死人神人のムーンヘッド
花宮第三中学校――その周辺を囲う檻のように並ぶ山々を見るに、まさに脱獄不可能な監獄である。
しかし、山々と言ってもただそれがひしめき合っているだけではなく、勿論、住宅街がその間に集合している。
憂馬と伊和里が生活を主にする地方都市部から少し離れた場所で、田舎ということもあり、さすがに《異常者》であっても徒歩で赴くには無理があった。
そこで、付き添い人として憂馬が選んだのは、
「初めまして、伊和里様。わたくし、『血まみれの血統』所属のメイド、出雲 瑠衣と申します」
そんな挨拶をそこそこに、瑠衣は頭を深々と下げる。
伊和里を探しに出て行って以来――およそ五日振りの再会であったが、まさかこのような形でそれが果たされるなんて、憂馬は思ってもいなかった。
あの時に抱いた今生の別れのような感覚はどうやら気のせいだったらしい。
「出雲 瑠衣……メイド……メイドの料理……おいしい料理……」
「……はい? どうかされましたか?」
「殺す! あんたをここで殺す! あんたの道はここで消える!」
「おいおい! 伊和里ちゃん! 待った待った! せっかく車を出してくれるんだからそういうのやめろよ!」
一悶着、二悶着もあり、ようやく伊和里を落ち着かせて目的の地に到着したのだった。
その度に、「あらあら、憂馬様のご友人は愉快な方ですね」、と瑠衣は微笑んだのが、その裏に隠れた邪悪な『何か』を感じ取ってしまった憂馬は選択の過ちをひたすら後悔した。
言うまでもなく車内では幾度となくバトルが勃発し、しかし、それをものともしない瑠衣の毅然な振る舞いに、伊和里はとうとう諦めがついたようで、ぶつぶつと文句を言いながらも我慢している。
歯軋りを立てながら貧乏揺すりをする様を見る限り、苛々がひどいのだろう、もはや憂馬はそれ以上の何かを口走って厄介事が起きるのを懸念し、沈黙を保った。
目的地に着くと、瑠衣は流麗な動作で後部座席を開け、
「憂馬様、ところで、あのアタッシュケースはお持ちではないのですか?」
と、問うた。
「あぁ、あれ伊和里ちゃんちに置いて来たけど……重要な物だったのか?」
「重要な物と言えばそうなのですが……まぁ、きっと大丈夫でしょう。ご武運をお祈りしています」
「……?」
瑠衣に見送られ、憂馬と伊和里は徒歩で学校に向かう。
およそ十分。
その間、憂馬は伊和里に世間話を持ちかけたのだが、全てが無視された。
そんな無慈悲な行為に及ぶ彼女の機嫌を直す方法を考える必要があるようで、思いつく限り試しても効果はなく、無言の圧力に憂馬の心臓は圧迫して潰れる勢いだった。
何故そこまで怒っているのか、どうして初対面であはずの瑠衣に対して喧嘩を吹っかけるのか、よくわからない憂馬であったが、そんなことすら訊ける空気ではないということは察知できる。
ただならぬ雰囲気――まるで伊和里に一度殺されかけたあの時のような感じで、その剣呑さたるや敵に向ける殺意と同等である。
薬師は冬休みかもしれないと言っていたが、どうやら授業はやっているらしい。
一般的な中学校の冬休みと言えばクリスマス辺りからだろう、なので、校門で待機していれば下校する生徒に混ざる深淵 灯を発見できるだろう。
そう言えば、容姿についての情報を聞いていなかったので、それは想像するしかないのだが――しかし、中学生であろうと仮にも《異常者》、きっと雰囲気でわかるに違いなかった。
そういう嗅覚には疎い憂馬でも、伊和里ならそれも容易い――そんな他力本願が功を奏するなんて、淡い希望でしかないが、もはや最初から無策で、ぶっつけ本番だろうとこの後の展開がどうなろうと、開き直るのが吉である。
いや、言ってしまえば、開き直るしかないのだが。
つまり、深淵 灯と戦闘することになっても、作戦など練っていないということだ。
最初からそんなものは存在しない。
伊和里は細々としたプランを立てるのが苦手で、憂馬もそんなことを考えるつもりは毛頭なく、そういうわけで何も考えずに二人で校門の前を仁王立ちしていれば向こうから接触してくるだろうとの算段だった。
そんな算段が的中したのか、それとも的外れだったのか――午後二時、およそあと数時間は待機しなければならないと思っていた矢先、二人は声を変えられた。
校庭が広がる正面からではなく、背後からだった。
振り返って見ると、
「あのー、邪魔なんですけど……」
幼い中学生男子がスポーツバッグを揺らしていた。
伊和里よりも華奢な体躯に黒い短髪、利発そうな目をしているがその全体像は幼く、それを助長しているのは平均よりも低いであろう身長だった。
「あぁ、悪い悪い」
憂馬は少年を通すように道をあける。
そうするとすぐさま間をすり抜けるように走って行き、彼は校庭の中心でようやくその速度を緩めた。
「……ん」
そこで気付く。
伊和里よりも小さく、憂馬の胸ほどまでにしか伸びないそれの背後。
小さな背中にぶら下がったスポーツバッグの肩紐とは違う別の――黒い布で覆われた『何か』。
少年の背丈と同じくらいの長さのそれは、時折砂地を引き摺ったのか、下部がひどく汚れていた。
およそ部活動で剣道でもしているのだろう、そんな風に暢気なことを考えていた憂馬の横で、伊和里は呟く。
「あれが深淵 灯……」
「え、あれが?」
「後ろのあれ、多分、得物」
「まじかよ……」
憂馬の驚きには、少年が《異常者》にはまるで見えなかった意味と、武器である『何か』の丈が彼の身長を凌ぐほどだった二種の意味が含まれていた。
そこで、思う。
見てみたい――と。
あんな華奢な少年が身の丈大の武器を振るう様を――
「伊和里ちゃん、追いかけよう!」
「あ、馬鹿!」
走り出そうとする憂馬の腕を掴んで制止した伊和里は、
「今行って、もし戦いになったらどうするの。関係ない子供まで巻き込むかもしれない」
「あぁ……」
憂馬は納得して踏み出した足を戻す。
「と言うか――」
「ん、何?」
「ごめん、あたし、戦えないかも」
「……?」
「あたし、あんな子供と戦えない。戦いたくない……七瀬 真草とか、そんなのどうでもいいくらいに、あたしは子供とは戦いたくない……」
珍しく見せる弱気な伊和里の震える声に憂馬は一瞬戸惑ってしまうが、しかし、相手が中学生だと薬師から聞かされた際に見せた彼女の表情を覚えていたので、それは既に予想していたことであった。
やるせなく、苦虫を噛み潰したような――そんな表情を憂馬はしっかりと見ていた。
それもそうだろう。
いくら名を馳せた《異常者》とは言え、それを除けば中身は普通の女子なのだ。
その辺にいるような女子高生と遜色ない。
「いいよ、伊和里ちゃんは休みってことで。俺がやるから」
「でも、あんな子供を殺すって……」
「大丈夫、その辺は任せろって。戦うための作戦はないけれど、相手が中学生ってことで俺なりに色々考えてきたんだよ。俺だってあんな普通の子供を殺すなんてできるわけねーよ」
「……そっか」
「伊和里ちゃんも俺も、大切な家族や友人が死ぬ辛さをよく知ってんだろ。あんな中学生にそれは重過ぎるだろうぜ」
憂馬の言葉に明るみを帯びた顔をする伊和里。
一日ずっと苛々していた理由は、もしかしたらそれにも原因があるのかもしれなかった。
「でもどうやって? あの子を殺さないと七瀬 真草は――」
「別に殺さなくてもいいだろ? 殺したことにすればいい、そうすればあの子も普通の生活に戻れる」
「……普通の、生活ね――」
伊和里は知っていた。
《異常者》として生きている以上、その地点から後ろを振り返ることはできても後戻りすることができないということを。
たとえ殺したことにしたとしても、いずれその皺寄せはやって来る――《異常者》としての運命を、人を殺し殺される運命を甘受しなければいけないということを。
しかし、伊和里はそんな残酷な言葉を口に出すことはしなかった。
少年に同情したのかもしれない、過去の自分と重ねたのかもしれない。
それを口から発することで悪いことが起きそうで、恐れたのかもしれない。
「伊和里ちゃん、言いたいことはわかってる。それも踏まえて、俺には考えがあるんだよ」
「考え……?」
「あぁ、でもまぁ、まずはあの子がどう思っているのか聞く必要があるかなー。話はそれからだ」
「話を聞くって、どうやって聞くの」
「どうやってって……戦って聞くんだよ」
そして、伊和里の予想を遥かに超える答えを、憂馬は次に出したのだった。




