無明黎明のトーキングアバウト
「あ、町屋の旦那、もう用はいいんですかい。思ってたよりえらい早いですな」
街外れの廃れたビルディングから出てきた町屋を待っていた物腰の低い小柄な男は、予め用意していた黒の車を横にして出迎えた。
そして、当たり前のように後部座席のドアを開け、町屋を車内へと招き入れる。
その様はまるで町屋専属の運転手のようで、訓練された執事が主に対する応対のような図ではあったが、小柄な男の身なりは決して綺麗とは言い難かった。
小奇麗なスーツとコートを身にしている町屋とは違い、彼は皺くちゃなジャージに一目で安物と思える薄いダウンを羽織っていた。
靴は履いておらず、素足を露にした雪駄を鳴らし、小柄な男は右の運転席へと回り込み、慣れた手つきでエンジンをかける。
「まぁな、ただちょっと意地悪をしに行っただけだ。青目、お前が気にするようなことではない」
「へぇ、重々承知してますよ。旦那が何を企もうと、何を考えようと、おらが口を挟む道理はねぇってもんです」
町屋は男が思いとは裏腹なことを言葉にしていることを察して、溜息を吐きつつ語る。
「気になるなら教えてやっても構わないが、なに、ただあいつらを誘っただけだ。まぁ、答えは見えているがな」
「《連続殺人鬼》と《通魔殺人鬼》ですかい、そいつはまた難しい賭けですな。町屋の旦那、おらはてっきりそんなリスキーなギャンブルはしねぇもんだと思ってました」
「くくっ、賭けではないぞ、青目。俺はただあいつらに釘を刺しただけに過ぎない。あいつらが『俺たち』に参画しようがしまいが、俺の目的は不変なのだ。仮にもし『俺たち』の同胞になることを断れば、あいつらは死ぬ。ただそれだけのことだ」
「へへっ、旦那は相変わらず恐ろしいですな。『深刻数字』に参加したとしても、どの道二人にとっては地獄でしょうよ。そういう意味じゃ、どっちも死ぬのと変わんねぇです」
青目と呼ばれる小柄な男――青目 土筆はバックミラー越しに町屋の表情を窺いながら歯を見せた。
気遣いや配慮に長けた青目の性格を気に入った町屋は、主に彼と共に時間を過ごすことが多かった。
決して話が合うわけではなかったが、居心地がよかったのは確かであった。
しかし、時折見せる青目の笑顔は町屋にとってあまり好みではなかったけれど、そのような些細なことは気にしないのが彼だ。
町屋にとって、野望以外の他は些細なことで、それこそ過程に過ぎない。
「死ぬのと変わらない、か――青目、お前にとって『死』とは何だ」
「へぇ、『死』ですかい……」
青目は前の黄色信号で減速し、配慮が窺える速度でゆっくりと停車した。
「おらにとっての『死』は旦那の死ですわ。そして、世界の終わりですな。旦那のために死ねるのなら望外というものです」
「くっくっくっ、そうか」
「ところで、旦那にとっての『死』とは?」
青信号。
青目はアクセルを徐々に踏み込んだ。
「俺にとっての『死』は”異常の果て”だ。目的のために必要であるならば死ぬことすら厭わないが、しかし、俺が死んでしまってはこの世界の終わりもまた見れないことになるな」
「旦那は世界を終わらせようとしてるわけじゃないでしょうよ、世界を始めようとしておられるんですぜ」
「…………」
「旦那が見たい世界の終わりは、おらにとって――『深刻数字』にとっての始まりです。そして、”旦那の世界”の始まりですな」
「ふん、当然だ」
青目は棘のある声色に怯えた様子で、へぇ、と軽く頭を垂らした。
町屋は意味のない雑談やたわいのない会話をしない人間で、それは見方によれば寡黙であるが、しかし、場合によれば饒舌に流暢に喋ることもあるので、青目は特にその辺りに気を遣っていた。
意味のない会話はしない――町屋とのコミュニケーションを図るには、基本的に会話以外の方法を考える必要があった。
勿論、町屋から投げ掛けられる言葉もあるのだが、それは専ら仕事やチーム、野望のことについてがほとんどだった。
実りのある会話は済み、それからは互いに無言が続いた。
しかし、青目にとって、沈黙すらも心地いいと思えた。
町屋のことを心底慕っている彼にとって、側にいることができるだけで満足であり、こうして利用されるだけで幸福感を覚えたのだった。
しかし、青目の浸っていた幸福感はすぐに終わりを告げる。
走行していた車は目的地に到着し、青目は物寂しい気持ちを隠しながら車体を停めた。
素早くエンジンを切り、ドアを開けて回り込み、町屋が座る後部座席を開く。
そのことについて、町屋は礼を口にすることはなかったが、青目はそれでも喜ばしく思えた。
『チーム』の大将には、横柄だと思われようが大きく居座ってもらわなければ下の者に示しがつかない――《異常者》を統べる者にはより大きな存在でいてもらわなければならないということを、青目は心底理解していたのだった。
町屋は人徳で他者を率いるような人ではなく、野望のためなら手段を選ばない貪欲さと強引さ、そしてそれが醸すカリスマ性が、青目や赤ヶ坂、七瀬を含むメンバーを支配していた。
青目にとって、町屋に対する想いはもはや陶酔に近く、恍惚に等しい。
だからこそ、町屋が思い描く”世界の始まり”或いは”終わり”に心の底から賛同し、疑うことなど何もなかった。
旦那のために死ねるのなら。
常日頃からその覚悟だけは決めていた。
天命や運命を甘受するように、腹は括っていた。
いつどこで野垂れ死のうと、それが町屋のためであるならば身を投げ打つことができる――青目はそれほどまでに惚れ込んでいた。
「隠れる必要はない、出て来ても構わないぞ」
青目を車に残し、町屋はさらに街外れにある、広大な土地の真ん中に聳え立つコンクリート壁で囲まれた施設の一角で、太い柱に向けて言う。
その言葉により、柱の影から姿を現したのは少女と思しき体躯の黒尽くめだった。
「久しぶり、鶯さん」
声調は活気と活力に満ちている――少女は柔らかい物腰で頭を下げた。
「挨拶はいい、それより、今日はお前に報告したいことがあってな」
「報告……?」
「お前の兄に会ってきたのだ」
表情は窺えないが、黒尽くめの少女は沈黙して身を固めた。
しかし、それも一瞬、すぐに言葉を紡ぐ。
「お兄ちゃ――憂馬に、ですか」
「ふん、別に俺の前で気取る必要はない。あいつにはお前の情報を与える代わりに『チーム』への参画を要求してきた」
「…………」
「お前たちの兄妹関係など俺にとっては知ったことではない。俺は目的のためなら手段を選ばないからな。不満は聞かん」
少女は気丈に振舞おうと一定の声調を保ちながら言う。
「答えは見えてますよ、鶯さん。どうせ、真草さんに殺されるんですから」
「ふっ、それはどうだろうな」
「……憂馬を買ってるんですね」
「現段階ではまだまだ、あいつの才能が開花するのは暫く先だ」
少女の心の声など、町屋は勿論、誰にも聞こえるはずがなく、憂馬が無事に生き延びているということを知った彼女の心は小さく揺れ動いたのだった。




