を抜けただけで恐怖するのは無理もない。だからこそ、せめて自分は冷静でいようとフェリスは安全確保に努めた。


 『繰り返す。こちらは連邦海軍である。貴機は民間航空路に侵入している。ただちに当方に帰順せよ――』


 警告が繰り返される度に、海軍機パイロットの声音に緊張の色が増していく。

 そして突如真横に紅い航空機が現れた。

 日の光を艶めかせる塗装と白や黒であしらわれたトライバルからは戦うマシンというよりは趣味を感じさせたが、流れるような流線型のボディーとカナード翼、二発のジェットと小刻みに動くノズルはただの航空機ではないことを見せつける。そしてなによりその姿をフェリスは知っていたのだ。


 ――Su-35!? いや、37?


 かつて人類が地球での戦いで用いていた時代の戦闘機の一つ――Su-37 チェルミナートル。

 旧ロシアで開発された制空戦闘機の一つで、推力偏向ノズルとカナード翼を備えている機体であり、近接格闘戦では圧倒的な能力を持っていることで有名だ。

 そうあまりにも有名だった。


 「なんですアレ!?」


 ホセは突如現れたチェルミナートルの姿に驚きを隠せなかった。

 フェリスも翼下にミサイルが懸架されていないことを確認しながらも、意図が明らかでない戦闘機が真横を並んで飛んでいる状況に危険であることを確信していた。


 「え?」


 紅いチェルミナートルのキャノピーに収まるパイロットはこちらを見つめていた。機体ではなくフェリスを。

 バイザーで視線はわからないにしても、何かを感じる冷たくも闘志のある視線がフェリスの背筋を震わせた。


 「ホセ! 海軍機に救難要請出して! 後これから揺れるから捕まってて!!」


 「はっ、はい!」


 その視線の意思に気づいた時、チェルミナートルが機が真横を離れ、カーゴが背面を向け急降下するのはほぼ同時だった。

 海と空が窓の向こうでひっくり返る。

 荷を下ろしきった状態であっても、この機体で急行下をするには無理があった。

 静かだったコックピットに様々な警告音とメッセージが鳴り響く。


 「くうっ……」


 全てが上下反転しながらも機動時に生じるGが座席へと肢体を押し付ける。だが、久々の感覚にどこか懐かしむ自分がいた。


 「メーデーメーデーこちらマリブ・エアカーゴ所属マリブ3-1! 現在所属不明機に追跡を受けています!!」  

 

 無茶な機動で震え、重力の向きが次々と翻る中、ホセは必死に海軍機に呼びかけた。

 翼端にミサイルが無いとすれば機銃で攻撃を受けるだろう。フェリスはとにかく照準を絞らせまいと機体を不規則に飛ばした。

 しかしチェルミナートルは必死に逃げ回るのを嘲笑うようにカーゴの周囲を風に舞う木の葉の如く纏わりついては死角となる後方に消え、また眼前に現れたりと挑発行為を止めようとはしなかった。


 「くそっ……たれっ!!」


 フェリスは機体を横転させチェルミナートルへ肉薄させた。


 「フェリスさん危ない!!」


 ホセの制止は耳には届きながらも、一度火のついた闘争心はそれを理解しようとしなかった。

 カーゴがまた胴体を上へ晒し、機体はチェルミナートルの上方についた。機体の背を合わせる形となった両機のパイロットの視線が重なる。


 「なんだってんだよ今日はさぁ!!」


 ホセの絶叫と共にチェルミナートルのパイロットは機体を翻し、どこかへと消えて行った。

 

 *


 カーゴ機でチェルミナートルとやり合った。

 噂は同業者に直ぐに広まった上に海軍が今回の一部始終を捉えていた為、すぐに報道関係者に流れていた。


 「随分と派手にやってくれたじゃないかね」


 マリブ・エアカーゴ水玉星支部長から御呼びがかかることは避けられなかっただろう。

 フェリスは支部長の苦い顔を見て自分の勘を信じることが出来なくなっていた。


 「積み荷はなく帰り道での出来事だったからな、損害はなかったにしてもだ……あの様は一体なんだね、え!?」


 声を荒げ、指差すTV画面には自分の乗っていたカーゴ機とチェルミナートルの空戦と呼ぶにはどこか不格好な様が映し出されていた。


 「眼前に戦闘機が迫り、敵対行為と思しき機動をされれば回避行動をする他ありませんでした」


 支部長は反論しなかった。

 フェリスの言い分も正しいのだ。

 美しいビーチと島々が魅力の水玉星と言えど犯罪行為がないわけではない。広い海域は軍や司法当局が全てカバーできているわけでもなく、船舶への海賊行為はもちろん、無人島で麻薬栽培を密かに行われていたりと意外にもきな臭い一面もあり、自己防衛を要求される場面は無い訳ではない。

 マホガニーで作られたデスクを指で叩く音が幾度か響く。

 音が途切れた時、支部長はシッ、と手を払い、フェリスに何も言うことなく部屋から追い出した。

 フェリスの様に腕の立つパイロットは貴重であることと、今回の行動に関して、カーゴでドッグファイトをしたこと以外は何も咎めることはない。

 仕方が無かったと言えばそれまでだ。

 会社以外の運輸局や海軍、捜査当局からの追及は避けることはできなかったが、総じてお咎めはなくまた翌日には仕事に戻ることになった。

 しかしあの紅いチェルミナートルの正体を知るのは、もうすぐのことだった。


 *


 翌日。 


 「あのチェなんでしたっけ?」


 「チェルミナートルよ、チェルミナートル」


 「そうそう、テルミナート」


 旧ロシア語を上手く発音できないホセが、食堂でランチのサラダを頬張りながら、続ける。

 海ばかりで野菜等の畜産物は高価だというのに、とフェリスはホセの豪快な食いっぷりに呆れながれも耳を傾ける。


 「どうも今回のファイターエアレース参戦機の一機らしくて、毎度惑星に降り立ってからはコンディションチェックの為に飛ぶって話ですよ」


 「ふざけた話ね。下手すれば事故になってたのに」


 「それもいつものことらしいですよ。チームメイト探しにああやって航空機を煽って腕を見てるとか……」


 バイザーの奥の瞳は何を見ていたのだろう。

 記憶の中にチェルミナートルのパイロットの姿がまた甦る。

 通信を開くこともなく、海軍機をも弄んだあの機体は性能だけでなく乗り手の腕も相当な出来だ。

 まるで戦いを遊びとでも思っているような行為にフェリスは不愉快で仕方なかった。


 『ファイターエアレースの開催が近づく中、各チームが続々と水玉星に到着しつつあるそうです。その中でも一番乗りで到着したのが――』


 食堂の壁面に付けられた大画面TVでは開催の近づくエアレースについての報道が流れていた。

 確かにニュースの通りにこの星に訪れる人は増える一方だった。エアレースで飛ぶ機体を写真で収めようとするギャラリー、運営の人間……。合わせてコース設営に必要だろう備品の空輸も増えている。

 盛り上がるのはいいことだ、フェリス自身も仕事が絶えないことは暇なのよりはいいと黙ってカーゴを飛ばしていた。

 しかし、あんなパイロットがいるのは許せない。


 『毎度激しいラフなフライトスタイルでお馴染みの、イリーナ・チェルカソワ選手。美貌とナイスバディの持ち主としても知られ、見た目だけでなく幾つもの大会で上位に輝く実力からもファンが多いとか』


 ふと画面に映る女性。

 彫刻の美しい顔立ち、束ねられたブロンドの髪はパイロットというよりは姫君のようで、サファイアの様なブルーの瞳は戦士の物とは言えない輝きを放っていた。

 そんなイリーナの姿に衝撃を受けたわけではない。

 彼女の背に写る航空機が問題だったのだ。


 「アイツだ……」


 「ええ……」


 ホセ、フェリスはこうも簡単に昨日の空で弄ばれた相手がわかるとは思っていなかった。

 紅い塗装にトライバルの施されたSu-37――見間違えることなどない。奴だった。


 *


 イリーナ・チェルカソワ。

 地球旧ロシア系の血を引く女性エアレーサーでSu-37 チェルミナートルを愛機とする。

 チェルミナートルの高機動性を活かし、テクニカルコースでは他のレーサーを圧倒してのけた若手だ。

 そして開催惑星が変わる度、どのチームより早く開催惑星に降り立ち、愛機を駆ってその星の環境チェックを行うことでも知られているが、何より彼女の名を知らしめているのは他を圧倒する操縦技術だけではない。

 参戦レーサーとの鬩ぎ合いに満足できなくなったことから、自分と肩を並べるパイロットを求めて駐留軍に喧嘩を売り腕に見合ったパイロットに札束を叩き突け自チームにスカウトする。――つまりフェリス達が目撃した迷惑行為をやることから司法機関や軍は彼女を危険人物と見なしている。

 悪名高い女パイロット。

 そういう女なのだ。


 ――あのパイロット。


 運営側からもチームメイトを探すのは結構なことだが、駐留軍や自治政府、当局に御用となるのは勘弁しろと幾度となく釘を刺されてきた。

 それでも彼女は自分より強く、速い翼を持つ者を追い求めることをやめなかった。


 ――カーゴで私に食らいついた。


 そして水玉星で出会ったあの機体。

 運命的だ、とイリーナはあの時のフライトを思い出す度に操縦桿を握っていた手が震えて仕方がなかった。

 自機より推力もスピード、何より敏捷性に大きく欠けたカーゴジェットで魅せた反抗心と闘争的な機動と、あの瞳。

 イリーナは血眼になってあのパイロットについて探りをかけた。チームスタッフ総出での捜査だ。

 

 そして見つけたのだ彼女を。


 *


 最悪の出会いとはこういうものなのか、とフェリスは目の前に積まれた銀河ドル紙幣の山に目を輝かせることもなく、その向こうの女を睨みつけた。

 腰に9mmハンドガンがあれば突きつけてやっていただろう。

 それほどに不愉快だった。


 「貴女が欲しいの。いいえ、私を倒して欲しいというべきかしら」


 非常識という熟語はこういう奴の為にある。

 フェリスは目の前のトップレーサー――イリーナ・チェルカソワの突然の来訪に怒りすら覚えていた。

 無理もない。

 いつも通りに出社して、今日のフライトプランの確認と天候チェックの為に予報士のいるオフィスに向かおうとした時に突如、支部長から悲痛か困惑なのか聞いたこともない声音の呼び出しを受け、支部長室に入って見れば札束の山がデスクの上に積まれ、その横には彼女である。

 意味が分からない。


 「ちっ」


 連邦海兵マリンコライフルマンだったら、彼女に無数の罵声を浴びせかけただろうが、フェリスには生憎、マスターサージェントの様にそんなボキャブラリーは持ち合わせていない。

 だから舌打ちしてやった。


 「何よ、貴女の給料何年分で私のチームに来てくれるかしら」


 まだ足りないのか、と靡かぬフェリスの態度に彼女は指を鳴らしジュラルミンケースを持ったスタッフを呼び出す。


 「いい加減にしろよ!!」


 確かに目の前にある札束の山は、この星で一生働いても手に入れられるか疑わしい程の額であろうことはわざわざ数えなくとも明らかだった。

 しかし、フェリスは人の命をなんとも思っていないイリーナのふざけた態度が何よりも気に喰わなかった。

 

 「なっ!!」


 「エンフィールド君!?」


 元ネイビーパイロット、増してはトップガンに近い女と言われ、幾度となく目の前で散る命を見てきたフェリスにとって、彼女の人の命を遊び感覚で扱うのが許せなかった。

 気が付けば支部長の制止を振り切ってイリーナの胸倉を掴んでいた。


 「金を積めば私を好きに出来ると思った? 残念ね。人の命はお金で決められないのよ! 誰があんたみたいな女と一緒になんか飛ぶものか!!」


 眼前に迫ったイリーナの顔は飄々としたままだった。“元”とはいえ軍人が胸倉を掴んで迫ったというのにだ。


 「わかった」


 イリーナは案外あっさりとフェリスの勧誘を諦めた。スタッフがそれを察して札束の山を片付けていく。


 「あなたって面白い人なのね」


 急な諦め様にフェリスは彼女から手を離す。


 「やっぱり、あなたって私が見込んだだけのことあるわ。カーゴで私とやりあって、幾らお金を積もうと靡かない……落とし甲斐ありそう」


 「ふざけたこと言ってないでさっさと帰って」


 「また怒った顔も可愛いんだから」


 「この成金女!!」


 フェリスの貧祖な罵りもサラりと流して、嵐を起こした彼女はマリブ・エアカーゴオフィスから去って行った。彼女がさった後のオフィスに静寂が戻ることはなく、残ったのはゴシップの種だけだった。


 *


 自社パイロットがエアレーサーとやり合った。

 それだけでいい話題の種だというのに、幸か不幸か相手は話題のトップクラスパイロットで挙句には札束の山を餌にヘッドハンティングされたと来れば話題の種どころでは済まされない。おしゃべりな女性社員は話に尾びれをつけてしまう挙句、カーゴ整備員からも何故スカウトを断ったのかと質問を再三と受ける羽目になってしまっていた。

 彼らもカーゴとチェルミナートルのドッグファイトを報道で見てしまっているからだ。


 「お嬢さん、久々に海軍時代の血が騒いだんじゃないのかい?」


 「まさか」


 日系植民者が祖先の住んでいた土地から名をつけたニュー・ショウナンビーチはレース開催で盛り上がりを見せていた。砂浜の上にはここぞとばかりに儲けようと露店が並び水着客の相手を務めていた。

 そんな喧騒に乗ることもなくこの喫茶点は静かに店を開けていた。

 店主のブノワ・ミステールも元海軍パイロットであり、エアレーサーだった過去を持つ男だ。店の壁面には古今東西、様々な戦闘機の写真が貼られている。

 その中にトロフィーと共に映る若かりし頃のブノワの姿もあった。

 若く、闘争心に溢れスピードを追い求める爽やかな面立ちは今となっては見る影もなく、年輪の様に重なる皺と整えられた口髭が彼をダンディに仕立てあげている。元より優しい面立ちと語り口で、軍人だったことを感じさせなかった。


 「トップガン、ね……」


 窓の向こうに見えるビーチ近くに立つバルーンパイロン。そういえばこのビーチもコースの一つだっただろうか。

 水着のカップルは一大イベントに期待を膨らませ、子供たちは憧れの音速の世界を目撃できると砂浜で嬉々としている。


 「フェリスはレースには興味がないのかい?」


 「あまり考えたこともないかな。仕事以外になにかしたいだなんて思ったこと最近はないから」


 「ほう……」


 「何よブノワさん」


 「仕事以外に何もしたくない? 嘘だな。俺には分かるぞあの飛び方は獲物を狙う猛禽類そのものじゃないか」


 そう、ブノワもあの空中戦を見ていたのだ。

 映像越しでも、フェリスの駆る鈍重なカーゴがチェルミナートルに食らいついていく様は活き活きとしているのを感じ取っていた。


 「あれは、あの機体が仕掛けてきたから」


 「いや違うな。普通のパイロットだったら背面までひっくり返して肉薄なんてしない。だまって逃げるさ」


 ブノワの言葉に間違いはなかった。

 そう、普通のパイロットだったらチェルミナートルと空中戦はしない。黙って宇宙港へと真一文字へと向かっただろう。

 わざわざACM(空中戦闘機動)をカーゴでやる必要性はどこにもなかった。ただ海軍に助けてもらえばよかった。


 「っ……」


 何も言い返せなかった。

 彼女――知ってか知らずかイリーナに乗せられたのだ。

 久々に感じたGとスピード。

 機体の限界へと向かうスリル。

 勝つか負けるかの極限の世界。 

 今でも自分の無茶に必死で応えたカーゴから伝わる操縦桿の振動が手の内側に甦ってくる。

 

 「ま、飛行機バカのオッサンの戯言だと思ってさ」

 

 一人固まるフェリスの姿に慌てておどけるブノワだったが、彼女の瞳はすでに空戦で敵を捕らえるトップガンパイロットそのものとなっていた。


 「ねぇ、ブノワさん」


 「な、なんだい?」


 「エアレースって出ようと思えば出れるものなの?」


 *


 ファイターエアレース。

 21世紀に用いられたジェット戦闘機達を用いた空のレース。

 空のレースというもの自体は大昔からあった。旧合衆国の片田舎で繰り広げられていたWW2時代の航空機を極限まで改造した航空機でのスピードレースや、曲芸機を用いたテクニカルコースを飛ぶタイムアタック形式のレース。

 そして今繰り広げられているレースはF-15やSu-27など21世紀初頭に扱われたジェット戦闘機達を飛ばす物へと進化を遂げていた。

 宇宙への大航海時代を迎え、自動生産プラントが実現し工業生産力が格段に向上した今だからこそ歴代の名機達はレプリカとして甦り、戦いの為でなく、自らの極限性能をエアレースの場で見せつけることができるようになったのだ。


 「フェリス・エンフィールド元海軍中尉。連邦海軍第805飛行小隊シュライク隊所属、商業用航空機ライセンス有り……しかし参戦したいと言いましても機体とスタッフもいない。申し訳ありませんが、現実味に欠けますね」

 

 スバル宇宙港に設置された水玉星杯運営局にフェリスはいた。

 飛び入り参加も良しとする、と聞きつけた以上殴りこむのは止められなかった。ブノワも制止することが出来ず、飛び入り参加の件を伝えたことは後悔していた。


 「で、ですよね……」


 飛び出してきて、運営当事者に言われてみれば、ごもっともな台詞をぶつけられてようやく頭の冷えてきたフェリスはどうすることも出来ず、壁に寄り掛かった。

 飛び入り参加を許可すると言うのにも理由は幾つかある。

 開催する度に開催星を転々するこのエアレースは、参加する機体とメカニックが用意できても他星へ移動手段(超光速亜空間航法搭載艦艇)を持つほどの資金を用意できないチームが多々現れているのが実情だった。

 その為か、開催星が変わる度にその都度参戦しているチームは以外にもそう多くはないのだ。

 それを埋める為、そして新たなレーサーを発掘し新展開を求めて地元星参戦者を募るのが恒例となっていた。フェリスもこの枠に飛び込もうとした一人と言える。

 地元星だけ参戦するレーサーでも実力者は多く、トップクラスのレーサーでも知りえない土地環境を生かして番狂わせを見せるなどと言うのも見どころのようだった。

 しかし、機体、メカニックマン――あるのはこの身一つと何もかもが無いとなれば参加は叶わない。


 「君がエンフィールド君かね?」


 「はい?」


 途方に暮れる中、現れた一人の初老の男性。

 歳こそ老いているものの、背も真っ直ぐとしてこちらを見ていた。


 「いやぁ、ブノワ君から聞いたよ」


 杖を使い不自由な足を引きずりながら歩み寄る姿は未だ生命の衰えを感じさせない執念すら感じた。


 「機体もメカニックマンもいないってのに飛び入り参加しようとしたんだってな」


 「あ、あなた一体?」


 話しながらも重い足取りは運営窓口へ向かう。

 

 「やぁ、そこ娘さんなんだが、さっき機体とメカニックもろもろ準備が出来てな、参加させてやってくれや」


 窓口に書類を突きつけ、こちらを向く老人。

 書類の中身を見た運営スタッフは驚いた様子だった。どうしたというのか。


 「機体はF-14って……この機体、本気なんですか!?」


 「あぁ、本気さ。そこのお嬢さんにはピッタリの種馬だぜ」


 そう言って老人はゲラゲラと笑うのだ。

 フェリスには何が何だかわからなかった。

 飛び入り参加できないと思えば見知らぬ老人に自身の搭乗機体を預けられてしまうのだから。


 *


 水玉星レースでは開催される度に展開に波乱を呼んだ。

 王者が地元レーサーにいとも簡単に破られ、1位2位争いは地元レーサーの2人と予測不可能な展開が多発した。

 その内の一人がブノワであり、もう一人は……。


 「トム・ミッチェル……」


 ブノワの恩師であり、ライバルでもあったトム・ミッチェルだ。毎年破られることのなかったトムの座は事故でのリタイアという不本意かつすっきりとしない形でブノワが替わることとなったが、ブノワも超えるべき師の脱落と共に機を降りたのだ。


 「そんでまぁ、こいつが俺の機体……だったF-14トムキャットさ」


 先ほどの老人――トム・ミッチェルは無念そうに目の前に鎮座する大型機を見つめていた。

 彼が現役時代に扱っていただろうことから、作られてからは随分と経っているはずの機体は埃一つ無く静かに舞い上がる日を待っているようだった。


 「この機体を私に?」


 「そうさ。まぁ、タダでやるとも言わんし簡単に飛ばせる代物でもないがね」


 トムはF-14の横にある布のかけられた何かへと向かっていった。


 「こいつは俺が事故ってから破損個所を直さぬまま放置されてきた。売り手も見つからなかったし直す金もなくてな」


 彼の言う通り、眼前のF-14には肝心のエンジンは取り払われ、所々の整備パネルは抜け落ちたままで、コックピットも射出座席が飛び出したままの状態だった。


 「俺の代わりにブノワが飛び回るかと思えば、あいつも降りやがった。こいつの唯一の預け先が無くなった」


 彼が布を取り払うと現れたのは二機のジェットエンジンだった。


 「これ、スーパーグリフォンXX2!?」


 そこにあったのはかつて、フェリスの乗機だった海軍艦載戦闘攻撃機F-253ワグテイル2に搭載されていたジェットエンジンその物だった。かつてF-14が搭載していたそれとは比較にならないハイパワーエンジンだ。軍用機に用いられていたはずの物がなぜ民間人の手元にあるのか。


 「お嬢さんの言う通り、こいつはスーパーグリフォンだが、こいつは試作品でな。テストして欲しいと頼まれたのさ」


 エアレースの場で新型の航空機エンジンが使われることは良くある話だ。メーカーがスポンサーについているとなおさらその気は強く出てくる。


 「しかし、積み込む前に事故ってしまって、こうしてエンジンだけがあるってわけさ」


 「ねぇ、まさかスーパーグリフォンをこのF-14に入れて飛ばそうって言うの?」


 そのまさかだった。

 スーパーグリフォンxx2ジェットエンジンは旧来の物とサイズはそう変わらない為、F-14に搭載することは格段無理な話ではなかった。

 

 「おうよ。お前さんにぴったりのスピードマシンになること間違いなしだぜ」


 老人の目は少年の様に輝き、フェリスを見つめていた。

 

 「ただ、やるからには勝てよ、嬢ちゃん」


 *


 幾ら自動生産機構が発達していようと、維持点検には人の手が無ければ成立しないのは今も変わらない。


 「こんなの……新しい機体用意した方が話が早いんじゃありません?」


 フェリスのエアレース参戦をどこからか聞きつけ、傷だらけのF-14を見てホセは言う。


 「維持点検も誰がやるんですこんなの……」


 F-14は大型双発に加え可変翼を備えた大掛かりな機体だ。とても少人数で扱える代物ではないし部品も欠けていた。


 「その点は問題ないさ。俺のミラージュの面倒を見てくれいていた面子が手伝ってくれるってよ」


 「部品はどうするんです?」


 「自動プラントで埋めるさ」


 ブノワはスバル群島にある唯一の自動生産プラントに目を付けていた。

 レース用とはいえ、過去は軍用機だったものを復元もしくは作成するとなれば司法機関や運輸当局ないし駐留軍も黙っているわけもないが、彼は先に手を回して許可を下ろしていた。

 元より自動生産プラント自体の用意はそこまで困難ではなく、今となっては軍以外での普及が問題となっておりいくら複製物に制限をかけても違法に軍用機等の兵器が複製されてしまう実情があった。

 ブノワやトムはこの星での機体取得時には駐留軍と当局から有事の際には軍の所属とし、命なく飛行することを禁止し、戦力不足時は予備戦力として航空作戦に加わることを条件に所持を許されたのだ。

 事故後もF-14はトムの名義で所持していることになっていたため、修理の名目でプラントを使うことは格段問題にはならなかった。

 逆を言えば新たに機体を作り直す方が面倒だった為、トムのF-14がまだあったことは幸運だった。


 「機体中枢制御AIやら、火器管制システム、アビオニクス全般は総入れ替えになるし、エンジンもスーパーグリフォンが入るとなれば、別物になるだろうな」

 

 可変翼が畳まれ、シートで包まれたF-14は輸送トラックに載せられると自動プラントへ運ばれていった。

 雄猫の復活は間近だ。


 *


 F-14トムキャット。

 地球がまだ核兵器を抱えた大国同士で睨み合いをしていた時代に生まれた艦載戦闘機だ。

 パイロットと火器管制レーダーを操作する迎撃士官が乗り込む複座のコックピットにフェリスとホセが収まっていた。


 『いやっほー!!』


 後席のホセがよみがえった音速の翼の舞いに歓喜の叫びを上げる。ヘルメットのレシーバーが割れる程の叫びにフェリスは驚く間もなく必死に病み上がりのF-14を飛ばしていた。

 修復されたF-14に搭載されたスーパーグリフォンxx2ジェットエンジンは燃焼制御を電子的に行っているが、プラントから出たての状態では機体側に収められている制御AIとかみ合わせが出来ておらず、スロットル操作に対して最適な動作が出来ない状態だった。

 

 ――素直に応えるけど、全開とは言えない?


 左手で握るスロットルレバーをゆっくりと前方へと倒すと高まるエンジン音が機内に響き、座席に身体が倒されていく。


 ――アフターバーナー!!


 さらに最前方へとレバーを倒しアフターバーナーを点火する。機体がみるみる増速し、AIが可変翼を自動的に後退させていく。翼の絞られた機体は一本の矢の如く音速の世界へと向かう。

 フェリスや他メカニックたちもF-14とスーパーグリフォンの組み合わせはどういう結果を生み出すのか、実の所未知の領分であり、パワー全開で飛ばすことに引け目があった。その為、離陸の際もアフターバーナーは用いなかった。

 しかし今となっては無用な心配だった。

 F-14の現役当時とは比べ物にならないアビオニクス群が、全てを最適化していくのだ。


 「ホセ、捕まってて。少し派手に飛ばすから」


 『了解! 了解!』


 フェリスは操縦桿を引き、機体を上昇させた。

 F-14の機首は水玉星の青い空を指す。

 そして機体を横転させ、急行下。


 『うぁあああああ!!』


 天地がキャノピーの向こうで反転したと思えば、眼前には海が迫ってくるのだ。ホセが絶叫するのは無理もない。

 慣れない股の間から伸びる操縦桿の重さと手ごたえの不明慮なエンジンと不安要素は多いながらも四肢から動翼へと自らの思うままに動いてくれる機体にフェリスは徐々に楽しみを覚えつつあった。

 しかし現役時代の愛機であったワグテイル2と比べると、機体は重く大きい為、レスポンスは悪かった。大きく広げられた可変翼も低速で安定性をもたらしてくれるが、引き換えにロールレートはそう早い物ではなくなっていた。

 チェルミナートルとやり合うには不足点が多すぎるというのが、F-14の印象だった。


 ――でも私がやるのは空戦じゃない。


 降下する機体を引き起こすGに体内の血液が押し下げられ、世界がセピア色に染まっていく中、フェリスは思う。

 そう、あのチェルミナートルと再び対峙する時、成すことは空対空ミサイルを叩きこむことではなく、背後から20mm弾を浴びせることでもない。レースだ。


 *


 F-14の慣らし飛行とエンジンの調整が繰り返される中、今回のコースへの練習飛行も解禁され、参戦パイロット達が愛機に乗り込み飛び上がっていく中でフェリスは焦りを感じずにいられなかった。

 飛び入り参加である以上、準備不足な点は多いことは承知しているが、自機は完全な状態と言い難く、自らも今回のコースを熟知しきれていなかった。

 機体制御に使われているAIは最新鋭の学習型であり、飛行を重ねない限りは赤子のままであり、フェリスの癖や各種データが不足している以上は機体を最大性能へ導くことができない。

 それはフェリス自身も同様だ。いくら飛行時間があろうと、求められる飛び方が今までと異なれば時間が必要だ。

 

 「っ……!」


 群島最北端を沿岸を沿って折り返すコーナー、途中に設けられたエアで膨らませられたパイロンを連続で抜けるシケイン。そしてまたコーナー。

 加速は早いF-14でも大型機故の連続機動時の運動エネルギー消失はフェリスを悩ませた。


 「機体が重い」


 目いっぱいに広げられた可変翼とハイパワーのスーパーグリフォンエンジンの組み合わせでテクニカルコースは乗り越えられるだろうが、他機と比べたときのタイム差は広がるだろう。

 

 「早い!!」


 他星系から続けて参戦しているベテランパイロット――アダム・マリエッタの駆るF-5E タイガー2がエアパイロンを縫うように抜けていく。

 キャノピー側を追い抜いていくライトウェイトファイターは機敏に機体を横転させ、自機の遥向こうへと消えていってしまう。

 F-14より一回りも小さい機体のF-5Eは素早く機体をロールさせることが出来る為にターンに入るのがF-14より早い。その小さな差が生んだオーバーテイクだった。

 いくら操縦桿を早く倒そうとも機体は応えてはくれない。フェリスは酸素マスクの下で盛大に舌打ちする他なかった。

 シケインを抜けた先はストレートが続き、折り返しの目印となるパイロンから機体を旋回させていく。

 レースレギュレーションで旋回Gは制限されているため、スピードを出したまま旋回へ移行すればGを超過してしまうし、大回りとなればコースアウトという事態もありうる。速く飛ばせばいいというわけでもないのだ。

 折り返しの長い旋回にフェリスの視界は色が薄くなり、視界が狭まっていく。息はつまり、眼前のライバル達を追う闘争心だけが操縦桿を引き続ける。

 長い旋回を終え、ニュー・ショウナンビーチを横に再びストレートへ。

 フェリスはスロットルをアフターバーナーポジションへ押し倒し、機体をすかさず増速させた。テクニカルコースで遅れるなら直線で稼ぐしかない。

 F-14は海上で爆音を轟かせ、音速へと向かう。

 スーパーグリフォン二機のアフターバーナーの織りなす加速力はF-14を矢の如く突き進め、参加機を追い抜かしていく。


 『あのトムキャットマジかよ!!』


 直線番長の名を欲しいままにしてきた、F-104 スターファイターカスタムシルバーバレットを駆るルイス・イェーガーの驚きの無線も、音速へ向かう機体の震えの中にあるフェリスの耳には届かなかった。


 「もっと速く!!」


 もうそれ以上倒れないスロットルレバーを押し倒し続け、目の前に迫る2本のゴールパイロンへ突き進む。

 かつて合衆国海軍空母機動艦隊を空からの脅威から守るべく与えられた能力はフェリスに圧倒的なスピードを与えてくれた。

 フェリスの翼は粗削りながらも徐々に習熟しつつあり、レースへの準備は小さいながらも進んで行った。


 *


 レース本戦前日、前日祭として宇宙港駐機場に参戦機がずらりと並べられ、その様相は航空博物館とも呼べる状態だった。フェリスのF-14とイリーナのSu-37を初め、シケインで圧倒的機動性を見せつけたアダムのF-5Eやシルバー一色に塗られたルイスのF-104や、F-16やMiG-29、グリペンなど様々な機体が並べられ、機体の周囲には見物客が集まっていた。

 そんなフェリスのF-14の機首にはいつの間にかサメの口を模したノーズアートが施され、精悍だった機体は勇猛な物へと変わっていた。

 キャノピー淵にもパイロットの名が刻まれ、後席はレース時には空席となるため名は書かれなかった。

 

 「派手に塗りましたね」


 「イイじゃないか。あのチェルミナートルを食ってやるって意味でな」


 ブノワの趣味で塗られたF-14はかつての海軍司令機のような目立つ外見となって印象はすっかり変わってしまっていた。


 「AIのデータ蓄積も順調らしいな」


 「確かに動きはある程度は良くなったような気がしますけど。テクニカルゾーンではかなり厳しいのは変わらないと思う」


 「それでもプラクティスフライトでは直線でぶっちぎりだったじゃないか」


 ブノワはあの直線でのごぼう抜きを目撃していた。

 だからこそ期待はあった。


 「えぇ、でも逆に言えば直線でしか勝ち目がないんです」


 フェリスはF-14の機体性能に不満がないわけではなかった。確かに可変翼は速度域に応じて最適な角度で展開され機体の機動性を確保し、高速飛行時の抵抗を低減出来るのは利点であった。しかし複雑な機構故の重量増は反応速度を遅らせる結果を招き、他機と比べて微妙なタイムロスを引き起こす遠因となっていた。

 それを補うにはスーパーグリフォンエンジンのハイパワーと高い速度性能を活かす他がないというのがフェリスの結論だった。


 「ファイターエアレースってのはそういうもんさ。乗り手、機体いろんな要素はそれぞれ異なってくる。誰かのマネをすればいいってわけじゃないのさ」


 雲一つない快晴の中でデモフライトをする駐留海軍のF/A-7ファルコン・セカンドを眺めながら、ブノワは言った。

 ここまで来たら自分のフライトをするしかない。

 フェリスは差し迫った本戦を前に、全力を尽くすだけだと、目の前に鎮座する機体を見つめた。 

 

 *


 『始まりましたファイターエアレース水玉星杯!!実況は私――』


 『スバルタワーからレーサー10、レーサー11へ。滑走路侵入を許可する』


 レース当日。

 管制通信の向こうで大音量で流れる実況者の声。

 機内をサウナに変えてしまう程の熱い日差しに、無風、晴天のコンディション。


 『レーサー11、レーサー12は1番滑走路へ――』


 キャノピーの向こうでド派手な塗装やロービジリティ塗装の機体達が管制塔の指示の下、タキシングしていく。


 『フェリス中尉――健闘を期待しています』


 機体の外でメカニックがラフな敬礼をしながら、エンジンに火が入ったトムキャットを見送っていた。

 あれほど中尉と呼ぶな、と言っても彼はフェリスを階級で呼ぶことをやめなかった。


 「ありがとう。行ってきます」


 『フェリスさん! あのテルミナートルをぶち抜いてきてくださいよ!!』


 「分かってるよホセ。見てなさい!!」


 宇宙港の屋上にいるホセが檄を飛ばしてくる。

 周りにはマリブ・エアカーゴの社員達の姿もあり、同僚の勇姿を見に駆け付けていた。

 ホセは今回のレースの為にフェリスのヘルメットに妖精のイラストとフェリスの名を描いてくれた。

 彼のそんな贈り物に嬉しくもあり、胸が一杯になる。

 誰かの為に、皆の応援を背に飛ぶことなど今までなかった。


 『レーサー13、1番滑走路へ。――同じ水玉星の人間として応援してます』


 「レーサー13からタワーへ。了解。頑張る」


 管制官からの予想外の応援に答えながら、フェリスはF-14を滑走路へと向かわせた。

 後席には誰もいない一人のコックピットはエンジン音と自身の呼吸音に支配された空間へ変わっていく。

 海軍時代、複座全天候戦闘攻撃機の搭乗比率が多かったフェリスにとってどこか背が寒くなる感覚は否めなかったが、孤独な空間は神経を研ぎ澄ましてもくれた。

 誘導路を滑走する横をあの紅い機体が爆音と共に青空へと飛翔していく。


 『お先に。上で待ってるわ』


 Su-37は圧倒的な上昇力であっという間に空へと消えていく。

 あの背中を、今日のレースで超えなければならない。

 フェリスはイリーナの言葉に応じはしなかった。

 フライトで見せつけてやればいい。言葉など必要ない。

 それだけのことだ。


 『スバルタワーからレーサー13、滑走路侵入を許可する』


 「レーサー13、了解」


 長く広大な滑走路は青い海へと真一文字に伸び、フェリスを静かに待っている。

 空への道にF-14を止めると、フェリスは各部動翼の最終動作確認を始める。軍、民間だろうとこれは飛び立つ者の作法だ。

 最期にギアブレーキを思いっきり踏み、スロットルを全開にしてエンジンパワーチェック。

 回転計、燃料流量計が跳ね機体が前のめり、スーパーグリフォンの咆哮と共に雄猫は身を震わせた。


 『レーサー13へ、クリアードフォーテイクオフ。離陸を許可する』


 「レーサー13、ラジャー。テイクオフ」


 管制塔の号令の下、ブレーキをリリースしたF-14は滑走路を駆け抜け青空へと飛び立つ。

 

 音速の妖精は決戦の空へと舞い上がった。


 * 


 『フラッグからレーサー各機へ、順次コースへと侵入開始せよ。奮闘を期待する』


 コース遥か上空を飛ぶレース運営機の号令と当時に機体たちが待機回廊からコースへと降下していく。

 フェリスも漏れず、群れを追い降下する。

 スバル群島をぐるりと回る今回のコースは一見してただのオーバル構成に思われがちだったが、基本的に飛行高度は低めに制限され、途中にあるシケインでテクニカルな操作を要求され、長い旋回区間ではスピードに乗せ過ぎればG超過とコースアウトという罠が仕掛けられていた。


 ――鳥が多い。


 眼下に広がる海を飛ぶのは彼女達だけではない。

 悠然と舞う海鳥たちの姿がフェリスは気になっていた。コース運営は空砲での威嚇などの対応をしているのだろうか。

 留意している間もなく、始点を示すの2本のエアパイロンが迫る。


 ――やるしかない。


 フェリスは機を増速させ、パイロンの間を抜ける。

 戦いはその瞬間、音も無く始まった。

 最初のストレートをスロットルを全開にして、参加機を追い抜く。

 バーナー全開のF-14は翼を絞り海面を駆ける。

 彼女の標的はアダムのF-5、ルイスのF-104のどれでもない、先を飛ぶ紅いチェルミナートルだけだ。


 『やらせるかよ!』 

 

 真一文字にイリーナ機へと向かう右舷にF-15Cが進路を塞ぐ。

 

 「邪魔するな!!」


 一瞬でも舵取りを間違えば互いに死へと向かうだろう。それほどに近い距離に両機は接近していた。

 キャノピーから手を伸ばせば届きそうな大型のF-15Cに普通のパイロットならエアブレーキを開き、スロットルを絞って一度、後方へと下がって隙を窺うだろう。F-15Cの主、ダグラス・フェアチャイルドはそう踏んでいた。

 だが、フェリスはそう単純な女ではなかった上に勇猛だった。

 高速飛行の為に自動的に後退していた可変翼をマニュアル制御に切り替えると、フェリスは翼を大きく広げ、エンジン出力を絞り込み操縦桿を斜めに思いっきり引き付けた。

 

 「くうっ……つっ」


 突如、広げられた翼に抵抗を増した機体は急減速し、海と空がひっくり返り、F-15Cが視界から消える。

 身体に押しかかるGが息を詰まらせた。


 『な!!』


 「今だ!!」


 翼を広げたF-14は螺旋を描きF-15Cの後方へ一度下がる。空気抵抗と大げさな機動で速度エネルギーを失い、すぐには追い抜かれないだろう――その読みがダグラス機に隙を生み出した。

 彼女の手中にある機体はすぐにバーナー全開の最大加速で、空いた針路へと飛び込む。

 

 『くそっ!!』


 ズン、と響くスーパーグリフォンエンジンのバーナー点火音と共に、F-14はまた音速へと向かい、F-15Cを置き去りにしていった。


 *


 群島の曲線を沿うように続くコーナーは意外にもパイロット達を消耗させる。

 G超過を恐れればスピードが落ち、ライバルのオーバーテイクを許してしまうし、スピードを出し過ぎればG超過による機体破損か旋回半径が膨らみコースアウトを言い渡されてしまう。

 その為にパイロット達は長い旋回によってかかるGに耐えながらスロットルをわずかに微細に前後させながら速度を調整し、短く小さな旋回半径に収まるような舵取りを要求される。

 忍耐力と機体性能をいかに把握しているか、簡単に見える区間でありながらタイムを縮めるにはパイロットの技量が試される場だ。

 

 「くっ」


 長く身体に圧し掛かるGに耐えながら、フェリスはスピードを保ちつつF-14を旋回させ続ける。

 機の前方にチェルミナートルが見え始めるが、その距離はまだ遠い。その間には他のライバル達が飛んでいるのだ。

 超えるべき壁も多い。

 だが、その状況がフェリスを追い詰めているかと言えばノーだった。

 対Gスーツがいっぱいに空気を受けて膨らんで腿を締め付けて下がる血流に抵抗するも視界は霞み、腕は痺れてくる。それでもフェリスは前を飛ぶライバル達を捉えつづけ、いかに抜き去るか、空いた空間に線を引くようにイメージを張り巡らせていた。

 コーナーを抜けた先、海上に浮かぶ等間隔に直線上に並ぶエアパイロンへ、前を行く機体達が飛び込みジグザグと左右へ素早く機体を旋回させていく。

 フェリスのF-14には不利な場だった。

 速度を乗せたまま飛び込めば旋回半径は膨らみシケインどころではなくなるし、ゆるめれば次第に運動エネルギーを消耗し途中で失速するか他機のオーバーテイクを許してしまう。


 ――やるしかない。


 エアパイロン列の左から機を滑り込ませ、右へと急旋回。広がる可変翼は雲を帯び、翼端が白い線を引いた。

 旋回時に求められる運動エネルギーに機体はスピードを少しずつ失っていく。それをスーパーグリフォンのハイパワーで少しでもロスを抑えるべく、スロットルを押し倒す。

 我ながら乱暴なフライトではあると、重量級のF-14を振り回しながらフェリスは思う。しかし、これがライバル達を打ち破る唯一の手段であり小型機に対抗しうるには不利益を被るしかないと諦めも含んでいた。

 右へ左へ、機体を翻しパイロンを縫うように駆け抜ける。

 パイロンを抜けた先、折り返しコーナーへと向かうストレートをまた最大出力で飛ばす前に、緑と赤に塗装された機が進路を塞ぎこむ。皆、そう簡単には順位を譲るわけではない。そんなことは承知の上である。だからこそフェリスもオーバーテイクには容赦はしない。


 『ルーキーガールが!』


 「うるさい!!」


 惑星ニュー・ミラマーから参加している元連邦海軍所属のレイ・“チッピー”・アシュフィールドの駆るF/A-18Eスーパーホーネットが座を譲るまいと機を肉薄させ、フェリスの機動を封じ込める。


 『F-14でホーネットに勝てるかよ!!』


 かつて合衆国海軍で使われた艦載機同士のデッドヒートに観客は盛り上がる。

 確かにチッピーの言うように俊敏性と機動性能はスーパーホーネットには届かないだろう。


 ――邪魔な奴!!


 眼前を塞ぐ機体に手段を潰される。

 フェリスはF-15Cの時に使った可変翼展開を試そうかとスロットルに備えられたマニュアル制御スイッチに指をかけるも、脳裏に懸念も過っていた。


 ――もし、あの時の機動を見られていたら?


 目の前を飛ぶチッピーは自機の上方にいる。減速と共に斜め上方へのバレルロールは実質不可能だ。

 機体を一度180度回転させて急降下するのも、チッピー機のジェット推力に翼を叩かれて墜落の危険があった。


 ――全てを見た上でのこのブロックだと言うの?


 戦闘機というものは基本的には機体を縦軸上方に向けるのは早く出来るが、下方へ向けることは素早さに欠ける。揚力によって常に上向きの力がかかっているからだ。

 しかしこの状況を脱するにはブロックを躱さなければならない。

 

 ――一度距離を取って再加速する間にまた針路を塞がれるのは明白だ。なら!!


 フェリスは可変翼マニュアル制御スイッチに指をかけることなく、接触を避けるために一度絞り込んだエンジンパワーをバーナー全開にすべくスロットルを押し倒すと同時に操縦桿も前方へ押し込む。

 容赦なく増速したF-14は機首を海面に向け、チッピー機のさらに下方へと降下する。襲いかかるマイナスGに視界が朱に染まり、内蔵が吐き出そうな不快感が喉にせり上がる。

 増速と共に機の真下に潜りこむと操縦桿をすかさず引き、迫る海面上をスレスレにチッピー機に挟まれるような形になるも、開いた針路へと機を飛びこませ憎きライバルを置き去りにする。


 『馬鹿な!! あの海面高度で!?』


 F-14の畳まれて抵抗の減った可変翼形態とスーパーグリフォンの圧倒的なパワーの見せた無理矢理なオーバーテイクにチッピーは下方から現れたF-14の姿に狼狽える他なかった。ブロック出来ていた機が下から無理矢理迫出てきたのだから無理もない話だった。

 低高度での加速にビリビリと震える機体は、折り返しコーナー始点を示すエアパイロンを捉えた。

 レースは後半へと迫っていた。


 *


 ――つまらない奴。


 イリーナはチェルミナートルの圧倒的な近接機動性能を活かし、ライバル達を弄ぶように抜き去り、一人トップを独走していた。

 目の前を塞ぎ、闘争心を焚き付けるような奴はいないのか。

 身を震わせる程のプレッシャーを後方から煽りたてるような奴はいないのか。


 ――どいつもこいつも。


 雑魚ばかりだ。

 そう思った時、後方確認用ミラーに日差しを煌めかせる機影が映る。エンジンパワーに物言わせ、戦闘機乗りだった過去がそうさせるのだろうか酷く闘争心をむき出した荒削りな飛び方で後方から徐々に迫る機体。

 大型双発のシルエットに速く獲物を駆る為に備えられた可変翼を絞り、機種に描かれたシャークマウスはまさにこちらを喰らわんとするように開かれ、こちらに牙を向けていた。

 背筋に走る感覚はあの時エアカーゴとやり合った時の物と同じ興奮に痺れ、思わず身震いしてしまう。

 それほどまでに彼女の飛来とせめぎ合いを待望していた。


 ――フェリス・エンフィールド!!


 紅いSu-37 チェルミナートルと鮫の口を持つ獰猛なF-14 トムキャットがついに身を並べた。


 ――イリーナ・チェルカソワ!!


 フェリスもイリーナと同じだ。

 他のライバルなど単に邪魔なだけで、彼女も決着を待望していたのだ。

 キャノピー越しにイリーナを見つめる。

 紅いフライトスーツにパープルのバイザーの下ろされたド派手なヘルメットに包まれていても、奥でどんな表情をしてこちらを見ているのかは、どことなく想像がついてしまう。

 同じパイロットとして気持ちは同じだから。

 

 『良く追いついてきたじゃない?』


 「アンタに勝ちたくてレースに飛び込んできたんだ!! 札束叩き突けて馬鹿にしやがって!!」


 ヘルメットに固定された酸素マスクの奥で、思いっきり叩き付ける言葉は、中継にも流れている。

 観客たちはさぞ驚いただろうが、2人の知る余地もなかった。


 『まぁ、よく吼えるじゃない。そうでなくちゃ私の後ろなんか飛ばせてなんてあげないんだけど……』


 「後ろを飛ぶのはアンタだ!!」


 並んだ二機がニュー・ショウナンビーチを横目にアフターバーナー全開で音速の壁を突き破り、ストレートを突き進む。

 F-14のスーパーグリフォンxx2と、Su-37のパザロフBz-99の軍用最新ジェットエンジンが吼え、二人の妖精を音速の世界へ導く。

 直線速度に僅かに分があったのはフェリスのF-14だったが、それはイリーナも理解していた。また前方を塞がれそうになるのを機体を翻し、フェリスは躱していく。そしてまたそれに被さるようにイリーナ機が立ちふさがる。

 スピードに勝るF-14を、他を許さない機動性で針路を抑え込むSu-37の2機の闘いはもつれ合うようにスタートエアパイロンを抜けて最終ラップへと突入していった。


 『私は他のパイロットみたいに単純にはいかないわよ?』


 直線での圧倒的加速力と最高速度を武器にオーバーテイクを狙うF-14を弄ぶように針路を塞ぎながら、イリーナはレーサー向け周波数で余裕たっぷりに口を開く。


 「よくもまぁベラベラと!!」


 長らく低空での全開飛行していた為か残燃料もこの一周が限界と思わしき状況に、フェリスに余裕の色はなくなっていた。しかし軽くなった機体はチェルミナートルに食らいつける限界領域へ少しだけ近づいている、と操縦桿を握る手は感じ取っていた。

 コーナーを並んで旋回する二機の距離は一瞬の隙を狙うべく双方肉薄し、回避の選択肢を潰しあっていた。

 コーナーを抜けて、双方並んでシケインへと突入する。

 イリーナは右から、フェリスは左からエアパイロンの間を縫うように旋回を繰り返す。交互に交わる二機の機動は危険な物だった。一歩間違えば接触し爆散するだろう程に近距離でシザース機動を繰り返すことが出来るのはイリーナの天才的技量と、フェリスのファイターパイロットだったころに叩きこまれた経験があったからこそだ。

 シケインを抜けて双方、またパワーを上げてストレートへ。

 また前に現れ上方を抑え込むチェルミナートルに、フェリスはスロットルを前進させ、アフターバーナー全開で機体を突き飛ばす。

 しかしイリーナも前を譲るまいと増速させ、二機はまた並んだままストレートを猛進する。

 チッピーの時にやった下方への回避は加速力に差があったから偶然成せたことであり、性能差に開きが少なく寧ろスピードにしか能がないこの機体で追い抜ける場はストレートしかない。

 だが、一度距離を開いて隙を突くのは、チェルミナートルの機動性の高さを前にしてはブロックする間を与えるだけだ。それに一度乗った速度エネルギーを損耗させてからキャッチアップできる時間もない。

 

 ――隙がない。


 直線でスピードを維持したまま、二機は最終コーナーへと突入。大型のF-14は少し旋回半径を膨らませ、アウトサイドからSu-37を捉える。


 『その機体でついてこれるだけ褒めてあげるわ。でも勝つのは、この私よ!!』


 彼女――イリーナの言う通りかもしれない。

 機動性に劣るF-14で、柔軟かつ瞬時に優位なブロックポジションにつけるSu-37の前を行くことは困難だ。幾らスピードで勝ろうとも、ブロックポジションを取られては最高速度を出すことは出来ない。

 左舷にイリーナ機を捉えたまま、最終ストレートへ。イリーナはここで一つ読みを外していた。


 『な、アウトサイド!!』


 コーナーで一度距離が開いたF-14はコーナー外側からパワー全開でSu-37の前へと少しずつ向かっていた。

 二機がまた並列し、ゴールへと真一文字に向かう。

 今更ブロックすべく機動を取ろうものなら速度を失い、距離が開くだろうとイリーナは何もすることが出来なくなっていた。


 「あと少し……」


 高鳴る風切り音と高速飛行に震える機体の中で、フェリスはゴールへと向かった。

 F-14が音速の壁を突き破るのとゴールパイロンを抜けたのは同時だった。


 *


 「今回の水玉星杯の優勝者はイリーナ・チェルカソワ選手!!」


 表彰台に立つ紅いフライトスーツの女は誇らしそうだったが、どこかその表情は穏やかで何か見つけたように輝かしくもあった。


 「ありがとう!!」


 「第二位に輝いたのは初参戦のフェリス・エンフィールド!!」


 結果は悔しい物だった。並んでゴールに突入した際に映像判定で僅かにSu-37の方が先にゴールに着いていたのだ。わずかながらも決定的な負けたのは事実だった。

 壇上には上がるも、フェリスの表情は晴れない物だった。

 あれだけ空で言い合って負けたのだ。

 あと少しで勝てた。

 耳がシャッター音で一杯になっていく、どうすれば勝てたのだ、と久しく激しいGの奔流に晒された身体はその場で立つだけで精一杯だった。

 

 「フェリス」


 一位の座に立つ、イリーナの手が頬に触れる。

 

 「ありがとう。楽しかった」

 

 見つめる彼女の顔はバイザーの奥にしまわれていたであろう物でなく、友を見つめる美しい物だった。

 彼女もこんな顔が出来るのかと驚く間もなく彼女の唇が額に触れた。

 

 「えっ!?」


 トップクラス美人パイロットが、飛び入り参加で二位に飛び込んだジョーカーの頬に口づけした。

 画になるだろうと記者たちが構えるカメラのフラッシュが一斉に連射され、フェリスは目が眩みそうになった。


 「貴方は悔しいでしょうけど、私は嬉しいわ。初めて私と並んで飛ぶ程の子に会えたんだから。最高のパイロットよ」


 そう言ってブロンドの彼女は青い瞳を輝かせていた。


 「次は勝つから」


 見つめる彼女――フェリス・エンフィールドは次の闘いでは勝つと胸に決め、ウィンクしてやるのだった。



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