血相血統のレッドサルベージ
それから展開が進捗するのは早かった。
『血まみれの血統』への参加条件や待遇については、ジュリィが難儀な言葉と悪戦苦闘しながらも淡々と述べていき、憂馬はそれに頷くだけだった。
会話の間に時折挟まれるビターな内容に憂馬は困らされたものだが、ジュリィの天真爛漫な笑顔を見るとつい何でも許してしまう。
いい区切りで話を終えた後、ルームサービスで夜食をとり、そのまま二人は泥のように眠った。
大人な会話を投げ掛けてくるジュリィであったが、随分と身持ちは堅いようで(当然の話だ)、ベッドは別々に使用した。
それが故に、彼女が持つ貞操観念があまり理解できない憂馬だった。
そしてさらに睡眠中、ジュリィの中年男性が出すようないびきに憂馬は苛まれたけれど、幸せそうに緩んだ表情と口元から垂れる透明の液体、そして腹を露にした寝姿にそれもついつい許容してしまうのだった。
鼻と腹を摘まんでやろうと思ったが、今日会ったばかりの女性に失礼と思い、それは憚れた。
かと言って、ジュリィ本人は憂馬に対し、何の遠慮もしていないのだから、それは気遣うだけ無用だったのかもしれない。
翌朝、早朝にはチェックアウトを済ませ、ホテルのロビーで購入した朝ご飯を手に二人は車に乗り込む。
憂馬は世話になったせめてもの礼として、レディファーストの精神でジュリィが乗り込む運転席のドアを開けたのだが、どうやらあまりにも不相応なことをしたらしく、彼女は口を大きく開きながら爆笑したのだった。
冗談にしても過ぎたことをして恥ずかしがる憂馬に追い討ちをかけるように、ジュリィは「似合ってないヨ!アハハハハッ!」、とそれを肴にして酒を飲むように車内でさらに腹を抱えた。
前夜に打ち合わせをした通り、『血まみれの血統』の創始者――夏焼 準との対顔を果たすべく、車は町外れから都心部へと向かっていた。
夏焼 準。
『血まみれの血統』、創始者。
ジュリィの話を聞くに、温厚で知的な人物だと言う――『チーム』の目的から鑑みても、それは強ち間違っていないのだろう。
伊和里や花孫、ジュリィといったまともな《異常者》も中にはいることを知った憂馬はそれについて特に気に留めることはなかったが、ジュリィが夏焼 準の説明の最後に、
「でも、厳しい人だヨ」
と端的に単純に、一言そう付け足したことが一瞬の気掛かりを残すことになったのだった。
さらにはそれを嬉しそうに言うジュリィの心境を憂馬が理解できるはずもなかった。
車を一時間ほど走らせて到着したのは、雑居ビル群が並ぶ繁華街の中心――そこから僅かな隙間を縫うように路地裏に入り、前に見えてきたのは鉄製の頑丈なシャッターだった。
見るだけで感じ取れるほどの重厚感に、憂馬はとんでもないところに来たものだと認識する。
しかし、ジュリィは前のシャッターには目を遣らず、その横に設けられた薄い鉄板の扉を開いた。
それに比べるとやけにチープだったが、錆び付いて変色した金属の塊を見るにそれも強ち間違いではないのかもしれなかった。
どこかのホラー映画で聞くような音を鳴らして開かれる扉の先には階段があった。
明かりはない。
ただ暗闇へと――地下へと伸びる、先の見えない階段だった。
「ここは……」
憂馬は声を漏らしながらジュリィを追う。
まるで奈落の底へと誘われるように、地獄への階段を下りるように――憂馬は一歩を踏みしめる度にそんなことを考えていた。
妙な静けさも相まってか、余計にそれを助長していた。
かつん、かつん。
と、ジュリィのヒールが金属を叩き鳴らす。
一定のリズム。
一定の間隔。
アルゴリズムのように。
かつんかつん――
「到着だヨ」
ジュリィが立ち止まったのを視認して、憂馬もその背後で止まった。
しかし、辺りは暗闇で何も見えなかった。
眼前にいるジュリィの背中が辛うじて見えるほどで、猫目でない憂馬は果たしてここがどこなのか皆目見当もつかなかった。
辺りを見渡しても、視界が晴れることはない。
「ジュリィ・ケイト・ロックハート、憂馬クンを連れてきましたヨーっと。にっしっし」
瞬間。
ぱっ、と辺りの電光が放たれる。
憂馬の視界は一瞬にして白く爆発する。
「…………っ!?」
そこは何もないだだっ広い空間だった。
昼白色の蛍光灯が照らす、真っ白な空間――いや、何もない空間ではない、壁際に紅白の衣装を身に纏った人々が一糸乱れない姿勢を保ったままで直立していた。
奥に見えるもの。
人影――
「ご苦労さんだね、ロックハート。スマートな仕事は相変わらずだなあ、まったく」
その人影が立ち上がって言う。
その際、僅かに巻き上がった風が彼の背後に掲げられた二つの巨大なフラッグを揺らした。
無骨な鎖に巻かれた赤い十字架――血溜まりに半身を浸けた十字架。
『血まみれの血統』の名を表しているのだろう、憂馬は一目でその影がチームの創始者であると確信できた。
男の声は徐々に近くなる。
そうすれば自然と影は薄れ、彼の全貌が明らかになっていった。
彼もまた紅白の衣装を身に着けていたが、他と違うのが黒を基調にしたデザイン――規律ある服装をした者が多数並んでいるということもあり、それが故に、彼が特別扱いを受けていることが見て取れる。
いや、特別扱いも何も、彼が創始者でありリーダーであるならば、それは当然のことだろう。
「初めまして、貴船 憂馬くん。これからは親しみを持って憂馬くんと呼ばせてもらおうかな」
落ち着いた声調だった。
穏やかな声色だった。
しかし、そこに緩みはなく、弛緩した様子もなかった。
聞けば気が抜けたような声だが、彼の瞳はしっかりとした意思を持って憂馬を捉えていた。
加え、強さを持った眼差しを憂馬は感じていた。
赤黒い髪色こそ奇抜で不相応のように思えたけれど、少なくともリーダたる雰囲気と圧力を憂馬はひしひしと感じていたのだろう、自然、彼から目を逸らしてしまう。
憂馬が人目を気にする性格だということではなく、彼の瞳が――夏焼の茶色の瞳に吸い込まれそうになったのだ。
まるで自分を見透かされ、見抜かれるような気がして止まなかったのは、その所為だったのかもしれない。
「初めまして、夏焼 準さん」
憂馬は少し目を逸らしながら軽く挨拶を済ませる。
柔らかい表情をする夏焼とは違い、憂馬の頬は堅い。
「そう緊張しなくてもいいよ、憂馬くん。ここには君の敵はいない、君を歓迎する者ばかりだ。仰々しい出迎えだったかもしれないけれど、これが僕たちのルールでね。規則規律と言ってもいいか、まぁでも、憂馬くんを縛るつもりはないから安心していいよ。僕は君の特殊性を買っているんだ、まぁ、嫉妬に燃えるメンバーは少なからずいるかもしれないけどね、はっはー」
「え、はい、そうっすか……」
「ふふ、いきなりで悪かったねえ。ロックハートのことだ、きっと突拍子のないことを言われて連れられたんだろう、それについてはまた後ほど彼女から直々に謝罪させるつもりだから、どうか目を瞑ってあげてよ。もし、どうしても煮えた腸が収まらないというのなら、何か別の方法で賠償しよう」
憂馬は夏焼の言葉を聞きながら、よく喋る人だな、と思った。
そんな心中を読み取ったのか、夏焼は憂馬の表情を見て、話を続ける。
「僕はどうも根からのお喋りでね、人と対話をすることが好きなんだ。憂馬くんはそういうの苦手かい? まぁ、僕としてはせっかくだから君のことについて色々と詳しく知りたいんだけど、それはコミュニケーションを重ねてからにしよう。憂馬くんも僕のことや『チーム』のことを知らないだろうしね。それから、君の妹の話もまたしなければいけないなあ」
「……妹、憂香のことを何か、知ってる?」
「さぁ、どうだろうね。それは正式に『チーム』の一員になってから話すことだろう」
「正式に……?」
憂馬としてはてっきり既に『血まみれの血統』に参加しているものだと思っていたが、どうやらそれは違うらしかった。
まぁ確かに、ジュリィに勧誘されただけであって、それがリーダーである夏焼の指示なのかはわからないし、かと言ってそうだったとしても、見ず知らずの他人を易々と歓迎するのもおかしいだろう。
いくら特殊だからと言っても、いくら『変色眼』だと言っても、人物像がはっきりしないのでは『チーム』に不調を来たす可能性もあるだろう。
そして、憂馬はなるほど、と納得して理解した。
正式な一員ではないということが何を意味しているか、それはつまり――
「憂馬くんには今から入団試験のようなものを受けてもらうよ」
予想通り、夏焼はそんな風に変わらない口調で言った。
「まさかペーパーテストなんかしないっすよね」
「まさか、はっはー、そんなまさかだよ。この”世界”に智慧は必要でも学力は不必要だしね。かと言って知識だけじゃあ生きてはいけない――生き残るには、生き抜くためには、技量も必要だろう」
「技量……強さってこと?」
「それはイコールじゃないねえ。確かに個人の強さも意味しているけれど、それだけじゃあない。生き残るためには、時には逃げることも必要だ、それも一つの技量であり強さとも言える。圧倒的な強さを前にして逃げ切ることもある意味そいつの強さだよ。強さってのは、何も人を殺すだけじゃない。人を生かすのも強さだ――要するに、僕は憂馬くんの実力が知りたいんだよ」
「実力ねぇ……」
憂馬はそうくるだろうと予想していた。
異常なるこの世界において、男や女、子供も関係ない――実力だけがものを言う世界、それがない者は淘汰され、殺されていく世界。
その中で必要不可欠なのは知識や智慧よりも、より実践的な術――殺しの技術でもいいし、夏焼の言う逃げる技術でもいい、それさえあれば少なくとも命を繋いでいけるのだ。
逆に言えば、今まで死んでいった者たちは何かが欠如し、どこかが欠落していたのだろう。
《放火狂人》真野 梶も、
《瞬間殺人》宵 夜子も、
《奇術殺人》宵 朝子も――死んでいった彼らはやはり何かが足りなかったのだ。
それは技術なのか、力量なのか、それとも実力なのか、それはわからない。
或いは、運なのか、それもわからないけれど、確かに何かが劣り殺され、何かが勝った者が生き残った、ただそれだけでそういうことなのだろう。
思えば、それはより正しい自然の摂理のようでもある。
平凡な”向こう側の世界”と比べれば、”こちら”は純粋な意味での弱肉強食だろう、と憂馬は考えた。
食うか食われるか、殺すか殺されるか、生きるか死ぬか――二つに一つで二者択一、分銅を乗せた天秤の如く、両者の間を曖昧に浮遊し揺らめくような、そんな”世界”だ。
一歩間違えるだけで殺され、一歩間違えるだけで死に、一歩正しく歩めば生き残る。
正しく歩めば歩むほど、そんな”世界”は自分に浸透し、底なし沼に陥ったように抜け出せなくなってしまう。
生き残れば生き残るだけ、それだけ他者を殺したことを意味し、より深層に到達するのだろう。
悪循環かもしれない。
負のスパイラルのようなものかもしれない。
けれど、
けれど――
「全然いいっすよ」
憂馬は不適に微笑んでそう答えた。
生き残るためには潜るべき試練もあるだろう、超えるべき壁もあるだろう、飛び越えるべきハードルもあるだろう、じっとしていても意味がない。
それは生きることを意味していない。
植物のように生きていたとしても、それはただ呼吸しているだけであって死んでいるのと変わらない。
憂馬の返答に少し目を見開いた夏焼は「それじゃあ、準備しようか」と微笑んだ。
憂馬の意気込みを察して優しい笑みを浮かべたのかもしれないが、少なくとも憂馬にとってその笑顔はやけに皮肉に見えたのだった。




