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パラダイス・ロスト  作者: 三番茶屋
EPⅢ Paranoia Lost
41/44

 再開再会のプリマヴィスタ

「何してんだよ、そんな格好で。ボロボロじゃねーか」

「…………」


 伊和里がどこで何をしているかなど露ほど知らない憂馬は、手探りに走り回るわけでもそれらしい聞き込みをするわけでもなく、伊和里が住むアパートの前でただじっと待っていただけだった。

一日や二日くらい待つかもしれないと不安だったけれど、幸いにもそれは杞憂に過ぎなく、小一時間ほどで伊和里は姿を現した。

 しかし、見れば。

 愛しいと思えた顔は血まみれで、

 彼女にしてはセンスの良い衣服はボロボロの布切れで、

 切れ間から覗かせる痛々しい傷口が哀れで、

 誰の血なのか、彼女のそれなのか、それすらもわからないほどに赤く――

 赤く染まっていたのだった。


「聞いてるかよ、伊和里ちゃん」

「…………」


 伊和里は沈黙を保ったまま俯き、アパートの階段の前に陣取る憂馬を雑に押しのけるが、しかし、その力は弱々しく、子供に押されたかのような感触でしかない。

もはや憂馬が踏ん張らなくとも、そこに質量と重量を有した何かがあるだけで遮るには十分だったろう。

「あんたには関係ない……」

 抵抗も空しく、憂馬を追い払う力がないことを自覚した伊和里は自ずと呟く。

風にさらわれてもおかしくない声量だった。

「関係あるよ。伊和里ちゃんが突拍子もなく人を殺してるってことは、俺にも関係のある話だ」

「どこが関係あるの……」

「俺のせいでそんなになってんだろ? 俺のせいでそんなことをしてんだろ?

 俺のせいでそんな風に傷ついて、俺のせいでそんな風に苦しんでんだろ?」

 伊和里は答えない。

 辛うじて保たれたような意識で、ふらふらと泳ぐ視点で、やっとの思いで憂馬を睨みつけるだけだった。

「伊和里ちゃん、らしくねーよ。どうしたんだよ、一体。そんなボロボロになって、酷い怪我までして、一体何をやってんだよ」

「……別に、ただイライラしただけ」

「イライラして殺戮行為に及んでるってことか? それで自分まで傷ついてストレス発散? 俺はそれが、らしくねーって言ってんだよ」

 らしくない、その言葉に反応するように、

「らしくないって、あんた、あたしが《通魔殺人鬼(ノープラン)》だってこと覚えてる……? 通り魔ってのは、無差別に無鉄砲に無闇に無暗に無考えに人を殺すってことだよ……」

 と、伊和里はまるで誰に聞かせるわけでもない独白を零すように笑った。

 その笑顔にも、力はなく――儚い。

 自分自身を嘲笑し、限りなく自虐的なそれに、憂馬は心臓が握り潰されるような感覚に襲われる。

今まで見てきたどの伊和里でもない、いつでも毅然で泰然としていた彼女が初めて見せた疲弊し切った姿に、それがまるで自分のことかのように思えてならなかった。

 他人事であるのに。

 所詮、他人事であるのに。

 どうしてこんなにも苦しくなるのだろう――自問した結果、回答は得られない。

「それで、伊和里ちゃんは満足したのか?」

「…………」

「本当にそれが伊和里ちゃんの『らしさ』って言うなら、俺はこのままあんたのことを忘れて生きるよ」

 冷酷にも、残酷にも、憂馬は剣呑な眼差しを送りながら言う。

「確かに、一方的で図々しいって思われるかもしれねぇ。俺から決別したのに、こうやってまたのこのこと伊和里ちゃんに会いに来てんだからさ。女々しいよな、ったく……でも、守りたい人が守りたくない人に成り下がるのは嫌なんだよ」

「…………っ!?」

 憂馬にはそんな意外な反応が返ってくるとは思ってもいないことだった。 

まさか伊和里が目を引ん剥き、ぱくぱくと金魚のように口を開いては閉じるとは――その驚愕した様を見るのも初めてで、憂馬は自然、口から出た言葉を吟味して心中で反芻し、何が悪かったのかを探ったが、皆目見当がつかない。

「守りたい人、守りたくない人……」

 伊和里は反復して、放心する。

 やっとの思いで立っているのか、膝が震えていた。

「んん……まぁ、そうだろ。だって、伊和里ちゃんには借りがあるし、俺のことも守ってくれたじゃねーか。ってことは、俺が伊和里ちゃんを守りたいって思うのも自然だろ? 今でこそ離れちまったけど、それでも前まではお互いにパートナーみたいだったじゃん」

 憂馬は続ける。

「とは言っても、俺が伊和里ちゃんのパートナーを務めるだけの力があったかと訊かれればそうじゃねーし、これは俺の自分勝手な思いなんだけどな――おっと、俺まで自虐的にマイナス思考になってどーすんだよ、かははっ」

 笑って誤魔化す憂馬ではあるが、心の底で抱いていた本音はまさにそれだった。

伊和里には感謝してもしきれない恩があるし、だからこそ、それを返すのもまた義理人情が故にである。

自身の性格が自由気ままな自分勝手で図々しいと自覚しているので、せめて仲間には義理人情に(あつ)くあるべきだと、憂馬のアイデンティティーのようなものだ。




「で、伊和里ちゃん、話を戻すけどさ――七瀬 真草とはもう逢えたのか?」








「そんなに辛そうにして、独りで生きていくことが楽しいのか?」







「苦しいなら、疲れたなら、いつだって守ってやるよ。その代わり、伊和里ちゃんは俺も守るってどーよ? それこそパートナーじゃねぇか、ははははっ」





 唐突なその言葉に、

 穏やかでたおやかな声色に、

 何でもお見通しであるかのような口ぶりに、

 全てを知ったかのような口調に、

 心中を見抜かれたかのような態度に、

 何も知らなくとも、何かを知った上で優しく微笑みを向ける、憂馬の微笑みに――





「う、ぅぅっ…………」

 



 伊和里は脱力して、憂馬の胸に体重を預けた。

 整った顔を歪ませて、涙か鼻水かわからない液体を零しながら、

「憂馬……助けて……っ…………」

「当たり前だろ、その為にわざわざ来てやったんだよ、バカ」

 憂馬は胸元でわんわんと泣き叫ぶ伊和里をただただじっと受け止めた。

 その細い体躯に手を回そうとしたがそれは(はばか)れ、せめて頭くらいは、と優しく伊和里の頭を撫でた。

 艶やかで柔らかく、それでいて温もりが伝わる頭部を撫でていると、不思議と思い出すことがあった。

 そう言えば、と。

 憂香が泣いた時はいつもこうして頭を撫でてやったな、と。

 しかし、高校生にもなるとさすがにそんなことはできなかったけど――憂馬は声を出さずに笑みを浮かべる。

 その懐かしさを鮮明に思い出すのはもう少し先になるだろうが、せめて今は目の前の問題を解決することに集中するべきだろう。

そうすれば自ずと憂香に近づくはずだろうし、『失楽園(パラダイスロスト)』と呼ばれる謎めいた言葉の意味も知ることができるだろう。


 《殺人鬼殺人(キラーキラー)》七瀬 真草。

 

 その問題という名の壁は、険しく高い。

 彼の名称が放つ嫌厭(けんえん)さを憂馬は認識していのだ、それは直感にしか過ぎない推測だけれど、強ち間違いではない。

いやむしろ、より正しくそうであろう。

 しかし、一人ではない。

 一人ではなく、二人なのだ。

「あたし……一人で、い、今まで一人で――」

 そう。

 今はもう一人じゃない。

「頑張ったな、伊和里ちゃん。けど、これからもう一踏ん張りしねーとな」

「うん……」

「それと、伊和里ちゃんは一人で抱え過ぎなんだよ。何か思うことがあっても口にしねー時もあるし、そういうのは今後なしってことで」

「うん……」

「あと、伊和里ちゃんちにある俺の荷物は大事に保管しておくこと」

「う、うん…………」

「それから、命の次くらいに大切な俺の服は、埃が被らないようにビニールで保護しておくこと」

「…………」

「最後に、伊和里ちゃん――」

「何……」

「今まさに伊和里ちゃんが着てるそのズタズタになったジャケット……俺のだよな?」

「うん!」

「気持ちいい返事だなぁおい!」

 不覚にも、久しく見せる伊和里のデレに心奪われる憂馬であった。


 それから、疲労し憔悴した伊和里の回復を待つべく、二人はそのまま部屋に入り一夜を過ごした。

 一日を経て。

 二日を過ぎ。

 三日が去り。

 四日目の朝、体力を全快させた伊和里は、


「起きろ」

「…………」

「起きろ、起きろ、起きろ」

「……んー……うーん」

「三秒以内に起きないと殺す。さーん、にー……」

「おはよう、伊和里ちゃん」

「おはよ」

「じゃなくて、三秒以内って厳しくないっすか?」

「どーせ起きてたくせに」

「本当に寝てたらどうすんだよ……」


 どうせなら、あの涙を機に丸くなっていて欲しかった憂馬だったが、そんな淡い願望はともかく、伊和里のあるべき姿がやっと戻ったことは、素直に喜ばしいと思った。

しかし、棘々しかった伊和里の人格のそれがさらに伸びたような気がしないでもないけれど。

「あの時の伊和里ちゃんはどこに消えたんだよ、ったく」

「何?」

「いんや、何でもねーよ、かははっ」

 まぁ、それはそれでいいだろう。

 この伊和里ちゃんもそれはそれでなかなか可愛いし――と、憂馬は含みのある笑いを見せた。


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