軽薄希望のミュータント
「あんらー、どうも初めましてェ! 憂馬くん、でいいのよねッ! アタシ、空乃 希望って言いますゥ! 希望ちゃんって言ってねぇんッ」
「……………は、はぁ、どうも……」
「…………」
伊和里の部屋に帰還した後、自らを希望と名乗る変人が正座をしてお茶を啜っていた。
どう見ても。
どんな穿った見方をしても。
見るからに――変人である。
真冬の日本国内ではおよそ見られるはずがないカラフルな半袖シャツに淡い色のオーバーオール(これもまた半ズボンである)という、真夏のファッション。
変人をさらに強調する緑混じりのピンクの髪を三つ編みにしたおさげ。
ゴーグルのような黒縁眼鏡の内側に天を仰ぐ、マッチ棒を二本乗せることができそうな睫毛。
そして。
これ以上の変人要素は他にないのが――
半袖半ズボンから露になった地肌に無数に生える剛毛だった。
雄雄しいほどに、たくましい筋肉に生える剛毛と青くなった口周りを見ると分かる――いや、見るまでもなく声ではっきりとわかるほどに、彼女は――いや、彼は男性だった。
男の娘というには程遠く、罰ゲームで女装したラグビー部員のような印象を憂馬は衝撃的に受けた。
心臓を圧迫して潰すほどの衝撃のせいで、憂馬はそれ以上の言葉を口にすることができなかった。
「…………えっと」
よく見れば、女性用の服を着用しているのだろう、盛り上がった胸筋は今にも衣服を破きそうで、その視線に気付いたのか、希望は「いやんッ」と変な声をあげた。
袖がまるで足りていないシャツはすでにノースリーブのようになっている。
「希望さん、挨拶もほどほどにしてください」
伊和里は我慢ならないとばかりに、空になった湯のみにお茶を注いだ。
「えぇーッ、つれないなぁもう。憂馬くんは伊和里だけのものじゃないんだぞッ」
「……いい加減にしてください」
どんっ、と湯のみを希望の前に音を立てて出した伊和里はひどく苛々しているようで、憂馬はその様子を見て意外だと感じた。
冷静で大人で、落ち着いている印象だったけれど、案外そうでもないらしい。
「もぅー……じゃぁ、伊和里がぷんぷんになる前に早速、本題に入りましょ。まずは恒例の適正検査から。アタシの依頼を受ける資格はあるのか、アタシが依頼できるほどの人材なのかをテストするわッ」
「……は、はぁ」
憂馬はもはや流れに身を任せていた。
希望さんの世話になる、と一言も発していないのだが、どうやら今更そんなことが言える空気ではないらしい。
「一問一答ねッ」
いくわ、と希望はオーバーオールの懐の中から腕時計を取り出して言う。
緊張感に欠けた場ではあったが、憂馬はそれ以上に未だ希望の容姿について疑問を抱き、引きずっていた。
あっさりと受け入れられるほど、易々と認めることができるほど、簡単な容姿ではなかった。
「あなたは過去に人を殺めたことがある?」
「……いえ、ありません」
「殺したいと思ったことは?」
「ありませ…………」
「正直に言いなさい。全て直感で答えなさい」
「……あります」
その答えに納得したように笑みを浮かべる希望は次々と質問を投げた。
「殺したいのに殺さない、殺せない――それはどうして?」
「人を殺すことは禁止されているから」
「それは嘘、正直に答えなさいッ」
「…………人の身に縛られているから」
「なら、人の『死』とは一体どういう風に捉える?」
人の死。
人間の『死』――それは、以前どこかで訊かれた質問と同じだった。
町屋 鶯。
突然、眼前を塞がれ、意味があるとは思えない突拍子のない質問を投げ掛けた不吉な男。
毅然とした態度とは裏腹に、どこか軽薄な印象を与える町屋のことを、憂馬は思い出していた。
人の『死』とは――
その意味とは――
人が死ぬことに特別な理由などない、生きる理由もなければ死ぬ理由もない――そう答えた憂馬に、町屋は『死』こそに意味があると反論してみせた。
確かにそう言われてみれば、解釈の仕方がズレていたかもしれない。
しかし、いずれにせよ憂馬にとって、たとえ『死』に真の意味があったところで、あまり興味が沸く題ではなかった。
「ある人はそれを『呪縛』と表現した。そしてまたある人は『再生』と表現した。またまたある人は『自由』と表現した――アタシは、『解放』と個人的に捉えているけれど、憂馬くんはどうかしらッ」
「……俺は――」
この質問に正解などない、適当な回答など存在しない、と憂馬は思った。
それならば、正直に自分と向き合って答えてみるのもいいだろう。
「『死』とは、『生』――誰かによって死に、誰かによって生かされた、誰かのための死と誰かのための生……そう思います」
憂馬の回答に微笑む希望は再び「うふッ」と気持ちが悪い発声をする。
希望は続けて、
「じゃぁ、最後に――」
と、質問を続けようとしたところで、希望が座る背後――皺くちゃになったベッドの向こう側にあるベランダの窓ガラスが爆発した。
文字通り、爆発して四散した。
まるで巨大な岩がガラスを砕いたかのような衝撃は、それに対面する憂馬の心臓を縮ませるには十分だった。
飛び散る破片。
砕ける欠片。
きらきらと、電光と月光を反射して降る粉々になったガラスに目を奪われた。
奪われたのは目だけではなく、萎縮した体はまるで誰かに乗っ取られたかのようで、反射的に動くことすらままならなかった。
呆然としただろう。
唖然としただろう。
驚くことすらできないまま、口が開いたことだろう。
瞬きを忘れるくらい瞳孔が開いただろう。
見れば。
跡形もなく消し飛んだガラスの向こう側から――
「ノォープラァァァァン……よぉ、元気してっかぁ……? あんまりにも遅ぇから殺しに来てやったぜぇ……」
見れば。
全身黒尽くめの、二メートルはあろう大柄の男が厚底のブーツで散らばる破片を砕き、部屋に侵入したのだった。
しゃがれた声で威圧する彼の名は――
「《放火狂人》――っ!」
気づけば、伊和里の手にはすでに短刀が握られていた。
あらあら、と緊張感に欠ける希望の声は憂馬の脳を余計に混乱させた。