笑止千万のダウントゥダウン
「フンフフン、フンフーン」
「……………………」
「…………フンフフーン、フンフンフーン」
「………………………………えっと」
ホテル『LOVE&PEACE』六階フロアの一室、憂馬とジュリィはベッドの横に設けられた簡素なテーブルで向かい合っていた。
ジュリィは鼻歌を響かせ、満面の笑みを見せながらシャンパンをグラスに注ぐ。
その様子を憂馬は何とも言えない、形容し難い感情に駆られながら眺めていたが、一向に用件を切り出そうとしない彼女を横目に火照った顔を冷ましていた。
憂馬の期待(?)とは裏腹な展開に、落胆の色を隠せない。
いやそもそも、いくら夜のホテルだからと言って、『何か』に期待するのもおかしい話だが――しかしどうしてだろう、裏切られた気分に憂馬は陥っていた。
そう考えれば、逸る気持ちを抑えきれずに妄想を膨らませていた自分が情けなく、惨めに思えてくるのは当然だったろう。
しかし。
金髪碧眼の異国民であろうジュリィは日本人離れしたスタイルで、それが故に憂馬の情欲を駆り立てる。
厚手の上着を脱いだ彼女の体躯はまさに出るところが出た、と言える容姿だった。
その様に一瞬見蕩れながら、ごくり、と生唾を飲み込んでしまった憂馬は、連れて来られた理由を訊くほどの余裕はなく、こうしてできる限り目を遣らずに男性的本能を押さえつける他なかった。
顔は伊和里ちゃんの方が好みだけど、スタイルは圧倒的にジュリィの方が勝っているなぁ――なんて、そんなことを考えている内に、ジュリィはなみなみ注いだシャンパンを一気に飲み干した後、
「憂馬クーン」
と、甘えた声で言った。
その言葉によって、はっと我に返った憂馬だったが、ジュリィの猫を撫でたような声にまた心の奥が疼くのを感じてしまう。
外人も悪くねぇ、と憂馬はそこで新たな自身の嗜好を認識する。
とか何とか思いながら、
「それで、詳しい話を聞かせてくれよ」
赤く染めた頬を近づけるジュリィに対し冷静を装いつつ、憂馬は話を進める。
「詳しい話って言われてもネ、ただ『血まみれの血統』に入って欲しいだけなのヨ」
「だから、何の為に……」
「『目的』のために、だネ!」
チームの目的――憂馬はその言葉を聞かされ、改めて自分の認識不足を痛感した。
考えれば簡単に辿り着く疑問であったが、それぞれが何らかの『チーム』に属し、何らかの『目的』があるということまで深く思考していなかったのだ。
あくまで自分のために、あくまで憂香を探すために――ただそれだけだった。
「目的、『チーム』の目的……確かにまぁ、ただのお遊び集団でないってことは理解してたけどさ。で、それは一体何なんだ?」
「『血まみれの血統』の真の目的、それはこの”世界”を平等へと導くことヨ。誰も差別されない、誰も区別されない、そんな”異常”――常に生死が隣り合わせの、身の危険を案ずる
ことも必要ない、皆が支えあって生きていけるような……ネ」
「欺瞞だ」
「へ?」
「あ、いや……」
憂馬は咄嗟に出てしまった言葉を呑み込もうとするがすでに時は遅かった。
「そうだネ、欺瞞かもしれないし偽善かもしれない。けど、それが実現したら、ワタシたちは《異常者》として”異常”という”日常”を平凡に送ることができるかもしれない。背負ったものは違うかもしれないけど、それでも、普通の人として生きることが許されるかもしれないヨ」
憂馬はジュリィの言葉に感銘を受けていた。
殺すか死ぬか、その二つの選択肢しかないと思っていた”世界”にも、そうして平凡と自由を望む者がいることに驚きだった。
いや、それだけでない。
『血まみれの血統』というチームがどれほど困難な壁を乗り越えようとしているのかを、測るまでもなく理解することができたのだ。
《異常者》だから殺される。
《異常者》だから殺す。
”異常”だから生きるか死ぬか。
”異常”だから殺すか殺されるか――根底に根付くそれらを根こそぎ覆そうとしていることに、憂馬は無謀以外の他に表現できる言葉が見当たらない。
しかしきっと、無鉄砲だと言われようと、無闇だと罵られようと、無様だと蔑まれようと、軽率迂闊だと揶揄されようと、『血まみれの血統』の創始者や多数のメンバーはその目標に向かって一致団結しているのだろう。
同じ釜の飯を食い、同じ明日に夢を見て、同じ価値観と認識を共有しているのだろう――憂馬は笑顔を絶やさないジュリィを見つめ、そう思えた。
「そっか、そういうことなら……」
悪企みをしていたとしても、憂馬はジュリィの純粋無垢な天使の微笑みに偽りはないと信じることにした。
「けれど……」
しかし、憂馬には不安があった。
『チーム』に所属してしまえば目的のために力を惜しまないことを約束しなければならないだろうが、しかし、憂馬にとっての最大の目的と言えば、『チーム』の方針がどうとかではなく、ただ一点、憂香の所在を突き止め会うことだった。
それが故に、自由が利きそうにない『チーム』に属することはつまり、身を拘束する可能性を秘めていると考えていた。
逆に言えばその分、情報量が増え個人的な目的は達しやすいかもしれない――結局は一長一短で、どちらが間違いとは言えないだろう。
『血まみれの血統』の目的はさて置き、属するも属さないのも、憂馬にとっては間違いではなく、かと言って、正しいわけでもない。
「心配しないネ! 別に『チーム』のために働けとか、雑用を任せるとか、そういうのはないヨ!」
ジュリィは憂馬の心境を察したように言う。
彼女は口を開きながら、二杯目のシャンパンを一杯目のそれとは違う、控えめに半分ほど注いだ。
「それってどういう意味だよ。さっきジュリィちゃんが言ったように目的があるんだろ、それなのにメンバーは何もしないでいいのか?」
「それは勿論、ワタシみたいな普通のメンバーは同じ願望を持って賛同参画してるんだから、『チーム』のために身を削るネ! けど、憂馬クンは違う――妹サンを探すのなら『血まみれの血統』は協力を惜しまないヨ」
「え、何でそこまで俺のために……?」
そのような条件であるならば、憂馬は『チーム』への参加を考えていた。
しかし、それはあまりに自身にとって好都合なもので、それが逆に不安感と不信感を煽るのは間違いなかった。
まさか何もせずに憂香の情報が手に入るとは思えないし、それより何か利益が発生するとは思えない無償の協力に疑問しか浮かばない。
憂馬からの申し出ならばともかく、それが『血まみれの血統』直々ならば尚更だった。
交渉や交換の条件には双方が利益を生むことが大前提だろう、まぁ例外として、力で押さえつける場合もあるかもしれないが――しかしそれにしても、憂馬が所属するだけでいいという条件に裏があるしか思えないのは自然の思考回路だろう。
「それはネ、憂馬クン――」
ジュリィは細く長い腕を憂馬に伸ばし、指す。
凶器のように整った鋭い爪が、憂馬の口元から眼へと顔面を沿うように動く。
「憂馬クンが『変色眼』の持ち主だからだヨ」
そのときのジュリィの微笑みは天使のそれと言うより、悪魔のそれとした方がより正しい表現に近かったのかもしれない。
「へんしき――」
憂馬はその言葉に聞き覚えがあった。
そう、それは確か、《奇術殺人》宵 朝子との戦闘で交わした言葉――先天性を持つ《異常者》に現れる、その中でも特殊なある種の能力のようなもの。
朝子が『変色眼』に執着心を燃やしていたことを、憂馬は思い返して、自身が秘めた特殊な異常性を少しだけ自覚した気分になる。
「この眼が、その『変色眼』ってのが、それだけレアだってことか?」
「そうだネー、うんうん、珍しいヨ。だからこそ、憂馬クンが『チーム』に入るだけでいいって条件になってるんだネ」
「でも、だからどうしてってなんねぇか。そうまでして『変色眼』が欲しいのか? まぁ、話を聞く限り、俺が欲しいんじゃなくて、それが重要みたいだけど」
「いやいや、勘違いしないでヨ、二つとも大事なのは確かだからネ! 『変色眼』も、《連続殺人鬼》も――いや、違うカナ、その眼があるからこその名だし、その名があるからこその眼だしネ」
今まで、憂馬は自身の異常性に気付いていたものの、それがどれほどのものなのか――どれほど特殊なものなのかを知らないでいた。
『変色眼』、瞳が赤くなることについても別段の疑問は抱かなかったし、それを思ったところで大した意味はないと考えていた。
赤眼だろうと黒眼だろうと、自分が自分であることに変わりはない。
ただ、憂馬はそうまでして勧誘する道理がないようにも思えたのだ――『血まみれの血統』が目的のためではなく、その手段でもなく、利益を考えずに自分を欲する理由がわからなかった。
いや――
心のどこかではわかっていたのだ、それはきっと、やはり『変色眼』と《連続殺人鬼》の二つが関わってくることなのだろうが、しかし、その真意はわからない。
『眼』と《名》――その二つを関連付ける材料を、憂馬は所持していていなかった。
「なぁ、ジュリィちゃん……」
「ンー?」
「俺の眼って、一体何なんだ……?」
疑問をジュリィに投げたところで、憂馬はふと思い出したことがあった。
町屋 鶯に勧誘された際、自分だけでなく伊和里もまた『チーム』に参加するよう要求してきたこと――そして、伊和里もまた、『変色眼』を持つ《異常者》であるということだった。
町屋は、
町屋 鶯は。
『変色眼』を集めて――
「憂馬クンの眼はネ、希望の象徴でもあり絶望への切符――」
結論に思い至る前に、ジュリィは神妙な面持ちで言う。
そこにあの笑みはなかった。
「踏み止まれば天国、踏み外せば地獄、絶望の淵と希望の淵をゆらゆらと浮遊しながら見つめる瞳、言わばそれは片道切符――」
「ジュリィちゃん、何を、言って……片道切符って、この眼がどこかに向かうのかよ……?」
ジュリィは喋るを止めない。
まるで何かに憑かれたような口調だった。
そして必然、一変したその様子に憂馬の表情は強張る。
「行き着く先は、『失楽園』――」
「パラダイス……ロス――」
その瞬間、憂馬の心にノイズが走った。




