レベッカ・エルフ・ド・モント
森の中に朝日が差し込み始めた。夜が明けたのだ。夜の間に葉の上に貯まった水滴が、朝日に照らされて宝石のように輝いている。鳥たちは餌を求め、囀りあっている。
佐々木昇は、夜の間、眠ることができなかった。甘い声が夜中響いていたからだ。彼女は、寝ているとしたら、いったいどんな夢を見ているのかと、気になって仕方がなかった。「そこっ」とか、「もっと強く」とか「く、来る~」とか、そんな彼女の寝言から察するに、まだ食人植物の媚薬か何かの効果が続いているように思われた。
佐々木昇は、煩悩を取り去る禅の修行を夜の間ずっとしたような、精神がいくらか削られたような感覚だった。
「ふぅ、んん~ん」と、食虫植物に捕食されていた女性は目を覚ます。両手を挙げて、背筋を伸ばしているが、服は既に溶け、本来隠すべき所が隠されていない。
よく寝たぁ、ってな感じだな、と佐々木昇は観察していて思った。そして、昨日から散々見せられた、いや魅せられた、そして堪能させてもらったけれども、背筋を伸ばされて胸を張られると、また一層凄いな。あの大きさで、下に垂れないで丼の形を維持するってすごい! と生命の神秘に感動をしていた。
「あ、え? お前は誰だ?」と、彼女は佐々木昇の存在に気付いたようだ。そして、不審者だと判断したらしく、素早く起き上がって警戒の体勢に入っていた。彼女が武器を持っていたら、佐々木昇は攻撃されていただろう。
「ふ、服を着ていない!!!」と、自分の現状に気付いた彼女は、木の裏に隠れる。そして、明らかな敵意の視線を佐々木昇に向けている。
彼女の殺気を感じたのか、周辺の木々で羽を休めていた鳥たちは、我先にと逃げ去っていく。
絶対、誤解されていると確信した佐々木昇は「怪しいものじゃない。君が植物に食べられそうになっていて、それを助けたんだ」と、叫ぶ。
「植物に食べられそうに? 確か昨日……」
しばらくの沈黙の後、彼女は木の蔭から姿を現し、佐々木昇の前までやってきた。どうやら彼女は、木陰に隠れている間に、即席の服を作り、身に着けたようだ。細い蔓と葉っぱで、隠すべきところは隠していた。
もうちょっと大きめの葉を探せばいいのに、胸のボリューム対比、葉っぱが小さすぎるよ。逆に胸の大きさが強調されているような。それに、下の方、あれじゃあ、紐パンじゃん……。これが着衣エロか……と佐々木昇は自分の中に新たなジャンルが芽生えつつあることを感じていた。
「確かに昨日、意識が途切れる寸前に、魔草に捕まってしまった記憶がある。私がそれで無事だということは、助けられたのだろう。礼をさせてくれ。私は、レベッカ・エルフ・ド・モントだ」と彼女は佐々木昇に握手を求める。友好的な笑顔だった。流石は、アスパラトス・オンラインに似た世界のエルフである。これまで佐々木昇が見てきた、どのエルフコスプレイヤーよりも、エルフらしく、そして美しかった。
「佐々木昇と言います。当たり前のことをしただけで、礼をされるようなことではないです」と差し出された手を取りながら言った。
良い思いもさせてもらったし、目の保養にもなったし、お礼するのはこちらの方だよ、と逆に佐々木昇は心の中で思った。あれだけのモノを見せてもらったら、当分、オカズには困らないだろうとさえ思う。
「佐々木昇か。本来であれば、村に招いて手厚くお礼をするのが筋というものなのだが、今はそれができない。また、私も急いで行かねばならぬところがある。ところで……」と、レベッカは周囲を見渡す。
「私の弓を見なかったか?」と、レベッカは言った。
「弓?」と佐々木昇は首を傾げる。佐々木昇の記憶には無かった。正確に言うのであれば、レベッカの裸体以外の記憶は非常に薄かった。むしろ、レベッカの黒子の場所についての方が、即答できそうだ。左足の太ももの内側、おヘソの左上、、左耳の後ろ、そして左目の下の泣き黒子だ……。
「捕食される寸前まで手に持っていた記憶があるのだが……」と、レベッカも困った様子である。
「あ、もしかして……」と佐々木昇は思った。そして、その悪い予感は当たっていた。食人植物が生えていた場所――佐々木昇が火魔法を使った場所であるのだが――そこに、弓はあるにはあったが、黒こげになっていた。弦は、すでに燃えて切れてしまっていた。
「ごめんなさい」と佐々木昇は頭を下げた。
「いや、私を助けようとしてのことだと、理解できる。謝罪は不要だ」と、黒焦げになった弓を両手で大事そうに拾う。そして、「こうなってしまっては、一度、村に戻る他無いな」とレベッカはため息を吐いた。
「村?」という言葉に佐々木昇は反応した。そして「この近くに村があるのですか?」と佐々木昇は尋ねた。
「私の村があるのだ。そういえば、佐々木昇殿は何故この森を歩いていたのだ?」とレベッカは思い出したように佐々木昇に尋ねる。レベッカの顔には、少しだけ警戒の色が浮かび上がる。
佐々木昇は、町があるという噂を聞いて、草原から森に入ったのだとレベッカに説明した。本当は、「噂」では無く、アスパラトス・オンラインの知識であるのだが、そこは伏せた。
「エルフの村はある。しかし、人間が入れるような村ではないぞ。お前は、騙されたか、担がれたのだろう」とレベッカは結論付ける。
アスパラトス・オンラインでも、エルフの村は存在するが、エルフ種族以外は森の中に展開されている惑わしの魔法によって、普通に入れない設定となっている。もしくは、エルフであるプレイヤーとパーティーを組むか、イベントをクリアして特殊アイテム「エルフの通行証」を手に入れなければならなかった。
ちなみに、アスパラトス・オンラインでは、「エルフの通行証」を手に入れるために必要となるレベルは高い。中堅以下のレベルが届かないプレイヤーは、エルフ種族のプレイヤーに対価を支払ってパーティーを組んでもらい、村に連れて行ってもらっているほどだった。
エルフの村が存在する森の入り口では、エルフ族プレイヤーが「運送。コイン1万」とかシャウトしているものだった。
金を払ってでも行きたい、とプレイヤーが思うのは、エルフの村でしか売っていない薬草類や調合アイテムがあるからだった。また、エルフの村で売っている弓は、高額であるものの、特殊効果も付与されており、弓系の武器を使うプレイヤーは重宝していた。
やはりこの世界はアスパラトス・オンラインの設定に似ている世界だ、と思える反面、人間の街ではなく、エルフの村があるというのは、地形がだいぶ変わった可能性があるな、と佐々木昇は思った。もしかしたら、自分があの草原から、まったく別の草原に移動したのを気づかなかっただけかもしれないが……。
「あの、村まで連れて行ってもらえませんか?」と佐々木昇は駄目元で言った。エルフは、人間を嫌っているからだ。レベッカにとって佐々木昇が命の恩人でなければ、このように礼儀正しい振る舞いをしないように思える。
「別に構わないが……いや、駄目だ。命の恩人を危険に晒すわけにはいかない」と、レベッカは首を横に振った。
「でも、君は村に戻るのだろ? 君についていけば、危険なことは無いと思うけど」と佐々木昇は詰め寄る。この近くにエルフの村があるのならば、佐々木昇1人では絶対に見つけることは出来ない。そうならば、諦めて草原に戻り、別の道を探さねばならないが、その「別の道」というのを見つけられる保証はない。
「危険と言うのは、疫病の事だ。我が村は、流行病で壊滅の危機なのだ」とレベッカは言った。
「え?」と佐々木昇は既視感を憶える。エルフ、疫病というキーワード。「もしかして、レベッカは霊峰デル・バジェに向かう予定だった?」と佐々木昇は尋ねた。
「その通りだ」とレベッカは答える。
そうか、と佐々木昇は予想通りの答えが返ってきて納得する。
なぜなら、エルフの村に疫病が流行り、それを助けるイベントがアスパラトス・オンラインに存在するからだ。それは、特殊アイテム「エルフの通行証」を手に入れるイベントであった。
次話「霊峰デル・バジェ」
伊達にあの世は見てねぇーぜ!