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パラダイス・ロスト  作者: 三番茶屋
EPⅢ Paranoia Lost
35/44

 経過観測のトークトゥトーク

 戦闘の後、夏焼は正式に憂馬を『血まみれの血統(ブラッディブラッド)』に迎え入れ、勝利の熱が未だに冷めない彼に部屋を用意した。

雑居ビルディングの地下が『チーム』の空間だとするならば、上層は個人の空間だった。

《異常者》の中には、憂馬のように根無し草の者も多数おり、彼らの寝床となっているのがビルの上階だった。

しかし、メンバーの半数以上が”日常”と”異常”を往来する者で、上階フロアで生活する彼らは中でも一握りのようである。

「廊下は見ての通り汚いかもしれないが、部屋の中はシンプルに整えられているから心配いらないよ。どうせ空いてる部屋だ、無駄にならないのならそれがいい。食事はいつでも用意させるし、好きな時に彼女に言いつければいいよ」

と、夏焼はいつものと同じ声調で、慎ましく横に待機していたメイド服姿の女を紹介した。


「初めまして、憂馬様、出雲 瑠衣(いずもるい)です。不都合や不便があれば何でも言ってくださいね」


 少し恥じらいを見せた表情で自己紹介をする彼女だったが、それでも洗練されたプロフェッショナルのように流麗な動作で深々と頭を下げた。

 一般的なメイド服姿であるけれど、何はともあれ場所とのミスマッチ感が憂馬にとって耐え難いものだった。

服装は小奇麗なのに、ひび割れたコンクリートや黒ずみが目立つ廊下とはどんな目で見ても合っていなかった。

 憂馬が『チーム』への加入を決めた理由の一つに、待遇の良さが挙げられる。

それは前もってジュリィから聞かされていたことだった。

住む部屋と食事を用意してくれることに、伊和里を失った放浪者である憂馬は感激したのだった。

『チーム』の縛りもなく、あまつさえそれらを用意してくれるなんて、それほど好条件なことはないと思ったのである。

何か裏があるのかと最初は疑ったが、それはどうやらすでに晴れたらしい。

しかも、まさかメイド付きとは――憂馬は心の中で歓喜の叫び声を上げたくなった。

 挨拶もそこそこ、部屋に這入ると、夏焼が言った通り、中は非常にシンプルだった。

生活に必要な家具一式、必需品――全てが紅白で統一されていて、それについては憂馬が好むセンスではなかったものの、過ごしやすい環境であることは一目瞭然だった。

 多種多様の衣服類も準備されており、憂馬は早速、返り血と汗で染み付いた体を洗い流すべく、脱衣所に入った。

真っ裸になったところで部屋のドアが開き、憂馬はぎょっとする。

「お背中流しましょうか?」

 メイドだった。

 出雲 瑠衣と名乗ったメイドの再登場だった。

「…………」

「…………」

「えっと……」

「お背中、流しましょうか?」

 露になった憂馬の全身を凝視しつつ頬を赤らめ、瑠衣は変わらない口調で続ける。

「お背中――」

「結構っす」

 さすがの憂馬でも、見ず知らずの女性に裸を見られることに恥じらいを覚えたが、どんな状況下においても堂々とすることこそ男らしいと考えていたので、体の前方を包み隠さず、彼女に向かい合ってそれを拒絶した。

「いや、でも、お背中……」

「瑠衣ちゃん、俺の背中はそんなに安くねぇんだよ」

「では、前でも――」

「……は?」

「前も流しましょうか?」

「……結構です、許してください」

 憂馬は何を考えてそんなことを言い放っているのか理解できないとばかりに、そそくさとシャワールームに入った。

恥じらいを隠しながら全身を隠さないでいた憂馬だったが、それ以上に恥じらいもなくそんなことを言ってのけた瑠衣には敵わないと、熱いシャワーを浴びながら後悔の念に駆られる。

 頭を洗い出すと、脱衣所から「着替え置いておきますね」、と瑠衣のか細い声が聞こえたので、それについては礼を返したが、憂馬はできるだけ彼女と関わらないでおこうと決め込んでいた。

 何だあの女は――

 この『チーム』には変な女しかいねぇのか――憂馬の悩みがまた一つ増えた瞬間だった。


 憂馬は浴室の鏡を見て、自分の瞳が黒いことを確かめる。

『変色眼』――自分がどうやってそれとこれとを切り替えているのはわからないし、どうやって発動しているのかもわからなかった。

そこに条件があるようには思えないけれど、それがいつもの瞳に戻る自覚もなかった。

しかし、思えば戦闘の時に限って『赤眼』が現れることに思い至り、きっとそれが条件なのだろうと、憂馬は考えた。

 そう言えば、ジュリィがそれを『失楽園(パラダイスロスト)』への片道切符と表現していたが、それの意味を結局は聞けず仕舞いであった。

憂馬には『変色眼』がどのような契機と経緯を辿ってそれに到るのか理解することができなかった。

失楽園(パラダイスロスト)』が一体何なのかもわからないのだから、それも当然だろう。



「『変色眼』に『失楽園(パラダイスロスト)』ねぇ――」



 憂馬は頭の泡を流し終え、独白する。

 例えば、町屋がそれを集めているとして、だから何をするのだ、という疑問に行き着くのは当たり前だったが、憂香とは無関係の伊和里を『深刻数字(シリアスナンバー)』に勧誘したということは、きっとそういうつもりなのだろう。

 伊和里もまた、『変色眼』の持ち主――そう考えれば、伊和里はそれについて詳しい情報を知っているのだろうか、と憂馬は思った。

自分以上に長い期間を《異常者》として生きてきた彼女ならば、『変色眼』について何か知っているのではないだろうか――その疑問が出てくれば、自然、今頃どこで何をしてるだろう、と気になってしまう。

あんな別れ方をして、きっと伊和里を傷つけてしまっただろうか、でないとしても、もう金輪際関り合うことを拒絶されるだろうか。

最早、二度と会うことはないかもしれないと思ったが、数少ない稀少な『変色眼』だとするならば、今後また再開することも叶うだろうと憂馬は考える。


「謝るしかないよなぁ、ったく……」


 一連の動作で身体も洗い流し、気分もすっきり晴れたところで浴室を出、家庭用冷蔵庫を開けると、そこにはありとあらゆる種を網羅したように、様々な飲み物が備えられていた。

ジュース類は勿論、アルコールや栄養剤、冷凍庫の中にも大量のラクトアイスが詰め込まれている。

食事はメイドの瑠衣が用意するということもあり、中には食べる物がなかった。

しかし、キッチンの棚にはインスタント食品があり、ご丁寧に種類ごとに整理されていた。

ティーパックとポットも完備され、ホテルの一室かのような錯覚を覚える憂馬だったが、辛うじてそれを覚まさせたのは、テレビ棚に収納されたDVDの中に大人向け(・・・・)の作品が混じっていたことだった。


「…………」


 これは普通のホテルではありえねぇよな――なんて、憂馬はそれを手に取って確認した後、そっと元に戻すのだった。

 至れり尽くせりであるが、それにしても手が込み過ぎている。

そんなところに至るまで配慮されているとなると、余計に生活し辛い気もするが、それは好意として受け取っておくべきなのだろう。

 憂馬が皺一つなく整えられたベッドに飛び込んですぐ、また部屋の扉が開いた。

その音に、また厄介なメイドが来たかと身構えたが、どうやら違うようだった。

「ハーイ、憂馬クン! すっきりしたネ?」

 何の遠慮もなく片手を挙げながら這入ったのはジュリィだった。

彼女の姿を視認して、憂馬はそう言えば、ともう一人厄介な人物がいたことを思い出した。

「おかげさまだぜ、ジュリィちゃん。彷徨った甲斐があったってもんだ」

「それはよかったヨ! まぁでも、ワタシは自分の家があるから、中々こっちには来ないんだけどネ!」

「そいつは……よかったな……」

「へ?」

「いや、何でもねぇよ」

 ほっと胸を撫で下ろす憂馬に、ジュリィは頬を膨らませた。

 大人びた容姿であるものの、精神的にはまだ幼いのかもしれなかった。

しかし、外見では判断できないのが欧米人で、実年齢は意外にも精神年齢と同等なのかもしれない――憂馬はジュリィの年齢を気にしたが、深く質問してしまうと面倒なことになりそうだったので、出そうになった言葉を呑み込んだ。

「ところでジュリィちゃん、昨日言ってた『失楽園(パラダイスロスト)』って一体何だ?」

「あー……それネ――」

 ジュリィは言葉を濁した。

その様子に憂馬は首を傾げたが、

「ワタシも詳しくは知らないヨ! えっへっへ!」

 と、天使の微笑みを見せる彼女だった。

失望し、落胆しつつも、ついつい許してしまうのが憂馬の悪いところなのかもしれなかったが、それにしても反則級の笑顔なので、それは致し方ないことに違いない。


「憂馬クーン」


 ジュリィは突拍子もなく甘えた声で憂馬を呼んだ。


「抱っこー」

「……は?」

「憂馬クーン、抱っこ抱っこー」

「…………何言ってんの」

「ふふふ、それーッ!」


 下着一枚の姿で横になっていた憂馬の上に乗りかかるようにジュリィは飛び込んだ。

思いのほか荒い呼吸で、まるで発情した雌犬のようだった。

 だったが――それはともかく。

「ちょ、お、おわぁぁぁぁぁっ!?」

「ほらほらー、そんなもの脱いでヨー!」

「何すんだこの欲情メス犬!」

「ワンワンワーン!」

「ノリいいなぁ、おい!」

 あろうことか、下着を脱がしにかかるジュリィに対し、憂馬は全力で抵抗した。

軽い冗談、少し行き過ぎたスキンシップだと思っていた憂馬だったが、彼女の危ない目つきにどうやらそうではないらしいと感じ、ジュリィの両肩を掴んで引っ張る。

そして、自身と入れ替わるようにすぐ体を起こし、馬乗りになっていたジュリィとは逆の立場――跨った憂馬が彼女を押さえつける図になった。

肩を押さえつけられ身動きが取れないジュリィは涙目になっていたが、憂馬はそんなことでは騙されないと、恐怖に怯えながら彼女が落ち着くのを待つ。


「憂馬クン、いいヨ……」

「…………」

「憂馬クンがいいなら、ワタシ、いいヨ……」

「何がいいんだよ!」


 きゃっ、と女の子らしい声をわざとらしく上げたジュリィは赤面した風に両手で顔面を隠す。

 憂馬は溜息を吐いて、

「ジュリィちゃん、あんたのその発作はどうにかなんねーのか……」

 と、彼女の毎度お馴染みになりつつある大人な行為(・・・・・)に呆れた。

昨日から何回このような事態になったかもはや覚えていなかった。

かと言って、いつでもふざけているわけでもなく、真面目に切り替わることもあるので、憂馬はジュリィの心理状態を未だに理解できていなかった。

心理状態と言うか、思考回路を解き明かすことができずにいた。

「病気かよ、あんたは」

「欲情……?」

「欲情すんなよ、発情すんなよ」

「愛欲だヨ!」

「綺麗に言い換えただけだろ、あんたにそんなもんはねぇよ!」

「性欲……?」

「おい、ひっでぇ言葉に戻ってんぞ」

「憂馬クン、性欲あるんだネー、うわー」

「俺じゃなくてジュリィちゃんの話じゃないの!?」

「ワタシ日本語ワカリマセーンので」

「都合のいい外人だな……」

 憂馬が再び溜息を吐いたところで、ジュリィは「あっ」と声を漏らした。

そして、憂馬の手を解き、持ってきていたバッグの中から薄い紙を出す。


「マスターが暫く外出するらしくてネ、話す機会が後になるかもしれないからって――」


 ジュリィの発作が落ち着き、真面目モードに突入したことを察知した憂馬は素直にそれを受け取って目を通した。

 内容は至ってシンプル。

 単純明快に、見誤りなく、理解しやすく書かれていた。


『貴船 憂香の所在――『深刻数字(シリアスナンバー)』所属、現在は地方の施設いることが判明。度々、町屋 鶯と接触していて、恐らく憂馬くんが《異常者》だということや『血まみれの血統(ブラッディブラッド)』へ加入したことも既知としているかもしれない。事情はわからないが、彼女自身の意思でそこにいる様子だろう――夏焼 準より』


 と、書かれていた。

「ジュリィちゃん、メンバーの中に『深刻数字(シリアスナンバー)』と繋がってるやつがいるのか?」

「いや、いないと思うヨ。けど、お互い敵同士だからね、視察したり捜査したり、それはやってるカナ」

「敵同士……」

「昨日『ワタシたち』の目的について話したヨ。『深刻数字(シリアスナンバー)』の目的と『血まみれの血統(ブラッディブラッド)』の目的は正反対だから、嫌でも敵同士になるネ」

 なるほど、と憂馬は納得する。

 そうであるならば、これだけの情報を集めることくらい簡単なのかもしれないし、町屋の動向を探っているメンバーがいるのだろう。

情報が正確かどうかはさて置いたとしても、今後より新しい情報が得られるかもしれない、と憂馬は考えていた。

しかし、そこに到達するには――町屋や憂香と接触するにはまだ情報が不足していた。

「大丈夫だヨ、きっと」

 ジュリィは神妙な面持ちの憂馬に微笑んだ。

「大丈夫、何が」

「『深刻数字(シリアスナンバー)』の一人と話はつけてきたからネ!」

「ふぅん……それってどういう意味だ?」

 ジュリィは自慢げに、高いを鼻をさらに伸ばすように腕を組む。

「明日の午後、話ができるヨ! 薬師 友人(やくしゆうじん)って人が憂馬クンと会ってくれるってサ!」

「話が勝手に進んで――いや、そいつは俺としては好都合だな。ありがとう、ジュリィちゃん」

 突然の進捗で一瞬の戸惑いを見せる憂馬だったが、思ってもいない展開に素直に礼を述べた。

 ジュリィは感謝されたことでさらに鼻が高くなったのか、

「えっへへ」

 と、快活に笑った。

そこには勿論、自慢気な様子が窺えた。

「で、どうせ結局そいつと殺し合うことになるんだろ……」

「えっへへ」

「おい否定しろよ!」

「冗談冗談、そうなるかどうかはお互い次第だと思うヨ。向こうも別にそんなつもりはないみたいだし、多分、一応……恐らくネ」

「なんで大事なところが曖昧になるんだよ」

 どのようにしてジュリィが話をつけたのかを憂馬は気になったが、それにしてもこの展開は嬉しい誤算だった。

憂香の情報を得られる可能性が高い上に、『深刻数字(シリアスナンバー)』の一員と接触する機会がこうも早くに訪れるとは夢にも思っていなかった。

 先は長いと思っていたが。

 ちまちまと細々しく情報集めをするしかないと思っていたが――憂馬は逸る気持ちが抑えきれず、自分を忘れ、ジュリィを抱きしめていた。

まさに、自我を保つことができていなかった。


「えっ……へ?」

「ありがと、ジュリィちゃん」


 ジュリィが次に見せた微笑はいつものそれではなく、恥じらいと照れを隠したように吐息漏らして笑ったのだった。



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