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パラダイス・ロスト  作者: 三番茶屋
EpⅠ Paradise Lost
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 通魔殺人のインティミデーション

道無 伊和里(みちなしいより)

 そう短的に、単純明快に、一言で自己紹介を終えた黒髪の女の子――伊和里は外見とはそぐわない笑い声で、快活に憂馬を罵った。

「バッカじゃないの、人の肉なんて食べさせるわけないじゃない! どう考えても普通の鶏肉だったでしょうよ! 何をどう間違ってそんなわかりきった嘘を信じたのかは知らないけど、まさか吐くほどとはあたしも驚きだわ! ぎゃはははははっ!」

「…………」

 知的で大人しい印象を与える伊和里だが、本性はまったく別のそれで、とてもじゃないが受け入れる事が難しい笑い方は憂馬が彼女に対して抱いた第一印象を見事に木っ端微塵に吹き飛ばしたのだった。

しかし、時折見せる冷静さはやはり知的な印象を与えるには十分で、どちらが本当の彼女なのかが憂馬にはわからなかった。

と言うことはつまり、両方を有しており、両方を兼ね備えているということになるのだろう。

 伊和里が住むアパートは内装で感じた以上に古びていて、外観は人が寄りつき難いほどだった。

赤錆びた鉄骨は大きな音を立てて軋み、塗装が剥げたコンクリート壁は無骨な印象を与えた。

まるで心霊スポットで紹介されてもおかしくないほどで、こんなアパートを住居とする人がいるのかとさえ疑えるほどだった。

 しかし、禁厭(きんえん)が行われていそうな雰囲気を醸すスポットは憂馬にとって好奇心を向ける対象だった。

オカルトだとか都市伝説だとか、街談巷説や道聴塗説など、噂話や絵空事にはあまり興味が沸かないのは確かだったけれど、少なくとも、少々の情欲を駆るには十分だったのかもしれない。

 深夜を過ぎた時間に、伊和里は「ついて来て」と腰が重い憂馬の手を引っ張って外に出た。

まばらに設置された街灯の明かりを避けて、まるで人目を忍ぶように歩く伊和里の様子を憂馬は不思議に思いながら後を追う。

前後の確認は勿論、左右の確認まで怠らないその様はまるでスニーキング任務をするスパイのようだった。

 そして、場所は変わり、憂馬の自宅である。

出入り口は規制線だらけで、自分の自宅だと言うのにどこか他人の家であるかのような錯覚を覚えた。

 自分の自宅のようで、そうではない感覚。

 自分のようで自分ではない、そんな錯覚。

 それはまるで誰かに操られたかのように、自分の意思とは反するように、命令系統の向こう側に存在する自分のように、自律神経を介さないもう一人の自分のように、わけもわからないまま刃を握った――あの時の自分と似た感覚だった。

 自分が何をしているのかもわからない、

 自分が何をしようとしているのかもわからない、

 自分が何者なのかもわからない、

 もう一人の自分がいるようで、

 本当の自分がいるようで、

 隠れていたものが表に出てきたようで、

 露呈したようで、

 露骨に露見したようで――

 だから、

 だから――


「……………………」

 

 規制線を潜り抜け、人の目を気にしながら玄関の扉を開錠して開け、リビングに通じる戸を引いた。

 死体はすでに回収された後だった。

殺人事件を取り上げた刑事ドラマでよく見るような白線と何かを示す番号の振られた黄色の三角があった。

血が染み込んだフローリングはドス黒く変色して乾燥したようだった。

 目も。

 眼球の乾燥も感じる。

 まるでその一点だけが異次元の別空間のようだ、と憂馬は思った。

 

「へぇ、ここであんたの両親が、ねぇ……」

 伊和里は艶やかな黒髪を手ぐしで整えながら言う。

「死体が一つ、二つ……全部あんたがやったんでしょ?」

 その質問に憂馬は一瞬沈黙した。

 曖昧で欠落した記憶を想起させるのに少々の時間を要したからだった。

「えっと……」

 確かどうだっただろうか。

 あれは夢ではなかったのだ、紛れもない現実だったのだ。

 ならば思い出せる――思い出せるはずだ。

 いつものように帰宅して、リビングを開けて――

 そしたら両親が倒れていて――

 首がなくて――

 関節が曲げられていて――

 血が――

 血溜まりが――

 踏んで――

 包丁を握って――

 握って――

 跨って――

 刃を、

 その刃を腹に向けて――


「……俺は、やっ…………ねぇ」 

 憂馬は叫んだ。

「や、やって……俺は……やって、ねぇ!!」

 誰にも聞こえない。

 誰にも届かない。

 側にいる伊和里は同情を含んだ目で憂馬を見るだけだった。


「俺はやってねぇ! 俺が殺した!? 俺が親を殺したって!? ざけんなよ、ふざけんなよ! 俺は何もしてねぇ! 俺は、俺は……俺がそんなこと、するはずがねぇ……」 


 慌しく肩で呼吸する憂馬を眺めていた伊和里は了承を得ずにキッチンに向かい、グラスを取り出して蛇口を捻った。

並々に水を注いだグラスを一気に飲み干して、空になったそれに再び水を入れた。

伊和里はグラスを一杯、憂馬に向けて差し出す。

「……ほら、落ち着いて」

「あ、あぁ……ありが――」

 伊和里は差し出された憂馬の手には渡さず、そのまま、渡す素振りを見せたそのままの勢いで、憂馬の顔面に向けて水を浴びせたのだった。

「…………っ!?」

「落ち着け、バカ」

 プラスティック製のグラスを無造作に放り捨て、呆然とする憂馬の胸倉を掴み上げた。

そして、力任せに捩じ上げる。

 憂馬は理解が追いつかない思考の中、抵抗しても解くことができない腕力を前に絶息した。

 女子が有する力ではない。

 その体格に有するはずがない力である。

 まるで獣のような力で、まるで鬼のような力だった。

 振り解こうにもびくともしない。

 頭を垂らした伊和里の表情は前髪に隠れて窺えなかった。

まるで何かに乗っ取られたかのような、何かに憑かれたような雰囲気に憂馬の表情は曇る。

 息も絶え絶え、思考も真っ白。

 憂馬はその中で、微かに思い出したことがあった。

 あの時――自分の両親を何度も突き刺したあの時、死体を前にして震え上がった自分はどこに行った?

 あの時――自分の両親を何度も突き刺したあの時、刃を握り締めて人体内を発掘したあの力はどこから来た?

 それはまるで、今目の前にしている伊和里と同じような雰囲気だったのではないだろうか――微かに、そう思えたのだった。


「そうだ、改めて自己紹介しよっか――」

 伊和里は言った。

 顔を上げて。

 表情を晒して。

 赤い。

 赤い、黒い、

 ワインのような瞳を晒して。

「《連続殺人鬼(シリアルキラー)》と名高い貴船 憂馬くん、あたしの名前は道無 伊和里――《通り魔殺人鬼(ノープラン)》という蔑称はあたしのこと」

 鬼。

 それは鬼の顔だった。

 赤黒い瞳の、鬼の形相だった。

「の、のーぷらん……?」

「あんたはまだ気付いていない。自分が何者か、本当の自分が何者なのかを。だからあたしが気づかせてあげる。この身を費やして、リスクというリスクの全てを覚悟した上で、あんたを生き返らせてあげる。あんたが《本物》なら生き残る、けれど、あんたがもし《偽者》なら――」

 ビー玉をぶちこんだかのような瞳が光った。

 暗闇の中、何を反射したのかわからないけれど、一瞬の煌きがそこにあったような気がした。


「――死ね」


 耳元で囁かれたそれは、憂馬の全身の末端から末端までを襲った。

 震えの中に、鳥肌の中に、恐怖の中に、

 僅かな胸の高鳴りを覚えたのだった。







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