赤紅魔女のハートフロー
その後、力なく再び倒れ、意識を完全に失った伊和里だったが、花孫により救出された行方が施した応急処置のおかげで命に別状はなく、幸いにも危機を逃れた。
少し離れたところで無様な醜態を晒しながら目を瞑る憂馬も、行方に処置を受け、折れ曲がってしまった右腕は正常の位置へ戻った。
双子により誘拐された行方だったけれど、拷問された様子はなく、どころか監禁されていたわけでもなく、花孫が社の中に這入ると、コーラとお菓子を前に広げながらくつろぐ彼女の姿があったのだった。
それを見た花孫は目を引ん剥き、涙を流しながら怒声を上げたが、対して、他人のことなど露ほど考えていなかった行方はその様子に呆然として、彼女も彼女で目を見開いた。
しかし、花孫に多大な心配をかけたことを察した行方は胸に飛び込む彼女をしっかりと抱きしめる――立場は敵同士であれど、二人の間に結ばれた繋がりは強固なものであったことに違いなかった。
「あらあら、二人ともきれいに意識が飛んでるわね……一応、応急処置は済ませたけれど、彼女の方はすぐにでも病院に運んだ方がよさそうだわ」
「伊和里さん、ケガの具合が具合ですからね……」
「腹の中心を抉られて、手のひらを貫かれて、よくまぁ立ってられたわね。ただでさえ貧血だったでしょうに――しかも結局、双子二人を一人で相手したなんて、まったく恐ろしい子ね」
「……ですね」
憂馬と伊和里の応急処置を済ませ、二人を病院に移送する段取りを組んだ行方は遠い目をしながら言う。
何とも言えない、表現し難い表情だった。
二人にとって縁のない行方を依頼とは言え命懸けで助けてくれたことに、ぐっと込み上げる感情があったのは確かだったが、その思いとは裏腹に、伊和里の強さと恐ろしさを後の懸念材料として危惧する考えもあった。
今ここで殺しておいた方がいいかもしれない――そんなことを行方は心の隅で考えていた。
しかし、少なくとも憂馬と伊和里は純粋に花孫に手を貸しただけであるということを理解していた行方がそのような暴挙に出ることはなかった。
どれだけ曲がろうとも、どれだけ捻くれようとも、行方には自分を救ってくれた二人に厚い義理人情を感じたのだ、それならば敵味方関係なく、ただ頭を下げるだけでよかった。
行方は傷だらけで雑巾のようになった二人と花孫を交互に見て、
「あら、あなたもしかして戦っていないの?」
と、問うた。
花孫はその言葉にぴくりと体を反応させる。
「え、えっと、だってほら……わたし弱いですし……二人の足を引っ張るだけかなーと思って……」
「ふぅん、死に物狂いで戦う二人を外野から観戦していただけなのね、ふぅん……」
行方はあえて意味を深めるように、花孫をじと目に見る。
「ねぇ、あなた、どうして戦わないの?」
「それは……」
「戦うことに強さなんて関係ないわ。勿論、強さがなければ勝てない――けれど、戦わなければ勝てないのよ。あなたがどうしてそこまで自分を貶めるのかを知りたい、という意味ではなく、自分の力を行使しない理由を知りたいのよ」
少なくとも私はね、と行方は加えて続けた。
「あなたたちに感謝をしている。助けてくれたことは勿論、彼らを突き動かした利他の精神に多少なりの敬畏があるのよ。まぁ、彼ら二人には二人の事情があってあなたの依頼を請け負ったのだろうけれど、それでも、戦うことのできるはずのあなたが何もしないでいたというのは、私ではなく彼らに無礼じゃないのかしら」
「…………」
行方が花孫に説教をすることは珍しいことではない。
しかし、花孫は普段とは違う行方の声調に怯えを隠せなかった。
まるで親に叱られる子供のように、花孫は目を潤わせて沈黙する。
「わたしだって、二人の手助けがしたかったです……だけど、わたしが戦うと――戦ってしまうと、二人を巻き込んじゃうんです」
「《執行者》花孫 和花、あなたの力は一体何なのよ」
涙を浮かべた花孫の目尻から滴が頬を伝う。
「わたしの力、ですか――そうですね、見て頂いた方が説明するよりも早いです」
花孫は行方から少し距離を取って、背を向けた。
しかし、何をするでもなく、そのまま境内の周囲を囲む枯れ木の方へと歩みを進める。
行方には花孫がこれからやろうとしていることに全く見当がつかなかった。
振り返ることなく歩み。
境内の隅、重なり合う木々に向かって、花孫は言う。
「誰だかわかりませんが、隠れても無駄ですよ」
そんな風に、一見して意味のわからないことを言う花孫に、行方は一瞬の戸惑いを覚えた。
しかし、それも一瞬。
戸惑いは納得に変わる。
「へへへっ……よく俺様がわかったな」
と、姿をゆっくり現したのは――
「初めまして《執行者》さん、七瀬 真草が俺様だ。」
一切の無駄なく引き締まった体と金色の頭髪が印象的な男がそう名乗りながら姿を露にする。
体の線は細めだったが、そこに脆弱さはまるでない――特徴的な長めの金髪を掻き上げながら、気だるそうに、それでいて不気味に薄ら笑みを浮かべて、花孫を見る。
黒のタイトなズボンに黒のシャツ、その上に白のカーディガンを羽織った青年。
その姿を視認した花孫は大きな目をさらに大きくさせて、一歩後退した。
「おいおい、なんだなんだその面は……びっくり人間を見るような面してんなよ。そんなに俺様の顔が珍しいか? それともあれか、俺様の名前を知っててびびったか? へへへへっ!」
「『深刻数字』の……」
「俺様の名前を知ってんなら結構、俺様の通り名を知ってんなら上等だ」
真草はにやりと微笑む。
「……《殺人鬼殺人》ですね」
「ほう、やっぱ知ってたか」
「知らない人はいませんよ」
真草はその言葉に、そっか、と納得の表情を見せた。
しかし、一変。
雰囲気は次第に高圧的になる。
花孫を凄ませるための圧力を、緊張感を醸す威圧を与えた。
「知ってんなら話は早ぇや……ところで、さっき誰だかわからないが――」
眼前に花孫を置いて。
眼前に真草を置いて。
互いが互いを見つめ、対峙した。
「力を見せてくれるとか言ってなかったかァ……?」
俺様にも見せてくれよ、と吐息を混ぜた声は花孫の全身を震わせるのに十分だっただろう。
怯える花孫も《異常者》としてこの世を生きている以上、こういった場面には度々出くわす。
敵意や殺意をどうして相手に向けるのか、その答えが行き着く先は相手に恐怖を与えることだろう――それによって、場は完全に支配される。
しかし、生半可な力の者が他者を威圧したところで、それは自己顕示として見られるのも当然だった。
弱者が強者の真似をしてるに過ぎなかった。
それほど滑稽なことはない。
しかし、七瀬 真草は違う――花孫は彼の力量を理解していた。
他者を威圧するだけの、圧倒するだけの力が彼にはある。
それを体で感じ取っていたのだ、だから、真草の高圧的な態度は必然的に花孫を恐怖させた。
それを言ってしまえば、真草は一瞬にして相手と場を支配したのだった。
恐怖は恐怖を呼ぶ。
恐怖は連鎖する。
殺されるかもしれないという恐怖は身の危険を呼ぶ。
そして、周囲にも害が及ぶかもしれないという恐怖に囚われ、身が竦む。
そうすれば、相手の存在自体が恐怖に感じ、及ばない自身に慄く。
だから、花孫が声も出ず、体を硬直させたのは当然とも言える帰結だった。
「《執行者》さん、足が震えてんぜ……?」
畳み掛ける真草だったが、花孫の肩を二度軽く叩いて、そのまますれ違う。
花孫のことなど最初から興味がなかったかのように。
まるで子供を相手取る大人のように。
花孫を見下ろすように。
「よぉ赤ヶ坂 行方、元気にしてるか?」
真草は花孫に見向きもせず過ぎ、行方の前で立ち止まった。
「元気してるわよ、お蔭様でね」
「へへっ、一体誰のお陰ってんだよ」
花孫と同様、行方の表情も決して柔らかいものではなかった。
同じ『チーム』の同胞であったが、『仲間』というものが真草にとって取るに足らない些細なものでしかないことを、行方は知っていたのだった。
『深刻数字』ナンバー2、《殺人鬼殺人》――キラーキラー。
その名の通り、真草は《異常者》を殺すためだけに生きる《異常者》だった。
「助けに来た、というわけではなさそうね」
「へっ、当たり前だろ。町屋から打診があれば話は別だが、今のところは現状維持だ。生憎だが、赤ヶ坂にはこのままもう少し捕虜として生きてもらうさ」
「勝手な言い分ね」
「そりゃ他人事なんだから勝手にもなるだろ、はははっ!」
快活に笑う真草に対し、気を抜く素振りをしない行方は問うた。
「なら、何しに来たのよ」
「別に、ただ観戦してただけ」
「彼らの戦いを、かしら」
行方は未だ回復せず倒れる二人に目を遣った。
「そうそう、次に脅威となるやつは早めに殺しとかねーと。チームの目的を達成するためには不安材料は少ない方がいいだろうさ」
「嘘が下手ね、あなたは。ただ彼らと殺し合いをしたいだけじゃない」
「へへっ……さぁてね。まぁ、俺様が興味あるのはその女じゃなくて、あっちの男なんだけどな。あいつとは一度やり合いたいね」
「まだまだ全然あなたには敵わないわよ」
「なんだそれ、ゆくゆくは俺様に匹敵するって言いたいのか?」
「ふふふっ」
行方は笑み浮かべたが、そこに笑顔はない。
目は笑っていない。
口角を少し上げただけの、愛想笑いにも程遠い笑みだった。
「ま、そんなことあるはずないけどな。そんじゃ、俺様はこれで帰るわ。あの男の治療はしっかり頼むぜ、赤ヶ坂。いずれ俺様が殺すんだから、それまでに治して指導しとけ。俺様に匹敵するかもしれないのなら尚更、早めに頼むぜ」
楽しみだ、と再び快活に笑い、声を高らかにして真草は去って行った。
行方は台風が過ぎ去った後のような気分になり、疲労感に襲われる。
はぁ、と溜息を吐いて、棒立ちで動こうともしない花孫の背中に視線を遣り、またもう一度溜息を吐きくなった。
いくら元気さが売りのあの子でも、真草相手なら仕方ないか、と行方は自身の中に眠る母性本能を無意識の内にくすぐられ、花孫を迎えに行くのだった。




