交信仰進のファナティシズム
「薬師 友人……?」
「あぁ、きっとそいつが七瀬 真草の居場所を知ってるはずだぜ……けどよ、本当にいいのか? 薬師が何を考えてるかはわからねーが、少なくとも、伊和里ちゃんの死体でどうだこうだって言ってたし」
「…………」
「本音はさ、伊和里ちゃんの噂を聞くまで、薬師のことは無視しておこうと思ってたんだよ。ほら、仲間を売るみたいで嫌だろ?」
「そうかもね。けれど、七瀬を見つけることができるなら、罠だって何だって、別に構わない」
「……ふぅん」
伊和里が暮らすアパートで、彼女の全快を待った二人は今後のことについて話し合っていた。
七瀬 真草を仇とする伊和里には、憂馬の言うそれがどんなに危ない橋だろうと渡らざるを得ない。
と言うのも、伊和里が無差別に人を殺し暴れまわっていた理由は、七瀬との邂逅を果たすためだった。
話題になれば、噂話にでもなれば、七瀬の耳にそれが入れば、向こうから見つけてくれるだろうとの算段だったのだが、こうして憂馬にそれを制止された以上、正当な手段で機会を作らなければならない。
いや、たとえ憂馬に再び止められたとしても続けることはできるのだろうが、あんな恥ずかしい様を見せた挙句、泣きついてしまったことを思い出すとなると、それは憚られる。
だから、こうして伊和里は憂馬から願ってもいない情報を伝えられるのだが、
「その薬師ってやつ、相当危ない奴だと思うぜ? 強いって意味じゃなくて、雰囲気がさ――何より、頭がおかしかった。切れ者なだけに狂ってるというかさ……」
憂馬は自分からそれを言い出したものの、歯切れがどうも悪い。
『深刻数字』に属する者が相手なだけに、その警戒心はやけに強くなってしまう。
「だとしても、今のところそれ以外に手段がない」
「希望さんは? あの人なら七瀬の居場所くらい知ってんじゃねーの?」
「希望さんは暫く帰国しないって。タイに行ったらしい」
「タイって……あの人が行く理由は一つくらいしか思い浮かばねぇな。がははっ」
憂馬は快活に笑いながら続ける。
「まぁ、そういうことなら薬師と会ってみるか。何かあったとしても二対一なら楽勝だぜ」
憂馬はポケットから携帯電話を取り出し、薬師からこっそりと渡されていた連絡先にかける。
数回の発信音の後、やけにテンションの高い奇妙な挨拶が聞こえてきたが、憂馬は時間と場所だけを指定し、薬師の返答を待たずに切った。
通話が終わる直前、「あ、おい、挨拶くらいし――」などと、不相応なにもほどがある殊勝さにギャップを感じる憂馬であった。
指定した時刻は深夜二時、場所は前回同様の公園である。
万が一のことも考え、人のいないであろう時間を指定したのだが、どうだろう、《異常者》と会う度に夜更けを待たなくてはならないと思うと、睡眠不足が心配になる憂馬だった。
しかし、この三日間は伊和里の回復を待ったため、十分過ぎる睡眠を補っていたのだから、それは杞憂だろう。
伊和里の顔色も明るくなった。
内部の組織が見えるんじゃないかと思うくらいに透き通った白い肌、血色のいい薄い唇、黒く長い睫毛、艶やかな黒髪――憂馬は自然とその魅力に囚われる。
スタイルの良さはジュリィちゃんだったとしても、やっぱ顔は伊和里ちゃんだよなぁ、と憂馬が不純な感想を抱いている隙に、いつの間にか料理が完成していたようで、
「おいしくないかもしれない」
花柄のエプロンを纏った伊和里は憂馬の前に皿を出した。
その瞬間、食欲を刺激する匂いがたち込める。
「おいしくないって、何で?」
「……わからない、けど、あたし料理が下手糞になったのかも」
憂馬は首を傾げながら、両手を合わせ、恐る恐る一口。
そして、咀嚼しながら二口。
勢いよく三口。
「うめぇよ、やっぱうめぇ」
「……ほんと?」
「ほんとほんと、嘘なんか吐かねぇって。瑠衣ちゃんと同じくらいうめぇよ。あの子もちょっと変わったところあるけど、料理はプロなんだよなぁ。さすがメイドって言うか、何でもできるって言うか――」
「誰、そいつ」
「え? あぁ、出雲 瑠衣っていうメイ――」
「女? 男? どっち」
「え、えっと、女だけど……何、何かまずいことでも言ったか?」
「女、女ね、女の子の瑠衣ね、記憶した」
なぜか伊和里の口調はロボットのように固まっている。
そして何より、彼女の表情は怒りに狂っているようだった。
眉の形が歪み、犬歯が伸び、目つきが鬼のようであった。
「えっと……何で、怒ってんの……」
「あぁ、そっか、その瑠衣ってやつと今から会うんだっけ。そして、そいつを殺すんだっけ。そうだったね、そうだった。思い出した思い出した」
「ち、違ぇよ! 今から会うのは『深刻数字』の薬師 友人、俺が言ってんのは『血まみれの血統』の出雲 瑠衣!」
そこで伊和里の表情はさらに変化する。
ぴくり、と皺が寄った眉を動かし、剣呑だった眼差しは点になった。
「ぶら……え? どういうこと?」
憂馬は、あー、と宙を眺めながら言葉を探して、
「そういや言ってなかったな。俺『血まみれの血統』にいるんだよ。伊和里ちゃんと別れてから拾われてさ、妹の情報収集って感じ。『チーム』のことはよくわかんねーけど、協力してくれてるんだよ」
「ふぅん、そうなの」
「伊和里ちゃんも来る? ぜってー歓迎してくれるぜ? 何より、快適に過ごせる」
あたしは、
あたしは――と。
「いかない」
「あたしは、いけない……」
神妙な面持ちの伊和里を見て、憂馬の首は少し傾いた。
それから、一方的に約束を取り付けたからには先に待つべきだろうと判断した二人は、その時間丁度に到着するよう早めにアパートを出た。
いつものように街灯を避け、軽やかとは言えない足取りを進ませ、繁華街を迂回しながら住宅街を抜けると、奥に公園が見えてくる。
アパートから決して近いとは言えないが、それでも二人にとって久しい再会なので、道中はたわいのない会話で過ごした。
お互いの好きなこと、好きなもの、嫌いなことや嫌いなもの、《異常者》としてではなく、《貴船 憂馬》と《道無 伊和里》としてくだらないことばかりを駄弁った。
そのくだらない戯話こそが二人には楽しかったし、そして何より、渇望した日常へと帰化した気分になる。
こんな”世界”でも、失ってしまった’世界’を取り戻すことはできるのだ、と憂馬はそこはかとなく胸が高鳴った。
思えば、憂馬は《道無 伊和里》のことを何も知らなかったし、伊和里も同様に《貴船 憂馬》のことを 何一つ知らなかったのだ。
《連続殺人鬼》と《通魔殺人鬼》の関係ではあったものの、ここでようやく互いのことを認知することができたのかもしれない。
その話の途中、憂馬は伊和里のかつての友人のことを聞いた。
藤羽 早百合。
その友人と『無名』を結成し、慎ましく活動していたこと。
彼女とどんな話をしてどんな夢を見たかということ。
悪ふざけが過ぎて喧嘩したことや涙しながら仲直りしたこと。
そして、彼女が――藤羽 早百合が死んだこと。
七瀬 真草に殺されてしまったこと。
伊和里の前で、無残にも首を――
「着いたね」
友人のことを後悔しながら語った伊和里のやるせない表情を、憂馬は頭の中から消す。
そんな過去があったとは露ほど知らなかったが、七瀬 真草に対する異様な執着心がそこから来ているものだと考えると納得することができた。
「で、あいつはどこにいるんだろーな」
「探すしかない」
時刻は深夜二時を少し回ったところで、薬師も到着しているであろう。
しかし、待ち合わせ場所の詳細は決めていないので、この広大な敷地の中を捜索する必要がある。
公園の中心部へと向かうべく足を一歩踏み入れると、伊和里がそれを片手で制した。
「探さなくてもいいみたい」
「……ん?」
見れば、視界の前方に黒い影が見える。
辺りの電飾を避けるように佇む、細い影。
歪んだ影を揺らす――
「久しぶりだね、シリアルちゃん。そして、ノープラン」
ざっ、と洒落たスニーカーでコンクリート地を鳴らす人物。
「薬師 友人……」
「再会を喜ぼうか、シリアルちゃん。どうやら、本当に彼女を連れてきてくれたみたいだねえ、本当に、本当に本当に本当に、嬉しいよ」
「あんたが薬師か」
伊和里は明らかになった薬師の顔を見て、剣呑な視線を遣る。
どうやらいつでも戦闘ができるように、警戒しているようだった。
「僕は《快楽殺人》の薬師 友人さ。彼から聞いているかもしれないが、少し君に用事があってねえ。なぁに、別に心配しないでよ、こんなところで無闇やたらに戦闘なんてしないからさ。僕の趣味は一方的な殺人だけなんだ、快楽を伴う殺人だけ。痛みを伴う五分五分の殺人はしない主義なんだ」
「…………」
伊和里は突然流暢に語り出す薬師に視線を向けながら、彼に聞こえない程度の声量で憂馬に言う。
「何あれ、どういうこと」
ひそひそ、と。
「あんなやつなんだよ……残念なやつなんだよ」
こそこそ、と。
「言ってることがさっぱりなんだけど。あんた、あいつがあたしと戦うって言ったじゃない」
ほそぼそ、と。
「そう聞いてたんだよ。伊和里ちゃんの死体で快楽を得たいとか何とかぁっ」
ごそごそ、と・
「は? あたしの死体? なにそれ、どういうこと? そんなの聞いてないっ」
もぞもぞ、と。
「でも確かに俺との戦闘も露骨に避けてたんだよ。わかんねぇけど……でも、伊和里ちゃんの死体ってことは殺すってことだろ? 戦うってことだろ?」
がさがさ、と。
「そうだとしても、今さっきはっきりと戦わないって言ってたけど! それはどういうこと!?」
「いや、だから、そんなの俺にわかるわけねーだろ! ただ連れて来いって言われただけなんだって!」
「だとしても、目的とか理由とか、そういうの聞くのが普通でしょ! あんたが何も訊かずに二つ返事で快諾するから無駄に警戒する必要があるんでしょうが!」
「は!? 誰も快諾なんてしてねーっての! むしろ返事すらしてないっての! 俺が易々と仲間を売るとか、なに、伊和里ちゃんはもしかして、俺のことそんな目で見てたのか!?」
「仲間を売るとか以前に、相手の目的を探る意味でも詳細を訊くのが正しいでしょ! こんなアホ面なやつが相手だからいいものの、これがもし七瀬 真草に関わることだったらどうしてた!? あんた、簡単に殺される! あたしも巻き込まれて無意味に死ぬだけ!」
「あーっ、もう、うっせぇ! ぎゃーぎゃー騒ぐなよ! あの間抜け面のわけわかんねぇやつに聞こえたらどうすんだよ!」
「うるさいのはあんたでしょうが! って言うか、あの能天気なバカにこんな話聞こえるわけないでしょ!」
「だよな! はははははっ!」
「でしょ! ぎゃはははははっ!」
「……………………………………」
沈黙。
静寂。
それは果てしなく永遠に、限界なき永久に感じられた。
「…………」
「……えっと」
憂馬と伊和里は硬直する。
動かそうにも指一本すらままならない。
しかし、その中で唯一可動する首をゆっくりと薬師の方に向けると、
「プランちゃん――」
穏やかな声調だったが、表情は暗がりでよく見えない。
「はい……」
「僕の――」
ごくり、と伊和里の生唾を飲み込んだ音が憂馬にまで届いた。
「僕の尻を――」
「尻……」
ごくり、と憂馬の生唾を飲み込んだ音が伊和里にまで届いた。
「僕の尻をさっきみたいに罵倒しながら蹴ってくれないか?」
「…………」
「…………」
「……えっと、え?」
「……ほら、伊和里ちゃん、やってやれよ」
憂馬はさらに固まった伊和里の体に肘を打ち催促する。
「えっと……あの――」
薬師の形容できないほどの気持ち悪さを帯びた笑顔に、憂馬は戦慄した。
身の毛がよだつほどに。
脚がぶるぶると震えるほどに。
下っ腹から何か出そうな、そんな感覚に陥った。
「嫌です」
その瞬間、薬師は精魂尽きたかのように、膝からコンクリート地に落ちた。
無様にも砂利を頬に、しかしそれでいて、どこか満足したかのように安らかな表情をしていた。