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パラダイス・ロスト  作者: 三番茶屋
EPⅢ Paranoia Lost
29/44

 悲観視認のトラブルメーカー

「だから伊和里ちゃ……んぐ、そうひゃなくてほれはら……んぐほぐ、俺たちがどうふるは……らほ?」

「…………」

「ん、んぐ、ひいへる?」

「飲み込んでから喋って。すごく汚い、色々飛んできてる」

 憂馬と伊和里は治療を受けていた廃れたビルディングの下、一階にあるレストランで向かい合って食事をしていた。

 誰も寄り付きそうにないレストランである。

 憂馬と伊和里以外の他に誰もいないレストランである。

 街外れの郊外を理由に客が来ないのではなく、小汚い外内装のせいで誰も寄り付かないそこは、年のいった老人が一人で切り盛りしているようだった。

憂馬と伊和里はその老人がどれほど《異常者》と内通しているかを知らない――けれど、そこはかとなく老人や店内から醸し出る雰囲気は違和感を覚えるのに十分だった。


「と言うか、あの人は一体何者だよ。完治はまだとは言え、俺は一週間で自由に右腕を動かすことができるし、伊和里ちゃんは五日でほぼ全快……俺たちの回復速度が異常なのか、それともあの闇医

者が凄いのかわかんねーけど」


 鉄板に乗せられたハンバーグと大盛りのライス、手をつけていないサラダを目の前に置き、憂馬は軽く咀嚼しながら言った。

久しぶりにありついた豪華な食事に食欲は収まらず、豪快に次々と口の中に放り込む様を見て、伊和里は嘆息した。

病み上がりの伊和里は内臓に負担をかけるわけにはいかず、生唾を飲み込んで憂馬の食事を眺める。


「……ちょっとくらい食えば?」

「いらない」

「俺のサラダやるよ」

「余計にいらない。あんたが嫌いものを寄越さないで」


 憂馬と伊和里の怪我が有り得ない速度で完治の兆しを見せるには理由があった。

《異常者》の中にはある程度の怪我ならすぐに癒えてしまう者もいるが、しかし、二人にはそんな特殊な能力はない。

激しい活動は控えなければならないけれど、こうしてある程度自由な生活を送ることができるのは、主に柳凪 臣人(やなぎなぎおみひと)という経歴不明の医者のおかげだった。

 柳凪は医者であるものの、その職務は真っ当なものではない。

そして何より、患者もまた真っ当な者ではなかった。

彼の職務は主に《異常者》の治療――医療費は法外で目を疑うほどのものだが、腕は立つ。

それこそ、どれほどの国家医師だろうとそれすらをも凌ぐほどで、彼と関わった《異常者》からは『異師』と呼ばれることが多かった。

 その界では名高い柳凪のことなど露ほど知らない二人は、

「しっかしなぁ、どう考えてもおかしくねぇか、伊和里ちゃん。俺たちの怪我が一週間程度で大方治るって有り得ねぇだろ。もしかして、俺たちってサイボーグとかにされたんじゃねぇか?」

「サイボーグ、強そう」

 そんな暢気な会話をカウンターテーブル越しに聞いていた老人は、憂馬の食後を見計らってコーヒーを持ち運んだ。

何も口にしていない伊和里を気遣ったのか、彼女の前にはコーヒーと苺のショートケーキが置かれた。

 食器の音を立てることなく、洗練された動作で出されたティーカップと老人の顔を交互に見る憂馬は不審ながら問う。

「えっと、頼んでねぇけど……」

 老人は白くなった口髭に隠れた口角を上げて、薄っすらとたおやかに笑った。

それはそれは優しく柔らかな笑みだった。

 どうやらサービスらしい、とその表情から読み取った憂馬は遠慮なくコーヒーに口をつけた。

砂糖やミルクを入れていないそれを楽しむにはまだ早かったようで、苦い表情をする憂馬を見た伊和里は何かに気付いたように角砂糖を入れる。

 そして一口。

 うん、と頷きながら伊和里は満足気だった。

そして、ケーキを食べるかどうか悩んだ挙句、せっかくの好意を無碍にするのはよくないと考え、結局それを食べることにした。

 老人は仕事を終えカウンターの内側へと戻り、食器を拭き始める。

その様子をちらりと横目に窺う二人だったが、出されたコーヒーのおいしさに夢中になってしまっていた。


「――柳凪だよ」


 老人は独り言のように、そう呟いた。

 一瞬、憂馬と伊和里は自分たちに向けられた言葉なのかどうか判断に迷ったが、どうやら間違いなく語りかけてきているようだった。


「柳凪 臣人を知っておるか?」

「えっと……」


 憂馬はまさか喋りかけられると思ってもいなかったし、何より、その人物の名前など聞いたことすらなかったので、曖昧に口篭った。

しかし、コーヒーを出してくれた心優しい人の問いを無視するわけにもいかず、知らねぇっす、と答えた。

 老人はふっ、と鼻で笑う。

「君たちを助けた者の名だよ、柳凪 臣人――『異師』さ」

「俺たちを助けた……あの人のことか。名前は知らねぇけど、随分よくしてもらってる」

「ふっ、そうだろうな、彼は金さえ出せばそれ相応の仕事はする男だ」

「金……」

 憂馬と伊和里は互いに見合い、

「金とか持ってたっけ、俺たち」

「いや、持ってないよ、あたしたち」

 老人には聞こえないくらいの小声で確認し合った。

「金のことは心配しなくてよい。すでに彼女らが支払っておる」

「……誰?」

 伊和里は難しい面持ちで訊く。

 老人の表情と動作は変わらずだった。

二人に視線を遣る素振りすら見せない様は、まるで本当に独り言を呟いているように思え、伊和里は対話している気分にならなかった。

こんなにも会話し辛い人は彼女にとって初めてだったかもしれない。

「赤ヶ坂 行方と花孫 和花だよ。何だ、君たちは聞いていなかったのか」

「あなた、二人のことを知っているの?」

「そりゃもう、よーく知ってるさ。昔はやんちゃだったよ、彼女らは。よくここにも来たものさ」

 

 《異常者》だけを専門に受け入れる病院として機能するこのビルディングに訪れる者は数多くいる。

そこに『チーム』が何であるかという概念は存在せず、あるのは『患者』だけだった。

怪我人病人なら皆平等である――そのせいか次第に、周辺で(いさか)いや戦闘をする者はいなくなり、今となっては中立した土地として認識されていた。

 柳凪 臣人、そこに診療所を開いてからすでに十年以上が経っている。

それと同時に、老人もまた十年以上をレストランの店主として切り盛りしていた。

しかし、それは表の顔であり、柳凪を補助することこそが彼がそこにいる真の理由である。

 柳凪のおかげか、老人もまた同じく顔が広い。

彼にとって、憂馬や伊和里のような《異常者》が訪れることなど日常的に見る光景だった。


 行方や花孫もまた何度か診療所に訪れ、幾度か老人が提供する食事をとったことがある――老人は懐かしむように言い、二人に施設の背景などを端的に説明した。

それを聞いた憂馬は、柳凪がやっていることに感銘を受けたのか、目を輝かせた。

「へぇ、世の中にはそんな聖人みたいなやつがいるんだな」

「ふっ、柳凪は聖人ではないぞ。金のためなら誰だって構わない、聖人には程遠いさ」

 老人は柳凪を鼻で嘲笑ったが、憂馬はそんなことを言えるほど近い関係にあるのだと、逆にそう思わされた。

近しい間柄だからこそ、何でも言える――今の憂馬にとって、それは伊和里との関係を自然と連想させた。

「ってことは、柳凪も顔が広いってことだよな?」

 憂馬は老人に確認するように問うた。

「まぁ、そういうことだが」

「じゃぁ、誰がどの『チーム』にいるのか、ある程度は把握してるってこと?」

「そうかもしれんが……いや、どうだろうか、彼にとって『チーム』やその関係性など興味のないことだからな……勿論、儂もそういうことには疎い」

「そっか、まぁでも一応、訊いてみる価値はあるか」

 憂馬は溜息を吐いて、コーヒーを啜る。

 憂馬は町屋との邂逅で要求された『深刻数字(シリアスナンバー)』への参加を、迷いなく拒絶するつもりだった。

端からそんなつもりなど毛頭なかった。

仮に憂香の情報を得られたとしても、親殺しに関与した者の下につくことなどできるはずがなかったのだ。

それに、町屋が信用できる人物ならばともかく、偽の情報に錯誤される可能性もある――どっちにしたって、憂馬自身の目で確かめなければならないことだった。

 七瀬 真草に殺されるかもしれない。

 『深刻数字(シリアスナンバー)』全員を敵に回すことになるかもしれない。

 それでも、少なくとも町屋の言葉だけは信じることができなかった。

 憂香に辿り着くまでの道のりは長いかもしれないが、それでも確かな情報は一つだけ得ることができた。

町屋の言葉から予想するに、憂香は間違いなくどこかで生きている――それがわかっただけでも、憂馬にとって有り難く、そして少しだけ心が落ち着く要因となっていた。

 しかし、心の中を掻き混ぜられる要素もあった。

憂香の所在を町屋が知っているということ、それはつまり、憂香が”異常”を生きているということだった。

 ”異常”を《異常者》として生きている――それの意味が憂馬の不安を余計に煽った。

 いつ死んでも何らおかしくない”世界”で憂香が生きているということは、彼女もまたいつ死んでもおかしくないということだった。

そうとなれば、町屋を頼らずに自力で憂香の情報を集めることを急がなければならないだろう、しかし、確固たるアテがあるわけでもない憂馬はとりあえず手当たり次第にそれを仕入れるしかなかった。

 しかし、だ。

 自分の目的ははっきりしているし明確だけれど、伊和里ちゃんはどうなのだろう――憂馬は心の中で考える。

伊和里にとって何の縁もない憂馬の妹を捜索することに、彼女が与えられる利益はない。

むしろ、そのせいで標的にされるかもしれないという懸念がある以上、伊和里にとって不利益しかなく、害でしかないということを憂馬は理解していた。

それを知った上で伊和里に協力を申し出るなど、さすがの憂馬でも難しいことだった。

そう考えれば、老人と柳凪のような『何でも言い合える間柄』というのは未だに建設されていないのかもしれなかった。

 伊和里ちゃんがどんな思いで先日の依頼について来たのかはわからないけれど、利益や得が互いに一致しない以上、これから先は一人で目的を達成するしかない――考えた末、憂馬の結論はそれに至った。


「なぁ、伊和里ちゃん」

「なに」


 憂馬と伊和里は老人に深く頭を下げてからレストランを後にし、柳凪のもとに向かうべく階段を上った。

その途中、憂馬が言葉を発するが、その神妙な様子に伊和里は(いぶか)しんだ。

「伊和里ちゃんって、これからどうすんの?」

「どうするって……?」

 憂馬が言おうとしていることを理解できず、伊和里は問いを返す。

「俺は妹を――憂香を探そうと思ってんだ。けれど、俺の個人的な事情に伊和里ちゃんを巻き込むつもりはねぇんだよ。だから、怪我が治ればお別れになるかもしんねーな……」

 伊和里は沈黙した。

そう言われてしまうと、憂馬についてく理由がなくなる気がしたのだった。

「旅は道ずれ、とか何とか言うけど、さすがに俺は伊和里ちゃんの命の保証なんてできない。自分を守ることすらできねーのに、友達まで守れるだけの自信がねぇんだ」

「……かもね、あんた弱いし」

 伊和里は憂馬が狼狽する様子見たさに、馬鹿にするように不敵に微笑んだが、次に返ってきた反応は意外なものだった。

「そうだな、俺は弱ぇ……この間のことでそれを思い知ったんだ。だから、これ以上巻き込めねぇってこと」

 伊和里の寂しい表情に気付いた憂馬だったが、それ以上のことは何も言わなかった。

 確かに、ここまで連れ添って今更なことを言っているのはわかっていた。

しかし、命がかかっている以上、そう簡単に協力を依頼することはできなかった。

伊和里はおろか、自分の身すら守れない者がそれを言うには、憂馬の厚顔無恥も一歩引いてしまうことは必然であった。

 身勝手だろうと、伊和里の気持ちなど考えずとも、これ以上の世話をかけることに憂馬は気が引けた。

何より、伊和里に守られてばかりの自身の惨めさが腹立たしく思えたのだった。

 一人で立てないやつが誰かを守れるはずなんてない。

 一人で立てないやつが誰かに縋っていいはずがない――憂馬は自分に厳しくも、そう考えていた。


「あたしが何のためにここまでついて来たのか、わかってる?」


 伊和里は問う。

 初めて見る歪んだ表情は、憂馬の胸を締め付けるには十分だった。

 しかし。

 それでも。


「ごめん、伊和里ちゃん……今まで世話になった、色々と迷惑もかけた、ありがとう」


 憂馬の決意は揺るがない。

 覚悟は決まっていた。


「そっか……」

 

 伊和里の力なく消える声は憂馬の耳の中でいつまでも反響した。



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